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10.5話 紳士は女神に首ったけ

 剣術大会の優勝者、ディオンをもてなすべく集まった貴族は、リカード、セドリック、ニコラ、そしてカルロの四人。皆ディオンと同年代で、一番若いニコラが二十歳になったばかりだという。


「もし酒がいいなら持ってこさせるが、どうする?」


 リカードの問いにディオンは首を振った。


「結構だ。普段からほとんど飲まない」

「へぇ。じゃあ茶で乾杯とするか。優勝おめでとう。そんなに(かしこ)まらずに肩の力抜いてくれよ」


 席に着いた貴族たちがディオンに笑顔を向ける。


「本当に見事なものだったよ。僕らでは歯がたたないだろうね」


 セドリックが言う。続いてニコラが身を乗り出した。


「ほんと、(しび)れたぜ。旦那って呼ばせてくれ!」

「……? ああ、構わないが……」


 年若いからなのか、ここがあらゆる国の人々が出入りする場所だからか、彼らはとても気さくだ。別の場所でセシーリャをもてなしている貴族女性たちも同じような人物だといいのだが。


「旦那、フロレンシア王国から来たんだって? もしかしてそこでは英雄だったりするのか?」

「まさか。平和な国だ。騎士でもなければ剣を振るう機会など訪れないし、俺は武官ではない」

「では、普段は何を?」


 セドリックが問うた。


「我が国は多くの魔術師が支えていて、彼らが存分に力を発揮できるように働く従士と呼ばれる立場の者がいる。妻が魔術師で、俺は彼女の従士だ」

「表彰の時に一緒にいたあの別嬪(べっぴん)さんか」


 リカードが目を丸くする。ディオンは頷いた。


「ああ。美しいだけでなく強い、自慢の妻だ」

「よくもまぁ、あんな美女を捕まえたものだな」

「偶然と奇跡がいくつも重なって得られた、何にも変えられない幸せだ」


 それを聞いたニコラは口笛を吹き、セドリックがくくっと笑った。


「随分と熱々だね。結婚してどのくらいになるんだい?」

「半年ほど経つ」

「へぇ……僕はそのくらいの頃にはもう、相手の欠点とかがちらほら目についてたけどなぁ」


 もちろんディオンとて、夫婦間で不満を抱いてはならないと思っている訳ではない。思うところがあればそれを正直に話してすり合わせ、互いに納得できる落とし所を探るべきだと考えている。

 だが不思議なことに、セシーリャの目につく欠点というものが全く出て来ない。彼女は自分のことを小心者だと言うが、ディオンから見ればとても気丈な女性だ。そうでなければ、王国の柱、魔術師たちの模範である大魔術師など務められるはずもない。

 リカードが脚を組んだ。


「女ってのはわがままだからなぁ。その時の気分でこっちを振り回してきやがる。あんたのところもそうじゃないか?」


 いや、とディオンは頭を振った。


「セシーリャは……妻はできた女性だ。そのようなことは一切ない」


 幼い頃から魔術師となるべく教育を受け、「氷晶の女神」の名を背負って一人で頑張って来たセシーリャはその真面目さもあり、わがままと呼べるようなことは一切言ってこない。今まで言われたことといえば「髪をとかして」「朝、寝起きが悪くても怒らないで優しくして」「寝付くまで頭を撫でて」など、全部ディオンにとっては可愛らしいおねだりでしかない。


「……むしろ、もっとわがままになって振り回して欲しいくらいだ」


 それを聞いて、リカードが苦笑した。


「いや、実際やられたら絶対に腹が立つぜ?」

「子猫のわがままに本気で腹を立てる人間などいないだろう?」

「お、おう……」


 真顔で言い放つディオンの姿に、貴族たちはぽかんとしている。

 いやでも、とリカードが気を取り直した様子で口を開いた。


「一つくらいは直して欲しいところや不満はあるだろ? 男同士水入らずで正直に話し合おうぜ。誰にも言わねえからさ」


 そうそう、とセドリックがその後を追う。


「束縛が酷いとかはないのかい? 僕の妻なんて、僕がほんの一瞬よそ見をしただけでも怒るよ。困ったものだ」

「全くない。妻は女神だ。すべてが完璧で美しい」


 大魔術師のセシーリャは、己の責務に対して妥協は一切しない。凜とした態度で他の魔術師たちを率い、日々の修練には真剣に取り組み、努力を惜しまない。

 そんな彼女は心を許したディオンの前では、表情をくるくると変える愛らしい女性になる。同年代の女性と比べても純粋で素直だ。好物を目の前にしたり、舞台劇を観ている時はきらきらと目を輝かせ、苦手なかかとの高い靴を履いて夜会に出た後は不平を零しながらぐったりと崩れ落ち、大魔術師たちが集う会議の前にはこっそりと胸に手を当てて、深呼吸を繰り返す。

