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正しい悪女の作り方~婚約破棄を目指して悪役令嬢に成り上がる~  作者: 藍上御書
第一章「男爵令嬢モルヴィアナ・フォイルナー」
13/45

12 悪女は策励く(3)


「ご機嫌ようシェリルお嬢様!」

「……ご機嫌よう」


 至極不服だと言わんばかりに寄せられた眉根ですら芸術的な美しさがある。美人はどんな顔をしても美人であり可愛いことに変わりは無いのだ。

 奇跡としか思えない造形美はこの世のどんな言葉を持ってしても言い表すことが出来ない。彼女の眼、鼻、口、その艶やかな髪、それら全てが完璧だったから。


 モルヴィアナのどストライク美少女であるシェリルは「お呼びでは無いが?」と言いたげな視線を向けつつも、ヴァイオレットには違和感を抱かせないような完璧な仕草でモルヴィアナを迎え入れた。

 どうぞおかげになって、と気遣う仕草も可愛らしい。


 小さな淑女のお茶会は静やかに進められた。


「では私がお紅茶をお持ちしますのでお二人はこちらでお待ちくださいませ」


 ヴァイオレットが気を利かせて立ち上がる。敢えて取り寄せた蒸らし時間の必要な紅茶に特製の手順を加えて時間を伸ばし、さらに「一番美味しい状態で召し上がって欲しいから」という理由でパイは生地の状態で持ってきた。

 

 シェリルと二人きりでお話がしたいのだ、と運命的なあの噴水での出会いを(大分脚色しつつ)素直に話したところ、眼を潤ませながら「お嬢様のお気持ち、尊重いたします」ととびきりの笑顔で引き受けてくれた。

 

 ヴァイオレットは使い勝手が良くて本当に良い。

 

 バチコンとウインクをした後、ルンルンと駆け出しそうな足取りで簡易キッチンに向かうヴァイオレットの背を眺めた。


 そう、二人っきりのお茶会である。


「……どういうつもり」

「お久しぶりですね。いかがお過ごしでしたか?」

「私はどういうつもりかと聞いているのよ」

「どうもこうも、シェリルお嬢様に会いたかっただけですわ」


 深いため息を吐き出しながらシェリルは額に右手の先をそっと当てた。庭園に出されたガーデンチェアはアイボリー色の少し傷んだ物だ。年代物らしく座り心地はまずまずだが剥がれ落ちた塗料はそのままだった。

 塗り替えもしないとは、使用人共は何をしているのだろうか。


「私、ちゃんと手紙で返事を出したのだけれど」

「ええ、シェリルお嬢様のお手紙を読んで嬉しくって駆けつけましたの。月桂樹に例えるだなんて神秘的でドラマチックですね。やはり運命ですわ」

「体のいい断り文句だと知って乗り込んできたのでしょう」

「まさか! そんなこと致しませんわ。私、ただただお嬢様に会いたかっただけですもの。断り文句だなんて……寂しいですわ」

「どうやって嗅ぎつけたか知らないけれど、わざわざヴァイオレットにお膳立てをさせるだなんてね」

「いいえ、とんでもないわ。ただヴァイオレットは私の先生でもあっただけですよ」

「……私の言葉を素直に聞くつもりがないことはわかった」


 深いため息をつくシェリルの表情を肴に紅茶を一口含む。画面から祝福を称えるメッセージが繰り出した。また何かを達成したらしい。


 【お茶会(ティーパーティー)機能解放】と記された画面をちらりと一瞥する。今まで何かを達成することはあれど、新たな機能が開放されたことは無い。トンチキなアナウンスが視界に流れるのでサッと確認した。

 

 概要欄には【お茶会機能を利用するとイベントが発生します】と記されていた。――イベントとは。

 好感度が上がる系のものだろうか。


 モルヴィアナの記憶にあるクソゲームの中にはそのような話は書いていなかった。お茶会なんてみんなそこらでやっている。何より、主人公はお茶会なんぞ知らないし、友人キャラもただの説明キャラと化していたのでイベントというイベントはなかった気がする。

