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1 悪女は悪巧てる(1)


 ――あ、これは私じゃないな。


 初めての気づきはそんな単純なものだった。








 

 

 時間ぴったりに終わった授業と、教材を片付ける最高のタイミングに侍女は声をかける前に扉をノックした。三回重ねられた後に一拍置いて入室の許可を下した。


「お嬢様、紅茶をお持ち致しました」


 ケーキ・ワゴンに乗せられた銀食器とハイティー・スタンドに乗せられた色鮮やかなスイーツが目に入る。アフタヌーンティーの時間だ。


「ありがとう。いただこうかしら。先生もどうぞ。授業も終わりましたし、ティータイムにいたしませんか?」

「そうですね。モルヴィアナお嬢様の紅茶は格別ですから」


 先生はお上手ね、と口角を上げて子どもらしい笑顔を作った。

 

 モルヴィアナ・フォイルナーは五歳を迎えた男爵家の長女だ。王国の貴族階級で言えば下から数えた方が早い部類に入る。

 

「ヘレナ、この前お父様がくれた茶器を持ってきてくれる? 先生にもお見せしたくて」


 ヘレナはモルヴィアナが生まれた時から世話をしている侍女頭だ。モルヴィアナが生まれて直ぐに彼女の母は亡くなってしまったため、実質の母親代わりと言っていい。

 淑女らしいお願いにヘレナは二つ返事で頷いてくれた。もっとも、彼女がモルヴィアナの頼みを断ることはほとんどない。

 

「そんな大切なものを私に見せてくださるのですか」

「もちろんです。先生にはいつもお世話になっていますもの」


 先日父親が王室から帰還した時に渡された最近流行りの茶器は白い器にキラキラとした破片が散りばめられていた。この国で陶器はとても価値のあるものだ。鮮やかで繊細な彩りを施したそれは美しく壊れやすい。銀食器に比べ脆いことから貴族の消耗品として消費されている。

 毎日磨く必要のある銀食器と壊れやすい陶器、どちらの方が維持が難しいのだろう。モルヴィアナは青い薔薇が描かれたティーカップを眺めながら浮かんだレモンに蜂蜜を掛けた。

 

「お嬢様は本当にハニーレモンティーがお好きですね」

「ええ、まあ」

「幼い頃は蜂蜜を見るだけで泣いてらしたのよ」

 

 泣くどころか机の上をころげ回って破壊を繰り返していた。新生児に蜂蜜を食わせるというやべ〜家庭に生まれてしまったが故の破天荒である。

 恥ずかしいわ先生、と恥じらう淑女の仕草でそれとなく話題を止めた。直ぐに別の話題を用意すれば先生も侍女も難色を示すことなく話題に乗ってくれる。自身のこれからを左右する、就職先の社長の娘のドレスに興味があるのはごく当たり前のことであるのだから。

 

 モルヴィアナには生まれた時からの記憶がある。――いや、生まれる前からの記憶がはっきりとあった。

 産声を上げた瞬間から既に成熟した記憶を保持していた彼女は、自身が赤子で今聞こえている泣き声が自分であることを理解するのにしばらくかかった。

 動かない手足に思い通りにならない声。夢かと思ったら現実だった、そう聞き分けが良く出来る人間はそういない。

 目の前で仰々しく世話を焼く人間が揃いも揃って古めかしいドレスのようなものを身にまとっていれば嫌でも気づくのだ。ここは日本では無い、ということは。

 どういうわけか以前の自分とは違う姿形に生まれ落ちたことを理解した頃にはこの生活にもすっかり慣れていた。他人の乳から飲むミルクに嫌悪感を抱いたが、赤子の体には想像以上に美味だったので直ぐに意識を変えた。赤ちゃんなんだから乳をしゃぶっていいに決まっている。泣き声もささやかなもので、余程のことが起こらない限りはギャン泣きしなかった。新生児に蜂蜜を食わせようとする時以外は。

 変に知識があるので随分聞き分けの良い子どもであった。モルヴィアナの誕生日を迎える度に使用人達が「お嬢様は手のかからない賢い子どもでした」と口々に言うのだから認識は正しい。


