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雪の女王と人狼の懺悔 1

5話構成の話です。

雪の女王による異常気象を青年と人狼が止めに行く話。


 息を吸うたびに肺が凍りそうになる。鼻先まで布で覆ったのにもかかわらず、顔が刺されているかのように痛い。寒さも度をすぎれば痛覚に変わるのかとコウは思わず感心してしまう。

 吐息でしっとりと濡れた部分が今にも凍り付きそうだ。息苦しい。一面の銀世界、降り積もる雪。柔らかな雪は踏みしめるのにも一苦労で、足を進めるたびにふくらはぎの中頃まで埋もれていく。重い荷物を背負いながら歩いているから、体自体は温かい。それでも少し立ち止まろうものなら、汗が冷えて凍死するだろう。冴え冴えと晴れ渡る空、降り注ぐ太陽の光。暖かいはずの陽光に温もりは感じられず、不思議と刺し貫くような冷気が感じられる。

 

「『不思議』で済めば良かったが……」


 また一歩、歩みを進める。目標としている古城まではあと何歩歩けば良いのやら。古城そのものは目の前にそびえているが、山の頂上にあるそこまで行くのは骨が折れそうだ。針葉樹が身を寄せ合うように生えていて、時折積もった雪が落ちてくる。まるで行く手を阻むかのように。


 ちょうど目の前に枝から滑り落ちた雪の塊が降り、コウは驚きの声を上げる。それを耳にして、コウの先を行く青年、ルーが気遣わしげにコウの方を振り返った。


「大丈夫ですか? 体力の方は?」

「大丈夫だ。まだ行ける。今日中には着くだろ」

「城の近くに今は使われていない山小屋があるそうですから、城の近くまで行ったらそこで休みましょう」


 君は無理をしないように、とコウを気遣うルーはコウに比べてかなりの薄着だ。スリーピースのスーツにトレンチコート。靴だけはブーツで山に適していたが、それ以外は山を登るにはあまりにも場違いだろう。こんな装いで山に入る人間がいたなら自殺行為に等しい。だが、トレンチコートをまとった紳士は寒そうにする素振りもなくサクサクと雪景色を踏破していく。顔を布で覆うこともない。吐息だけが白く、人らしさを感じさせたが、雪山に棲む獣のように足取りは軽やかだった。


「お前は寒くないのか。そんな薄着で」

「人狼ですから。人とは体質も異なります。多少ね」

「そっか……」


 羨ましいなとコウはうめいた。一般的な人間に比べて上背にも体格にも体力にも恵まれたコウだったが、寒さには勝てない。必然的に着込み、重装備で登山することになるわけで、そうなるといくら体力があろうと体がもたない。


 一方で、『人間』ではないルーは寒さにも比較的強ければ、体力や膂力も人間のそれとは桁違いだ。コウにとっては下手したら死ぬような登山でも、ルーにとってはちょっとしたピクニックか散歩なのだろう。ルーはコウより少し先を行きながら、雪を踏み固めてコウの歩きやすいよう道を作っている。

 トレンチコートで背負う登山用バッグの似合わなさが妙な笑いを誘うが、笑っている場合でもない。


「参るよな、八月だってのにこの天気じゃ」

「真冬同然ですね。『不思議な』異常気象だとごまかされている内に、さっさと片付けてしまいましょう」




 

 八月某日、ヨーロッパの某所にて。

 猛暑になるはずだった八月は、異常とも言える気象によって幕を開けた。七月までは例年通りに気温も高くなり日差しも強く、これからのバカンスに心を躍らせていたものも少なくなかっただろう。


 来るべき夏に備えて水着をそろえ、庭にパラソル付きのビーチベットをおいてみたり、あるいは旅行の手配なども行っていた。それだというのに。


 八月に入るなりその地域の気候は一変した。毎日飽きもせず雪が降りしきり、艶やかな葉を太陽に照らされていた草花は哀れにも雪の白に覆われてしまった。


 大地は凍り付き、吐き出す息は雪と同じ色に染まる。人々は水着の代わりにコートを羽織る羽目になった。かき入れ時だと街にやってきていたアイスクリームのワゴンは八月に入るなり他の街へと退散し、その代わりにホットワインと温かい食べ物を提供する屋台が増えた。異常としか言いようがない。


