3 悪女は悪巧てる(3)
「と言うことは、先生が来年からお仕えになるのはラグランジュ公爵家なのですか?」
「はい、正式に決まったのでまずモルヴィアナお嬢様にお伝えしようと思って」
毎度恒例となった授業終わりのアフタヌーンティーはモルヴィアナにとっても有意義な時間だった。五歳未満の令嬢には外界と関わる術が限られている。ヴァイオレットが教えてくれる情報は社交界の分析に持ってこいだった。
ヴァイオレットはモルヴィアナのことをただの五歳児だと信じて疑わないのでありのまま起こったことを教えてくれる。これが年頃の令嬢であれば派閥などを気にして会話を選ばねばならないのでちょうど良かった。
順調にヴァイオレットの中の親愛度を上げつつあるモルヴィアナはにっこりと微笑んだ。
目の前に広がる【ナビゲート】の状態欄に【彼女は貴方に大きな信頼を抱いています】と記載されている。きっと今癇癪を起こしたところでヴァイオレットがモルヴィアナを見捨てることは無いだろう。今のところは。
「もしかして、私に一番に話してくれたのですか?」
「ええ、そうです。……あ、でも父と母には先に言ってしまいました」
「いいえ、いいえ! じゃあ一番ですね!」
モルヴィアナは愛嬌に極振りしながら子どもらしくヴァイオレットに抱きついた。五歳児ギリギリのスキンシップだ。すぐにハッとしたフリをして「嬉しくてつい」と恥じらえばヴァイオレットは微笑んだ。
「それと、もうひとつお知らせがあるんです」
「なんでしょう」
「ラグランジュ公爵家のお嬢様のプレ・デビュタントにシャペロンとして出席することが決まりました」
「ヴァイオレット先生がシャペロンにですか?」
「はい、光栄なことに初仕事になります」
照れくさそうに微笑むヴァイオレットも少しだけ不安そうだった。シャペロンとはつまるところ付き添い人のことだ。特に女性貴族のことを差し、男性貴族にはこれと言った名称がない。
―――そもそもシャペロンって、他のタンパク質分子が正常な機能を獲得するのを助けるタンパク質をデビューになぞらえた命名なんだけど……この世界、科学の発達が全然見受けられないんだよね。
なんちゃってファンタジーと言ってしまえば大雑把なのだが、ラペンドルドという国には前世で聞いたことのある単語だって存在する。サンドイッチたるものが存在した際にはマジかよ、と声が出たものだ。まぁ詳しいところはどうでもいい。
大体見た目は中世・近代ヨーロッパの見栄えのいいところだけを集めたような世界ではあるが、電子機器及び科学に関する発達は致命的に感じられない。
電気がない割に夜を迎えても国内は光に満ち溢れている。魔力、という前世では存在しなかった物質が空気中に浸透しているのだ。魔法、魔術と言えばファンタジーらしいが、科学的な発達とは別に魔法による便利な世の中にはなっている。
「先生はラグランジュのお嬢様と親しかったのですね。知らなかったです」
出来るだけ嫌味にならないように気をつける。疑問が追求になってしまってはいけない。
「いいえ、お嬢様とはまだ面会したことが無いんです。これから顔合わせのも兼ねて小さなお茶会に呼ばれているのですが……」
ヴァイオレットは不安げに瞳を揺らした。「お嬢様はどのようなことに興味がありますか」と私に話題の提示を求めるほどに。
なるほど、その話をしたのは同じ年頃の少女の反応を見極めるためだったか。
予定ではモルヴィアナの授業と同じような会話を繰り広げるつもりらしい。だがラグランジュ公爵家とフォイルナー男爵家では身分があまりにも違いすぎる。果たして同じような話題が相応しいのだろうか。
「先生がシャペロンと言うことは、ラグランジュ公爵家の方々はどうされるのでしょうか」
「まだ詳しく聞かされているわけではないのだけれど、どうやら私と数人の護衛騎士が付き添う形になりそうです」
「護衛騎士の方が……」
護衛騎士はホール内に客人として入ることが出来ない。プレ・デビュタントを見守る大人が赤の他人の下級貴族令嬢と数人の護衛騎士のみというのは、公爵令嬢としてふさわしくない人選だ。
ラペンドルド王国は厳格な階級社会で成り立っている。貴族の中でも低い階級である男爵家ですらこのような扱いをされるのだから、庶民から成り上がった準男爵家と言うのはとてつもなく度胸がある人間なのだ。準男爵家を貴族として扱うか否かは人それぞれの考えがあるが、父デイビッドは準男爵家であろうと素質があるのならば身分は二の次とする方針をとっていた。
もっとも、デイビッドは権力等を嫌悪する傾向があるらしく身分のみを重要視した高位貴族の振る舞いを好ましく思っていない。
家庭教師であるヴァイオレットは若くして公爵家の侍女が内定しているので、社交界では時の人として名高い。父の目は中々のものだとモルヴィアナは考えていた。身分に囚われず人の能力を見極めることが出来るのは才能だ。
ラグランジュ公爵家と言えばこの国で一番の臣下で、建国から長く続く由緒正しい一族である。現宰相でもあるラグランジュ家当主は血も涙もない冷酷な男だと印象を受けていた。
