31 悪女は簒立がる(7)
お久しぶりです。
「──許そう。だが、どのように証明するつもりだ?」
「もちろん、この身でございます」
観衆の視線を一身に受けながら、モルヴィアナは慣れた仕草でお辞儀をした。
可愛らしい子どものカーテシー。爪の先まで真っ直ぐに伸ばされた仕草はどこか洗練されていて、ベルモンドは母親によく似ているんだな、と思った。
記憶の隅にある気高くて強い竜の女。ベルモンドを王にすること以外、興味のなかった男が、初めて心を預けた生き物。
真っ赤な焱を携えて、氷の男の心を溶かした唯一の女。心の底から二人を祝福していた分──その後の結末には辟易したし、塞ぎ込んで生気を失ったデイビッドに、どう声をかけたものかと考えあぐねて気がつけば五年が経った。
ベルモンドに出来たことと言えば、男がどこかへ消えないように定期的に城に呼びつけることくらいだった。それも、王座に座る身であれば控えるべき愚行だったが、王である前に一人の友であった男が唯一見逃されたわがままだった。
もう手の施しようがないかと思った矢先、あろうことかデイビッドはあの頃の眼差しを取り戻した。どういうわけか今までの所業を深く謝罪して。今後は出来うる全てを捧げて励むなどと言いながら。
そんなものは必要ないと言うのに。
王は、モルヴィアナを見定めるように見つめ続ける。その瞳に答えるように、モルヴィアナは気高い頬笑みを浮かべた。
誰にも穢すことのできない、孤高の微笑み。──デイビッドが愛した、六花の如く麗しさを備えて。
す、と真っ直ぐに伸ばされた指先は左右に控える近衛兵に向けられた。思わず意識を向けられた兵は改めて背筋を引き伸ばすように待ての姿勢を維持する。
「近衛兵の中で一番頑丈さに自信のある方は誰でしょう?」
「マクスウェル」
「はっ」
モルヴィアナの質問にデイビッドが名前だけを答える。呼ばれた兵士の胸には星が2枚記されている。多分デイビッドの直属の部下とかに当たるのだろう。
モルヴィアナは兵士用の【ジョブ】を持っていなかったので、未だ簡単な階級もよく分かっていなかった。戦闘スキルを磨くことはあれど、女の身で軍に所属することはないとされていたため、授業の内容すら省かれていたのだ。
──何が起こるか分からないし、しばらく軍隊の知識を増やしておくか。
分からないことがあるのは気持ちが悪い。だからさっさと知識の穴を埋めておきたい。
モルヴィアナの決意を後押しするように【ナビゲート】が新たなクエストを解放した。
明朝、式部卿の位に着いたデイビッドは、名誉騎士であり、近衛兵の実質的な指導者になった。そもそもの話、これまで王城に呼ばれていた理由が、近衛兵の指導官であったため、急に現場復帰してきた上司に何か申し上げたい兵士は一人としていなかった。
やる気を何処かに置いて、燻っていた状態でもデイビッドは公爵家の跡取りとしてすべきことはしていたのだ。
なので、近衛兵に指示を出すのは、結局父であるデイビッドに変わりはなかった。
上司に呼びつけられたまま、マクスウェルとか言うガタイのいい男は小さなモルヴィアナの前に快活に駆けつけた。撫で付けたようなオールバックは金色がライオンみたいで中々に似合っている。まだ年の瀬も二十代後半という感じで、エネルギーに溢れていた。
立ち姿からして左右のバランスが取れており、何時でも抜刀出来るように全身の筋肉に魔力を流している。どうやらこの筋骨隆々の風貌にして、【ジョブ】は【魔法剣士】であるらしかった。デイビッドと同じである。
「失礼、私は何をすれば良いだろうか」
「防御魔法を展開してください」
「わかった」
マクスウェルはモルヴィアナの言う通りに純度の高い防御魔法を発動する。律儀にクリティカルを乗せるスキルを発動してから、全身に展開したらしい。手抜きをしない、良い心がけだと思った。全身に満遍なく魔法をかけるよりも一部に強力にかけた魔法の範囲を広げる方が出来がいい。
しっかりと実践を経験した人間の立ち振る舞いだった。父親の部下の出来がいいと嬉しい。そんな当たり前のことを思い知って、モルヴィアナはちょっと張り切って魔力を解放した。
今までずっと抑えてきた、本来の魔力を。
生まれた時から自分の体中に魔力を回してきた。最大保有魔力量とかいう、普通の人間が何十年もかけて少しずつ伸ばしていくものを、モルヴィアナは毎日の日課で培った。
あれはモルヴィアナが【ナビゲート】とかいうふざけた能力を与えられたからだと思っていたが、今なら違うとわかる。
