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裏切りの代償と人魚の涙 4


 ルーの目論見はほぼうまく行っていたといっていい。


 コウから話を聞いていた限り、次にシレーヌがデートをしたときが“最後”なのは分かりきっていたことだ。であれば、シレーヌをデートへ行かせなければいい。


 シレーヌはまめに連絡をとる方ではないし、なにより機械が苦手ときている。相手側がいくら連絡を取ろうとしたってシレーヌは携帯の操作をよくわかっていないし、大抵は書斎のどこかに携帯を置きっぱなしにしている。ちょうど良い“獲物”とコンタクトがとれなくなったとき、相手側が焦れるのは想像に難くない。

 

 コウが屋敷に長期滞在するのも良かった。


 シレーヌはコウによく懐いているから、“友人”のことを思い出しでもしない限りは、飽きるまでコウと読書だの、コウの話だのを聞いているだろう。シレーヌの欲求は大抵知識欲からくるものだとルーは心得ている。


 “面白い”と思うものがあるかぎり、シレーヌはそっちに夢中になるはずだ。コウの話なんかは特にそうで、ルーやシレーヌとは異なる文化圏で育ってきたコウの話をシレーヌは好んで聞きたがる。コウもそれを厭うわけではないから、シレーヌに会うたびシレーヌが好きそうな話を聞かせてくれている。ありがたいことだとルーは感謝していた。


 そうしてシレーヌがコウと一緒にいる間は確実に安全だ。“怪異”に対しては正直あまり活躍する場面がなくとも、人間相手ならコウはかなり威力を発揮する。そもそもの見た目がルーよりも遥かに厳ついし、強そうだし、言葉を選ばずに言うならチンピラというヤツで、研究職の人間がどうしてこうも無法者じみているのかとルーはコウを見るたび不思議に思ってしまう。

 

 ただの偏見だが、研究職といえばやはり、線が細そうで生真面目そうな人間がなるようなものではないのか。コウはみたところ、正反対な気がする。常夏の太陽のもと、派手な柄シャツを着て両手に女性を侍らせていそうな──まあ、一見すると軽くてチャラそうで、女性と遊んでいそうなタイプに見える。


 コウと初めて出会ったのが調査船でなければルーはしばらくコウが研究職についていることを疑っていたかもしれない。もっとも、コウの仕事内容を考えると体格が良いのも、ちょっとした荒事に対応可能なのもまったく不思議ではないのだが。


 だからこそ、シレーヌの代わりになるのはコウより自分の方が適任だ、とルーは考えていた。


 見るからに強そうな筋肉質の無法者より、線の細そうな麗しの美青年の方が拐いやすそうに見えるのは確実。ルーは自分の端麗さがどれだけ他人に影響を及ぼすかもよく知っていたし、それにどれほどの価値がつくかも理解している。


 美しくて高く売れそうなら、男だろうが女だろうがあの手の人間は気にしないだろうとも読んだ。

 よくも悪くも、シレーヌの美貌を前にして“自分のものにしたい”より、“よく売れそうだ”という感情が前に出てくるものたちだ。珍しい人間もいるものだなとルーはそこだけには感心している。


 シレーヌのすべてに魅了されて、人生を狂わされる人間も少なくないからだ。


 ──とはいえ、本当に。


 馬鹿馬鹿しいことだ、とルーは押し込められた車のなかで顔をしかめた。閉館時間が近くなれば人気がなくなる博物館の近くで待っていればこれだ。


「女の代わりでもこいつなら全然良いな」

「あの女と連絡つかなくなったんだろ?」

「博物館とか美術館とか好きそうだったからさ、張ってりゃ出会えるかもと思ったんだけどな」

「ま、悪くねえよ。場合によっては女より高く売れるかもしれねえぜ」


 都合よく物事を進めるためにこうして大人しく不安そうにしているわけだが、そうでなかったら今すぐ三人とも腹を割いて腸を引きずり出すところだ。コウに「人の法に委ねてくれ」と言われているからやらないだけで。


