やきとり・串揚げ専門店『串兵衛』(2)
「お待たせしました。生ビール二つ、焼き鳥の盛り合わせ、串揚げの盛り合わせです」
スケッチブックを二人で掴んでいる状況はかなり変だろう。
私はスケッチブックから手を離し、佐々木さんはスケッチブックを鞄にしまった。
店員さんはビールなどを置いて去って行った。
「食べますか」と佐々木さんがチラッとこっちを見って言う。
「食べましょう」
乾杯する理由はとくにないけれど、なんとなく乾杯をしてビールを飲んだ。
「うま」と言った佐々木さんは、すごく嬉しそうだった。
「暑くなってくるとビールがますます美味しくなりますよね」
「うん。ここ最近、仕事が立て込んでいて、お酒が全然飲めなかったんだ」
「だから、そんなに美味しそうにビール飲んでいるんですね」
「僕、そんな顔してた?」
「してました」
少し恥ずかしそうに口元を押さえて、焼き鳥を掴んだ。
「佐々木さん、焼き鳥屋さんって、平仮名で書く『やきとり』と漢字書く『焼き鳥』があるんですよ。違いって知っていますか?」
「そう言われてみれば、漢字と平仮名があるよね。違いなんてあるんだ。ここは平仮名の表記だね。なんだろう?」
佐々木さんは焼き鳥を見つめながら、眉間に皺を寄せいている。
「だめだ、わかりません」
「正解は鳥肉のみかどうかの差です。漢字表記のところは鶏肉の焼き鳥しか扱ってないんです。逆に平仮名表記のところは鶏肉も豚肉も両方扱っているんです。だから、鶏肉が苦手な人と焼き鳥を楽しみたい場合は、平仮名表記のやきとり店に行けばいいんです」
「へえ、そんな違いがあるんだ。知らなかった」
佐々木さんはメニューを見て「本当だ、豚肉版の焼き鳥がちゃんとある」と、楽しそうに言った。
「ちょっとした雑学でした」
「すごくためになった」
焼き鳥の盛り合わせには、もも、ねぎま、ハラミ、ぼんじり、軟骨、レバー、手羽先、つくねが二本ずつ盛られている。
串揚げの盛り合わせの方は、豚ばら肉、玉ねぎ、しいたけ、エビ、さつまいも、ブロッコリー、ウズラの卵、ピーマン、アスパラ、ゴボウ、レンコンなどの野菜がメインのものだった。
「ぼんじりの弾力って、名前の通り、口の中でボンっとしますよね」
ぼんじりを食べるたび、密かに思っていたことを初めて口にしてみた。佐々木さんなら理解してくれそうだと思ったから。
うん? と、首を若干傾けたあと、ぼんじりを口に入れた。考えるように味わい、ビールを手に取った。
「そうだね。ボンって感じがする。どうしてぼんじりって言うかは知らないけれど、ピッタリの名前だよね」
「やっぱり佐々木さんなら共感してくれると思った。今まで誰にも言ったことがないんですよ」
「なんで?」
「笑われそうだったから」
串に残った最後のぼんじりを食べ、ゴボウの串揚げを摘まんだ。ゴボウの繊維質と天ぷらの衣はどうしてこうもよく合うんだろう。
「ねえ、杉山さんの仕事のこと聞いてもいい?」
「はい、いいですよ」
「接客業の中で、どうしてホテルスタッフを選んだの?」
「大学生のころ、ファミレスでバイトしていて、自分の性格に合っているなって思ったんですよ。それで学生のうちにいろいろな接客業のバイトをして、喫茶店、ファストフード、居酒屋、そしてホテルの結婚式披露宴のバイト。それでホテルっていいなって思って」
少し温くなったビールで喉を潤して、話を続けた。
「ホテルって、結婚式もあれば、同窓会もあって、ビュッフェに、新人研修や品評会。色々なことがあって、色々な人に出会える場所なんですよ。すごくないですか? それでこの仕事に就きました」
「杉山さんは人と関わることが好きなんだね」
「はい、人見知りとかは全くないですね。子どものころは、親に『知らない人には絶対に付いて行っちゃだめ』って、外に出かけるたびに言われていました。人見知りしないことが、逆に心配の種になったんでしょうね」
佐々木さんは「小さいころの杉山さんもかわいいんだろうな」と、言った。
別に深い意味もなく言われた言葉だってことくらいは、よくわかっている。でも、滅多にかわいいと言われない私には、ドキッっとするには充分の威力があった。