 はてさて不思議な機能が使えることとなったが慎重に様子を見なくてはならない。


 モルヴィアナが新機能について考えてあぐねている様子を訝しげに確認したシェリルは口早に丁寧な挨拶を述べる。


「プレゼント、どうもありがとうございます。ですが本日は大切な礼節の授業なの。申し訳ないけれどおかえり頂いてよろしいかしら」


 丁重な断り文句に口の裏で小さく笑う。可愛いったらありゃしない。上辺だけの微笑みでも落雷の如く衝撃がある。

 最終的に追い出されたとしても成果を上げずに帰るわけには行かない。シェリルのことをなんでもいいから少しでも多く知って帰らねば。

 捩じ込むように質問を重ねる。


「ねぇシェリルお嬢様の好きな物って何でしょう? とりあえず目星をつけてきたのだけれど甘露酒のベリーパイってどう思います?」

「……嫌いでは無いけれど、」

「良かった。甘露酒は少し甘酸っぱさが舌に残るから好き嫌いがあると思っていましたの。私も好きなのですよ。あ、シェリルお嬢様はハニーレモンティーも好きですか?」

「…………嫌いでは、無いけれど、」

「そう! じゃあきっと気にいると思いますわ」

「私は先程からさっさと帰れと言っているのだけど?」


 ――私たち、好みも一緒だなんてやはり運命ね。


 モルヴィアナのささやかな微笑みはシェリルによって一刀両断された。机に置いたままの紅茶に手をつけることなく、口を一文字に結んだシェリルが可愛い顔で睨めつけてきた。


「あとその鼻にかかる喋り方も腹が立つわ!」


 シェリルは飄々としたモルヴィアナの態度を見ながら誰が見ても不機嫌だと分かる美しい(かんばせ)で頬を膨らました。

 困ったな、何をさせても可愛い。


 モルヴィアナはシェリルが求めることならばなんだってしてやりたいと思う。事前調査――前世の知識でえる――で得た好き嫌いを正確に把握しながらパーティの準備を進めたり、お望みの言葉遣いで話したり。


 きっと普通の少女であれば臆しながらそんなことは、と言い淀む行動ですら即座に実行出来る潔さがあったのだ。

 ティーカップに口付けた辺りをそっと親指の腹で拭う。まだ年端も行かぬ少女であれど唇を覆う(まとい)はしっかりとしてきたのだ。


 移ったルージュを眺めながらもう一度微笑を浮かべる。


 シェリルには遠く及ばなくともモルヴィアナは美少女の自覚があった。


「遠回りのお断りより顔を見て罵倒される方が気持ちがいいわ」


 端的に告げるのは本当に思っていた事ばかりだ。言わないことはあっても、嘘は言わない。モルヴィアナはシェリルだけには嘘をつかないのだから。


 モルヴィアナの告白に数刻の隙間が出来た。目の前のシェリルは一瞬、何を言っているのかわけがわからないように固まった。

 少ししてやっと理解に収まったのか、呆れたような怒ったような、赤くも青くもある表情をコロコロと変え非常にモルヴィアナを楽しませた。

 ゲームのグラではいつも厳しく眉を釣り上げたものばかりだったから、得体の知れないものを見て怯えるシェリルはとても可愛かった。

 

パクパクと口を開く。その姿は金魚のようで愛しい。


「どっ……どう、どういう、神経を……」

「理解の範疇を超える存在を目の当たりにするとフリーズしちゃうところも可愛いと思う」

「真面目に話してちょうだい!」


 顔を真っ赤にして叫ぶ。周りには誰も居ないらしく、お茶会の主人が声を荒らげても誰も近づかない。

 おかしな屋敷だな、とシェリルを観察しながら考えていた。それともモルヴィアナに都合の良いように出来ているのか。


「先日の非礼をお詫びしようと思って。もっと順序を踏むべきだったなと思ったの」


 声色を変え、暗に落ち着いて欲しいと遠回しに伝える。子どもっぽく声を荒らげたシェリルがハッとなにか気づいたかのように着席した。はしたなかったわね、と小さく零す言葉に「シェリルが何をしても端なくはならないわ」と微笑んだ。

 呆れた顔を向けられる。


「……そう」

「だからまずはシェリルのことを知りたくて。でも勝手に知るのは無作法でしょう。だからこうやって顔を見合せて話そうと思ったの」

「既に無礼は極まっているのだけれど……」


 シェリルは青筋を立てながら俯いた。眉根がひそめられて、そこに薄く(しわ)が刻まれる。


「ごめんあそばせ。愛が早ってしまったみたいなので」

「あなた、それを言えば何とでもなると思っているのでしょう」

「そんなことは無いわ」


 心外だ、と思った。モルヴィアナは何もそのような投げやりな感情でシェリルに近づいているわけではない。すべての理由には「シェリルを愛しているから」というこの世で一番の大義名分がついているのだ。