「……僕に何の用ですか、みなさん」

「いやあ、悪いね。運が悪かったと思って諦めてくれ」

「答えになっていないな。こんなことをして無事に済むとでも?」

「ははは。アンタ、どこかの金持ちかなんかか? 身なり良いもんな」

「そういうわけではありませんが。この土地でこのような悪行を働いて……無事でいられるとは思わないのでね。心を入れ換えるのなら今のうちですよ。僕はまだ、優しい気持ちでいますから」


 この場にはそぐわないほど落ち着いた、優しい声だ。顔のいい男は声までいいのか──としげしげルーを見つめてくる右側の男に、ルーは柔らかい微笑みを作った。


「お前……男なのがもったいないな」

「よく言われますよ。それで、お返事は?」

「残念だけどノーだな」


 そうですか、とルーは口角をさらに上げる。その代わりに青い瞳に冷え冷えとした光をともし、声をさらに甘く、とろかすような響きに深めていく。


「それでは、運が悪かったと思って諦めてください」


 少しお出掛けしましょうとルーは囁く。ルーのその心地よい声に骨抜きにされたのか、ルーを挟むように座っていた男たちの目がとろんととろけた。運転席の男に「森までお願い致します」と告げて、ルーは深くため息をつくと長い足を窮屈そうに組み替えた。




***




 ヒトを操るのはルーにとって何の苦にもならない。声にほんのちょっと“細工”をしてしまえばいいだけだ。もっとも、誰でも操れるというわけではない。ルーのことを侮っていたり、何の警戒も持っていなかったり、ルーに好感を抱いていたり──要するに“脅威”にはならない相手に限って操ることが出来る。


 これはシレーヌが持つ性質を真似たもので、シレーヌのそれよりはずいぶんと劣る技能ではあるが、使い勝手は悪くない。

 

 ルーを拐った男たちもルーのことなど大した脅威には思っていなかったのだろう。暴力などという粗野で醜悪で愚鈍なものとはまったく縁の無さそうな見た目であることをルーは自認している。

 

 見目麗しく繊細な容姿は、可憐で儚く優美なものだ。

 

 その長く端麗な指が少し力を込めただけで金属をへこませるだとか、その気になれば素手で車をグシャグシャに丸められるほどの剛力を持っているだとか。誰がみても心地よくなるような美麗さは、そういった野蛮なものを気取らせない、良い“隠れ蓑”だとルーは知っている。


「──本当に、愚かだ」


 ルーの声に陶然とし、体の支配権を奪われた男たちが車を停めたのは、ルーのよく知る森のなかだった。車を停めたすぐそばの池、水面に星がいくつも落ちている。暗い夜だった。

 

 月のない夜でよかったとルーはひとりため息をつく。新月の夜が一番“人間”のふりをしていられるからだ。人の法に委ねるというのなら、人のふりをしていられる時の方がいいだろう。八つ裂きにしたくとも食い殺す由縁はない。声で操って男たちをさっさと車から追い出し、ルーも優雅に車から降りる。


 森の木々に見覚えはなくとも、夜風の冷たさに感慨はなくとも。

 この景色は忘れようとしたって忘れられない。ルーの脳裏に、眼球に、永遠にへばりつく後悔のようなものだ。

 何度も繰り返した夜だった。何度もここで自らを呪った。自戒と自壊を重ねるような、永遠に近い時だった。

 

 助けられなかったたった一人の愛しい人を、懐古し、希求し、そうして絶望した夜を何度繰り返したことだろう。


 無力な自分を呪い、すべてを奪ったものを憎み、一縷の望みを胸に“化け物”に成り果てたあの日。あの日以来訪れることもなかった森は、皮肉なことに今でもルーを覚えているらしい。


 名前も知らぬ雑草の上によく磨かれた革靴で立つ。地の下に、踏み潰された草に、微かな恐れが現れたのを感じた。


「……もう怒ってはいませんよ」


 何百年も経てば埋まった骨も瓦解する。土の一部となって自然へと還る。それでも骨に宿っていた六百と十六の魂は、ルーへ抱く“恐怖”を忘れたりはしない。


 そうでなくてはならない。


 六百と十六のうち、ルーが本当に恨んでいるのは片手に収まる程度かもしれない。大半は“巻き添え”を食ったかたちだ。どれほど理不尽なことをしでかしたか、あの時だってルーは理解していた。


