141. パーティの裏側で
ユリアンはパーティに参加させてもらっていた。
セントラル学園の卒業生でもあり、良くも悪くも有名人であるものの、生徒たちが近寄ってくる気配はない。
「あなたも怖がられてるのね」
隣に立つファラが、からかうように言ってきたのを、ユリアンは意図的に無視する。
「あらら、つれないねー。せっかくのパーティなんだから楽しみましょう?」
ファラは妖美に笑うと、優雅にグラスを持ち、赤ワインを口に含んだ。
そして、口の中で味わい、艶めかしい表情で「美味しい」とつぶやく。
彼女の仕草を見ていた数人の男子生徒が、見惚れ、顔を赤くした。
大人の魅力をあえて見せつけ、生徒で遊ぶファラに、ユリアンはため息をつく。
「爺共と違って、ここには純真な子が多くて助かるわ。若いっていいね」
男漁りを始めるファラに、ユリアンは呆れ、ごくりとコップの水を飲み干す。
そして、近くのテーブルにコップを置いた。
「でも、どの子も未熟ね。まだまだお子ちゃま、全然美味しそうじゃないわ」
「今日は任務で来ていますので、節度を保った行動をお願いします」
「えー、嫌よ。だってここには、将来有望な子がたくさんいるじゃない。青田買いしたいじゃない」
「いい加減にしてください」
ユリアンは先輩であるファラにピシャリと言い放った。
気を抜いているように見えるファラだが、その実、彼女が自然体を装いながらも、注意を払っているのを、ユリアンは知っている。
くだらない話をしているようでも、彼女は魔導団に所属するエリートなのだ。
ユリアンとファラは、さりげなく周囲を伺い、怪しい動きがないかをチェックしていた。
すると、
「動いたわ」
先程の呆けた声から一転、ファラがユリアンに囁いた。
「行ってきます」
「大の方?」
「いや、小です」
ユリアンはくだらない会話をした後、目的の人物――レン・ノマールの後を追って動き出した。
会場を出たレンを、ユリアンはこっそりと追跡する。
レンはホールと高等部を繋ぐ渡り廊下を移動し、高等部の校舎に入った。
そして、レンはスタスタと迷いのない足取りで、校舎の中を進んでいく。
時折、レンが周囲を確認する素振りをみせるが、ユリアンは陰魔法で気配を消しているため、そうそう気づかれることはない。
しばらく、ユリアンは息を潜めながら、レンを追いかけた。
高等部の校舎を進んだ先、さらには、旧校舎に入った矢先、ふと、レンが廊下の角を曲がった。
まるで、その場から忽然と姿を消したように見え、ユリアンも後を追おうとする。
しかし、角を曲がろうとしたが、そこは行き止まりだった。
そこには1人分入れる窪みがあるのみで、見間違えだろうか、と彼は頭を捻らせる。
だが、確かにレンはここに入っていった、とユリアンは自身の記憶が正しいことを確かめ、魔道具、もしくは魔法陣による隠蔽魔法を疑う。
彼はポケットから銀色の小さな箱を取り出す。
箱を開けると、中には墨のような、液体が入っていた。
これはユリアンの魔力を込めた魔石を、液状にしたものであり、魔液と呼ばれている。
ドロドロとした魔液を指につけて、彼は壁にバツ印を描く。
すると、その直後、魔液が黒いシミのように壁全体に染み渡っていく。
最終的には壁全体に広がったシミを見て、「あたりだね」とユリアンは呟く。
次の瞬間、突如、壁が消えた。
ユリアンが得意とする陰魔法、その特性の1つに、魔力干渉がある。
例えば精神破壊魔法だが、あれは他人の魔力に干渉することで、精神を乱す魔法だ。
ユリアンの魔力が籠もった魔液も、同様に、他人の魔力に干渉できるため、魔法陣や魔道具の効果を打ち消すことができる。
今回の場合、隠蔽魔法によって作られた壁が魔液によって強制解除された、とういうことになる。
消えて無くなった壁の先には、廊下が続いていた。
ユリアンは陰魔法で、より一層気配を殺しながら、足音を立てずに歩く。
すると、美術室、と書かれた札が見え、その教室の中から声が漏れ聞こえてきた。
ユリアンはこっそりと会話を聞くために、美術室に近寄ろうとした、その瞬間、ぞわりと肌が粟立つ。
直感が警鈴を鳴らし、同時に彼は横に飛びのいた。
すっとユリアンの頬に一筋の切り傷ができ、直後、腹に強烈な痛みが走った。
「あ……うっ……」
何者かに蹴り上げられ、一瞬息が詰まる。
口をパクパクさせながら酸素を求めるが、しかし、思考は冷静のまま、ユリアンは魔力を練る。
そして刹那、全身から魔力を発散し、周囲を暗闇で埋め尽くした。
