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10話 不満はないのかと言われましても

 剣術大会から二日後、わたしとディオンそれぞれに、一通の招待状が届けられた。

 差出人はなんと――公国の貴族の皆さん。先日のディオンの優勝を称え、祝いの席を設けたいという内容だった。わたしのことは女性貴族が、ディオンのことは男性貴族がそれぞれおもてなしをしてくれるようだ。

 せっかくなら二人で同じ場に行きたかったけれど……お断りするのは失礼だしまたとない機会なので、招待状に示された場所にそれぞれ向かうことにした。


***


「ようこそ、セシーリャさん」


 立派な屋敷で出迎えてくれたのは、四人の女性貴族――ミランダ、ブランディーヌ、カロリナ、そしてエリッサだ。皆、わたしと年代はあまり変わらない。エリッサだけは、まだ十八歳らしい。

 お呼ばれにあたり、キャリィとシャリィが気合いを入れて準備をしてくれた今日のわたしの恰好は、柔らかい黄緑色のくるぶし丈のドレスだ。日中に着るもので肌の露出は少なく、スカート部分もあまり広がらない。髪型はシンプルに一本の三つ編みにして垂らしているが、白いリボンを一緒に編み込んでいるので華やかだ。

 迎えてくれた方々もわたしと同じような昼用の礼装姿だけれど、やはり(まと)う雰囲気は洗練された貴族のそれだった。

 貴族の方と接するのはもちろん初めてではないけれど、何せすっかり緩み切っていた中での突然のお呼ばれ。失礼のないように気を付けないと……。


「セシーリャ・エインゼールと申します。本日はお招き頂きましてありがとうございます」

「そう緊張なさらないで。私たち、あなたにお会いできるのを楽しみにしていたの。お友達になりましょう?」


 さあこちらへとミランダに(うなが)され、用意された部屋へ向かう。少人数で集まるためのそこまで広くない部屋で、日差しが差し込んで温かい雰囲気で包まれている。真っ白なクロスがかかった丸テーブルの上にはティーポットとカップの他、ケーキやクッキーなどのお菓子、食べやすく切られた果物、薄く切ったパンの上にチーズやハムを乗せたものなどが所せましと並んでいた。

 席につくと使用人がやって来て、カップにお茶を注いでくれた。人数分の用意を終えて、ご用があればお申し付けくださいと言いすぐに出て行った。


「セシーリャさんはフロレンシア王国の方だそうね?」


 右隣に座るカロリナに問われ、わたしは頷いた。


「はい。わたしは貴族ではなくて……魔術師をしております」

 

 ブランディーヌが目を輝かせた。


「まあ、魔法が使えるの? 見せて頂くことはできる?」

「は、はい。少しなら」


 彼女たちに見えるよう、右手を軽く挙げて手の平を上に向け、軽く魔力を動かした。雪の結晶が生まれ、わたしの手の上をひらひらと舞う。驚きと感嘆の声があがった。


「すごいわぁ。わたし、本物の魔法使いさんにお会いしたのは初めてよ」

「こんなにすごい方とお友達になれてとても嬉しいわ」


 皆が人見知りのわたしにも優しく接してくれたおかげで、緊張が解けるのにあまり時間はかからなかった。しばらく談笑が続いた後、ところで、とミランダが切り出した。


「一昨日の剣術大会でのあなたの旦那様、本当に素晴らしかったわね。あんなにお強い方、私は見たことがないわ」

「ええ、まったくよ! 旦那様とはどこでお知り合いになったの?」


 カロリナが身を乗り出す。


「魔術師の仕事で、魔物退治に出向いたときに偶然出会いまして……彼がわたしに一目惚れをしてくれたんです」


 ディオンについて他の人に話す機会はほぼないので少し恥ずかしい。まあぁ、と周りが色めき立った。


「あんなにハンサムな上に強い方に見初めてもらえるだなんて、素敵!」

「それにディオンは……夫は、とても優しくて誠実な人です」


 でも、とミランダが口を開いた。


「一つくらい、不満があるのではなくて?」

「不満、ですか?」


 わたしはきょとんとして聞き返した。今まで考えもしなかったことだ。


「いいえ、特にはありません」


 「あなたの幸せが俺の幸せだ」と言ってくれる人に不満なんて抱くはずもない。

 ディオンがいなくなったら、わたしは寂しくて死んでしまうかもしれない。結婚なんてしなくてもいいと考えていた頃が嘘みたいに思える。


「どんなに小さなことでもいいのよ。素敵な人にだって、欠点の一つはあるものでしょう?」

「誰にも言わないから、こっそり教えてくださらない?」


 ミランダに続きブランディーヌまでもが問うてくる。もちろんミランダの言う通り、誰にでも欠点はあるというのは分かっている。でも……ディオンの欠点は何かと言われてもすぐ答えられない。