「私は貴方を愛しているから、あなたからどう思われようと愛していると言う感情が変わることは無いのよ」

「……質問と答えが合っていないのでは?」


 不思議そうに首を傾げられた。刻まれた皺はそのままだ。


「いいえ、とても正確な答えですわ。だって、私は貴方に嫌われようとも一生貴方を愛していくのですから、どのような態度をとっても、それで何とかなるだなんて思わないのです。――私、貴方の特別になりたいから必死に頑張っているの」


 それは舞踏会の夜に王子様(ヴァレン)にシェリルが告げる言葉だ。一目惚れをしたヴァレンは美しい涙を流す彼女にあの手この手で語りかけ、その日のうちにその心を慰めるのだ。

 優しくその涙を拭いながら「どうか僕にだけその心を見せてほしい」そういうヴァレンに「私はただ、特別になりたいから頑張っているだけなのです……」と伝える夢の一場面(シーン)はモルヴィアナが三番目に好きな場面である。

 出来上がったゲームには何一つ残らなかった真の名シーンだ。


 同じように頑張ってみたがモルヴィアナの前ではシェリルは肩肘を張った強気な女の子のままだった。


 それは仕方がないのだ。舞踏会の女同士は言わばライバル。そんな相手に心の内を話すだなんて、才色兼備のシェリルがするわけが無いことはわかっていた。


 けど悔しいものは悔しい。モルヴィアナは好きな女のためには手段を選ばないタイプの女だった。


 先に知っていた知識をフル活用し、「私は貴方と同じ感情をもっている」というアピールに出た。


「どうして、私を……――いえ、無駄ね。一目惚れだとか運命とかで片付けられるのでしょう」

「さすがシェリルお嬢様。私の気持ちなんて手に取るように分かるのね」


 くだらないわ、と吐き捨てながらもその表情はどこか得意げだった。


きっと悪くは無い感情を抱いているのだろう。モルヴィアナは勝手に【ナビゲート】を開いてシェリルの感情を覗き見しようとした。


 その時だ。二人きりの庭園に来訪者が現れた。方向は屋敷。

 足音は激しく特定のリズムなどは刻んでいない。感情に任せて真っ直ぐにこちらに向かって早足になっている。

 ヴァイオレットでは無いことは確かだった。誰かを確認するより早く、モルヴィアナの意思ではなく開かれた【ナビゲート】が来訪者の名を告げる。


【マデラ・ド・ラグランジュ――ラグランジュ公爵家の女主人】


 状態異常欄にはきっちりと【興奮・癇癪・怒り】まぁまぁな言葉が並んでいた。どんどん増えていく激しい感情の言葉の後、一瞬すべての文字が消えてヒステリーという一語に置き換えれた。

 端的にヒステリーを起こしているらしい。


 そういう場合もあるのか。様々な感情が入り乱れ、それを勝手に分析して伝えてくれるこの【ナビゲート】こそ一体なんの力なのか。都合がいいので画面はそのままにしておいた。


「シェリル! 授業はどうしたの!」


 名前と情報からして察していたが、どうやらシェリルの母親はマデラというらしい。

 夢で見た情報の殆どはシェリル周囲の情報しか得られない。シェリルはお母様としか呼ばないし屋敷のものは奥様、シェリルの父親(くそやろう)はお前とかおいとかそもそも名称すら呼ばない。シェリルのことも、だ。


 お友達――と思われていない可能性があるが――とのお茶会に乗り込んできた彼女は、母親として相応しくない様相で声を荒らげた。とっくに授業をする時間でもないし、元よりモルヴィアナはそういうのをちゃんと考えて時間を指定した。

 整合性のない一方的な主張にシェリルはびくりと肩を揺らす。態度がどうであれ一応家族だ。しかもシェリルは家族に認められたいと思っている。

 現時点でこんな親なら捨ててしまった方がいい、と腹の底で苛立つ私とは違い彼女は繊細で誠実で真面目だ。私がさっさと捨ててしまった(もの)をシェリルは手放さずにじっとその胸の内で温めていた。


