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裏切りの代償と人魚の涙 3




 博物館の中はいつでも静かだ。まばらにいる客たちも各々で見たいものが決まっているせいか、シレーヌが同じ展示室にいても全く気に留めない。普段なら誰彼構わず目を引いてしまうようなシレーヌの麗しい容姿も、ここでなら特に気に留めるものでもないのだろう。あるいは端から人の顔などに興味を持つような者がいないのか。

 

 誰からの視線も集めずにすむからこそ、博物館が好きなのかもしれないな、とコウは隣を歩くシレーヌを見つめる。青い瞳は展示物に夢中だ。魚や生き物全般に興味を示すことは知っていたが、郷土史のようなものにまで興味があるとは思わなかった。何にでも好奇心を持つ性格だから、たまたま気になったものが郷土史だったのかもしれないが。


「すごいですよね、ここの街ってこんな……こんな伝承が残っていただなんて思ってもみなかったです」

「“青い服の魔女”なあ……。物凄い話だけどな」


 魔女狩りが盛んだった頃、この土地でも魔女とされた女性が処刑されたことがあるのだという。青い空の広がるよく晴れた日に、海に沈めて処刑されたのだ。当時、水に沈めて殺したり火で炙って殺すのは極めて良心的な処刑だったという。それらは穢れた魂を浄化すると信じられていたからだ。

 

 処刑されたのは非常に美しい女性で、その人を大切に思っていた当時の領主が、その“魔女”の処刑に反対をしたのだそうだ。当時の教会と何度か交わされたであろう書簡は何故か全て失われていて、結局のところ真偽のほどは定かではないらしい。

 ただ、書簡の代わりに“魔女”が処刑直前に身に付けていたローブがガラスケースの中に入れられて展示されていた。深い青のローブはラピスラズリで染められたものらしく、“魔女”とされた女性の身分の高さがうかがえる──と解説には記してある。


「この土地に伝わるおとぎ話なら、何度か耳にはしたのですけれど」


 声を潜めてシレーヌが指差したのは、“魔女のローブ”のとなりのケースだ。錆びたナイフのようなものがひとつと、銀色の丸い玉がひとつ。


「実際にこうして“痕跡”が残っているのをみると……。わくわくしますね」

「“狂狼公”……ああ、これ。物騒すぎるよな」


 くだんの“魔女”が処刑されたのを悲しんだ領主は、怒りと憎しみから彼女の処刑に関わった人間とその親族を食い殺したのだそうだ。六百人と少しを食い殺した頃には領主は人狼へと姿を変えていて、彼を哀れに思ったかつての使用人が、銀の弾でかの領主を眠らせたのだという。

 

 展示されていたナイフは人を食い殺した領主の持ち物で、銀の弾はその領主に終止符を打ったものらしい。

 狂った狼のように人を食い殺したさまから“狂狼公”と呼ばれ恐れられた男は、その恐怖から肖像画や似顔絵の類いも残されなかった──と解説は締め括っていた。


「今でも“悪いことすると狂狼公に食べられてしまうわよ”って、子供に言う親御さんがいるみたいですよ。……それはそれとして、よく六百人も食べられましたよね」

「六百人食う前に止めてやれよって思わないか?」

「止めようがなかったのかもしれません」


 六百人ですもんねえ、とシレーヌはナイフを見つめながら呟いた。


「こういう話が時を経て、人の口を経て、“伝承”、“曰く”、“伝説”になっていくのだと思うと、なんとも……本当にあったことなのでしょうか」

「俺は結構盛った話だと思う。六百人も食い殺すって、ちょっと大袈裟だろ。今に伝わる伝説だって普通に考えたらあり得ない展開ばかりじゃないか。知ってるか? 俺の国には首が九つある龍と、それを倒した人間の話がある」