 山脈の麓にある街だから、天気が多少『変わりやすい』のも無理はない、最近の気候変化の影響が大きく出たのだ、としたり顔で話す気象予報士もいたが、この街に住む人間はこれがただの異常気象でないことくらいは薄々理解していただろう。認めたくないから口に出さないだけで。頭ではあり得ないと思っていても、現に八月に雪が降り積もっているのだ。ただの異常気象で終わるはずがない。


『怪物の仕業だ。何らかの怪異が悪さをしている』。


 そんな言葉を一番早く発したのは村の年寄り連中で、ネット社会に慣れた若者たちは半笑いでそれを馬鹿にした。おとぎ話に出てくるような怪物がこうして雪を降らせているのか、と。


 けれど、その言葉は自分たちに言い聞かせるような響きをも持っていたのだ。


 これがただの異常気象ならば、いつかは必ず終わるのだ。この夏だけ我慢すれば良いことかもしれない。逆に、『怪異』の仕業ならそうはいかないだろう。誰かが解決するまでは一生このまま。

 春も夏も秋も拝むことなく、冬にとらわれた街の人間として生きていくほかないのだ。そんなこと、認めたがるものはいない。だから『怪異の仕業だ』なんて言葉に真面目に取り合おうとしなかった。だが。

 

 世の中には馬鹿げたことを大真面目に研究している組織がある。

 

 コウの所属する組織なんかが良い例で、そこでは『怪異の伝承、伝説、そのほか怪奇現象の研究』などという胡散臭い活動を大真面目に行っていた。

 

 ひとつ断っておくなら、怪異は本当に存在する。

 今となっては人々の感覚も鈍り、理解の範疇外の存在を感じる人間の方が少なくなってしまったが、『理解の範疇外』の存在たる彼らは、人間が『視』ようとする限り人の世界にほんのすこしの爪痕を残していく。


 それを不思議な出来事だと解釈するのか、それとも全く科学的に解釈し、この世に不思議なことなど存在しないとするのか。どう受け止めるのかは、観測した人間個人に委ねられているが。


 今回はこの街に住む某かが「不思議なこと」だと感じたのだろう。コウの所属する組織に調査依頼が舞い込み、そうしてコウは人狼の青年、ルーとともにこの怪奇現象を鎮めるべく山を歩いているのだ。


 コウがただの人間なのに対して、ルーは『人狼』だ。そして、コウの友人でもあった。


 狼人間、紛うことなき『怪異』。


 満月の夜、狼になって人を襲うというあの怪異である。とはいえ、ルーは『人狼』という言葉から連想されるような、獣らしい荒っぽさを感じさせない。大半の人間に比べて随分紳士的で、几帳面さの際立つ青年だった。


 ルーに狼のような野生を見出すとするなら、ステーキを食べるときは肉の焼き加減を必ずレアにするところくらいだろうか。

 丁寧な口調は紳士を思わせ、常に優美な服装を心がけていたり、ファッションにはこだわりがあるようだ。手先も異様に器用で、今日彼が着ているスリーピースのスーツはルー自身が仕立て上げたものに違いなかった。

 身長が190センチ近くあることもあり、自分の好みに合った既製品を探すのも面倒だと大半の服はルーが自分で作っているらしい。時折気分転換にとコウの服を仕立てることもあり、驚くほど質の良い服にコウは何度も舌を巻いていた。

 何でも出来る器用な青年というイメージから『人狼』を引っ張ってくるのは至難の業だが、それはともかくとしてルーはれっきとした人狼だった。


「シレーヌを連れてこなくて正解でしたね」

「寒すぎるもんな。いないと不安ではあるけど」


 吐き出すたびに白く染まる吐息。呟いたルーにコウは同意を返した。シレーヌというのはルーの双子の姉であり、どういうわけか彼女は『人魚』だ。人魚と人狼がどうして双子なのかは全く分からないが、ルーとシレーヌはよく似た美しい顔立ちの双子だ。