 それでも、やりとげなければならなかった。

 

 たった一人のために。ルー自身の復讐のために。ルーの存在そのものを、その本質を、後世へ語り継がせるために。


 どこに誰を埋めたかなんて覚えちゃいない。だから、ルーが今立っている土の下に誰かが埋まっていたかもしれないし、そうでないかもしれない。

 

 それでも“森”はすべてを覚えていて、かつて“自分”を食い殺した者が再び現れたことを恐れている。瓦解した骨は土になり、植物の根は土を通して栄養を吸い上げ生きていく。

 だからそこに故人の魂の欠片が宿ってしまったとしても、ルーは不思議に思わない。森がルーを“思い出しても”、不自然なこととは思わない。


 コウの生まれた国では、桜という木の下には死体が埋まっている──などという噂話があるらしい。元はとある小説家が作った話のなかに出てくる言葉だそうで、それが広まったものなのだそうだ。


 その話がもし本当だったら、この森に桜を植えたらどれほど美しく咲き誇るだろうか。ルーはその唇にうっすらと笑みをたたえた。ざわり、と木々が身震いする。まあ落ち着いて、とルーは軽く口にした。


「──僕も、この森に来ようなどとはまったく思っておりませんでしたから。あれほどのことをしました。一握りをのぞいては、安らかに寝かせてやろうと思っているんですよ、これでもね」


 墓とは言わないまでも、どこに誰を埋めたのかくらいは覚えておけばよかったとルーは思う。


 そうしたら、本当に呪いたい奴だけひとまとめにしておいて、度々そこを訪れて、死んでからも眠れなくしてやったのに。あの時はそんなことなど考えもしなかった。そんな余裕などなかったから。


 魅了されてぼんやりした顔の男三人、そしてひとりで話し続ける麗人が夜の森にひとり。何も知らない人間がみたら、それなりに不気味な光景だっただろう。幸い、誰もいない。


「君たちの“お仲間”を増やそうとは思っておりません。僕がここに埋める人間は六百と十六だからこそ、“意味がある”。……ですが、協力はしてもらいますよ。いい子に僕の言うことをお聞きなさい。安らかに眠っていたいのならね」


 ──さあ、起きて。


 冷えきった声だ。目覚めたのは森と、人間と、それから。


「──悪い子のところには、狂狼公が参りますよ」


 青い瞳の、化け物だ。




***




 コウとシレーヌが“そこ”についたとき、何もかもが終わっていたようだった。


 追っていた車が森の中頃で停まっていて、そしてその近くにへたりこんだ男が三人と、それを見下ろす青年がひとり。


 聞きなれたコウの車のエンジン音にはとっくに気がついていたのだろう。車から降りたシレーヌにもコウにも、ルーは驚いてはいなかった。ただ、不満そうな顔をしてコウをちらりと見たのみで。

 

 何が起こったのかはわからずとも、ルーが何をしたのかは分かる。地面にへにょりと座り込んでしまっている男たちの腹から腸が出ていないのを確認し、けれどその下半身がぐっしょりと濡れているのにコウは顔をしかめてしまった。粗相をするとは思いませんでした、とルーは棘のある声で男たちを見下ろしている。


「な……何をしたの。何があったの」

「別に」


 シレーヌの問いにルーはそっぽを向く。別にも何もないだろうとコウは思ったが、ルーはそれで押し通したいらしい。通せるわけがないのだが。


「帰りましょう、シレーヌ。大したことではありませんから。コウ、警察の方にご連絡を。聴取は僕が──」

「ルー」


 そっぽを向いたルーにシレーヌがつかつかと歩み寄る。まるで平手打ちでもしかねない剣幕ではあったが、シレーヌはルーの目の前で立ち止まってぐっと唇を噛み締める。今にも泣きそうな顔だった。ルーがたじろいだのがコウには分かる。


