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お好み焼き屋『きのみ』(1)

 梅雨が明けると夏が始まる。夏を日焼け止め、服装、冷やし中華、空の青さなどで実感し始めると、カレンダーは八月になっていた。

 佐々木さんとは、予定が合えば一緒に飲みに行っている。

 涼太も定期的に佐々木さんにいろいろ話を聞いているらしい。時々、三人で食事をすることもあった。

「で、佐々木さんとは、今どんな感じなの?」

 久しぶりに仕事帰り、加絵と夕飯をいつものファミレスで食べている。

 加絵には佐々木さんと初めて会ったときのことはすべて報告済みで、電話やメール、そしてこうやって会うたびに現状況を常に聞いてくる。

「どんな感じって、いつも通り」

「相変わらず、ただご飯食べてるだけなの?」

「うん」

「うんって。ねえ、あんな素敵な人が近くにいて、恋愛感情とか持たないわけ?」

「別に」

 加絵は呆れた顔をして、海老フライを食べ始めた。無心で、海老フライを食べているせいで、三本あった海老フライが一本になり、海老フライ定食がご飯定食になりそうだった。

 そんなふうに思ったのを知ってか知らずか、私のコロッケ定食のコロッケを一つ奪われてしまった。

「なんか二人の話を聞いてると、口約束してない高校生カップルみたい」

 なにを言っているのかよくわからなくて「どういう意味?」と聞き返した。

「だから、よくいるじゃない。傍から見れば付き合っている風にしか見えないのに、本人同士は友だちですって言っているカップル。恋愛の自覚症状がないもの同士が一緒にいるのも厄介ね。特に大人になると」

 私から奪ったコロッケを半分に切りながら、加絵は盛大なため息を吐いた。

「本当に恋愛感情はないんだよね。涼太と三人で食事をしても別に違和感ないし。昔からの友だちみたいな感じなんだよね」

「ふーん。でも、大人になるとはっきり付き合いましょうって言って、付き合い出すことも減ってくるし、なにかのきっかけとか流れとかで、宏実か佐々木さんかが恋人ですって言った時点で、なんとなく付き合いだしそうだよね」

「そんなことは起こらないよ」

 加絵は「そう」とだけ言った。この話を続けてもしょうがないと思ったのか、最近見かけたイケメンについて熱く語りだした。

 イケメン探しは加絵のマイブームだ。仕事が楽しい今、もう彼氏はいらないと突然言い始めた。ついこの前までは彼氏がほしいと嘆いていたくせに。その代わり、目の癒しとしてイケメンを眺める。これが楽しいらしい。

「イケメンもいいけど、じっと見すぎて変態に間違われないようにしてよ」

「そこは大丈夫よ。イケメンよりも遠くを見つめているふりをして、視界の端にイケメンを入れる。こうすると視線が外れるから問題なし。それに長時間じっと見ているわけじゃないから」

 それからも加絵はイケメンの話が止まらなかった。

「そうそう、プランナー内で涼太君のこと、未だに話題になるよ。年下で、礼儀正しくって、真面目な好青年。顔もいいよねって。あんないい子が弟って羨ましいとも言ってるね。私もびっくりしたよ。宏実が長身の爽やか好青年とロビーで話しているのを見たときは」

「それ、まだ言うの? 私にはただの小生意気な弟でしかないけど」

 あのブライダルショー以来、時々、弟がイケメンという話題がよく振られる。身内として悪い気はしない。ただ対応に困る。

「宏実の周りって、何気にイケメン率が高いよね。佐々木さんに涼太君、それに元彼。私のこと面食いってよく言うけど、宏実だって人のこと言えないじゃない」

「いや、たまたまだから。それに弟を混ぜないで」

「ええ、イケメンだよ、弟君」

 加絵の飽くなきイケメン探求は当分続くのだろう、と思った。

 食事が終わり、スマホを見ると佐々木さんからメールが来ていた。いつも通りの夕飯のお誘いだった。

「宏実、なんか嬉しそうにスマホ見てるね。誰からのメールかな?」

「内緒」

「内緒ですか。ま、誰かは予想つくけどね」

 加絵はカプチーノを飲みながら、生温かい視線を送ってくる。それを無視して、佐々木さんにメールの返信をした。

「今度もどんな感じだったか聞くね」

「はい、はい。そろそろ帰ろうか」

 割り勘にして、加絵がお会計を済ませてくれた。

「ああ、美味しかった。じゃ、私はこっちだから」

「加絵、駅行かないの?」

「今日は疲れたからタクシーで帰る」

「うわ、リッチ」

「たまにはね」

「じゃあ、明日も一日頑張りましょう」

「オー」と軽く左手を上げた加絵は、そのまま手を振ってタクシーを停めた。

「じゃあね」

 私も手を振り返して、駅へ向かった。こうやって、美味しいものを食べて、しゃべる。それが私たちのやる気の出し方だ。学生のころと大して変ってないと思うけど、これが一番なんだからしょうがない。