そんな小さな変化を紛らわすために、ビールを飲み干した。
「あの、焼き鳥も串挙げも減ってきましたし、追加しませんか?」
「そうだね。なに頼もうか」
「ねぎまとぼんじり」
「一皿に三本か。ねぎまとぼんじり、それにつくねと手羽先なんてどう?」
「いいですね。串揚げはどうしましょうか?」
「僕、銀杏とちくわが食べたいな」
「銀杏、美味しいですよね。それとササミ、じゃがいも、舞茸も食べたいですね」
「うん、それも頼もう」
追加注文済ませて、佐々木さんは私の仕事のことを結構細かく聞いてきた。
「へえ、レストラン関係のことを料飲って言うんだ」
「はい、またはFBとも言いますよ」
「FBってなんの略なの?」
「フード・アンド・ビバレッジの略ですね」
「違う職種の話って聞いていて、すごく面白いね。僕は食べ物関係の接客の仕事をしたことがなから」
「そうなんですか。学生時代はどんなバイトをしてたんですか?」
「僕は本屋と語学教室の受付」
「なんか想像できますね」
追加注文をした焼き鳥と串揚げが二つの大皿でテーブルに運ばれてきた。
新しくきたビールは冷えていすごく美味しい。銀杏の独特の苦みと噛みしめながら、ビールを飲む。
佐々木さんはつくねを頬張りながら、ハイボールを飲んでいる。
「佐々木さん、今度は私が質問していいですか?」
「どうぞ」
「どうしてデザイナーになろうと思ったんですか?」
「子どもころから、手先が器用なタイプでね。小学生のころ家庭科の授業で初めてミシンを使ったとき、すごく楽しかったんだ。でもさ、男だから裁縫が好きっていうのがなんか恥ずかしくて、母親に頼まれたときに、ボタン付けや裾上げするぐらいだったんだ」
手先が器用な人は昔から器用なんだ。そう言われてみれば涼太も小さいころから器用だった。
「高校生になって、絵画部に入ったんだ。部室の本棚にデザイン関係の本も結構置いてあってさ、適当にそういう類の本を見ていたんだ。そこですごいドレスを見つけたんだ。真っ赤なドレスなんだけど、裾の方になるとだんだん白くなっていくんだ。一瞬、血で染まっているように見えたんだけど、怖いとかグロテスクとかは思わなかった。幻想的だなって思った。それがきっかけで服飾デザイナーになりたいと思ったんだ」
「あの、もしかしてウェディングドレスじゃなくて、ただのドレスが作りたかったんですか?」
「そう。よくわかったね」
「ああ、今の話と、前に『ディマンシュ』ってお店に連れて行ったもらっとき、濃い色のドレスを作りたいって言っていたから」
「うん。モデルさんが着るような個性的なドレスが作りたかったんだけどね。でも、ウェディングドレスを作るのも楽しんだ。自分が作ったドレスを着て、新しい人生の一歩を踏み出す人がいると思うと、誇らしいし、幸せだなと思う」
さっき、スケッチブックにドレスを描いていた佐々木さんは楽しそうだった。ドレスを作るのが好きなんだと思う。それに自分のデザインに真剣に向き合っているんだろう。だって、ブライダルフェアでの佐々木さんはデザイナー以外何者でもなかったから。
「佐々木さんの仕事、すごく素敵です」
「ありがとう」
「いえ。あのMaria Afternoonって知ってますか」
「うん。ここ数年は新作を発表していないよね。映画で使われることもあったかな」
「佐々木さんは知ってますよね。同じドレスのデザイナーですからね。私、最近知ったんですよ」
「へえ」
佐々木さんはそれほど興味を示している感じではなかった。
加絵と話して少し気になった。ネットで調べるとMaria Afternoonのファンサイトやまとめサイトなどがたくさん出てきて、びっくりした。
「ちょっとネットで調べたんですけど、制作を休止したとき中傷の言葉もあったんですね。ほとんどのファンの人は好意的に捉えていのに」
「人の考えなんて千差万別だよ」
「そうですけど。あんな素敵なドレスを休みなく生み出すなんて無理ですよ。次のステップに進むための必要な休みなんじゃないかなって思いました。だから三年ぶりに復活するようですし」