 セシーリャの一つ一つの仕草がディオンの心を(くすぐ)る。だが決して言動が幼いということはない。むしろ、人を色眼鏡で見ることをしない聡明さを持っている。

 そして、ディオン以外は決して知りえないもう一つのセシーリャの顔。ひとたび夫婦の(ねや)に場所を移せば、無垢な女神は魔性の(あやかし)に姿を変える。

 夫の求愛に応えて長い睫毛(まつげ)に縁どられたラベンダー色の瞳を潤ませ、(つや)やかな長い髪をしっとりと汗ばんだ白い肌に(まと)わせて甘い色香を放つ――それに当てられたディオンが理性を失いただの獣になってしまった夜は、とても両手だけでは数えきれない。

 束縛めいたことをするのも、いつもディオンの方からばかりだ。セシーリャが不誠実なことをするはずがないと分かりきっているのに、彼女が他の男と交わした些細(ささい)なやり取りを蒸し返してしまう。笑って許してくれる妻の懐の深さには恐れ入るばかりだ。

 フロレンシア王国においては、大魔術師にはあらゆる人が敬意を払う。セシーリャに対しても露骨に不躾(ぶしつけ)な目を向けたり口説こうとする者はいなかったが、先日の夜会で彼女に迫る男の姿を見た時のディオンは、一瞬にして(はらわた)が煮えくり返るような怒りに支配された。

 その後、セシーリャも心の内では、いつかディオンの関心が他の女性に逸れてしまうのではと不安がっていたと分かった時には嬉しさと同時に切なさを覚え――たっぷり時間を使って己の愛の深さを彼女に教え込んだ。

 何もかも忘れて一日中でも腕の中に閉じ込めておきたいほど溺れきっている相手に対し、一体どんな不満を抱くというのか。

 しかし貴族の男たちは、ディオンの発言に納得していないようだった。


「おいおい、あんた大丈夫か? あんたの奥さんは確かに美人だけどよ、そこまで入れ込むってのも……」


 リカードがため息混じりに言う。

 同じく魔術師の従士を務める仲間たちからも、同じような指摘をディオンは受けていた。「セシーリャ様は確かに美しいし立派な大魔術師だと思うが、ディオンは彼女のことを神格化し過ぎている」と言われる始末だ。あまり人前で過ぎた惚気(のろけ)を披露しないよう努めているが、それでも「妻を愛しすぎている男」として有名になりつつあるらしい。


「俺は妻を幸せにするために生まれた男だから、彼女の全てを愛するのは当たり前のことだ」


 それを聞いたリカードは何かを小声で呟いたが、ディオンには聞き取れなかった。セドリック、ニコラ、カルロの目が泳いでいる――そういえば、カルロは最初の自己紹介以降、まったく口を開いていない。


「男と女というのは、そう簡単に分かり合えるものではないよ。そう思うだろう、ニコラ?」


 セドリックの問いかけに、ニコラはこくこくと頷いた。


「俺の婚約者のエリッサなんて、俺が何をしても……真剣に悩んでる時でも、それを見て笑ってきたりしてさ。嫌になっちまうよ」


 ……どうもおかしい。ディオンは眉をひそめた。会話の内容が結婚生活についてなのは自然なことだが、セシーリャへの不満を引っ張り出そうと全員が躍起になっているような気がする。

 特にリカード――銀色の髪と濃紫(こむらさき)色の瞳を持つ青年は、ディオンを値踏みするような、腹の内を見透かそうとするような、獲物を狙う蛇にも似た視線をこちらに向けてくる。

 ――これは本当に、ディオンの健闘を称えるための集まりなのだろうか。胸騒ぎと共に、ディオンの脳裏をセシーリャの顔がよぎる。

 落ち着いていられず、ディオンは席を立った。


「今日はありがとう。すまないがここまでにさせてくれるだろうか。この後別の予定があるから、そろそろ妻を迎えに行かなければ」

「えっ、も、もう少しゆっくりして行っても……」


 セドリックが戸惑った様子を見せた。リカードが何かを言ってくるかと思ったが、彼はディオンを引き留めることはしなかった。

 その場を後にしようとしたディオンは一度足を止めて振り返った。椅子の上で身を縮めているニコラを見据える。


「ニコラ、本心ではないことでも、口に出している内にそれは君自身の心を塗り替える……それを忘れないことだ」

「っ!?」


 ニコラが目を見開く。ディオンの読みは当たっていたようだった。

 部屋を出て扉を閉めようとしたディオンは、誰のものか分からない大きなため息の音を聞いた。

ゆるっと人物紹介⑧ リカード・ゼリンダル

カーネリアス公爵家の遠縁にあたる貴族。ユーディニアとは幼い頃から親しくしており、現在は彼女の右腕を務めている。

気さくで人当たりのよい態度を見せるが、胸のうちには何かを抱えているようにも見える、謎多き男。

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