「杉山さん、疲れてる?」

 今日はカウンターで並んで座っている。私と佐々木さんが偶然再会した場所、居酒屋びーだまに来ている。あのときと同じ所に座っている。

「今、ちょうど夏休みでしょ。家族連れのお客様が増えるんだよね。だからファミリー向けのイベントや特別プランがあって、普段とはちょっと違った仕事が増える時期で。それで疲れが出てるのかも」

 佐々木さんとコンスタントに会っていることで、指令を難なくこなし現在は敬語を使っていない。疲れていようが、テンションが高かろうが、敬語が出てくることはもうない。

「そっか。こんなとき、誘っちゃって悪かったかな」

「ううん。逆に誘ってくれて有難いよ。仕事終わってアパートに帰ると、なにも食べないで寝ちゃうこともあるから。それはさすがに体に悪いしね」

「寝るのも大事だけど、食べることも忘れないようにしないとね」

「うん」

 ビール専門の居酒屋でありながら、明日のことを考えてウーロン茶で美味しいつまみを食べている。

 佐々木さんも最初は遠慮して、ウーロン茶を頼もうとしていたけれど、私のことは気にしないでと言ったら、少し申し訳なさそうにビールを頼んだ。

「佐々木さん、犬、描いて」

 私は自分の鞄からメモ帳とボールペンを取り出して、テーブルに置いた。

 不思議そうな顔をしながら箸を置いて、ボールペンを持った。

「犬だよね」

「うん、犬」

 佐々木さんは数秒でかわいい犬のイラストを描いてくれた。

「かわいい」

「ありがとう。どうしたの?」

 私は佐々木さんの手からボールペンを抜き取って、かわいい犬の横にもう一匹犬を描いた。

「これなにに見えますか?」

「犬、なんだよね?」

 メモ帳を見て、私の顔を見て、佐々木さんが言った。疑問形で聞かれている時点で、これは犬ではないのだろう。

「やっぱり犬に見えないんだ。じゃあ、なにに見えるの?」

「お地蔵さん」

「お、お地蔵さん? どこが?」

 丁寧にも佐々木さんは私が描いた犬に指さしながら説明してくれた。

「まず、ここが顔だよね」

「うん、それは顔」

「次にこれが耳だと思うんだけど、なんで小さく真横についてるの?」

「これはミニチュアダックスフンドだから。耳垂れて横あるから」

「それにしても耳が小さすぎるよ。それからこれが体。ミニチュアダックスフンだから胴が長いんだよね。なんでお尻をつけて前足を上げた状態の絵にしたのかな?」

「その方が簡単だと思って」

「そうなんだ。で、この犬のイラストでなにかあったの?」

 佐々木さんのその質問に一部始終を説明した。

 仕事中に迷子のお子さんを見つけて、親御さんが見つかるまでの間、私が相手をしていた。

「お姉ちゃん、お絵かきしよう」

 その子は自分の鞄からお絵かき帳と色鉛筆を取り出し、私の膝に置いた。

「なんの絵を描こうか?」

「犬!」

「犬が好きなの?」

「うん、犬大好き」

「そっか。じゃあ、一緒に描こうか」

 それぞれがスケッチブックに犬の絵を描いた。

 そして私の絵を見た瞬間、その子にこう言われた。

「お姉ちゃん、これなに? おばけ?」と。

 話し終わると、佐々木さんは一生懸命笑わないようにしていた。

「好きなだけ、笑っていいよ」

「い、いや。大丈夫」

 ビールを飲んだ佐々木さんは、メモ帳を次のページに捲り、なにかを書いた。

「はい、練習しよう」

「うん?」

「イラストの練習。デッサンや水彩画、油絵になると、すぐに上達するのは無理だけど、イラストならそれなりに描けるよ」

「そうなの。犬がおばけやお地蔵さんみたいでも」

「うん。コツを教えてあげるよ。これでもデザインのプロだよ。はい、お題書いたから」

 私のほうにメモ帳とボールペンが置かれた。メモ帳の上には『チューリップ』と書かれていた。

 私は殆どひと筆書きのようにチューリップを描いた。

「はい」

「うん、これは誰が見てもチューリップだね」

「佐々木さん、さすがにどんなに絵が下手でもチューリップは描けるでしょ」

「そうかな。じゃあ、今度はお題を出さないから、好きなものを描いて。僕が当てるから」