「ルー、何をしたの。何を隠しているの」

「……君に話すべきことじゃない」

「わたしの知っているひとよ」

「だからこそだ」


 だからこそ話さない、話せないとルーは首を振った。そういう約束を誰かとしたの、というシレーヌの問いにはルーは無言を貫き通す。シレーヌの顔はすがるようにコウを見た。


「あなたは……」

「話すな」


 シレーヌを遮るようにルーが鋭く割り込む。もうシレーヌはほとんど察しているのだろう。そんなのはルーもコウも分かっている。それでも、決定的なものを、“事実”を、与えたくはなかった。認めさせたくはなかった。シレーヌの心のいちばん柔らかい部分に、傷をつけたくなかった。


「あなたは……あなたは、知っているの」


 シレーヌがコウへ歩み寄ったとき、男の内のひとりが這いずるようにシレーヌへ近づいた。咄嗟にコウはシレーヌを自分の後ろに下がらせる。あの、真面目そうに見える男だった。何かに魘されるように恐怖で顔を染めながら、子供のように「ごめんなさい」と口にする。


「ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 ガタガタと震えて同じ言葉を何度も繰り返す。男はシレーヌを見ているはずなのに、眼鏡の奥の瞳は別のものを見ているようだった。ルーはそれを止めることもなく、ただ冷ややかに見ている。


「俺、俺は、おれは──」


 何度もつっかえて、恐怖で唇を震わせて。すっかり怯えきった男は地面に生えた雑草に何度も額を擦り付け、眼鏡に泥をつけて、シレーヌに頭を下げ続けた。


「俺は、俺は、あんたを拐おうとしたんだ。あんたを拐って売るつもりだった」

「……そう、なんですか」


 シレーヌの口から苦しげな声が漏れる。ルーは目をそらし、コウは後ろを振り向けずにいた。シレーヌの声は震えている。


「あんた、よく売れそうだったから。気が合うなんて嘘をついてごめんなさい。仲良くなれたら嬉しいだなんて言ってごめんなさい」

「それは……」

「全部、あんたを油断させるための嘘だ。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……許して、許してくれ……」


 シレーヌの息が荒くなる。聞かせたくなかったことだ。シレーヌはそれを聞いても、何も言わなかった。


「……もういいでしょう。コウ、シレーヌを連れて帰ってください。それから、警察に通報して。あとはこの人たちが自供しますから」

「分かった」


 シレーヌの顔は見られなかった。うつむいたままのシレーヌの手を引いて、コウは車に乗り込む。助手席に座らせたシレーヌは、膝の上でぎゅうっと拳を作っている。

 

 ルーが何をしたかは知らないが、男たちはずいぶん怖い目に遭ったようだ。シレーヌを見て謝り倒す程度には恐怖体験をしたらしい。この森には何やら恐ろしい曰くがあったし、ルーがそれを利用でもしたのだろうかとコウは考える。


 考えても、ルーやシレーヌと違って“怪異”でも何でもない身だ。何かひとつの答えにたどり着けるとは思っていない。


「……わたしのためだったんですよね」


 ルーもあなたも、とシレーヌは小さく呟く。コウはそれに無言で返した。


「わたしが」


 わたしが何も考えずに人と接したりしたから、騙されたりしたからとシレーヌは震える声で紡ぐ。だからルーは、と続けて、その先は口にしなかった。


「違う」


 違うよ、とコウはもう一度繰り返す。お前は別に悪くなかった、と。


「騙しやすそうだったとしても、何かされて良い理由にはならないだろ」


 陰気な森を抜けて、市街地へと入る。ネオン煌めく街とまではいかないが、大通りには個人商店も、大手チェーンのスーパーも、飲食店の光もある。コウはふとスーパーに車を停めて、「……何か買って帰るか」とシレーヌに声をかけた。


「喉乾かないか。腹も減ったろ。……買ってくるからさ」


 コウの呼び掛けにシレーヌは少し時間をおいて、「アイスが食べたい」と返した。


「桃のやつにするか。好きだろ」

「……桃じゃないのがいいです」

「分かった」

「すごく冷たいのがいいです。頭がいたくなるような」

「あー……うん、分かった」

 