 そんな彼女にもし愛を向けられるのならばそれ以上に幸せなことは無いのだろうと漠然と思ったのだ。


「お母様、授業は先程……」

「口答えしないで!」


 シェリルが説明をしようとしていたのに、その口を閉ざすかのように平手が飛んだ。

 ここにモルヴィアナがいるのにそんなことは関係ないとばかりに思いきりのよい平手だった。


 あまりのことに言葉を失う。手を伸ばすことも出来ず空前で指先が静止した。


 テーブルの上に並べられた陶器が音を立てた。椅子から転げ落ちたシェリルは悲鳴一つ上げずにすぐに立ち上がる。


「貴方にはそんな暇などないはずです! これだから女は……いいですか、あなたの背には公爵家の未来がかかっているのですよ。お父様に認められるには生半可な努力では足りないとあれだけ口にしたでしょう」


 つり上がった眉根にはこれでもかと皺が刻まれていた。シェリルの髪を激しく掴んで無理やり立たせる。ここに客人がいるのに、そんなものは関係なしに。


「申し訳、ありません……」


 反論は無駄だと理解したのだろう。シェリルは口を噤んで静かに頭を下げた。シェリルが何もしないのであればモルヴィアナにできることはない。ギリ、と奥歯を噛み締めながらじっと耐えた。


「――あら、お客様がいらしたの」


 路傍の石に今気がついた、みたいな体で話しかけられる。モルヴィアナに意識が向いた母親を、シェリルは蒼白な顔で見つめていた。自分への興味が一瞬のうちに失われたことを悲しんでいるのだろうか。


 安心して欲しい、とモルヴィアナは思う。モルヴィアナの興味はこの世での家族と、シェリルだけに注がれている。それ以外の人間のこともそれなりに好んでいるが、それら全ては家族やシェリルのために慈しんでいるだけだ。

 モルヴィアナは前世のうちに人らしい慈愛だとかを地面に捨ておいてしまったのでそもそものコストが嫌に狭いのだ。小さな範囲に重い愛を向ける。


 それがモルヴィアナが手に入れた愛だった。


 だから他人にどのような扱いをされても興味はない。強いて言うならばこんなでもシェリルの愛する家族の一人であるならば、それなりに気持ちを良くしてあげるべきだろうと思った。

 礼儀正しく懐から出した扇子で顔を隠す。さらに最大の敬意を払って頭を下げたまま。身長からしてもちょうど旋毛が見える程度だろう。


 マデラがシェリルに罵倒する間もモルヴィアナは静かに頭を下げていた。


「歳の頃にしては礼儀が出来ていますね」

「有難いお言葉、恐縮致します」


 礼節の授業は常に高評価だった。シェリルに会うために最近は特に力を入れていた。完璧な角度とタイミングを持ち合わせれば余程のことがない限りは嫌味を言われることもない。

