ファミレス
うん、うどんは美味し。食堂でひとり、きつねうどんをすすっていると、隣にあんかけチャーハンをのせたトレーが置かれた。
「あー、疲れた」
座るのと同時にそう言ったのは、同期の加絵だった。彼女はウェディングプランナーとしてこのホテルで働いている。
「疲れが顔に出てるよ。いいの? 結婚という最高の舞台をプランニングする人が」
「だって、聞いてよ。午前に予約が入っていた二組。二組ともケンカするんだよ。一組目のケンカを治めたと思ったら、二組目もケンカだよ。さすがに疲れるでしょ」
「そりゃそうだ。お疲れ様です」
加絵はため息を吐いて、あんかけチャーハンを食べ始めた。
あんかけチャーハン美味しそう。明日はあんかけチャーハンにしよう、と油揚げを食べながら思っていた。
「宏実、明日はチャーハンにしようって考えているでしょ」
「あら、なんでわかっちゃったのかしら?」
軽くおどけてみせると「目が言っていたよ」と言われた。
「ねえ、宏実、今日は何時に上がるの?」
「今日は六時上がりだから、なんだかんだで七時じゃない」
「じゃあさ、今日一緒にご飯食べに行かない?」
食べ終わったうどんの汁を飲むか飲まないかを悩みつつ、明日のシフトを思い返した。
「いいけど、明日朝早いし、お酒は飲めないよ」
「そんなのは私も一緒だよ。たまには、お酒なしでもいいんじゃない、健康的で」
「そうだね。じゃあ夕飯食べに行こう」
「うん」
うどんの汁を飲むのはやよう。個人的には飲みたいけれど、仕事中にのどが渇くから仕方がない。
「じゃあ、私は行くね。仕事終わったらメールする」
「はーい」
トレーを返却口に返して、スタッフルームへ向かった。
「杉山さん、ちょっといい」
マネージャーの大友さんが、バインダーの中の書類をめくりながら近づいてきた。
「はい」
「来月にあるブライダルフェアを手伝ってもらえませんか」
「あの、手伝うとは」
「ゴールデンウィークに開催されるウェディングショーがあります。それはワンドリンク付きで見るファッションショーで、そのドリンクのサービスに入ってもらえますか」
「はい、わかりました」
「それではお願いします」
大友さんは書類になにかを書き込むと、スタッフルームを出て行った。相変わらず隙のない人だな、と思った。
大友さんは私が新人で入る前からマネージャーをやっている。雑談も多少はするけれど、根本は仕事の話のみで、プライベートが謎の人だ。背も高くて、足も長く、制服がすごく似合う人。ストレートの黒髪をきっちりまとめている。クールビューティーなんて言葉が世の中にはあるけれど、大友さんのために存在している言葉じゃないか、と思う。
「杉山、ブライダルの方に借り出されるんだ」
缶コーヒーを飲みながら話しかけてきたのは、私の新人教育をしてくれた先輩、近藤さんだ。
「はい」
「杉山も成長したよな。他で借り出されるようになるとは。先輩は嬉しいよ」
「ええ、近藤さんの素晴らしいご指導ご鞭撻におかげです」
「うわ、すごい棒読み」
「冗談ですよ。本当に近藤さんのおかげです。最初は感じの悪い人だと思いましたけど」
「えっ、それっ、うっ」
「大丈夫ですか」
近藤さんはコーヒーが変な所に入ったらしく、顔を赤くしながらむせていた。
「すっ、杉山が変なこと言うからだろう」
「私、変なことなんて言っていませんよ」
「言っただろ、感じの悪い人」
近くにあったティッシュで口を拭いながら缶をゴミ箱に捨てる近藤さんへ視線を向けた。
「ただの率直な印象を言っただけです」
「俺はそんな感じ悪いことした記憶はない」
「感じ悪いって思ったのは、私が近藤先輩って呼んだら、すごく不機嫌に『先輩って呼ぶのやめてくれる。俺、嫌いなんだ。先輩って呼ばれるの』って、言ったからですよ」
「いや、あれは、その、なんだ。ああ、そう、疲労がピークでそういう態度になっただけだよ」
