私を愛さなくていい
ナターシャとロメリオのその後……みたいなもの。
突発的に降りてきたのでワンシーンのみの切り取りみたいなお話で申し訳ないです。おまけくらいの軽い気持ちでお読みください。
「君を愛することはない」
そう言われて始まった結婚生活は、案外幸福なものだった。二人の子に恵まれ、すくすくと育っていく彼らを見ているだけで充分幸せだ。それをもたらしてくれたのは旦那様であるロメリオ様で、感謝こそすれど恨みなどあるはずもない。
「……あの、だな」
妙に神妙な面持ちのロメリオ様が、何故かもじもじ、もごもご、挙動不審な様子で私の前に突っ立っている。その横にはまだ幼い娘が立っていて自分の父親を肘で小突いている。なんとも言えない光景だ。一応行儀が悪いと叱るべきだろうか。しかし何か、言い出しにくいものがあった。
「ほら、おとうさま! しっかりなさって!」
「あ、ああ。わかっている、だから急かすな……」
俺にも準備というものがあってだな……、とかなんとか仰っているようだが。一体なんだろう。内心首を傾げる。
「な、ナターシャ」
「はい、なんですか?」
「君にちゃんと言わねばならないことがある」
本当に改まって一体なんだろう。よほど重要なことを言われるのだろうか。
……そういえば、前にもこんなことがあった。あのときは突然「すまなかった」とだけ言われて、「なんのことでしょう」と尋ねたら「いや、もういい。君が気にしてないのなら」と言われて会話が終わってしまった。
気にしないも何もなんのことを言っているのか本当にわからなかったから聞いたのだが、ロメリオ様にしてみると惚けているように聞こえたらしい。
「前にも同じようなことを言ったと思うが君に上手く伝えられなかったから、もう一度言わせてくれ」
どこか緊張したような様子でこちらを伺っているロメリオ様。節ばった手を固く握りしめ一度、深く腰を折った。
「結婚してすぐ、俺は君に酷いことを言った。謝らせてほしい。すまなかった。決して言っていい言葉ではなかった。遅くなってしまったが、本当に申し訳ないと思っている」
「……えっと、それは。もしかして」
「……ああ、あの夜のことだ」
──あの夜。初夜の日のこと。
クラウス兄様にだけ伝えたはずのその顛末は何故かきょうだい全員が知るところになり女きょうだいたちから「なんてことを!」と怒りを承り「辛かったらいつでもいいなさい。姉様がどうにかしてあげます」という謎の圧力を感じる手紙を長女リュドネからもらい、男きょうだいたち(クラウス兄様除く)に震撼を与えたあの一件だろうか。
あれが酷い言葉だとは思わなかった私の意識を変えたのは、きょうだいの言葉だった。
「貴方は愛される資格があります。愛する資格も。だからそんな言葉を鵜呑みにしてはダメよ」
言われてすぐはよくわからなかった。
愛とか、恋とか。好きとか、愛されるとか。自分にはいつも関係のないものだと思っていた。似合っていないドレス並みに。だからその言葉も自身のこととして感じることができなかった。
けれど、私はそのうちに子どもを持ってはじめて愛しいを知った。そして子どもを持ってはじめて愛されるを知った。彼らから与えられる「愛しい」という感情。自分から与える「愛しい」という感情。不思議なものでそれらはお互いを思えば思うほど増えていった。
その時思ったのだ。本来ならば自分の夫であるロメリオ様とも、この相互交換が必要だったのだと。でも彼は私を求めなかったし、私もそれでいいと諦めてしまった。愛などなくても生きていけると思っていけたから。
愛などなくても生きていける。生きてはいけたが、愛があればなお幸せに生きることができると私は知らなかったから。
私を愛さなくていい、と、ずっとそう思っていた。
でも、ロメリオ様はそれを謝られた。
「ロメリオ様、それは、何に対する謝罪なのでしょうか」
つい、思ったことが口から零れた。
愛はないはずだったのだ。だったら何故それを謝るのだろう? 愛する努力をしなかったから? 愛すべきものと思わなかったから? そのどれもがロメリオ様にとっての真実で、その点では間違ってはいなかった。だから別に謝る必要なんてどこにもないだろう。
「君を、傷つけたと思ったんだ。愛さないなんて、愛される人間じゃないと言っているようなものだと。君はそんな人じゃなかったのに」
私は、傷ついたのだろうか。
ふと足元にいたはずのミリアがいないことに気づいた。ソファーにいたはずのロナルドもいないので気の利くあの子は妹を連れて外に出たようだ。ここからは大人の話し合いだと知って。
「……いいえ、ロメリオ様。私にはきっと愛される資格がなかったのです」
愛し方も知らない、愛を信じていない女だったのだから。
「だから、謝る必要なんてないのです」
そういうとロメリオ様はひどく悲しい、苦しいという表情をした。
「ナターシャ、それは違う。やはり俺が間違っていたんだ。君は愛されるべき人だし愛すべき人で、オレの愛しい人だ」
「…………え?」
「君は、もはや俺にとってはなくてはならない人だよ。君にとってそうではないと知っているけど、だから俺は何にせよ君に詫びねばならないんだ。俺は嘘をついたのだから。君を愛することはない、なんて。真っ赤な嘘だった」
すとんと、腑に落ちる。
そうか、私はやっぱり心のどこかで傷ついていたんだ。ちゃんと愛を相互交換したかったのか。
──私は、彼に愛されたかったのか。
「……そうだったのね」
小さく呟いて、私は私に納得する。相変わらず、白皙の美貌を神妙な表情で固めている無二の存在に私は微笑みかけた。
「じゃあ、これで手打ちにしましょう」
バチィン!! 扉の向こうで小さな兄妹は、何かが破裂するような音を聞いた。慌てて部屋に入ったその先に、頬を赤くしているのに何故か満面の笑みの父親と、静かに微笑む母親を見たという。
「ねえ、おにいさま。おかあさまたちはあれで仲直りできたの?」
「うーん僕にもなんとも言えないけど、父様嬉しそうだし、仲直りできたんじゃない?」
「そっか! よかった」
「……ミリアは良い子だね」
ロナルドは少しぎこちないが笑い合う両親を見て、なんだか嬉しいようなあれでいいのだろうかと思うような複雑な気持ちになった。けれど、これからも二人がぎこちなくも笑い合える家族でいられればいいと願うのだった。
時系列は死んだので矛盾点とか目をつぶってください。ご指摘は承りますが、改善できるかはあまり自信ないです。
ご読了ありがとうございました。