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6話 楽園の若き女公

 ひとしきり海で遊んだその夜は、広くてふかふかのベッドでぐっすり眠り、わたしにしては珍しくすっきりと翌朝目覚めることができた。

 朝食を頂いた後、パウエルさんが一枚の紙を持ってきてくれた。毎日、公国内のどこかしらで開かれる催しの予定表が旅行客に向けて届けられるらしい。

 その中に舞台劇の案内があったので、さっそくディオンと一緒に観に行くことにした。公国の中心部、お店などが集まっているところに劇場もあるのだという。本当に、この場所には何でもあるのだ。

 劇場の少し手前までは馬車で行き、そこからは歩いて行った。若い女性の姿をした芸術の守護神をかたどった太い柱に支えられた、王都のものにもひけをとらない立派な建物だった。一歩足を踏み入れると、エントランスの床一面に敷かれた暗い赤色の絨毯が出迎えてくれる。

 演目は、一人の海賊と海の精が恋に落ちて、困難の果てに愛を遂げる物語。演者さんや楽団の方々に至るまで、一体どこから連れてきたのかと思う程の実力者揃いだった。


 興奮がなかなか冷めず、ディオンと感想をあれこれ言いながら屋敷に帰る。この後はどうしようか迷っていると、パウエルさんから夜会への参加をお勧めされた。

 公国内では毎日どこかしらで夜会が開かれているらしいが、今日は月に一度、公主が住まうカーネリアス城でそれが行われる日だという。せっかくなのでそこに行こうか、という話になった。

 ならば早めから準備が必要と、瞳をきらきらさせたキャリィとシャリィによってわたしは衣裳部屋に引きずり込まれた。

 ドレスは持参してきたものを着ることにした。わたしの結婚祝いにとプリシラが贈ってくれた紫色のドレスは、膝までは体の線に沿い、膝下からはふわりと広がっている。ちょうど、今日の舞台劇に登場した海の精を思わせる。袖は小さく、首周りは大きく開いていて、肩や鎖骨を見せるスタイルだ。銀色の糸がところどころに縫い込まれていて、動くと控えめな輝きを放つ。

 素敵なドレスを見た双子は大張り切りで、深い青色の宝石が使われた耳飾りと首飾りを用意してくれた。

 続いて、彼女たちはわたしの髪を整える作業に入った。形としては耳上の髪の毛をとって結んでいるだけだが、編み込みを駆使してより複雑に仕上げている。薔薇の形の髪飾りをひとつつけて、さらにその周りに小さい花を模したピンをいくつも留めて――最後の仕上げの化粧まで終わり、鏡を見せられたわたしは自分の変貌ぶりにぽかんとなった。

 髪のセットも化粧も、自分でするのとはまるで段違いだ。


「今日の夜会で一番綺麗なのは、絶対にセシーリャ様ですね!」

「変なのを寄せ付けないように、旦那様にしっかり守ってもらってくださいね!」

「ありがとう……あなたたち、本当にすごいわ」

「それほどでもないですよ。でもどなたかに何か聞かれましたら、蒼水晶邸のヴォールター姉妹がやったとお伝えくださいませ」


 しっかりした子たちだ。わたしはふふっと笑って最後に長手袋をはめ、先に用意を終えているであろうディオンの待つ部屋へ急いだ。


***


 ――わたしの旦那様、ちょっと格好良すぎじゃないかしら。


 部屋の扉を開けたわたしの目に飛び込んできたのは、礼服に身を包んだディオンの姿。紺色のジャケットの胸元にはラベンダー色の留め具がついたクラヴァット、金色の線が側章として入った黒いトラウザーズに、綺麗に磨き上げられた革靴。

 いつもは自然な状態なのを軽く整えるだけの髪を後ろに撫でつけ、優雅さは残しつつも男らしさが前面に押し出されていてとても似合っている。

 普段わたしが夜会に参加する時は彼はあくまでもわたしの従士として同伴するため、飾り気のない格好をする。ばっちり決めた姿は新鮮だ。

 結婚式の時のタキシード姿も素敵だったけれど、今のディオンは貴族然とした気品と大人の色気とを(まと)っていて、女性はおろか男性まで(とりこ)にしてしまうのではないだろうか。