「そんなに一生懸命弁解しなくてもいいですよ。今、感じ悪い人なんて思っていません」
近藤さんはほっとした顔をして「そっか。そっか、そっか。さあ、休憩も終わるぞ。仕事、仕事」と言って、嬉しそうに出ていった。「変なの」と私はひとりつぶやいた。
仕事が終わり、更衣室でスマホを見ると、加絵からのメールが来ていた。
《いつものファミレスで待っているよ》
そのメールに《了解》と返信をして、急いで着替えた。そして駅前にあるファミレスと向かった。
私たちの食事には小さなルールがある。次の日、朝早いときは居酒屋には行かない、ファミレスへ行く。なぜ、こんなルールを決めているのかと言えば、お酒の誘惑を断つため。
私も加絵も、お酒が大好きで強い。はっきり言ってザル。三年も一緒に飲み食いしているのに、お互いに一度も酔っぱらった姿を見たことがない。せいぜい顔が赤くなったくらい。つまりほろ酔い。記憶を飛ばすような失態は一度もない。もちろん、二日酔いもない。
それだけ強いなら一杯くらいはいいかなとも思うけど、一応控えるようにしている。
ちなみに私は休日の次の日が仕事のときは、ビールは三杯までというルールを決めている。
ファミレスに入ると、少しひんやりと感じた。四月に入り、温かい日も増え、空調が弱冷くらいで設定されている店舗も増えてきた。
店内を見回すと窓側の席に座って、本を片手に蛍光ペンを持つ加絵を見つけた。
「加絵、お待たせ」
「あ、宏実」
本の背を指で軽く押しタイトルを読み上げた。
「人とのコミュニケーション~トラブルに強くなる話術~」
加絵は自分が読んでいたページを私に見せた。そのページはケンカの仲裁方法がケース別に書かれている。
「大変だね、ケンカを治めるのって」
「うん。仕事は好きだけど、ケンカの仲裁だけは今も苦手。もっと上手く仲裁ができるようになりたいよ」
「私も酔っ払いのつまらない戯言を上手くかわせるようになりたい」
お互い悩みは尽きないねとアイコンタクトをして、メニューを手に取った。
「今日も割り勘でいいよね」
加絵がメニューを見ながら言った。
「うん」
「なに頼む? ふたりでつっつくのも頼もうよ」と、加絵はサラダやフライ関係が載っているページをこっちに見せてきた。
「そうだね。あ、イカリング食べたい」
「いいね。サラダも頼もうよ。シーフードサラダとシーザーサラダ、どっちがいい?」
「シーザーサラダがいいな」
「うん、シーフードサラダね。あともう一品頼む?」
「そうだね」と言って、私は自分のメニューをパラパラと見た。お、パフェ、食べたい。
「ねえ、デザート頼まない? そうするとイカリングとサラダで充分じゃない。私、パフェ食べたい」
「そっか。デザートの存在忘れていた。甘いものは外せないよね」
私たちは自分のメニューを選び、加絵が店員さんに私の分まで頼んでくれた。
「そうだ、私、ウェディングショーのとき、ドリンクのサービスで入るから」
「へえ、そうなんだ。手が足らないからレストランと宴会から何人かヘルプが入るって聞いていたけど」
「そう。ウェディングドレスがタダで見られるなんてラッキーだわ」
「仕事最優先でお願いします」
「わかってるって」
毎年、ゴールデンウィークに引っ掛けて開催されるブライダルフェア。毎年、目玉のイベントがあり、今回はドレスのショーらしい。
加絵も今年からフェアにスタッフとして入ることなり、通常のプランナーの仕事に加えてやらなければならないため、かなり大変らしい。
「フェアって、先輩とか上司とかの状況を見て、大変そうだなとは思っていたけど、予想以上に大変」
「へえ」
「フェアに来てくれた人だけが申し込める特別プランがあるし、衣装レンタルの割引もあるし、細かいこと言ったら切りがないよ」
ちょうど会話が途切れたタイミングで、店員さんがサラダとイカリングを置いて行った。
