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 今宵は聖なる月が頂きに至る日。月周りの最も良い日にこの国は祝福に満たされる。

 祝祭の最中、最もこの国で尊い一族の人間は祭壇の前で女の腰を抱きながら声高々に宣言した。


「モルヴィアナ、貴殿との婚約を破棄させていただく」


 月明かりが照らす聖城には選ばれた要人がホールを囲むようにひしめき合っている。ざわめきは人を介して騒動を大袈裟にさせていく。こんな良き日に人生の連れ立ちであったはずの男に別れを切り出されるのだから大袈裟なのは当然だった。

 

 スポットライトが当たったように周囲の人間が距離を取った。くり抜かれた円の真ん中にぽつんと立つモルヴィアナは少しだけ驚いた顔をして、直ぐに表情を取り繕う。

 温度が二、三度下がったかのような錯覚さえ覚える会場にはもちろん、突然こんなことを言い出した王太子の両親も宣言された彼女の両親も参列している。

 王太子――――ヴァレン・フォン・ツェペシ・ラペンドルド、このラペンドルド王国の第二王子は悠然と会場に空いた穴に近寄った。

 

 はっきりと視線を合わせて発された言葉は紛うことなき"婚約破棄"と言うやつだ。騒ぎの渦中にいるモルヴィアナは錆びた銀色の髪を軽くかきあげて余裕綽々と微笑んだ。


「で、殿下。いきなり何を仰るのですか」


 唯一隣に残った少女はモルヴィアナを庇うように言葉を掛けた。もちろん王族であるヴァレンの言葉に水を刺すことなど許されるはずがない。

 流れるような仕草で彼女を背に隠しながら、モルヴィアナは堂々と扇子を開いた。眉根を潜めてゆっくりと言葉をかける。

 

「まぁ、殿下。突然どう致しましたの」

「それは君が一番理解しているのではないだろうか」


 数拍の沈黙の後小さくああ、と零した。


「お望みとあらば」


 モルヴィアナは知っていた。この日が来ることをずっと前から理解していたのだ。扇子に隠された素顔ではどのような表情をしているかを確認することが出来ない。


「正気か? 氷焔の魔女と婚約破棄を?」

「うっ、魔力濃度が上がってきた……」

「やだ、飲み物が凍ってしまうわ」


 ヒソヒソと言葉を交わす有象無象の言葉に耳を傾けながらモルヴィアナは扇子を畳みながら振り返った。


「皆さん、お黙りになって? まだ殿下のお話の途中ですよ?」


 ちょうど視界に入ったシャンパングラスを一瞥する。力加減を間違えて中身を凍らせてしまったらしい。ヒィ、と短い悲鳴を上げながら誰かが倒れた音がする。あらあらこれくらいで感情を揺るがすなんて私もまだまだだな、とモルヴィアナは静かに反省した。

 

 ヴァレンは冷や汗を感じながらも毅然とした態度で内心の焦りを隠す。そんなこと、モルヴィアナには全く通用しないのだが。

 王太子の動揺を確認したモルヴィアナは観察するように隣に立つ女を頭から靴の先まで舐めるように見た。ひとつの取りこぼしもないように。

 ヴァレンの左腕に縋るように抱きつく彼女はこの国では珍しいピンク頭を見せつけるように耳に掛けた。耳朶にはヴァレンが宝石店に通ってまで作った特注のピンクダイヤモンドが輝いている。よく見れば首元を飾る真珠も貴重な桃色真珠である。何やってんだこいつ。国宝だぞ。王妃様くらいしかつけないだろ。

 モルヴィアナはそれだけで先程から突き刺さる王妃殿下の視線の意味を理解した。面倒事ばかり並べやがって、と美しい微笑みとは真逆の感想を心中で吐露した。


「それだけじゃないですよね? ヴァレン様」

「もちろんだ」


 ―――ああ、なるほど。


 単純なことに気がついて、思わずため息が漏れた。それを見せつけたかったのか、と納得にも似た心地だ。

 