 ランドルフはディオンのことを「頑固で頭でっかち」と言っていたけれど、わたしは彼の意志を貫く姿勢も魅力的だと思っているし、尊敬している。


「いくら優しいって言っても、男の人って、ちょーっと甘えてわがままを言っただけで怒ったりするでしょう?」


 カロリナが口を尖らせる。

 そもそもディオンには、従士としてかなり負担をかけてしまっているという自覚はあるのであまり寄りかかりすぎてはいけないと常日頃から気を付けてはいる。

 それでも、気を抜くとつい「髪をとかして」やら「明日の朝はパンケーキが食べたい」と言ってしまうことがある。そんな時でもディオンは嫌な顔ひとつ見せず、わたしの髪を毛先まで丁寧にとかしてくれるし、とびきり美味しいパンケーキを焼いてくれる。

 他にも、かかとの高い靴を履いた後は足が痛いとこぼすわたしのために香油を手に入れてきて、丁寧に足に塗ってくれたりもする。


「いえ、わたしのお願いは何でも聞いてくれて……申し訳なくなるくらいです」


 次に口を開いたのはブランディーヌだ。


「わたしの夫なんて、他の男と話すななんて言ってわたしのことを束縛してくるくせに、自分は別の女性に鼻の下を伸ばしたりするのよ! セシーリャさんの旦那様もそういうことをするでしょう?」

「い、いえ、とんでもありません!」


 ディオンはやきもち焼きだけれど、本当にわたしが浮気をすると思っているわけではない。わたしに構ってもらいたいがための口実のようなものだ。落ち着きがあって紳士な彼が子供みたいに顔をすり寄せて甘えてくる姿にはきゅんとしてしまう。母性本能がくすぐられる、とはこのことだと思う。

 もちろん、ディオンが他の女の人に目移りするようなことも絶対にない……つい数日前、改めてたっぷりと教え込まれたところだ。

 一体わたしの何にそこまで夢中になってくれているのか未だに分からない部分もあるけれど、こういうものはすべてを理屈では語れない。

 テーブルを囲む貴族たちが、顔をしかめた。


「本当に何もないの? 酒癖が悪いとか!」

「彼はほとんどお酒を口にしない人なので……」


 酔ったらどうなるのかしら。それはちょっと気になるかも。


「愛してるって言ってくれないとか、キスしてくれないとか!」

「毎日言ってくれますし、します。わたしからも」


 世の中の夫婦はそうではないのだろうか……もしかしてわたしたち、変なの?


「じ、じゃあ、夫婦の(ねや)が少ないとか、下手とかは!?」

「ええええっ!?」


 あまりにも明け透けな質問に、わたしは目を丸くした。そんな話はプリシラともまともにしたことがない。

 貴族の女性でも、仲の良い友人同士なら当然する話なのかしら……。


「あ、えっと、その……大満足です……」


 何をもって上手いか下手かを決めるのかは分からないけれど……指の一本もまともに動かせなくなるくらいにとろとろにされて、抱きしめられながら優しいキスの雨を浴びて眠りに落ちるとき、女性に生まれて良かったと心から思える。

 それに普段はどっしり構えているディオンが前髪を汗で額にぴったり張り付かせて、余裕のない表情を浮かべている姿も色気がものすごくて……って、さすがにこんなことは他の人には言えないわ。

 それにしてもどうして急に皆、ディオンへの不満を聞き出そうと必死になっているのだろう。せっかくのお菓子も、美味しさが失せてしまうような気がする。さっきみたいに楽しい話がしたいのだけれど……。