 軽食とアイスを購入し、駐車場で二人して無言でそれを食べる。普段よりずっと食べるのが遅いくせに、シレーヌは頭が痛いと言いながらずっと嗚咽を漏らしていた。


「……急いで食べたら頭痛くなるぞって、前に教えてやっただろ」


 何の変哲もない、可もなく不可もないカップのバニラアイスはひとくち食べられたあと、シレーヌの手の中で溶けるがままだ。軽食を食べ終わったコウが屋敷へ車を走らせる間、シレーヌはずっと泣いていた。




***




「お、拐われた人たちも全員見つかったのか」

「売りに出されていなくてよかったですよ。まあ、シレーヌ以外はどうでも良かったですが」


 地元紙の一面には最近の行方不明者が全員見つかったこと、行方不明の原因が人拐いによるものであったことなどが一面で報じられている。朝日に照らされながら紺色のマグカップで紅茶を飲むルーは、新聞を読んでいたコウが自分の方へ視線を向けているのに気づいて顔をしかめた。


「何です、不躾に」

「ここ、お前だろ。“自供した男たちは三人とも「狂狼公に食われる」といった内容の供述もしており”──。……何したんだ?」

「この地に伝わる子供騙しの伝承を少し利用しました。スーパーなどで駄々をこねる子供に、母親がこう言うのを聞いたことはありませんか? ──“悪い子のところには狂狼公が来ますよ”。少し驚かしただけです。効果はてきめんでしたがね」

「精神鑑定でどう出るかだな、これは」

「供述通りに拐った人間がみつかって、実際に本人たちも罪を認めているんです。そんな言葉を吐いたところで責任能力が問われるようなことはないでしょう。むしろ、あからさまな狂言に思われるのがオチです。少しでも罪が重くなればいい」


 ふん、とルーは鼻をならす。

 マグカップの中身を飲み干してから、膝に置いた図録、【絢爛たる刺繍の世界】を優しく撫でる。警察署から帰って来たルーを抱き締めて、シレーヌが渡したものだった。


「……シレーヌの様子はどうですか。僕の前ではいつも通りだけれど」

「普段よりちょっと落ち込んでる感じはあるけど、“理解はした”って言ってたぞ」

「そうですか……」


 はあ、とルーはため息をつく。今日もこれから、警察署へいって聴取をされなくてはならなかった。面倒くさいし犯人はもう捕まったのだしと思わなくはないが、事実上ルーは“被害者”だ。加害者と同じくらいに話さなくてはならないことがある。


「まあ、僕のところに“狂狼公”なるものが来ないだけマシか」


 ふう、と息をついたルーに、何言ってんだよ、と地元紙に目を向けたままコウが返した。


「お前は別に悪くなかっただろ。やりすぎだったかもしれないけどさ」

「……出会った“怪異”を全部疑えとは言いませんがね、君は少し考えた方がいいですよ」

「何の話だ?」

「なんでも。……じゃあ僕はこれから警察の方へ行ってきます。シレーヌが起きたら、料理を温め直してくれますか?」

「任せとけ。気を付けていってこいよ」


 コウのそれにはひとつ手を振って返し、帽子をかぶり、ルーは屋敷を出る。屋敷の遥か先、ルーの視界には遠い向こうに“森”が見えていた。


「“狂狼公”、ですか」


 伝承が伝承でないことを知ったとき、お伽噺が真実と変わるとき。その時、自分のもとには何がやってくるのだろうとルーは考える。自分は二つに分かれたりなどできないから、永遠に何にも断罪されないだろう。その代わり、償うことも出来ない。


 ──後悔なんて微塵もありませんけど。


 血塗られていようと、恨まれていようと、ルーにはどうだって良かった。かつて救えなかったぶん、今を自由に生きてくれるのなら、ルーはいくらでも罪を背負うつもりだった。


 もとより、彼女がルーに罪を犯してくれなどと願ったわけでもない。すべてルーがしたくてしたことだ。


 着ていたものがラピスラズリで染めた服でなくなっても、薄水色のワンピースで楽しく出掛けてくれるなら。


 ──それだけでいいんだ。


 ルーの真上にはあの日と変わらず、青い空が広がっている。


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