 彼が格好良くなかった日なんて一日もないけれど、いつもを百とするなら今は二百……いや、三百はある。

 ディオンが何も言わなかったため、わたしはしばらくぼーっと彼を見つめっぱなしになってしまった。


「……っ! すまない、見とれていた。今日のセシーリャは一段と美しいな」


 彼の言葉でわたしもはっと我に返り、ぱちぱちと(まばた)きをした。


「あ、わ、わたしも……ディオン、とっても素敵だと思って」


 こんなに輝いて見える人の隣を歩いてもいいものなのかしら……いやいや、わたしは彼の奥さんなのだから、隣にいられるのはわたしだけだ。

 未だにぼんやりとしているわたしに向かい、ディオンは腕をそっと差し出した。


「そろそろ行こう。あなたの視線を独り占めできるのは嬉しいが、このままだと部屋から一歩も出ずに過ごすことになりかねない」


***


 貴族にとって夜会というものは、決して楽しいだけのものではないと聞く。わたしはその渦中にいたことはないけれど、結婚相手の品定めをしたり、他愛ない会話から各々の家の事情を読み取ったり……重要な駆け引きの場となる。

 だが、ここカーネリアス公国は保養のための地。広いダンスホールに集った貴族たちは、肩の力を抜いて思い思いにお喋りに花を咲かせ、踊ることを楽しんでいるのが感じ取れた。

 ディオンに(いざな)われ、音楽に合わせて足を踏み出す。彼と恋人になってから行った初めてのデートのことが思い出される。あの場は格式高くも何ともなかったけれど、ここは身分ある人たちばかりがいるところだ。いくら楽しみのための夜会だといっても、彼らの動きは洗練されている。相変わらず踊りの上手くないわたしが悪目立ちしてしまわないだろうか。

 足は止めず首だけを動かして周りを見ようとすると、わたしの腰に添えられたディオンの手に少し力がこもった。


「よそ見だなんて、いけない人だ」

「ほ、他の人にぶつからないか心配で……」


 わたしたちの周りを、他の貴族たちが優雅に舞う。


「余計な心配はいらない。俺だけを見て」


 優しく(ささや)かれたら、言うことを聞くしかない。

 誰かに激突することもふらつくこともなく、見つめ合いながら二曲続けて踊ったところでひと息ついた。ディオンが飲み物を取りに行ってくれている間にわたしは壁際に立ち、ぐるりと辺りを見回した。

 百人を超える人たちがいても余裕がある広さのホールを照らすのは、わたしたちがいる蒼水晶邸のものよりずっと大きくて豪華なシャンデリアの明かり。天井には目いっぱいに、花束や果物でいっぱいの(かご)を持ち、着飾った人々の絵が描かれている。薄い赤茶色の床は温かみを(かも)し出していて、上に立つ人の姿をうっすら映すほどぴかぴかに磨かれている。

 わたしの背後には、身の丈をゆうに超えるアーチ型の窓。あらためて、すごいところに来たものだ。


「御機嫌よう。いい夜ですね」


 いつの間にか、隣に一人の紳士が立っていた。わたしの顔を見て、にこやかに微笑む。知り合い……ではないはずだ。


「あ、はい、こんばんは……」


 とりあえず挨拶すると、彼は少し距離を詰めてきた。


「あなたのような美しい方が壁際にいては勿体(もったい)ない。私と共にあちらで愛を語らいませんか?」


 ……どうやら独り身だと思われてしまったらしい。


「すみません、わたし結婚していて……夫も一緒ですから」


 さすがに既婚者相手なら退いてくれるだろう、と思ったのだけれど、紳士は笑うばかりだった。


「はは、貞淑(ていしゅく)な奥様でいらっしゃる。しかし、一夜限りの情熱に身を任せるのもいいものですよ。ここは(たの)しむための場ですから」


 ええ……そんな堂々と浮気のお誘いをすることってある? どうしよう、夫がいると言っても駄目なら、どうやって断ればいいの? こんなところで事を荒立てたくないのに。


「ま、待ってください、困ります……」


 まごつくわたしの肩に彼の手が伸びかけた、その時――


「我が妻に何か用か?」


 ディオンが戻ってきてくれた。わたしと紳士の間に割って入り、彼の顔をきりり、と(にら)む。両手に小さなグラスを持っているが、かなりの威圧感を放っている。

 紳士の手が空中で止まり、その顔がみるみるうちに青ざめていった。


「ああ、いや、その、これは……」

「俺の妻に何の用だと聞いている」


 さっきよりも声が低くなった。並の魔物なら追い払えそうなくらいの気迫だ。


「い、いえ、何も! 少し世間話でもと思っただけでして、あの、これにて失礼!」


 流れるような早口で言い、紳士が逃げるようにその場を後にする。彼の姿が見えなくなるのを確認したディオンがわたしの方に顔を向け――形の良い眉がへにゃ、と下がった。


「セシーリャ、怖い思いをさせてすまない。大丈夫だったか?」

「ええ。ありがとう……結婚してるって言ったのだけど聞いてくれなくて。もっときっぱり断れば良かったわ」


 フロレンシア王国では、「氷晶の女神」は人となれ合うことはしない孤高の存在と言われている。(自分から言い出したわけではなく、人見知りで口下手なのが回り回ってそういうことになった)夜会でも気安く話しかけようとする貴族はそうそういないので、咄嗟(とっさ)に良い対応ができなかった。


