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愚者のパリュール


 おや、めずらしい、と美しい声が驚きの言葉を形作る。穏やかなその響きにコウは入口の方を振り返った。素っ気無い研究室の入り口にいたのはルーだ。いつもどおりに麗しい。きらめく銀髪はきれいに整えられていて、身にまとう服は彼自身が作ったものなのだろう。随分と背の高いルーの体にもぴったりだった。三つ揃えのスーツはグレーがかったアイスブルーで、織模様の草花柄が控えめながらも目を引く。普通に見れば派手な服だったが、ルーはそれを上品に着こなしていた。普通なら「着られてしまいそう」な服でもきっちりと着こなすのは流石といったところだろう。


「今日もキマってるな。自分で作ったやつか?」

「どうも。数日前に縫い上げたものです」


 器用だなあと感心したコウに「趣味の一環ですよ」とサラリと返し、ルーは部屋にいたもうひとりにまた目を向けた。


「珍しいですね、シレーヌ。君がそういったものをつけるなんて」


 シレーヌと呼ばれた女はルーを見て、少ししょんぼりとしながらも微笑む。その耳には豪奢な耳飾り。胸や指にも似たようなデザインの首飾りと指輪がつけられている。細い手首にはぶかぶかで、サイズの合わないブレスレット。存在感のあるパリュール(セットジュエリー)だ。


 赤い石に金色の金属は人目を引くが、上品な顔つきのシレーヌにはいささか派手すぎるというのも事実だった。普段は真珠の耳飾りしかつけないシレーヌがこういったものをつけるのは確かに珍しい。見慣れないよなあ、とコウは内心で苦笑いした。

 ルーはコウに振り返り、一つ尋ねる。


「……このパリュールは君が姉さんに贈ったものですか?」

「ん? ああ、いや。普段こういうものはつけないだろ、シレーヌは。本人が好まなさそうなものは贈らないよ」

「ああ、ですよね。君はそういう人だ。うーん……」


 シレーヌをじっと見て、ルーは何事かを考えるような素振りを見せる。人を苦手とするシレーヌがこう眺め回されても逃げたりしないのは、ルーがシレーヌの双子の弟だからだ。この距離で眺め回されたら普通は逃げてしまうところを、シレーヌは逃げずにいる。


「君が何を着ようと自由です。それを前提として……。もしこのジュエリーをもっと輝かせたいと思うなら、別のテイストの服の方がいいかな。ジュエリーが人目を引くものですから、ファッションの主体が服ではなくそのジュエリーとなっています。であれば、服の方から要素を削ぎ落として……」


 シンプルな黒いドレスならよく似合うと思いますよ、とシレーヌに近づいてからルーは思い切り呆れた顔をする。憮然として口にした。


「ちょっとまって、コウ。これ……〝怪異〟じゃないですか」

「お、わかるもんか?」

「僕だって怪異ですからね。分かりますよ。しかもこれ、ゴールドでもないな……。金色だけど……真鍮……?」


 シレーヌの胸元に手を伸ばし、ルーは軽く首飾りを持ち上げる。赤い石の大振りな首飾りがつけられていたシレーヌの肌をじっと見て、「真鍮でもないな」と首飾りを元に戻した。


「真鍮なら肌が青くなるから……パイライトですか?」

「正解です」


 にっこりと笑ったシレーヌに「なんでわざわざこんなものを」とルーは戸惑ったような声を上げる。パイライト、つまりは黄鉄鉱だ。黄金に比べると遥かに価値も低く、通常は宝飾品の地金などには扱われない。金のような色をしているために〝愚者の黄金〟という名までついている。そんな金属だった。


「石に至ってはガラスですね。……立派な、ずいぶんと手の込んだイミテーションだ。どうして君がこんなものを?」


 君なら〝本物〟だって身につけられるでしょうとルーはいう。それはその通りで、シレーヌがねだりさえすれば喜んで宝石でもなんでも貢ぐ人間はいるだろう。なにしろ、人離れした美貌に老若男女を問わず夢中にさせるような声の持ち主だ。本人はその〝ギフト〟を使おうとしないけれど。