「ヤマタノオロチでしょう? ふふ、あれも面白い話です」


 そういえば、とシレーヌがコウを見上げる。


「わたしたちの住む屋敷も、この手の曰くがありました。誰かが住んでいないと、何かが悪さをするとか」

「へえ?」

「ルーは詳しく教えてくれなかったのですけれど、わたしたちがあそこに住むのはそういう理由もあるんですよ」

「怪異を抑えるために住んでるってことか?」

「ええ。なんだか懐かしい気がして、個人的にもあの屋敷は気に入っているんですけれど。わたしたちが住むことで“怪異”が抑えられるなら良いことばかりですよね」

「……そんなところに住んでて怖くないのか?」

「“誰かが住んでいないと何かが悪さをする”のなら、“誰かが住んでいれば何も悪さをしない”ということですよ」


 シレーヌはうふふと軽やかに笑う。実際に何も起きていませんしね、と付け加えて次の展示物へとうきうきしながら移動していった。


 前回、よほどよく見られなかったのだろうなとコウはその後ろ姿を見ながら歩く。コウがシレーヌのとなりへ並んだときには、もうシレーヌは解説に夢中だった。

 この博物館からそう遠くない森にも曰くがあるらしい。かつて、実際に人骨が見つかったとか何だとかという事実に絡めて、“狂狼公”の犠牲者かと思われる──などという文字が並んでいる。


「森のなかにある池にも何かあるのかよ。この土地、そういうの多くないか?」

「“何かあった”土地なのは確かなんでしょうね」


 森の中の池には金の魚の伝説があるらしい。ただ単に「その池で金色の魚が泳いでいたのを見た人間がいる」というだけの伝承ではあったが、狂狼公なる人物の伝承より平和的だ。おどろおどろしい伝承ばかりを見たあとでは、それが逆に「何かあるのでは」と疑ってしまうが。


「……ま、何かあるまで触らん方が良いんだろ? こういうのは」

「ええ。あなたの国でいう“触らぬ神に祟りなし”です」


 本当に何かあったとしても、とシレーヌはコウを見上げた。


「わざわざ会いに行く必要はありません。わたしたちだって、何もされなければあえてあなた方に接触しようとも思わない。……わたしたちの性質上、どうしても接触せざるをえないときはありますが」


 避けられる危険は避けるべきですとシレーヌはコウを見つめる。何となくだが、釘を刺すために連れてこられたのだろうかとコウはシレーヌを見てしまった。


「……あなたはすぐにどこにでも行くから、わたしは少し心配です。いつか知らず知らずの内に虎の尾を踏むのではないかと。そして、その場にわたしもルーもいなかったときを思うと」

「子供扱いか? もう成人してる」

「それはそうかもしれませんが……」


 それでも心配なんですよ、と食い下がるシレーヌに「前よりずいぶん注意深くなったからさ」とコウは薄い背中をポンポンと叩く。


「お前たちのおかげだよ」

「そうだといいんですけれど」


 コウの手を引いたシレーヌは、そのままいつものように細い腕をコウの腕へと絡める。足が痛いのか、というコウの言葉には「ちょっとこうしたくなっただけです」と微笑む。甘えているのだろうかと思いながら、コウはシレーヌを連れてゆっくりと歩くことにした。シレーヌの歩幅に合わせてそっと足を進めるのにも慣れきってしまったのに気づいて、隣のシレーヌに気づかれない程度に微笑んでしまう。


 小さめの博物館とはいえ、見るものはまだまだたくさんある。シレーヌとのゆっくりした時間を、コウはもう少し味わえるようだった。





***




 日も暮れはじめ、そろそろ帰りましょうとシレーヌから声がかかり。満足したかと聞いたコウに満面の笑みを返し、シレーヌはご機嫌でいた。ミュージアムショップで買った特別展の図録、【絢爛たる刺繍の世界】を大事に胸に抱えている。

 針仕事が好きなルーのために、とシレーヌが購入したもので、この特別展のこともあって博物館に来たがったのか、とコウは納得していた。

 

 シレーヌ自身は針仕事もあまり興味はないようだったが、きれいなものは見ていて楽しいらしい。展示されていた刺繍の作品を一つ一つ見ながら、「ルーならこの作品のすごさがもっとよく分かるのでしょうね」とうんうん頷いていたのが可愛かったな、とコウはふり返る。素直に称賛して受け入れるのがシレーヌの良いところだ。


 博物館の裏手のラベンダーを見て帰りませんか、というシレーヌの提案にのって、コウはシレーヌの手をとって博物館の裏の庭園へと足を向ける。

 ここは日が落ちるとあまり人の来ない場所になるが、少し空気を吸うだけでラベンダーの香りが肺に満ちるようないい場所だった。


 夕暮れの空が紺からマゼンタへ、綺麗なグラデーションを描いている。マジックアワー、魔法のような色の空だ。夢みたいな薄明の元、薄紫のラベンダーが爽やかな香りをまとって風に揺れている。