 この世界ではプレ・デビュタントを迎えた淑女はほとんど一人前の淑女として扱われる。デビュタントに向けて一人前の淑女として授業に勤しむのだ。

 モルヴィアナは憤りがバレないように心を尽くし冷静に姿勢をキープした。


「私が誰か、既に理解が出来るようですね」

「はい。ラグランジュ公爵家の一輪華、マデラ様にご挨拶する権利を願います」

「まぁ、お上手ですわね。お名前を伺っても?」


 冗談を多分に含んで伝えても嬉しそうだ。女としての矜恃がそうされるのか知らないが、モルヴィアナは顔が見えないことを幸いにこれみよがしに眉根をひそめる。

 一輪華であるには熟しすぎている。最も、年上の淑女にはおべっかを多めに含んだ方が都合が良さそうだ。

 マデラが扇子を畳む音がする。あなたも扇子を外しなさいという指示だった。

 言われるがままに名前を告げる。


「フォイルナー男爵家が長女、モルヴィアナと申します」

「よろしくってよ。表をあげなさい」


 モルヴィアナはそう言われると同時に顔を上げた。そして、マデラの顔を見た瞬間に合わせて花がほころぶように微笑みを落として見せたのだ。


 画面に現れたのはモルヴィアナにとってふさわしくない文字の羅列だった。


 驚愕から始まった文字が同じような文字で染められる。動揺・困惑の後に感情がひとつにまとまった。恐怖だ。

 恐怖の後にじわじわと憤怒が見えた。


「――紅い竜(ルージュ・ドラゴン)……?」

「えっ?」


 全く見に覚えない呼び名に思わず首を傾げた。突然ドラゴンだなんだと言われて、即座に理解出来る人間なんているのだろうか。

 ちらりとシェリルを見れば同じようにシェリルも首を傾げていた。


「どうしてお前がここにいるの。何で、どうして、だってあなた、――死んだのに」

「何を――」

「貴方、よくも、……よくものうのうとこんな所まで……」

「マデラ様?」

「何をしにここまで? 公爵様まで奪おうというの?」


 変わらずマデラは困惑と恐怖と怒りの海にいる。ボソボソと何かをつぶやく声がどんどんと大きくなり――次第にモルヴィアナをしっかりと視界に捉えた。


「男爵家風情の女が、どうして閣下を!」


 そうして、扇子を大きく振り上げたのだ。

 【危険が迫っています】と全くアテにならない警告が出た。そんなのはモルヴィアナが一番理解している。

 治癒魔法は得意では無いが少しだけなら使える。それよりも家に帰って事の流れを父に説明すべきか。


 この後の流れを考えながら、既にモルヴィアナは打たれる覚悟ができていた。別に初めてでは無い。前世ではごく稀にあったことだった。


「お母様!」


 あろうことか間に入ったのはシェリルだった。


「お母様、お体に障ります。どうか落ち着いてくださ、」

「触らないで! 誰の許しを得て私に触れるというの!」


 パン、と皮を裂くような破裂音が鳴る。

 シェリルはなおも悲鳴を上げずにただ耐えている。【ナビゲート】の画面が表示されたままの景色の中で、シェリルが驚きと恐怖を抱きながらも公爵家の矜恃をもってモルヴィアナを庇ったことがわかった。

 勝手にスキルが発動している。【公爵家の矜恃】と記されたそれがシェリルにモルヴィアナを守らせている。


「お母様っ……、お母様っ!!」

「うるさい! 私に指図しないで! あんたのせいで、あんたなんか産んだからっ!」


 今まで何をしていたんだ、と言いたくなるようなタイミングで侍女達が集まってきた。髪の毛を掻き乱しながら狂女の如く狂い怒るマデラの指先を守るように周囲を固める侍女の視界にはシェリルが入っていないのだろうか。


「奥様、お気を確かに、」

「今日はもう下がりましょう」


 お体が傷つきます、と目の前で削付けられた子どもがいるのに声をかける。あまりのことに再度言葉を失う。女たちの情報欄には愉悦だとか安堵だとかそういう類の感情が載せられている。

こいつらにとってシェリルはマデラのヒステリーの矛先であり、体のいいサンドバッグだったのだ。


 本当に、ここにシェリルの居場所はないのか。目を見開いたままこの異常事態を呆然と見つめていたモルヴィアナを、再度マデラが睨む。当初あった淑女然とした高貴さはまるでない。怒り狂った女がモルヴィアナ醜い仇のように睨みつける。


「お前のせいで私はこんな目に……!!! 私から何もかも奪うから!」


 ――紅い竜? 閣下? どういうこと?


 その感情の全てがモルヴィアナには理解の出来ない類のものだった。マデラに会ったことは無いし、公爵様にも興味が無い。何よりプレ・デビュタントに出席していない他家の当主とどうやって知り合えばいいのだ。