娘のプレ・デビュタントに父も母も出席せず新しく雇う予定の侍女を付き添い人に指摘するなんて前代未聞である。ヴァイオレットが教えてくれた教材にはそのようなこと例外でも書かれていなかった。血の繋がりも腐れ縁もない全くの他人である。
当事者のヴァイオレットもどこか気まずそうにしている。
―――娘さん、よ~っぽどお父様とお母様に嫌われてんだなあ。
いっそ身内全員からかもしれない。
モルヴィアナは前世の自分を思い出してちょっとだけ可哀想になった。
モルヴィアナの前世の家族ガチャはミスりにミスっていた。父親は世襲の政治家でありながら家庭を顧みず仕事ばかりで挙句の果てに秘書と出来てしまったし、それを受けた母親は早くに父を見限って若い議員と不倫していた。
愛の結晶でも何でもなかったモルヴィアナは現在の溺愛とは程遠い重度のネグレクトの中育った。小さい頃はどうして自分は愛されないのかと悩みに悩んだが愛情を注がれなかった故か、自身の親への情もすぐに薄れた。身内にもろくな大人がいなかったので頼れるものは自分自身だけというわけだ。
中学に上がる頃には勉強に熱を入れさっさといい大学に入ってしまった。借金にならない方の奨学金を掴み取ってそれから音信不通である。
ラグランジュ公爵家の娘に勝手な共感を抱いている所でヴァイオレットが機嫌を伺うように声を掛ける。ここで適当に話題の提示をしてしまえばミスった時にモルヴィアナのせいにもなってしまう。
なのであまり的確なことは告げずに自分が好むものの話をしておいた。こうすれば話題の提示ではなくただの好みの発表に収まる。
まあ愛情に飢えた五歳の少女であるならば適当に煽てるような会話をすればいいと思うが。きっとそばで微笑んでくれる人がいるだけで救われるだろうし。
「では私もヴァイオレットとプレ・デビュタントで会えると言うことですか?」
「はい、公式の場でモルヴィアナお嬢様に会うのはこれが初めてになるので、授業のおさらいだと思って思い切って楽しんでください」
ふんだんに微笑んで相槌を打つ。ヴァイオレットは良き情報収集に使えるが、話題には気をつけなければならない。モルヴィアナに簡単に話すと言うことは、他でも同じことをする可能性があるから。
【ナビゲート】と心中で囁きながら画面を見つめる。【好感・愛着・信頼】なんともわかりやすい状態だ。ヴァイオレットはモルヴィアナを心から信頼してくれている。モルヴィアナも嘘や見栄を張らないヴァイオレットを好ましく思っていた。
――信頼度がもっと上がれば都合のいい、私だけの情報屋になってくれるかもしれない。
新しい人生は楽しくて仕方がない。モルヴィアナはより良い人生のため、新たな計画を悪巧た。
一日が終われば静かに自室に送られる。貴族令嬢は乳飲み子の時期から一人の部屋が与えられ、肌の温かさを知ることなく一人寝に慣れるらしい。
モルヴィアナは前世でも肌の温かさを知ることがなかったので今更寂しいとは感じない。しかし、寝る前に必ず父と兄が親愛のキスを寄越してくれるし、侍女頭であるヘレナは律儀に部屋まで送り付けてくれるので非常に満足した生活を送っていた。
「それではおやすみなさいませ。良い夢を」
「ヘレナもいい夢を」
唇を小さく窄めればいつも通り頬にキスが降ってきた。モルヴィアナは愛に飢えていたので子どもらしいスキンシップは取れるうちにとっておきたかった。お返しとばかりにモルヴィアナもヘレナの頬にキスを落とす。
おでこを軽く撫でながらヘレナを恭しく頭を下げて部屋を出ていった。
撫でられたおでこに手を当てる。別になにか変化があったわけではないのに不思議と温かく感じた。これが愛の温かさなのだろうか。先ほどの行為をなぞるように自分で自分を撫でた。
「……まだ、見えないか」
モルヴィアナは【ナビゲート】と心の中で囁きながら目の前に広がる画面を見つめた。
そこには先程までこの部屋にいたヘレナの情報が記されている。ヘレナの情報欄にでかでかと書かれた【忠誠心:EX】を撫でる。現在のモルヴィアナはとんでもなく恵まれている。片親ではあるが家族からの愛を受け、身の回りの人々に助けられ、自由で楽しい未来を夢見ることが出来る。
それでも。
「父と兄とヘレナ――それから私。何で状態欄の一部が全て見れないんだろう」
【所属:フォイルナー男爵家・侍女頭】と書かれた下に謎の黒塗りの空間が存在している。擦ってみても黒塗りは消えない。二度タッチすれば、【閲覧の権限がありません】とピックアップ表示が主張する。
自身の知らない秘密があることは明確だった。そしてそれを知ることが出来るのかさえ、彼女には分からない。
レベルMAX1と書かれた自分の状態を確認しながら、まぁ実際困ったことは無いから別にいっかと楽観的に眠りに落ちた。その間五秒。
モルヴィアナは寝付きがとんでもなく良かった。
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