人間と違い、竜は生涯魔力を増やす生き物だ。生まれながらに一定の保有量しか与えられない人間とは違い、一生をかけて魔力を増やしていく。竜の体の装甲、それそのものが魔力で出来ているからだ。
人間が鍛えれば鍛えるだけ筋肉を育てることが出来るのと同じ。
身体中に巡らせた魔力が神経を呼び起こし、額に熱を集める。感情の起伏に合わせて現れる竜鱗は、竜だけに許された魔力の形だ。
人間は魔力を使うことは出来ても、魔力を具現化することはできない。
「……あれが、竜鱗」
「凄まじい魔力だ」
「フォイルナーの六花は水の魔力を持っていたんじゃないのか? あれは、炎の魔力の気が……」
「馬鹿、その名を口にするな! 消されたいのか!」
デイビッドは不快そうに眉をひそめた。どうやらヴァイオレットが言っていた話は本当のことらしい。
「では、私の額にどうぞ触れてください」
「……何?」
周囲の雑音を全て無視してモルヴィアナは予定通り男に命じた。口にする瞬間にとんでもない怖気が這い上がって来たが、これも母の無実を証明する為ならば仕方が無い。
どうやら竜はとんでもなく面倒な生き物らしい。矜恃のために生き矜恃のために死ぬ、孤高の生き物と言うのも頷ける。
ハーフであるモルヴィアナですらこんなにも気分が悪いのだから、純血の竜であった母があの瞬間死を受けいれてしまったことも理解できた。──納得は、いつまでもできないけれど。
「どうせ、触れることは出来ないので」
モルヴィアナの言葉を挑発と受け取ったマクスウェル籠手を外して指先を晒す。そんな装備で大丈夫だろうか、と口にするのはやめて、行く末を見届けることにした。
額に触れるか触れられないかの瀬戸際、体温を感知する少し前に、怖気がピークを過ぎた。苛立ちを交えて思いっきり魔力が放出される。我慢しようとしても出来ない反射のようなものが、無意識に発された。
頑丈さを讃えられた男が宙を舞って法廷の端まで吹き飛ばされた。衝撃音が会場を駆け抜けて、生唾を呑んで観覧していた聴衆は悲鳴をあげて駆け出した。
さすが近衛騎士というだけあって、完璧な防御魔法により体に傷はないようだ。壁に刻まれてしまった綺麗な人の形から、ゆっくりと起き上がる。
自身の抜け殻のようなものを見つめながらマクスウェルはモルヴィアナを二、三度見つめ返した。
「お怪我はありませんか?」
「あ、ああ……。大丈夫だ」
お詫びということで、魔力を少々受け渡したが額に触れられそうになった怒りからか思わず魔力を暴走させてしまう。まだ体も心も子どもなのだ。この小さな器に扱いきれるか分からない力だけが詰め込まれている。
「協力いただいた身ですみません。分かっていても不快感は切り離せないもので」
証明は為された。竜鱗は愛するもの以外を受け入れることがない。
「このように。竜は縄張り意識の強い生き物です。外装に触れることは出来ても、心を形作る竜鱗に触れられるのはこの身を掛け合わせた二人と血を分け合った兄弟──そして、いずれ出会うかもしれない運命の人だけです」
そばで見守ってくれていたデイビッドの手をおもむろに自分の額に重ね合わせた。熱い魔力の奔流が体を巡り、愛する家族の魔力を受け入れる。
どこか懐かしいものを見るみたいな目で、デイビッドがモルヴィアナを見下ろしている。その瞳に映っているであろう美しい母の顔を、モルヴィアナも思い出していた。
暖かな手のひらが額に触れる。微塵の不快感もなく、穏やかな安堵が心を支配する。
「お父様」
「ああ……」
しんと静まり返った法廷の中で、息を吐き出しながらモルヴィアナは竜鱗を解除した。そう何度も人に見られたい部位でもない。興味本位に眺めてくる人間なんて、この場でなければきっと八つ裂きにしていただろう。
「間違いなくこの方は私のお父様です」
母の汚名は返上され、モルヴィアナは愛する父の怨みを晴らした。
だからすべきことはもう一つだけだ。
「……それで、叔父様、ですっけ? 私に触れる勇気はありますか? 少々気分が悪いので、先程より強く飛んでしまうかもしれませんが」
──おまえをそこから引きずり下ろす。地獄を見せる。
モルヴィアナはもう竜鱗を見せる気がなかったけれど、絶望の表情を浮かべるジェイディスを見下ろしながら、蔑むような声色で言い捨てた。
敗けを認めろ、と。
「こ、こんなの、っ……おかしい! おかしいではないか!」
引きずり出された罪人の姿は相変わらず矮小なものだった。地べたを這いずって、そんなわけないと駄々を捏ねるだけ。