 そんなことをしたら、また笑われるだろうなと思いながら、渾身の一枚を描いた。

「はい、どうぞ」

 気合いを入れて、佐々木さんの前にメモ帳を差し出した。

「これは、ペンギンだ」

「お地蔵さん」

 佐々木さんは横を向いて、手を口元へ持っていった。笑わないように、そっぽを向いているくせに、背中と肩が笑っていた。

「もう一回」

 私はまたイラストを描いた。それを佐々木さんに見せると「カブトムシ」と言われた。正解はネズミだった。

 なんだか悔しくて、何度も絵を描いて佐々木さんに見せた。結果はなに一つも当たらなかった。梨を描けば雪だるま。ウサギを描けばラッピングされプレゼント。猫は彼岸花、亀は紫陽花、指輪は輪投げ。

 そんなイラストを何度も見せられた佐々木さんは、笑わないようにすることを諦めて、いつも通りに笑っていた。

「杉山さん、もうこれはこれである種の才能だよ。もう直さなくてもいいんじゃない」

「もういいよ。一生下手くそな絵を描いて生きていくから。私は画家でもデザイナーでもないし」

「ああ、笑いすぎた。僕、お手洗いに行ってくる」

 トイレへ行った佐々木さんを待っている間に、メモ帳とボールペンをしまい、割り勘の計算をしていた。

 そのとき、女の人が佐々木さんの座っていたイスにぶつかった。その反動で佐々木さんの鞄が床に落ちてしまった。

「あ、ごめんなさい」

「大丈夫ですよ」

 落ちたものをさっと拾って女性に言った。女性はもう一度「すみません」と言ってレジの方へ行った。

 鞄から出てしまったものをテーブルの上に置いた。

 落ちたせいだろう、デザイン関係の本のカバーがずれていた。そのカバーを直そうとしたとき、間からなにかがはらはらと落ちた。

 落ちたものを拾い上げると、それは写真だった。今より少し若い佐々木さんと優しそうに微笑む小柄な女性が写っている。

 もしかして佐々木さんの彼女。だめだ、人のプライバシーだ。

 写真を本の間に挟んで、カバーも元に戻した。

「あれ、どうかした」

「あ、佐々木さん。イスに人がぶつかって、佐々木さんの鞄が落ちちゃったの。一応、全部拾ったけど、なくなっているものがないか確認して」

 テーブルに置いてある荷物や鞄の中を確認すると「うん、全部あるよ。拾ってくれて、ありがとう」と佐々木さんは言った。そして、あの本が鞄の中にしまわれるのを横目で見つめてしまった。

「そろそろ帰ろう」

 そう言って、私は荷物を持ってイスから立ち上がった。

「待って、お金」

 伝票と一緒にお金も渡した。

「私、きっかりお金あったから、佐々木さんにお会計頼んでもいい?」

「そっか」

 佐々木さんは伝票やお金を片手で握ってレジへ向かった。私はその横を通り過ぎて、お店の外で佐々木さんを待った。

 そんなにしっかり見たわけではないのに、あの写真がくっきり焼き付いていた。頭の中では『誰だろう、誰だろう』という疑問がぐるぐる回っていた。

「杉山さん、お待たせ」

 居酒屋から出てきた佐々木さんは、私の目の前にハッカ味の飴玉二個を掲げている。

「どうしたの、それ?」

「レジでもらった。お一つどうぞ」

 飴を一つ受け取り、手のひらにのせた。透明のパラフィンに包まれた乳白色の飴。両端がねじってあり、大きなリボンのようだった。

「杉山さんはここからは歩きだよね」

「うん」

「じゃあ、気をつけてね」

「佐々木さんも。お休みなさい」

「お休み」

 私は軽く手を振って、佐々木さんに背を向けた。

 私と佐々木さんの別れの挨拶はいつもお休みなさいだ。夕飯を食べるために会っているようなものだから、別れるのはいつも夜。だから自然な挨拶だ。

 でも、またねって言わないから、もう二度と会えないじゃないかと、今日初めて思ってしまった。

 なんでこんなこと考えているんだろう。連絡先知っているんだし、今までだって会えていたでしょ。

 妙に胸がもわもわした。ああ、今日は食べすぎたな。疲れと夏バテで体が弱っているときは脂っこいものは控えないとな、と思いながら蒸し暑い夜風を感じながら歩いた。

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