 モルヴィアナは特にヴァレンに恋愛感情がなかったので、目の前の女の自慢にも衝撃を受けなかった。強いて言うなら下品な胸をさっさとしまえ、ぐらいだろうか。

 ラペンドルドには身分の高い人間と公式な場で会話するには扇子で口元を隠さねばならないというしきたりがある。大体初めてのお披露目の時期にはどんな身分であれ淑女であれば教えこまれる簡単なしきたりだ。そんなことも理解出来ない女にしてやられた王太子の方に呆れをいだいてしまった。


 モルヴィアナの視線にこもった意志に気がついたのだろう。顰めるように表情を強ばらせながら隣にいるピンク頭の方に視線を向けた。――ヘタレめ。


「ここで貴様のこれまでの悪行について、きっちりと精算させていただく」


 モルヴィアナを見ずにそんなことを言ってのけるものだから思わず笑ってしまった。これまでの悪行とは、どれのことだろう。彼女には心当たりが多くて困ってしまう。

 再び扇子を広げて言葉に魔力を乗せる。

 

「……あら、悪行? 何一つ心当たりがありませんわ。貴方様こそご自身のことをもっと振り返ってくださらない?」

「っ……ひどい、ひどいです! 私のお茶会の招待状を破いたり、衣装だって捨てたじゃないですかっ! ジュエリーだって、地面に放り投げたものを私に拾わせようとして……!」

「彼女への嫌がらせの数々、心当たりは?」


 またもやしきたりを守らない不躾な対応に流石のモルヴィアナもくすりと笑った。扇子を半分畳んで、ヴァレンに見えないよう立ち位置を考えながら囁くように彼女の耳に言葉を落とす。

 無礼な手紙を破いて、相応しくない衣装を排除して、不当な行いに可愛い報復をしただけ。


「嫌がらせではなく、正当な処罰です」

「酷すぎます……!」


 ポロリと目尻からこぼれた涙と少し赤らんだ頬は十分に同情を誘うものだった。この場だけを見るのであれば十分にモルヴィアナは悪女だ。

 勿体つけたような落涙に時間をかけて、彼女は思わず涙を流してしまったという体でハンカチを取り出した。小さく鼻を啜る。まさにか弱い美少女を演じた女は震えつつも真っ直ぐな目を向ける。


 ―――逆境に負けない自分をアピールしたいわけか。


 人知れずモルヴィアナは得心が行った。


「貴方の不幸を望んでいるわけではありません。ただ、謝ってほしい……それだけなんです。ちゃんと間違いを理解して、正してほしいんです」


 まるで主人公――あ、主人公なのか。主人公然とした態度で大粒の涙を浮かべながら聴衆に見えるように可愛い顔を整える。

 モルヴィアナは自然と笑っていた。いやずっと笑っていたのだが――今度の微笑みは愉悦からによるものだった。

 

「君は恐ろしくないのか?」


 水を刺すような冷めた一言。せっかく面白かったのに。目の前に並べられた、まな板の上の鯉をどう調理してやろうかとわくわくしていた心持ちを砕かれて少しだけ不服そうに目を細めた。

 ヴァレンは負けじと一歩前に踏み出す。両者そろい踏んだところで、モルヴィアナは心の底から楽しそうに囁いた。


「恐ろしい? いいえ、ちっとも。だって私」


 恐ろしいことはひとつもなかった。

 こんな素晴らしい良き日に婚約者から婚約解消を一方的に断言されても満ち足りていた。むしろずっと、その言葉を待っていたのだから。


「―――悪女ですもの」


 ちっとも怖くなんてない。こうなるための努力を惜しまず注いできた。これまで積み上げてきたものが花開く瞬間は、誰だって嬉しいに決まっている。

 今日ここで彼女がこの場所に立っていることが望んだ結果だったのだから。


 扇子に隠された口角を上げながら、淑女然とした笑みを浮かべた。何回、何十回と浮かべたよそ行きの微笑みだ。

 ヴァレンと合わせた視線を逸らす。欲しい言葉は聞けたし、必要な用事は全て済ませたのだから。

 この上なく幸せな一日の始まりに過ぎなかった。



「では王子様。始めましょうか」



 楽しいパーティの幕開けだ。

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