 ごもっともなルーの疑問にシレーヌは微笑する。


「〝愚者のパリュール〟というそうです。どうしても実物が見たくて、研究室の方からお借りしてきたの」

「シレーヌがどうしても見たいって言うからさ。貸してくれないかって頼んできたんだ。ちょうど同僚が管理してたし、これは危険性もない〝怪異〟だから許可も降りたんだよ」

「はあ」


 そうですか、と少し腑に落ちないといった声音でルーは応じる。君の好奇心はとどまるところを知らないね、とシレーヌに苦笑いして、コウが腰掛けていた二人がけのソファに同じように腰を下ろした。大きめのソファではあるが、体格のいい男たちが使うとギチギチになってしまう。シレーヌは「こちらにいらしてもいいのに」と笑いながら、二人のソファと対する位置にあるソファへ腰を掛けた。首飾りがしゃらりと音をたてる。


「それで、どんな怪異なんです?」

「愚か者がつけるとぺかぺか光るらしいぜ」

「……はあ」


 それだけですか、と聞いたルーにそれだけだよ、とコウも返す。それはたしかに危険性はないですねと呆れたようにルーは足を組み換えた。

 シレーヌはその細く可憐な指先で、胸元の首飾りに触れている。桜貝の色をした爪が金属に当たって、ときおりコツリと音を立てた。


「光っているところを見たかったんです。……正確には〝パリュール〟が何を以て〝愚か者〟と判断し、光るのか。……それを知りたくて、実際につけてみたのですけれど」


 光らなくて、と項垂れたシレーヌに「だからしょんぼりしていたんですか」とルーは納得した。ええ、と残念そうな顔を隠さないシレーヌを眺めて、「君ねえ」と面白そうに笑う。


「君をもって〝愚か者〟と言われてしまえば、僕らも立つ瀬がありません。そんなものはもう、誰がつけても光る首飾りと言って差し支えない」

「だよな。俺もお前じゃ光らないからやめとけって言ったんだけど」


 二人からの言葉にシレーヌは頬を膨らませる。二人の前でしか見せない表情だった。


「わたしは、決して賢くなどありません。智者、賢者ではありません。なら、愚者であると言えるのでは?」


 ある種の理屈を持ち出しながら意義を申し立てるシレーヌにルーは優しく微笑んだ。姉だけに見せる優しさだ。組んでいた長い足をコウに当てないように優雅に組み替え、にっこりと笑って長い指で自らの顎に触れる。きざな仕草だったが、ルーがやってみせると恐ろしいほどによく似合う仕草でもあった。雰囲気のある映画俳優ですらルーには敵わないだろうな、とコウは横目で麗しの青年を見る。


 麗しの青年は姉によく似た薄青色の瞳で、姉の美しい眼を見つめた。ルーの美貌もまた、老若男女を問わず人をとりこにするようなものであったがシレーヌには全く意味がない。だからこそ他意なくまっすぐ見つめられるのだろう。


「二択であるならそうかもしれませんが、あいにく二択ではないのでしょう。〝怪異〟による……君が身に着けた〝愚者のパリュール〟による愚者の定義が『知能』によるものなのか、それとも『他のもの』に由来するのか僕は知りませんが。愚かというには、君はあまりにも哲学的すぎると思いますよ」

「そうでしょうか?」

「君は思考の囚人と言うにふさわしい。すべて、遍くものを自らの哲学で分解し、再構成して初めて〝納得〟とする。それは愚者の所業とは言い難いでしょう。〝それ〟が一般的にどう映るかは別としてね」


 第一、とルーは心底面白そうにクスクスと笑った。こうして見る顔は年相応というか、青年らしい無邪気さがある。普段はツンとすまして表情もめったに変えないルーだからこそ珍しいものだった。


「第一……。普通は自分を愚かだとは思いたくないものです。そういった事実を突きつけられるのすら厭うはず。それなのに君は『光るかもしれないから』と自らつけるなんて。それは愚者と言って良いものやら。ふふ、面白いですね、とても」


 ルーは「それで」とコウの方をちらりと見る。悪そうな微笑みを麗しのかんばせに添えて、「君はどうでした?」とたずねた。


「つけてみたんでしょう?」

「着けた。わかってて聞いてるだろ、お前」

「やっぱり君も光らなかったんですね」


 光ったのならシレーヌが大はしゃぎでしょうとルーは横目でコウをみる。体格もよく筋肉質のこの男があのパリュールを身に着けたのなら、と想像して肩をすくめた。そんなのはどこかの絵画の中のよくある独裁者だろう。そこまで考えて「ああ」とルーは声を漏らす。