 ルーが「寒いのは苦手なんですけどねえ」とうそぶきつつ、寒さにも強く頑健な肉体を持っているのに対して、その姉のシレーヌは極端な気温の変化にとても弱く、歩くのも長時間は難しい。普段は魚の尾の代わりに人の足をもって二足歩行をしていても、長時間動くと足が痛み出すのだという。


 当然、山登りに適した体質ではない。そのため、シレーヌは城のような屋敷のような、古い石造りの彼らの住居に留守番中だった。


「『怪異』にとって彼女は非常に恐ろしい存在でしょうからねえ……。シレーヌがいれば一番早く片付きそうでもありますが、無理なものを嘆いても仕方ありません。今回は僕たちで何とかしましょう」

「だなあ。……そういえば、今回は『雪の女王』じゃないかってシレーヌがいってたな」

「『雪の女王』ですか。悪魔が憎たらしい鏡を作った話でしたね」

「雪の女王でそこを引っ張ってくるのは珍しいな」


 序盤も序盤のところじゃないか、とコウは笑った。悪魔の作った『くだらなく、醜いものばかりよく見える鏡』が割れてしまい、その鏡のかけらが一人の少年の目に入ったのがきっかけで始まるのが『雪の女王』という物語だ。


 ハンス・クリスチャン・アンデルセンの創作したその物語は、今でも多くの地域で子供の寝物語に選ばれている。


「『雪の女王』というタイトルではありますが、内容は少女ゲルダが雪の女王に連れ去られた友人のカイを連れ戻しに行く冒険譚、というようなものでしょう。僕らがこうして『雪の女王』に会いに向かっていることを思うとあまりいい予感はしませんね」

「誰を連れ帰ってくれば良いのやら、ってことか?」


 コウの問いにルーは頷く。僕らをゲルダに見立てたとき、『カイ』を誰が担うのか、と遠くに見える古城を見据えた。地域住民の話では時折あの城から若い女が出てきて、嘆きとともに街に雪を降らせるのだという。白い肌、凍り付いた湖面のような紺色の髪、薄氷色の瞳に氷で出来たケープとドレス。シレーヌでなくともその姿を見れば『雪の女王』を思い出したことだろう。


「怪異はあくまでその現象を『なぞらえた』もの、とはいいますが。雪の女王を雪の女王たらしめているものが何なのか。どうすればその『雪の女王』を大人しくさせられるのか……。それが分からない限り、この異常気象は元には戻らないでしょうね」


 まあ、とルーはため息をつく。


「『穏便に』済ませたい場合は、ですが」

「……穏便じゃない済ませ方を聞いておいても良いか」

「見つけ次第僕が始末する、かな」


 僕が殴った方が早く片がつくんですよ、とルーは重ねてため息をつく。だよな、とコウは苦笑いしてしまった。確かに紳士的で理性的でもあるが、こと話の通じない相手に対してはあっさりと暴力を持ち出してくるのもルーだった。


 「できるだけ暴力に頼るのはやめましょう」とシレーヌが言うから話の通じない怪異に対しても紳士的に振る舞うだけで、本当のところでは話し合いで解決するのも煩わしいと思っているところがあるのだろう。このあたりは性格の違いだなとコウも諦めていた。「僕が殴った方が早く片がつく」というのも真実に違いなかったからだ。


 随分と歩き、やっと山小屋へたどり着く。

 五月頃までは鳥が子育てでもしていたのか、ひさしの近くに巣が作られていた。無事に巣立ったのだろうかとコウは考える。鳥の生態には詳しくないが、雛鳥にこの寒さが酷なことくらいはわかる。親鳥であっても耐えられない寒さだろう。山だというのに道中で動物をほとんど見かけなかったが、おそらくはほとんどの動物がこの山から逃げ出したのではないだろうか。


