マミー・ブラウンは神秘なる色を深め、白き花を咲かせ永久に愛す。
家紋武範様主宰の「夢幻企画」参加作品です。
祖父の家の玄関に飾ってある、小さなフレスコ画。
その絵は初めて目にした時から、私を魅了していた。何処かの貴族の子供らしい少年が、何か花を一輪手に持ち描かれている作品。
名もない画家の作だよ、時代だけが値打ちかな。手にした花は修復は無理だったと、訪れる度にその絵を飽きることなく眺める私に絵画に詳しい祖父が、チラリと教えてくれた。
私は物心ついたときから、ブラウンが濃い陰を持つ、その絵画に心を奪われていた。金の巻き毛、フリルのブラウス、チュニックを着込む上半身、椅子に座り、カサカサにひび割れ、姿が分からぬ花に唇を寄せる様なポーズを取る、碧眼薔薇の頬の少年。
「そんなに気に入っているのなら、そうだな、私が死んだら受け取ってくれる?」
そう祖父に言われたのは、高校卒業の年のお正月。皆が集まるリビングから離れ、相変わらずその絵画を眺めていた時に、私を探しに来た祖父にこっそり囁かれた。
「でもいいのかな、マミーブラウンは、ファラオの色だよ」
謎解きの様な言葉。
「ファラオ?」
「そう、……。昔ね、この絵が描かれた時代には、墓を暴き取り出したミイラからこの色を創り出したそうだ。怖くないかい?」
ミイラ……、私はその時、包帯のグルグ巻きのソレを思い浮かべた。少しばかり怖かったけど、マミー・ブラウンの名前がそれを和らげる。愛らしい男の子の肖像画からは不気味な空気は感じ取れない。
「大丈夫、怖くない」
そう答えた。そして約束通り成人式を迎えた早春、祖父の形見としてその小さな絵画は私の物となった。悲しくて嬉しかった。大学近く、独り暮らしのワンルームマンションに帰り、早々にベッド近くの壁に飾り、祖父を偲んだ。
――、眠りについた。
「アイシテイル」
そう声。ええ。と『ワタクシ』が答える。それに私はとろりとした温もりと愛を感じた。
「アイシテイル」
ああ、これは夢。薄らぼんやりと目覚めている頭の一部がそう教えてくる。きっとあの絵画と話している。きっとそう……、『ワタクシ』と私は同じ。嬉しくなる。
――、目が覚めた。
暗い空間。寂しさと空虚が私を包む。携帯を開いて見ればまだ夜更けの時刻。願いつつ急いで瞼を閉じる。
――、眠りについた。
「ワガクニに咲いたうつくしき花。我ガ妃」
声が私の中をかき混ぜる。耳に砂塵の音。妃とは?あの絵は貴族の子供らしい姿で王族では無いというのに。意識が疑問を引き出してくる。夢だからあり得る事?私の中のワタクシが、何か話しているが遠くなる。
――、目が覚めた。
虚ろな空間。悲しさと侘びしさと後悔が私を染めていく。ここは知らぬ世界。ワタクシの居るべき場所では無いとうすら寒い身の内が囁く。ぎゅっと固くかたく目を閉じる。
――、眠りにつけない。
ジンジンキリリと胸が痛み、胎児の様に身体を折る。肌に乾いた風の熱を感じる。夢?幻?目を薄らを開けば、私は一体何を見ているのだろう。
そこは誕生日を祝う大広間、踊る女奴隷の姿、壺に入った麦酒に芳ばしく焼いた肉、イチジクや献上された数々のご馳走。金とエメラルドを飾るワタクシ。隣に座るは契約により夫となったこの国の王。
「ソナタの事を愛しているぞ」
王と王妃として結ばれたワタクシ達だったが、心が通じ愛され愛している絆。夢か幻なのか、香油の香りが鼻孔をくすぐる。『ワタクシ』として、生きていた世界を私は見ている。
ピピピ!ピピピ!