加絵はサラダを取り分けてくれた。私が不器用なのを知っている加絵は、こういうことを当たり前のようにやってくれる。私が取り分けると、なぜかお皿の縁がドレッシングまみれになる。自分は注意しているに、そうなってしまう。この不器用さは家族も呆れている。
イカリングをトマトベースのディップに付けて、口に入れる。
「ああ、冷えた赤ワインが飲みたい」
私の一言に加絵は「私は冷えた白ワインが飲みたい」と言った。
こんなことを言ったって、私たちにはグラスワインを頼むことはない。ドリンクバーから持ってきた、ジュースを飲んで気を紛らわした。
「ねえ、親に結婚しろって言われることある?」
「ううん、全然。加絵って、もう親から結婚話が出るの?」
「そうなの。信じられないよ、社会人になって三年、まだ二十五だよ」
「それは大変だね」
親からの結婚に関するプレッシャーは意外ときついらしい。大学の先輩とたまたま会ったときに言っていた。二十八歳になった途端、結婚、孫という単語が増え始めた、と。
「今まで、そんなこと言ってなかったんでしょ? なんで急に」
「いや、久しぶりに実家に帰って、ウェディングプランナーをやっていると、結婚に夢を見る感覚がどんどん薄れてくみたいなことを言ったの。それで心配になったんだと思う。一人っ子だから余計に心配なのかもしれないけど。宏実は結婚願望ある?」
「私はあるって言えばあるけど、ないって言えばない」
「それってどっちよ」と言った加絵は、残り一つになったイカリングにフォークを突き刺した。
「なんて言うか、結婚相手を探すためになにか行動に出るつもりはまったくない。でも、こう日常を送っている中でいい出会いがあれば結婚するかなって感じ。加絵は?」
「私もそんな感じ。今は、結婚とか考えず、普通に彼氏がほしい」
「彼氏?」と思わず聞き返してまった。
加絵はきれいだから結構モテると思う。事実、彼氏は定期的なスパンでいる。でも、彼氏がほしいと懇願しているのを初めて見た。
「そう、彼氏。宏実だって彼氏くらいはほしいでしょ?」
「いや、いらない」
「なんで? 彼氏の愛情に癒されたいときってない?」
「ない。私の癒しは寝ること、酒を飲むこと、食べること」
「そうだよね。宏実はそういうタイプだった」
「加絵なら彼氏ぐらい、すぐにできるでしょ」
お互いの食べ終わった皿を重ねて、テーブルの端に置きながら、加絵が大きなため息を吐いた。
「だって、長続きしないんだもん」
「それは努力あるのみ?」
「私は努力している。でも、去っていく男が言う一言。『やっぱり休みが合わないってつらい』だよ」
ああ、と思う。確かにそれを言われたら、こっちはどうしよもない。ホテル業界は休日や連休が稼ぎ時だから。
「それはどうにもできないよね。やっぱり同じ業種の人との方がいいのかな」
「どうだろう。まあ、仕事の理解はあるからいいのかも。こっちも理解できるし」
加絵は横を向いて窓越しの景色を見つめた。
どんなに好きな相手でも、小さなタイミングのズレが起きれば、その相手との距離は数ミリ離れてしまう。その数ミリの距離を縮める前に、また小さなズレが生じる。それを繰り返してしまえば、数ミリの距離は数センチとなり、そして数メールと広がっていく。気がつけば、別れの道に変化している。
私たちみたいな休みが不定期の人間が、カレンダー通りの休日を送る人間と付き合うと、そういう小さなズレが起こりやすい。
私も加絵と同じで、社会人になってからできた彼氏に「休みが合わないし、全然会えないし、もう無理じゃない」と言われて終わった。
「お待たせいたしました。ハンバーグステーキとテリヤキチキンのデミグラスソース添えになります」
お互いの世界へ入り込んでしまっていた私たちの前に、美味しそうな香りを撒き散らす料理が置かれた。
「宏実のハンバーグ結構大きいね」
「うん、メニューの写真だと普通サイズって感じだったけれど。得した気分」
