酪農民にならなかった俺と一杯の牛乳
――地元を離れて今年で十二年になる。
夢を見て、夢に挑み、夢破れて、それでも夢を引きづっている現在。
バイトを掛け持ちしながら、俺は東京で音楽活動を続けている。
地元の友だちと作ったロックバンド。自分たちは特別だと信じて上京して、二年で解散した。
しばらくソロで活動しながらまたメンバーを集めて、ずば抜けた才能のボーカルを得た。でも今度はメジャーデビュー直前でのボーカルの脱退。……当然、デビューの話は流れた。
そんなことを繰り返して、通算5グループ目のバンドもこの間のクリスマスライブで解散してしまった。
結成するバンドメンバーはいつしか俺よりも若い奴らばかりになって、俺はおっさんと呼ばれていた。
――今年ももうすぐ終わる。
俺は一人、コンビニで牛乳を買って家路を急ぐ。
吐息が白く濁り、冬の空へと消える。
――実家には一度も帰ってない。
実家は酪農家だ。五十頭の牛を飼っている。
毎日休むことなく牛たちを世話する。朝夕の搾乳、エサやり、牛舎の掃除、子牛の育成、牧草の収穫……病気や出産となれば寝られない。
そうやって育ててもらったことを知っていたのに、俺は全てを放り投げて出てきた。母さんは「がんばっておいで」と笑い、父さんは何も言わなかった。
家族と離れ、孤独を知った。
守られていたことに気付かされて、どうしようもなく泣きそうな時に俺を救ってくれたのは、一杯の牛乳だった。
だから俺は一つだけ決めていることがある。
『年の初めには必ず牛乳を飲むこと』
年越しをどんなに仲間とバカ騒ぎしても。一人で過ごす寂しい年も。恋人と別れて泣きながら越す年だって。
――きっと、両親は今朝だって乳しぼりをする。
牛乳を選ぶときは必ず大手のメーカーのものにする。
牛乳は酪農家ごとには売られない。混ぜられてまとめてタンクローリーに載せられて船で運ばれる。どこのメーカーに下されるか分からないから、せめてその一滴が入っている可能性の高い大手のメーカーを選ぶ。
――成功して帰るから待ってろよ。
そう言ったかつての自分をまだもう少しだけ信じたいから。
「いただきます」
家族と繋がる一杯の牛乳を飲む。
「……美味い」
冬の味がする。
きっと今年も北海道は寒いんだ。
故郷に想いを馳せて、俺は飲み干したコップを置いて手を合わせる。
「ごちそうさま」
微笑んで、ギターを握る。
また今年も一からのやり直しだ。
――これが、酪農民にならなかった俺の新しい一年の始め方。
牛乳に関係するすべての方に感謝をこめて。