ガクンとひとつ大きくゆさぶられた。消え去る幻影。アラームに急かされ、私はもぞもぞと布団から這い出た。朝が来ていた。空っぽな感じで、うそうそと現実へと覚める。
……、あの絵をずっと眺めていたい、あの少年の絵を。心を射抜き魂を奪われる、魔法がかけられているような、妖しい魅力を放つ絵画。
側近くに飾るようになり、以前より深く魅入られた私。外で用事をしていても、食事をしていても、ベランダで洗濯物を干していても、リモート授業を受けていても……、
濃いブラウンが多く使われ、描かれている少年の絵に捕まっている。我に戻るとベッドの上でぼんやりとそれを眺めている事が多くなったある日。
――、気がつく。
私の中を占めている世界は、この深く浅く濃く濃いブラウンだということに。
マミー・ブラウンの色という事に。見つめる視線の先は少年ではなく、その深く濃く浅く塗り込められた陰影の部分だと言うことに。
「愛している」
空耳が聴こえる。
「アイシテイる」
幻聴が聴こえる。
「愛している」
夢の中の声がする。
ワタクシは彼の妃であり妻。そう頭の中で声がする。
「このブラウンはファラオだよ」
祖父の声。ああ……、そう、ワタクシは貴方より先に、病に伏して逝った。共に王国を繁栄させようと誓ったのに。頬を伝う涙と共に記憶が滲み出てくるのは、白昼夢なのだろうか。
「さあ、口づけをして」
うつつの中の深い声が生き生きと聴こえる。ふらり、キシリ……、私はベッドの上に膝で立つ。そのまま絵に近づく。そろりと指でなぞるマミー・ブラウン。
指先から感じる脈打つ熱が、『ワタクシ』を引き出してくる。
――、時を越えても、姿が変わっても貴方様の御霊は、姿形が変わりあの頃と違いみすぼらしい、異国の成りしたワタクシを見つけ出してくれた、嬉しい。
「永久に生きよう、我が愛しい妃」
はいと答えた。遠くで聴こえる声は、私ではない、だけどワタクシの感情はとてもリアルで、私の心の中も頭の中も再会の歓びに満ち溢れてている。
だから夢ではない現実。そのまま引き寄せられる様に私は……。
……「ここ数日、連絡が取れないのです、娘は誰にも何も言わずに旅行等行く事はありません。必ず家に泊まり先を連絡してきていました」
「玄関には鍵がかかってましたよね、窓にも鍵。ふーん……、何かお気づきな事は?単なる家出とか」
そんな!娘に限ってありません。行方不明となった娘の部屋で話し込む、警察官と青ざめた顔をした彼女の両親。
きちんと整頓された部屋。
対して干しっぱなしの洗濯物。
少しばかりシワが寄る掛け布団。そのベッド近くの壁には、一枚の時代を重ねたフレスコ画。
あどけない少年が純白の薔薇の花を一輪、唇に寄せて微笑む絵画。濃く濃い茶色の影色が多く使われている。
マミー・ブラウン。アンバーとローアンバーの中間色にあたる、アスファルト質で濃い茶色の顔料。過去にはファラオの墓を暴き、海を渡り運ばれ創り出された神秘の色。
居なくなった娘の事ばかりの両親。ただの家出ではと警察官。誰も見向きもしない壁に掛けられた絵画。かつて修復不可能とされた花が美しく咲き誇っていた。
そして……、少年が手に持つ純白の薔薇を輝かす様に、濃く淡く様々な濃度で使われているマミー・ブラウンは、ひそりと絵の中で秘めし色を深める。
愛する妃にようやく巡り逢った王は、より濃く色を深め、愛しの妻を永久に包み込む。
終。
お読み頂きありがとうございます。
お正月に書き上げて、さあ!だそう……。( ゜д゜)ハッ!
ジャンルがどこなのか悩み、今日の投稿になったのです。ジャンルって難しいですねえ。