「確かに一生なにかを生み続けるのは苦痛だろうね。その気持ちは僕もよくわかるよ。ファンだという人がみんな杉山さんみたいに見守るようにして待っていてくれたらいいのにね」
その言葉には妙な重さがあった。佐々木さんは少し遠くを見つめながらビールを飲んだ。
この話をこのまま続ける雰囲気でもないため、別の話へと変えた。
「あ、そうだ。忘れてた。お勧めのDVDを持ってきたんです」
鞄の中からDVDを出した。さすがにパッケージそのままを悪いと思い、紙袋に入れて持ってきた。
「ありがとう」
佐々木さんは紙袋からDVDを取り出し、表と裏を見て、もう一度表を見た。
「愛が悼む。これ観たことない」
「ホラーを結構観るって言っていたんで、かなりマイナーなのを持ってきました」
「タイトルがいいね。すごく気になる。ちょっとだけあらすじを教えてくれない」
「それは所謂、不倫愛憎劇です。良家に嫁いだ女が、そこで働く執事に恋をするんです。そして執事も女を好きになってしまい、二人は結ばれる。でも執事が不慮の事故で亡くなってしまうんです。女は悲しみ明け暮れていると、自分の身の回りの世話をしているメイドに、執事の魂が乗り移っていることを知るんです。そして二人は愛を囁き合う。でも、そのメイドは旦那の愛人だった。ここから奇妙な四角関係が発生し、だんだんと歪み、それぞれの感情を蝕んでいくんです。ホラーと言うよりは、サスペンスに近いですね。これ結末が最高ですから」
あれ、しゃべり過ぎたかも。結末以外は、ほとんど言ってしまった。
「あー、私、ノリノリで説明した所為で、大方のあらすじ言っちゃいましたよね。ごめんなさい」
「いや、すごく面白そうと思ったよ。説明うまいね」
「あ、ありがとうございます。返すのはいつでもいいので。私が言ったあらすじを忘れたころに観ることを強くおすすめします。今観ても、透明のパッケージに入ったあんぱんを食べるようなものですから」
私の言ったことが佐々木さんのツボだったらしく、佐々木さんは目に涙を溜めながら笑いだした。
「なんで、例えがあんぱんなの? あんぱんって。ちょっと、ごめん。意味がわからないのに面白い」
「ほら、あんぱんとしか書かれていなければ、食べないとこしあんかつぶあんがわからないじゃないですか」
この説明でますます佐々木さんは笑いだした。
「あんこの種類っ。ごめん、笑いが止まらない」
小さな声で「苦しい」と言いながら、佐々木さんは笑い続けている。
「あんこのこしあんかつぶあんかは大事ですよ。パンだけに限らず、羊かんでも、お団子でも、あんこが関われば、どんなときでも重要事項です」
私があんこについて力説すればするほど、佐々木さんは笑いが止まらなくなった。
近くにあったお冷を飲んでもらい、少し落ち着いてもらった。
「はあ、ごめん。もう大丈夫だから。これだけ笑えば、ここ数分の記憶が飛んだよ」
「お役に立ててよかったです」
少し不機嫌に言うと、佐々木さんが私の頭を撫でてきた。大きな手のひらに頭を覆われる。男の人の手だと思った。
「笑いすぎたね。悪意はないから。そんな顔しないで」
「別に怒っていませんから」
佐々木さんは小さく微笑んで、ハイボールを飲み干して、また生ビールを追加した。
「あ、忘れていたけど、指令はちゃんと守ろうね」
さっきまで大笑いしていたのとは打って変わり、爽やかな笑顔で言われた。
もう、敬語でもなんでもいいじゃないか。そう思ったけど「ごめん、忘れてた」と言って、強制的に敬語を止めた。
私たちは、そのあともお互いの仕事の話や今度はどんな居酒屋へ行くかを話した。
時間はあっいう間に過ぎてしまい、いつも通り最寄り駅で別れた。
バスターミナルへ向かう佐々木さんの後姿を見たとき、なにか違和感を持った。足元をよく見ると、右と左の靴下のデザインが違っていた。
右足は黒の無地、左足はブラウンに黒のボーダーだった。たかが靴下。それを別れの挨拶も済ませて、それぞれの家路に向かっているのに、わざわざ伝えるのも変だ。
本人が気付いているのか知らないけれど、ここは勝手にクスッと笑っておこうと思った。