12話 女公との密会
次の日。カルロの手引きで、ディオンとユーディニア様が二人で会う準備が整えられた。
場所はカーネリアス城の中庭。ただの旅行者で貴族でもないディオンと公国の統治者が二人きりで会うということで体裁が良いとはいえないので、奥まった場所にある東屋が密会の場となった。
ベンチにディオンが一人で腰かけ、ユーディニア様の到着を待っている。わたしとカルロは、東屋からは死角になる生垣の裏に身を隠して息を殺している。ディオンたちの会話が聞こえる距離なので、いざという時には飛び出す準備もできている。危険なことにはならないはずだけれど。
周りには様々な色と形の綺麗な花が咲き乱れ、綺麗に整えられたトピアリーもある。こんな時でなければゆっくり見て回りたいくらいだ。
「お待たせして申し訳ございませんわ」
声と共に姿を現したユーディニア様はふんわりとした薄青色のドレスに身を包み、髪は綺麗に結い上げて薔薇の飾りをつけていた。改めて見て思うが、わたしの十六歳の頃よりずっと大人びた方だ。
ドレスの裾をつまんで軽く礼をした彼女に、ディオンはベンチから立ち上がって跪いた。
「そう固くならないで、楽になさって。あなたにお会いできるのを楽しみにしていましたの」
ユーディニア様がベンチに腰掛け、ディオンも彼女の隣に再び座った。ディオンが他の女性とこんなに近い距離にいるというのは少し複雑だけれど、今だけの辛抱だ。
「この国はどうかしら? 楽しく過ごしていらっしゃる?」
「……ええ、とても」
良かったわ、と微笑むユーディニア様の表情は作った笑顔なのだろうか、それとも心からのものだろうか。
「改めて、先日の剣術大会で披露された腕前は素晴らしかったですわ。優勝おめでとう」
「光栄です、閣下」
「私もそろそろ、結婚を考えなければいけない年……お迎えするならあなたの様にお強い方がいいわね」
「閣下ほどのお方であれば、私めよりも腕の立つ男性を迎えることは容易いように思いますが」
ディオンは受け答えこそ丁寧だけれど、口調は淡々としている。
「そう上手くはいかないわ。だって男性なんてほとんどが信用できませんもの」
ユーディニア様はきっぱりと告げ、でも、と身を乗り出した。
「あなたは違うわ。私には分かるの」
「……どうも」
「ねえディオン様……私と一緒になる気はないかしら?」
わたしの隣にいるカルロが身を強張らせた。
「それはお断り致します閣下。私めには妻がおります」
「離縁すれば良いだけの話でしょう? まだ結婚してそこまで長くないようだし、今なら影響はないのではなくて? 離縁にあたってお金がかかるというのならそれは私が払うわ」
あっさりと言い放つユーディニア様を、わたしは怒りも呆れも通り越してただ呆然と見ることしかできなかった。
「あなた、魔術師の奥様に仕える身だと聞いているけれど、やはり男性ならもっと上の地位に就きたいでしょう? 私と結婚した暁には、公国の統治者の地位をあなたに渡すわ。カーネリアス公爵を名乗れるのよ」
「興味はありません」
ディオンは首を横に振った。
「私めは今の生活にこの上ない喜びを感じております。地位などさして重要なことではありません。閣下、お言葉ですが男性ならば皆こう、という考えはお捨てになった方がよろしいかと。それはあなた自身の首を絞めることにも繋がります」
少しだけ、ユーディニア様の顔に焦りの色が浮かんだ。
「わ、分かったわ。なら私の配偶者となって頂ければそれでいいわ。だって若い妻の方が良いでしょう? あんな年増より」
年増って……彼女から見ればそうなのかもしれないけれど! まだそこまで言うほどの年齢ではないわよ!
「閣下」
ディオンの声がやや鋭くなった。
「立派に民の上に立つあなたに、言って良いことと悪いことの区別がつかないとは到底思えません。謹んで頂けますよう」
「……っ! ね、ねえ、どうしてそんなに怖いお顔をなさるの? 悪い話ではないはずよ? そうだわ、あなた、馬がお好きだと聞いたわ。私のつてを使えば、周りの国から選りすぐりの名馬をここに集めることだってできるの」
猫なで声でユーディニア様が言う。
「閣下、私めは妻を愛しております。この想いが変わることはこの先もありません。他人の幸せを壊すようなことはどうかおやめ下さい。そのようなことをして欲しいものを手に入れても、それは真の喜びとはいえない」
「分かったような口を聞かないで!」
ユーディニア様の様子が一転し、金切り声が響く。
「愛ですって? くだらない! ……そうよ、ディオン様、あなたあの女に騙されているんだわ! 所詮はちょっと綺麗なだけの人だもの。人の心を操る魔術をあなたにかけて、愛していると思わされているだけよっ! あの人は魔女だわ!」
その瞬間、ディオンがユーディニア様の手首をつかんで立ち上がった。つられて彼女もその場に立つ。
「閣下」
その声は、わたしが今まで聞いた中で一番低く刺々しい声だった。
「あなたは貴い身分の方、ましてや女性だ。俺が手を上げることなど許されない。だが、妻を侮辱するならば、罰をその身に受けて頂く」
――本気で怒っている。
わたしが他の男の人に口説かれた時に見せた態度なんて可愛く思えるほどに、今のディオンは怒りに震えている。周囲の空気が真冬の山中のように冷たく凍り付いて、しかし彼自身は芯から憤怒の炎に燃えている。わたしの初めて見る姿だった。
「何よ……やれるものならやってみなさいよ!」
手首に受ける痛みに顔を歪めながらも、ユーディニア様は気丈に言った。
「わたしが誰だか分かっているの!? 今ここでわたしが叫べば護衛が飛んでくるわ、あなたに罪を被せて投獄することも、処刑台送りにすることだってできるのよ!」
「構わない。俺の命などより、妻の名誉の方がよほど尊い!」
ディオンがきっぱりと言い放つ。このままだと本当に最悪の事態になってしまいかねない。
隣にいるカルロと視線を合わせる。彼が頷いた。
「ディオン!」
わたしはカルロと共に、隠れていた場所から飛び出した。