ハンバーグにナイフを入れると、肉汁が溢れだす。この瞬間が一番好き。食べなくても美味しいと思ってしまう。そして口に入れて思うことは『やっぱり美味しい』だ。
「昨日、ショーの仮試着があってね、男性モデルがイケメンばっかりなの。背が高くて小顔。足は長いし、みんな八頭身。バランスがすごくいいの」
「へえ、すごいね」
「なに、反応が鈍いよ」
「だって本物を見てないし」
私の薄い反応に加絵はぶつぶつと言いながら、セットのスープに口を付けた。
「あっ、それに」と、加絵がなにか思い出したかのように言った。
「デザイナーさんでイケメンがいたの」
デザイナーって、まさか。
「佐々木さんって言うんだけど」
やっぱり佐々木さんだ。
「ここ数年、ウェディングドレスに力を入れているデザイン事務所で、そこのデザイナーさん。しかも、すごく素敵なドレスをデザインしていてね、スタッフ全員がチラ見だよ」
「へえ、そうなんだ」
自分がその佐々木さんと偶然といえども夕飯を食べましたとは、なんとなく言いにくい。
「でもさ、顔はいいんだけど無愛想なんだよね。仕事は完璧にこなすし、こっちの質問にも丁寧に答えてくれるんだけど。あー、無愛想って言うか、あんまり笑わない。いや、それが無愛想なのか」
「へえ」
加絵の話を聞きながら、あの居酒屋での佐々木さんを思い出した。
二時間くらいしか一緒には居なかったけれど、私の知っている佐々木さんとはまったく逆の人だ。笑い上戸で、独特の面白さを持つ人だった。
「最初、見たときは、ちょっと狙おうかなって考えたけど、無愛想な人は苦手だからやめた。人には最低限の愛想を持っていてほしいのよ、私は」
「佐々木さんは仕事にストイックなタイプなんじゃない」
「そうかもね。別に仕事がやりにくいことはないし、イケメンと話せるし、そんなに悪くないからいいけど」
「加絵の面食い」
「イケメン好きですよ」
加絵は軽く笑い、残り少なくなったテリヤキチキンを頬張った。
「あっ、ドレスで思い出した。Maria Afternoonのホームページ見た?」
「ああ、この前ワイドショーで見たよ。それがどうしたの?」
「ねえ、普通こういうドレスの話になったら、あれ着てみたいよねとか、あの映画に使われてたよねとか、ないの?」と、加絵は呆れた顔で言う。
「そのMaria Afternoonの存在だって、ワイドショーを見て知ったぐらいだから」
「嘘! それ本当に? 何年か前に上映されたフランス映画の『街の光』でMaria Afternoonのドレスが話題になって、日本でも期間限定でドレスが特別公開されたよ。それに長蛇の列ができたって」
「なんとなく覚えてる。でも、恋愛映画って興味にないだよね。好きな役者さんが出ないと観ないし。それにフランス映画も苦手なんだよね」
食事が終わり、デザートを持ってきてもらうように通りがかった店員さんに頼んだ。
「宏実らしい。うちのホテルでMaria Afternoonのドレスをレンタルできるようにならないかな。そしたらタダでMaria Afternoonのドレスが見れるし、利益も上がると思うんだけど」
「いや、無理でしょ。なんかすごいドレスメーカーみただし。レンタル料がいくらになるかも想像つかないよ」
運ばれてきたパフェを食べながら「そうだけどさ」と加絵が言った。
こういう女子思考が薄い私は、加絵みたいな女子思考を見習うべきだなと思う。ただ、見習ってもうまくいかないことが多いけど。
パフェが食べ終わり、会計を済まして、私たちはファミレスを出た。
夜になれば、まだ寒さが残っている。私も加絵も、鞄からストールを取り出し首に巻きつけた。
「やっぱりまだ冷えるね」
信号待ちで加絵が軽く手を擦りながら言った。
「そうだね。これが五月になると急に暑くなるんだよね。そう思うと少し気が滅入る」
「そう、寒いのもきついけど、暑いのもきついよね」