 シレーヌの薄水色のワンピースも夕日で魔法のような色に染まっていた。美しいな、とただそればかりをコウは思う。シレーヌも、夕日も、ラベンダーも何もかも。視界に入る全てが魔法で、幻のようだった。


「ふふふ。前に来たとき、ここを見てから帰りたかったの。とってもいい時間に来られましたね。空の色も、ラベンダーも、夢みたいな色」

「だな。こんなに綺麗な色の空、なかなか見ないぞ」


 しばし二人して無言になって、空とラベンダーとを交互に眺める。ゆっくりと辺りが暗くなり、街灯がつき始めたころにシレーヌがふと「あら?」と声をあげた。


「どうした?」

「あそこ……ルーですよね?」


 二人がいる庭園とは反対側、博物館の建物に近い場所に人陰が四つ。そのうちのひとつは遠目からでもよくわかった。ルーだ。すらりとした体躯に美しい銀髪。日が落ちて夜の紺色が辺りを満たしても、ルーの銀色だけは何物にも侵されないとばかりに輝いて見える。


「どうしてルーが……? あ、あの人……」


 シレーヌの呟きにゾッとしながらコウも目をこらす。どうみてもこの間の三人組だった。人拐いのあの三人だ。最悪のタイミングだ。何もこんな時にこんなところで出会わなくてもいいはずだ。夕暮れ時の人気がない場所だからといって、よりによって。


「なんだか嫌な予感がします。ねえ、追いかけましょう」


 二人の視線の先ではルーが三人に囲まれていずこかへ連れていかれようとしている。拘束もなにもされてはいないが、不穏な空気はみれば何となく感じ取れるものだ。そも、若く美しい男に人相が悪めの男が複数で絡んでいれば、誰であっても“何かある”ことくらいは想像がつく。


「いや……ルーなら大丈夫じゃないのか。何かあっても絶対どうにかできるだろ」


 ただ、ルーがどうしてそんなことをしているのかコウにはわかっていたから、シレーヌの提案に乗るのは気が引けた。


 あの人嫌いのルーが、無作法な人間三人に囲まれて黙っておとなしくしているわけがない。大人しくしているのだとすれば、必ずそこに何かある。


 おそらくルーは“ハメる”つもりだ。シレーヌのかわりに自分を拉致させて、拉致された先で“証拠”を掴むだとかして。

 その行為が普通の人間には危険なことだと知っているから、ルーはコウにシレーヌのお目付け役を任せたのだ。


「だめです!」


 コウがシレーヌの手をつかんで引き留めている間、四人は駐車場へ続く通路へと足を進めている。もうずいぶんと距離があった。


「大丈夫だったとしても、何かされて良い理由にはならないんです。すごく、すごく嫌な予感がするの。ねえ、お願い」

「シレーヌ……」

「あなたは、わたしがああなっても“大丈夫だろう”なんて絶対に言わないでしょう? あなたは優しくて、面倒見のいい人だから」


 それなら、と潤んだシレーヌの目がコウを射抜く。


「ルーのことも、わたしのことと同じくらい大事にして。わたしの、たった一人の弟なんです」


 日が落ちてしまった夜の闇に、シレーヌの頬に、伝う雫があるのをコウはみてしまった。街灯に照らされたその顔が、どれほど切ないものであったかも。


「……分かった。行こう」


 ルーには怒られるだろうし、シレーヌはきっと傷つく。そんな予想はきっと的中するだろう。それでも、そうであっても、今のシレーヌの顔をみてしまったら。


 シレーヌの手をとって、転ばないように出来るだけ早くコウは走る。駐車場にはコウたちの乗って来た車もある。シレーヌとコウが車に乗り込んだ瞬間、一台の車が駐車場から出ていった。


「あれです。あの車」


 後部座席には銀色の髪。その人物を挟むようにして、男が二人座っている。やってられないな、とコウはハンドルを握る。


 ──そもそも、シレーヌに対してあいつらが変な気を起こさなければこんなことには。


 悪いことをすると狂狼公がやってきて食べられてしまう、なんて話がこの辺りには残っているらしい。だったら──。


 ──あいつらも食べられちまえばいいのに。


 そんなことをコウは思った。


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