 局所的な異常気象ではあるが、山脈に沿って逃げ出すことが動物にはできるはずだ。家を捨てられない人間も苦しんでいるが、人間は適応する強さも持っている。

 

 一人ではとても登れない山だったな、とコウは山小屋の中でやっと一息ついた。古びてはいたが暖炉があった。これ幸いとコウは登山用リュックからカラカラに干からびたオオウイキョウを取り出す。一見すればただの枯れ草にしか過ぎないそれに、ルーが「またそうやって」と口を尖らせた。


「【怪異】を便利道具扱いしないでくださいよ。【プロメテウスのオオウイキョウ】もマッチ代わりに使われるだなんて思ってもみなかったでしょうに」

「プロメテウスってのは人類に火を与えたありがたい神様じゃないか。凍えてる人間が使うんなら文句も言わんだろ」


 以前に「山火事が収まらない」という事件があり、駆けつけてみたところ【燃え続けるオオウイキョウ】が元凶であった、ということがあったのだ。

 もちろんそのオオウイキョウは【怪異】であり、それを回収したのがコウだった。【プロメテウスのオオウイキョウ】と名付けられたそれは、コウが回収したあとは組織によって管理されることとなり、組織の研究者たちによってその仕組みなどを調べられていたのだ。


 今回は、組織で管理していたそのオオウイキョウを、「寒いところに行くので」と許可をもらって借りてきたというわけである。


「便利なものは使うもんだぜ」


 暖炉に薪を放り込む。多少湿っていたとしても【プロメテウスのオオウイキョウ】ならば問題なく火がつくことをコウは知っていた。何しろ、コウがその手で引っこ抜くまで、土砂降りの中でも燃え続けた【怪異】なのだから。


 コウは薪の上で枯れ果てたオオウイキョウを幾度か優しく振った。パラパラと落ちる火種が薪に抱きとめられ、あっという間に暖かな炎が薪をゆっくりとその身に抱き込んでいく。


「全く。そんなふうに気軽に怪異を使うんだから、君という人間は恐ろしい。魔女だとか魔法使いだとかと言われたほうがまだ納得できるというものです」


 そう文句を言いつつも、【プロメテウスのオオウイキョウ】で着火した薪に、置きっぱなしになっていた薪をルーが次々に突っ込んでいる。人の手入れのなさそうな古い小屋だったが、案外と薪は乾いていたらしい。だんだんと暖まってくる山小屋の中で、コウは背負っていた鞄の中から干した肉とパンを取り出した。火かき棒で薪をつついているルーにもパンと干し肉を渡して、「道中助かったよ」と声をかける。お前がいなかったらここまでたどり着けなかっただろうな、と。

 

「姉さんにも言われましたからね。君をよろしく頼むと」


 僕にとっては大したことじゃないですが、とルーは口ごもりながらあぶったパンに口をつける。素直に褒められるとどうも照れくさくなるらしく、ルーは黙々とパンを口に運んだ。干し肉はあぶっても固かったが、香辛料のきいた濃い味付けは口の中を熱くしていく。二人はしばらく暖かい暖炉の前に陣取って、パンと干し肉を交互に口に運んだ。「これもどうぞ」とルーが差しだしてきたドライフルーツたっぷりのパウンドケーキも口にして、わかした湯で熱い茶を飲んだ。


 食事も終えて一息つくと、どうも眠くなってくる。出てきそうになったあくびをかみ殺したコウに少し笑って、「休んで構わないですよ」とルーは暖炉の中を掻いた。火の粉がふわりと舞い上がり、白くすべらかな頬を照らす。


「僕と違って君は人間ですから。無理せず休みなさい。仮眠ぐらいはとれる時間があるでしょう? 何か異常があれば起こしますから」

「……悪い。甘えても良いか」

「存分に。暖炉の前にいらっしゃい。冷えないようにね」


 暖炉の前に荷物を寄せる。それに寄りかかるようにしてコウは目を閉じた。

 

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