「いや、俺が迂闊(うかつ)だった」


 持っていたグラスのうち片方をわたしに差し出しつつ、ディオンが言った。


「ここではあなたが大魔術師だと知れわたっていない。どこかの姫君と思われて、この場で求婚されてもおかしくない」

「そ、そんなことはありえないでしょう……」


 それなら、ディオンの方こそ心配だ。噂話に疎いわたしの耳にも、彼についての話は入って来る。王国の女性魔術師や従士、果ては貴族の令嬢たちにも、ディオンは人気者だという。もちろん表立って近づいてくる人はいないけれど……長い間、魔術師及び従士界隈でのもてる男性の首位を独走していたというランドルフにも並ぶくらいだと聞かされると、情けないけれど少し冷静ではいられなくなる。


「ディオンこそ、誰かに声をかけられたりしなかった? 王様や王子様と思われて……」

「まさか。かけられていないし、万が一そんなことがあっても応えるつもりなど毛頭ない」


 わたしの耳元に、彼が顔を寄せる。


「セシーリャ、初めて会った時から俺の世界にはあなたしかいない」

「~~~~~~っ!」


 危うくその場にへなへなと崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。普段よりも格好良さが増しに増した姿でこんなに甘いことを言われて、陥落しない女性が果たしてこの世にいるだろうか。

 顔どころか首の辺りまで火照ってきてしまい、それを冷まそうとグラスに口をつけた。お酒に弱いわたしを気遣った果物のジュースだった。


「もう、駄目よ。こんなところで……」


 真っ赤になったわたしに、ディオンは悪戯っぽく小首を傾げてみせた。


「夫が妻に愛を囁いてはいけない場所などないと思うが……ここでは嫌だと言うのなら屋敷に戻ろうか。これ以上あなたの魅惑的な姿が他の男の目に(さら)されていることに耐えるのも限界……」


 その時、少し離れたところでわっと歓声が上がったのが聞こえた。城の奥へ続く扉がある方に、誰かが立っている。


「どなたかしら?」


 ディオンと二人、その場で様子をうかがっていると、隣にいた青いドレスのご婦人が話しかけてきた。


「ユーディニア・カーネリアス様がいらっしゃったのよ」


 カーネリアス、つまり公国を治める人かその血縁者だ。


「ユーディニア様はまだお若いのに、立派に公国の政治を取仕切っておられるの。素晴らしい方よ」

「へぇ……そうなのですね」


 姿を現したその人が、ホールの中央へと歩みを進める。ユーディニアはご婦人の言った通り、本当にまだ若い――十代半ばくらいの少女だ。長い金色の巻き毛を垂らして、頭の後ろには赤い大きなリボンを留めている。それと同じ色のドレスはひだがたっぷり寄っていて重そうだ。

 遠目からでも分かる、人形のような美しい方だった。しかし立ち姿は堂々としていて、上に立つ者の風格は十分にある。後ろには、何人か別の人を引きつれている。身なりからして彼らも貴族だろう。

 思い思いの時間を過ごしていた客人たちが、一斉に彼女に歩み寄って取り囲む。相当な人気者のようだ。

 ぼんやりと人の波の方に目を向けていると突如、するりと腰を撫であげられた。


「ひゃんっ、ちょっとディオン……!」


 ディオンの方を見ると、彼は何やらもの言いたげな目をしていた。わたしの注意が別のところに逸れたのが気に喰わないのだろうか。


「そろそろ……」


 少し掠れた声で囁かれる。いくら大魔術師と従士という立場から解放されているにしても、人の目がある場所で変な触り方なんてして来たことないのに。もしかして、わたしが別の男の人に声をかけられたことで火がついてしまったのかしら……。

 まあいいわ。この場はもう十分楽しんだし。

 ディオンの腕をとり、賑わう人々に背を向けて、わたしたちはひっそりとその場を後にした。

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