信号が青に変わり、目の前にそびえ立つ駅へと歩く。ちょうど仕事帰りの人が多く、横断歩道はたくさんの人が行き来していた。
「じゃあ、お疲れ様。明日も一日頑張りましょう」と言って、いつものように加絵が定期入れを顔の高さにまで上げた。
それを見て、私は鞄の中をかき回す。
「今日も行方不明?」
加絵が私の鞄の底に手を添える。そのおかげで探しやすくなった。
「あっ、あった、あった」
定期入れを加絵に見せると、あきれた感じで「よかったね」と言われた。
「毎回言っているけど、定期は所定の場所を作りなさいよ。とりあえず鞄に入れるんじゃなくて」
「はーい。ありがとう、じゃあね」
「うん、じゃあね」
私たちはそれぞれの利用する改札口へと向かった。
家に帰る道すがら、久しぶりに佐々木さんを思い出した。この一カ月半、仕事を慌ただしくこなしていた。だから記憶から薄れていた。
佐々木さんに会った次の日は、ホテルのどこかで会えるかもという淡い期待はあった。でもレストランとブライダルではフロアが違うし、関わることも少ない。当たり前のことだけれど、あの日以来会ってはいない。
でも意外だったな、仕事をしているときの佐々木さん、そんなに無愛想なんだ。人当たり良さそうなのに。ブライダルフェアのときに見かけることぐらいはあるかな。そのときにどれくらい無愛想なのか見てみよう、と思った。
五月に入り、明日からブライダルフェアの目玉企画、ウェディングショーが始まる。
私は当日のみの手伝いになるため、今日は通常業務だ。念のため休憩時間に会場の様子を見に行った。
会場内には、ステージとテーブル。そしてブーケをイメージするような、たくさんの淡い色の花で飾られていた。ウェディングドレスとタキシードが数着飾られている。
そこから少し離れたところに佐々木さんが立っているのを見つけた。
佐々木さんは、加絵の言うとおり無表情だった。もっと正確に言えば、少し険しい顔をしている。ドレスになんかあったのだろうか。佐々木さんはドレスをじっと見つめていた。
今はやることないし、会場の雰囲気はだいたいわかったから、残りの休憩時間をスタッフルームで過ごそう。そう思い、会場に背を向けた時だった。
「杉山さん」
振り向くと、佐々木さんが笑顔でこっちにやってきた。そこに居た人たちが少し驚いた顔でこっちを見ている。
佐々木さん、本当に仕事では笑わないんだ。おかげで私が無駄に注目されているんですけど。
「杉山さん、お久しぶりです」
「お久しぶりです」
「いやあ、あれから何度も仕事でこのホテルに足を運んでいるんですけど、なかなか会えないものですね」
「そうですね」
会場にいる人たちは明日の準備を続けているけれど、明らかにこっちをちらちら見ている。佐々木さんは背を向けているから気付いていない。
「明日からのブライダルフェアの準備で今日は来ていて」
「そうですか。明日は私もドリンクのサービスで入るんですよ」
「杉山さんもですか。杉山さんと一緒に仕事ができるなんて嬉しいです。お仕事中でしたよね。呼び止めてしまいすみません。明日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
佐々木さんはドレスの方へと戻って行った。
私も早くここから離れよう。二、三歩進むと突然腕を引っ張られた。
「宏実、佐々木さんと知り合いなの?」
「うわ、加絵。ちょっと仕事中でしょ」
「だから簡潔に答えて」と、目を輝かせて聞いてくる。確実に楽しんでいる。
「うん。佐々木さんの落したヴェールを拾ってあげたことがある」
「そうなんだ。なんでこの間のファミレスで言わなかったのよ」
「深い意味はなくて、なんとなく言わなくてもいいかなと思って」
「まあ、いいや。今度もっと詳しく教えてね」
そう言って、小走りで戻った加絵の後ろ姿はすごく楽しそうだった。