「……ねえエリッサ、あなたも何か言いなさい。婚約者の不満、あるでしょう?」


 ミランダがエリッサに声をかけた。そういえば、先ほどまでは楽しそうにお喋りに参加していたのに急に黙りこくってしまっている。


「あ……」


 エリッサは大人しそうな女の子だ。水色のドレスに身を包み、ゆるく波打った栗色の髪を下の方で結い、ドレスと同じ色のリボンでまとめている。


「あの……婚約者は、ニコラは……いつもふざけてばかりで、わたしが悩んでいても、全然気にもとめないで変なことばかりして……困るんです……」


 性格があまり合わないのかしら――そう思いかけたけれど、うつむきながらぽつぽつと話すエリッサの姿に、何だか違和感を覚えた。わたしは勘が鋭い方ではないけれど、無理をして心にもないことを言っているような……?


「エリッサ、間違いだったらごめんなさい。無理してない?」


 彼女の姿があまりにも切なく見えて、わたしは思わずそう問いかけてしまった。エリッサがはっと顔をあげる。


「あ、あの、わたし……」

「わたし、あなたの婚約者さんのことは何も存じ上げないけれど……エリッサは、その方のそういうところが本当は好きなのではないかという気がして……」

「セシーリャさん……」


 エリッサはそれきり黙って、またうつむいてしまった。周りを見回すと、ミランダもブランディーヌもカロリナも、怒っているのか呆れているのか、信じられないといった顔でわたしを見ている。


――もしかして、変なことを言ってしまったのかしら


 背筋がすっと寒くなる。大魔術師として、思ったことを何でも口に出さないよう自分の発言には十分に気を付けているつもりだったけれど、エリッサの姿が見ていられなくて……でも、わたしの発言のせいで一気に楽しいはずの場が凍り付いてしまった。

 どうしよう、ディオンならこういう時どうするかしら。できるなら今すぐこの場から逃げ出したい――


「失礼致します」


 重苦しい空気が漂っているところに、一人の使用人が入ってきた。わたしの隣にやって来て、姿勢を低くする。


「セシーリャ様、旦那様がお見えですが……」

「すぐに行きます!」


 反射的にがばっと立ち上がってしまった。ディオンが迎えに来てくれた。彼も別の場所でおもてなしを受けていたはずだけれど、もうお開きになったのかもしれない。


「あの、わたしのせいでご迷惑をおかけして申し訳ありません。夫が来ましたのでここで失礼致します。楽しかったです。ありがとうございました!」


 話し相手になってくれた彼女たちにできるだけ丁寧に礼を述べた。わたしのために設けられた場ではあるけれど、これ以上いても雰囲気が悪くなるだけだろう。ここから先は、わたし抜きで楽しんでもらった方がいいはずだ。

 使用人の後に続いて部屋を出て行く。残された貴族たちの会話が耳に入ってきた。


「どうしましょう、叱られちゃうわ……」

「羨ましい、わたしだって……」

「……仕方がないわ。あちら側に賭けましょう」


 一体、何の話かしら。気にはなったけれど、足は止めなかった。


***


「ディオン!」


 屋敷のエントランスまで戻ると、ディオンがそこにいた。


「セシーリャ、そんなに慌てて……大丈夫か?」

「……その、わたしのせいで空気を悪くしてしまって……これ以上長居するとご迷惑になってしまうわ」


 肩を落とすわたしに対しディオンはそれ以上深く聞いてくることはなく、優しく頭を撫でてくれた。


「気にしない方がいい。どれほど優れた人でも、いつだって上手くやれるとは限らないものだ……実は俺も上手く馴染めなかったものだから、こうして抜けてきた」

「ディオンもなの?」


 彼はものすごく人当たりが良くて、従士たちの間ではすっかり人気者なのに……やはり、貴族というのはなかなか難しいのかもしれない。いつも仲良くしてくれるプリシラの優しさが染みる。


「後は二人でゆっくり過ごそう。やはり、俺はセシーリャといるのが一番楽しい」

「そうね、わたしも同じ。ディオンと一緒にいるのが一番幸せだわ」


 やっぱり不満なんて抱けない。最高の旦那様だ。

 彼と揃って屋敷を後にし、あとは二人きりの時間を満喫することにした。

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