まるで子どものまま育つことのなかった負け犬が吠えている。
「竜鱗だなんだと、意味のわからないことを! そんなものお前の匙加減だろう! 触れられないならなんだと言うのだ!」
アーデルハイトの何も知らず、デイビッドの想いも考えず、もっていないからと人のものを欲しがる悪童。
モルヴィアナにとって、紛れもなく吐き気を催す類の邪悪だった。
「これだから物を知らない方は困りますね。今のを見て、知識のある方ならわかったはずなのですが──私が、竜の娘だと言うことは」
公爵の立場さえ手に入ればそれで良かったのだろう。大した成果も挙げず、社交界での繋がりも重要視していないから、今やラングラン公爵家は公爵家とは名ばかりのハリボテだ。
他の八公も早々に交流を切り上げて、あるのは旨味のある魔法石の取引ぐらいしかしていない。同じ栄光をいただいたLの繋がりにしては、貴族らしく権力だけの付き合いをしている。
「……確かに、今のは紛れもなく竜鱗だった。しかもただの竜鱗では無い。焱の魔力を帯びていた、ということは」
「は、焱の魔力? 何をそんな大昔の神話を……」
──恥知らずなその言葉を、ずっと待っていた。
モルヴィアナは笑い出しそうになる心地を押さえつけて、務めて真面目な顔をした。
「お勉強が不得意だったみたいですね。焱の魔力を持つ竜は一人だけでしょうに」
「まさか炎の戦乙女というのは……」
ようやく察したジェイディスの顔から血の気が引いていく。今更思い当たってももう遅いのだ。アーデルハイドは戻らないし、汚名を着せられた事実も消えない。デイビッドはモルヴィアナの前で情けなくしゃがみこんだ弟だった者を見下ろした。
「アーデルハイト・フォイルナーはリンガーラッシュに駆けつけた神の使いだ」
呆れた声色のままに王が宣言をする。今までひた隠しにされていた事実が明るみとなった。
今この時点でこの裁判はただの貴族の名誉裁判ではなくなってしまったのだ。──すべて、モルヴィアナの思うままに舞台が整えられていく。
アーデルハイドは救国の竜姫である。ならばそのような人を殺した人間は、どのような罪に問われるのだろう。
そう、求刑だ。
──私は父上ほど優しくはないから、ひとつも逃げ場が無いように丁寧に追い込んでやろう。
もう何一つ反論は意味をなさなった。シャングリラ子爵家の者たちはジェイディスと同じく蒼白な表情で震えている。もはや逃げ場はないのに、頭の中で様々な策略を企てているが、その全ては意味をなさない。最近手をつけたブランド業もモルヴィアナが予め潰しておいた。
アーデルハイドの名誉を傷つけた者達を誰一人こぼさず不幸のどん底に落としてやるのだと、心に決めたのだから。
場の空気が凍りついたことにようやく気づいたゴルドルフが慌てて声を上げた。ジェイディスの部が悪いと思ったのだろう。今この瞬間で最も愚かな悪手を取った。
「私が何をしたというのですか! それに、この茶番はなんだと言うのです! 男爵家風情が我々にあらぬ罪を着せるなど……」
「あらぬ罪かどうかは王が判断なさることです。そして魔力持ちの人身売買は王命に背く行為ですよ」
何から何までお膳立てされて、モルヴィアナはもはや喜びすら感じていた。用意すること如くを全て活用できる素晴らしいタイミングだ。人間には感じ取ることの出来ない竜独自の竜鱗の共鳴が知らせてくれる。一番欲しい時に現れるプレゼントがすぐそこにある。
バン、と法廷の扉が開いた。外はもう昼を迎えている。現れた人物の後ろから後光のような眩しい陽の光が差していた。
「それに──証拠が気になるのであればご用意しましょう」
いつだって、モルヴィアナの家族は欲しいものをくれる。
「王命により馳せ参じました」
銀糸が揺れる。隙間から見える碧い瞳が、真っ直ぐにモルヴィアナを見つめている。
厳かに跪いたレイモンドは、十を数えたばかりとは思えない凛々しさで水晶を掲げた。
それは、ラングラン公爵家に伝わる秘宝。珍しい空間魔法が刻まれた古代文明の叡智の一つ。大量の物質をストックできる優れ物。
数十の屋敷から溢れ出したであろう証拠の書類を全て収納したそれが証拠品として提示される。
「レイモンド・フォイルナーが責任をもって只今証拠を献上致します」
──モルヴィアナが公女になりたいのだと言えば、家族はどんな手を使ってでもその夢を叶えようとするのだ。
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