 死んだ記憶が無いので生前と言うのも変だが、前世と呼ぶであろう記憶は一応消えなかった。現在五年ほどの月日が経ったが未だに昔のことをありありと思い出せる。

 あまり恵まれたわけでない家庭で育ちはしたが生い立ちに負けることなく逞しく生き、自立して家を飛び出して、自分の金で大学を走り抜け、それなりに名のきいた上場企業に就職した。順風満帆に出世し、新しい企画ではリーダーを負かされたのに――最後に手酷く裏切られた。腹立つことこの上ない。

 

「お嬢様、お顔が優れませんが……」

「いえ、大丈夫よ……少し嫌なことを思い出しただけだから」


 体が子どものせいか時折表情に感情が出てしまう。貴族社会でこれからも生きていくならば早急に直す必要のある癖だ。

 家庭教師である先生はモルヴィアナの言葉に気分転換になるよう新たな話題を投入する。元々彼女が気になっていた事柄のひとつだ。


「そう言えばもうすぐお嬢様もプレ・デビュタントですね」

「はい。もう今年のうちに参加する予定です」

「あら、そうなのね。何方と出席なさるのかしら」


 プレ・デビュタントとは王国中の息女に義務付けられたデビュタント前の少女のことを言う。大体五歳から七歳の間にはプレ・デビュタントとしてお披露目会前のお披露目をする必要がある。

 プレ・デビュタントは階級に関係なく、全ての貴族の子ども達が王城に登城出来る。つまり幼い子どもにかこつけた大人達のビジネス場というわけだ。とりわけモルヴィアナのような男爵家等はこのような機会でしか高位貴族と一対一で会話することがない。

デビュタントになる頃には16か7だ。通常の貴族令嬢であれば身分の違いや階級ごとの取り決めを理解できる年頃になる。その上、デビュタントは希望制だ。プレ・デビュタントのように義務付けられたものでは無い。

 この国ではデビュタントよりもプレ・デビュタントの方が重要視されている。

 デビュタントが存在するのにその前にも披露する必要があるなんて貴族は面倒だ。そのうち赤子の見せ合い会でも始めそうだとモルヴィアナは一人思っていた。


 まぁ郷に入っては郷に従えと言うのだから、文句を言わずに参加するつもりだ。さっさと五歳のうちから出席して残りのパーティはトンズラをこくつもりである。


 二度目の人生、面倒ないざこざは徹底的に省きたい。出来るだけ楽をして自由に生きるのが第一の目標である。

そもそも男爵家という貴族の中でも階級が低いモルヴィアナに社交界で花を開いてやろう等という野心はない。尻に敷きやすい気弱な男でも捕まえて一生楽に暮らすのが目標なのだから、変に目立って見初められるのも癪だった。

 自分で言うのもなんだが――モルヴィアナは自分の容姿に自信があったので、あまり目立ちたくなかったのだ。自分の顔ではあるが自分の顔ではない。ガワだけ美人に産んでもらえたことはこの世界の両親に最も感謝している。


「多分お兄様だと思います」

 

 そつのない返事をしながら先生に笑顔を向ける。


「まぁ、それは楽しみです。私もプレ・デビュタントは兄と出席したわ。きっとレイモンド様ならとびきり素敵なエスコートをしてくださりますね」

「はい、私も自慢のお兄様と一緒で楽しみです」


レイモンドはモルヴィアナの五つ上の兄だ。プレ・デビュタントでは付き添い人は両親のどちらかか兄弟姉妹がほとんどだった。時折従兄弟や叔父叔母が付き添うこともあるが、そういうのは家庭事情が複雑なお家と言うことになる。


「先生、良かったらプレ・デビュタントのお話を聞かせてください。まだ少し、不安で……」

「ええ、もちろんです。では少し昔話をさせてくださいね」


 家庭教師のヴァイオレットは父が用意した十五ほど離れた淑女だ。まだ未婚ではあるが心根が優しく世話焼きな所を気に入っている。

 ヴァイオレットは出身こそは準男爵家だが、社交界での立ち回りが上手く、交友関係が広い。しかもとある公爵家で侍女として働くことがほとんど決まっていた。あと一年ほどすれば家庭教師は変わってしまうだろう。

 モルヴィアナはデビュタントを迎えて直ぐに尻に敷きやすい男と婚約でもしようと考えているので、ヴァイオレットとは良き関係でいたい。今日も神から贈られた可愛い顔をふんだんに使ってヴァイオレットとのこれからのために頑張るのだ。


 この時はまだ、そう思っていた。

 

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