「どうかしましたか?」


 ほんのりと青く清楚なワンピースに強烈に浮く豪奢なパリュールを身に着けて、シレーヌが目を瞬かせる。やっぱり姉さんには真珠が似合うと思うよ、とルーは一言述べてから「一つ思い出したんですよ」と首飾りを指さした。


「これは、このパリュールは。随分昔の……どこかの国の独裁者が身につけていたかと。絵画で見たことがあります」

「へえ。どんな? 俺でも見たことがあるようなやつかな」

「……それほど有名ではなかったかと。ただ、詳しいことは忘れました。僕は歴史にも人間にも興味はない。ただ、その肖像画に書かれた人物が稀代の大馬鹿者だったということだけ覚えています。彼のせいで何百人もの人間が死んだようですよ。処刑をするのが趣味だったとか、そういう話も残っていたかな」


 長く続いた王朝を崩壊させるのに一役買ったとか、と微笑むルーの顔は美しかったが、意地も悪い。


「見る目のない王、と後の世に蔑まれていたようですね。あるいは生前もそうだったかもしれませんが。これは確か……権力の誇示のために作らせたパリュールでした。黄金と見事なルビーで作られるはずでした。けれど、王に背き家臣も職人も誰もかもがグルになって見事な『偽物』を作った、と。そういうものだったと記憶しています。浮いた依頼料に関しては各々で上前をはねたと」

「王様に逆らって? 不誠実だなあ」


 家臣なのに? と首を傾げたコウに「だから『見る目のない王』なんですよ」とルーは口元に笑みを浮かべる。


「誠実と篤実。それを欠いた家臣を見抜くこともできない。王自身、作らせたパリュールが本物かどうかもわからない。見る目のない王としてはこれ以上ない〝いわく〟ではありませんか」


 ルーはシレーヌに手を差し伸べた。エスコートを請け負うような優雅な仕草に、シレーヌもまた慣れたように細い手を差し出す。ぶかぶかのブレスレットは曲げられたシレーヌの腕をするすると伝い、曲げた肘のあたりまで滑り落ちる。

 ブレスレット同様にぶかぶかの指輪をシレーヌの手から抜き取って、ルーはどこか自嘲するような顔つきになった。毒々しく光る赤い指輪を右手の人差し指へ収めても、やはり指輪は光らない。


 ルーは形の良い唇を動かした。


「その人のためならどれほど馬鹿げているとわかっていてもせずにはいられない……。それが篤実であり、誠実というものです。例えば……何百人も食い殺すような馬鹿げた行いであったとしても、その人への誠実のためならばやり遂げてしまう。その行いにより自分がどれほど愚かであるかを知ることになったとしても。後悔したとしても。……そういった誠実さを持つものを見出だせなかった、愚かな王。見る目なき王」


 はあ、とルーが一息ついたとたん、ルーの指にはめられた指輪が光りだす。えっ、と目を丸くしたシレーヌに「満足した?」と困ったように笑う。


「え、えっ。どうして……?」

「僕がパリュールのお眼鏡にかなう程度の〝愚者〟ということなのでは?」

「ルー、お前絶対なにかわかっててやってるだろ」

「邪推は無粋ですよ、コウ?」


 訝しむコウに微笑みでごまかして、ルーははしゃぐシレーヌの顔を愛おしげに見つめている。それに気付くことなく両手でルーの右手を持ち、ぺかぺかと光る指輪をじっと見つめてシレーヌは目をぱちぱちと何度も瞬かせた。不思議でたまらないといった顔だ。


「怪異としてはそう価値がなくとも、簡易的な判定装置としては役に立つかもしれませんね」

「お、消えた」


 ぴかぴかと光っていたパリュールが鳴りをひそめたようにその輝きを失せさせる。本当に光るんだなあと感心したコウとは反対に、残念そうな顔になったシレーヌがもう一度ルーの顔を見つめる。

 ルーは「自分を愚か者と判定されるのはそう気分のいいことじゃないですよ」と笑ったまま、指輪を抜き取ってシレーヌの指へと戻した。


「君の望みが叶うなら、僕は愚かで良かったと思っていますがね」

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