「おかあさま、」


 鈴なりのような声色は震えていた。子どものような声で、乞うようにマデラに手を伸ばす。

 愛を知らない子どもは存在しない愛を探して苦しんでいる。


 結局マデラはシェリルを一瞥もすることなく侍女達に連れられて行った。残った侍女の一人がモルヴィアナとシェリルを冷たく見下ろす。


「お嬢様、申し訳ありませんが奥様はお疲れです。お嬢様のお茶会の世話を焼く暇などないのです」

「……ええ、」

「奥様の心の安寧のためにも本日のお茶会はお辞めになった方が宜しいかと」

「分かっているわ」


 傷口に塩を塗り込むとこのことか。まるでシェリルがお茶会に勤しんでいたからマデラが苦しんだかのようないいように腸が煮えくり返るような心地がした。

 シェリルがただ一言「良い」と言ってくれれば問答無用で殴りかかる程度には。


 喧騒が止みようやく静けさが訪れた。散らかされた庭園にはティーカップなどが散乱している。シェリルが出してくれたティーカップだった。


 なんと声をかけるべきか。


 画面上の端に記された【お茶会機能】の説明を見る。まさかイベントがこれのことだというわけではないよな、とどこの誰が寄越したのかも分からない謎の能力に腹を立てた。

 確かにイベントは起きた。シェリルの内面に踏み込むような類のイベントではあったけれど、シェリルを傷つけてまで知りたい事柄なんて存在しない。


 モルヴィアナはどうすればいいのか分からなくなってシェリルの名を呼んだ。


「シェリ……」


 名を呼び終える前にシェリルが毅然と言い述べる。


「ごめんあそばせ。今日はもう帰ってくださる? せっかく用意していただいたようだけど……少し、食べる気になれないので」

「……はい、分かりました」


 弱々しくなっていく言葉にそう返事をするのがやっとだった。せっかく用意したパイもお披露目出来なかった。いい雰囲気になりそうだったのに、全部めちゃくちゃだ。


 シェリルの横顔を眺める。頬に走る赤い線はきっと扇子の痕だろう。時間差で怪我になってしまったようだ。陶磁器のように澄んだ白い頬が痛々しい。そっとハンカチを取り出した。


 あの日の夜もこうして同じようにハンカチを差し出した。


「あの、これ」

「もう私に関わらないで! 聞いたでしょう! 男爵家風情が私と関わり合いになったところで――」


 モルヴィアナを遠ざけるために傲慢な淑女を演じる。そんなシェリルが可愛くて痛くて仕方がなかった。


 頬に触れる。触れるとシェリルは押し黙った。じっとモルヴィアナを見つめて、それで何かを言おうとして口を噤んだ。


 ――触れると好感度が上がるだなんて今知ったよ。


 それともシェリルが特別好感度が低かっただけ?


「頬が赤くなってる」


 ゆっくりと回復魔法(ヒール)をかける。モルヴィアナは治癒の魔法に関してはゴミだったので爪痕が消えただけで痛み自体は消せない。

 頬の輪郭をなぞる。不思議なほどシェリルは抵抗しなかった。シェリルの手にハンカチを握らせる。今度こそ、返さなくていいよと呟いた。


「そうだね。私じゃシェリルにそぐわないんだってことが、よく分かったよ」


 男爵家の箱入り娘じゃ何も出来ない。淑女教育で培われるのは女の騙しあいと上辺の取り繕いだけ。


 シェリルと並ぶに何一つ足りない。モルヴィアナは自分が恵まれているだけのただの下っ端貴族だったことを思い出したのだ。

 力がいる。地位もいる。金も、権力も――シェリルをこの家から連れ出すために必要なものが多すぎる。


 五歳児には用意できないものが、とっても多い。


「相応しい立場を手に入れて会いに来たら、ティータイムくらいはゆっくり過ごせるかな?」


 らしくなく弱気な言葉だと思った。モルヴィアナはシェリルに関してだけはずっと強気だったから、同じようにシェリルも不思議そうに見上げていた。

 そうして、直ぐに冷たい氷の目に変わる。


「本日は楽しい時間をありがとうございます。気をつけておかえりになってくださいな」


 明確な境界線を引かれたようによそ行きの微笑みが向けられる。赤みが残った頬はそのままにハンカチは手のひらに握られた。

 少しの間だけそのハンカチに一番そばを譲ってあげる。だってモルヴィアナには傍にいることさえ許されていないから。


「この世で一番に貴方のことを愛するわ。――その権利を手に入れるために、足掻くことにする」


結局モルヴィアナにできるのは誠意を見せることだけだった。





 遠くから駆けつける足音が聞こえる。今度こそ正確なリズムを刻んたそれはヴァイオレットのものだろう。両手に荷物を持っているせいで駆けつけたのが遅れたのかもしれない。

 ひとりぼっちになってしまった庭園で、ヴァイオレットが心配そうに顔を覗き込んだ。


「モルヴィアナお嬢様、大丈夫でしたか!? いま奥様が庭園に向かったと聞いて――」

「うん、大丈夫でした。私はね」

「じゃあ――」


 息を飲んだヴァイオレットが痛ましげに目を細めたきっとシェリルを既に見たのだろう。頬に当てた彼女の手のひらはまるで自分もぶたれたみたいに切実だった。

 優しくていい人だと思う。


「先生、あのね……シェリルお嬢様とお友達になるために私、頑張りたいの」


 優しくていい人だから、安心して使える。今のところは。


「私、もっと色んなことが知りたいですわ。ね、明日王都の図書館に連れて行って貰えるよう、一緒にお父様を説得して貰えませんか?」

「お嬢様……」


 これでもかと瞳をうるませて、斜め下から伺うように首を傾げた。指先を顎の辺りに触れさせてヴァイオレットの視線を掴み取る。


 悪女は、ようやく策励(うご)くことを決めた。



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