声を出すことができなく、敵に接近を許された状態。
そんな中、彼が一瞬で考えた最適解が、無詠唱による暗闇を作り出す魔法だった。
暗闇であっても、周囲に発散した魔力が、相手の居場所が教えてくれる。
身体強化を使い、ユリアンは敵対者に向かって、右拳を突き出す。
しかし、その拳は宙を裂く。
彼は追撃し、右拳、左拳、さらには足を使って攻撃を繰り出す。
ことごとく避けられ、相手がそれなりの実力者であると、短い時間で悟る。
暗闇は次第に薄れていき、相手の姿がわかると、ユリアンは驚嘆した。
敵対者は彼の良く知る人物――ファラだったからだ。
驚きの余り、彼は一瞬だけ思考が途切れる。
次の瞬間、ユリアンは、べちゃっと水たまりに足を踏み入れた。
彼は、しまった……、と内心で悲痛の声を上げた。
ファラは水魔法の使い手であり、ユリアンの踏んだ水は、ファラの魔力によって生成されたものだったのだ。
すぐに、右足を持ち上げようとするが、水が彼の足に絡みついてきた。
ユリアンは、ほんの僅かの時間だけ、動きを制限されてしまった。
「水牢」
ファラは一瞬のスキを見逃さず、水魔法を発動した。
すると、水たまりが浮き上がり、ユリアンは呼吸すらできないほどに全身を水で覆われ、完全に動きを封じられる。
「……ぅぁ……」
コポコポと水の中へ、口から空気が漏れ出す。
それを見たファラは「あはっ」と笑った。
「だめね。ちゃんと周りには気をつけなさい。これは先輩からのアドバイスよ」
ファラは水中に閉じ込められたユリアンを、正面から見据える。
ユリアンは体内魔力を練ろうとするが、魔力操作が全く思い通りにできなかった。
「うふふ、無駄よ。いま、あなたは私の魔力に漬かりきっているのよ」
ファラは妖艶な笑みを浮かべて説明する。
この水牢に閉じ込められた者は、魔力の過剰摂取による魔力中毒状態になり、そして数秒後にはファラの魔力によって全身を犯され、狂乱状態に陥る。
豊富な魔力量を誇るファラだからこそ可能な魔法であり、凶悪な技だ。
ユリアンは何か話そうとするものの、ごぼごぼと空気が漏れ出る音しかしない。
完全にファラの手中にある状態であり、一見すると絶体絶命のユリアン。
しかし、彼にはここから抜け出す策がある。
彼はポケットに手を突っ込み、そして、指で小さな箱の蓋を器用に開けた。
その瞬間、箱の中の魔液が漏れ、ユリアンを閉じ込めていた水を、黒く塗りつぶしていく。
一秒も満たない間に、水は真っ黒になり、そして弾けた。
ユリアンは水から解放されるや否や、窓に向かって駆け出す。
ファラはユリアンの行動に驚き、すぐに追いかけるものの、一歩遅かった。
ユリアンが窓の外に飛び出した直後、ファラは窓の外を確認するが、そこにはすでにユリアンの姿はなかった。
「あーあ、逃げられちゃった」
気配を消すのが上手いユリアンを探すのは、容易ではない。
彼女は自身の失敗を嘆くものの、大したことない、とすぐに気を取り直す。
「探さなくて良いのですか? 私達の計画に邪魔になると思いますが」
ファラの後ろから、いつの間にか立っていたレンが尋ねる。
計画、という明らかにきな臭い話に、ファラは眉をひそめるわけでもなく、
「大丈夫よ。一瞬とは言え、水牢に閉じ込めたんだもの。当分は魔力中毒でまともに魔法を使えないわ」
と言った。
レンは「それならいいのですが」と頷く。
「ところで扉は開けられたの?」
「ええ、もちろんです。あとは生贄を用意し、祭壇に捧げるだけです」
「ナタリー・アルデラートね。彼女は昨日の戦いで消耗しているから、捕まえるのは簡単だわ。しくじられないでね」
ファラがそういった振り向くと、レンの横には黒帽子の男がいた。
「そのための準備はしてきましたよ」
深く被った帽子の中で、男は薄く笑う。
そして、死んだような瞳のモネと、ワクワクの表情を浮かべたジャックが美術室から出てきた。
「ああ、斬りたいなぁ」
ジャックの言葉に、黒帽子の男は人差し指を唇の前で立てる。
「焦らないでください。獲物はたくさんおります」
黒帽子の男は、全員に視線を配りながら、仰々しく両手を広げた。
「さあ、あの方の復活はもうすぐです。全てを壊し、再生する、新時代の幕開けといきましょう」
光悦とした笑みを浮かべる者、無関心を貫く者、狂気に口を吊り上げる者など、反応は様々だ。
黒帽子の男は、満足そうに頷く。
回帰集団の中でも指折りの実力者たちが、一堂に会した。
サンザール学園では、今まさに、何かが起ころうとしていた。




