メシトモ! コイビト!(2)
今年も残り三日となった。クリスマスムード全開だったはずの街並みも、今やお正月ムードだ。うちのホテルもクリスマスツリーは二六日に撤去され、そこには立派な門松と松竹梅を使った生け花が飾られている。
昼休みにスマホを買い、試し撮りとして門松を撮った。人の居ないエントランスホールに空しくシャッター音が響いた。
スマホを壊したせいで二日くらい誰とも連絡がと取れない状態だった。その間に佐々木さんから連絡があったらどうしようと思ったが、要らぬ心配だった。
佐々木さんが音信不通になって二カ月。普通だったら、なにかあったんじゃないかと心配をするだろう。私が普通にいられるのには理由がある。涼太が“浩司さんなら心配らないから”と伝えてくるからだ。
なぜ涼太が“浩司さん”と呼ぶようになったのかも気になる。でも、それ以上に気になるのは、未だに私に連絡をしてこないのはなんでなんだ。涼太に連絡する時間があるなら、その時間を私に少しでいいから回してくれと思う。
気力と体力があれば怒っていただろう。ただ年末年始の仕事に忙殺されている私には、そんな気力はない。ただひとり不貞腐れているような感じだ。
実家に帰ると、珍しく涼太もお父さんも居なかった。たぶん二人とも忘年会だろうと思い、自分の部屋のドアを開けた。
部屋のライトを点けると、大きな箱がベッドの上に鎮座している。
「なにこれ」
段ボール箱には涼太が書いたメモが乗っていた。
『昼に宅配便が来たから受け取っておいた』
差出人を見て“えっ?”となった。海外から届いた荷物だったからだ。自分の知り合いに海外在住の人なんていない。ローマ字で書かれている名前に目を向けた。
「コージ ササキ。佐々木さん!」
あまりにビックリして、ひとりで大きな声を上げてしまった。
佐々木さん、いま海外にいるの? まあ、それなら連絡がつきにくいのも納得するけど。
カッターでガムテープを切り、箱を開ける。表面に入っているエアークッションを退かすと、サーモンピンクのなにかが見えた。それはドレスだった。いわゆるカクテルドレスで、結婚式などに着ていくようなものだ。
箱の中をもう一度覗くと薄い水色の封筒が入っていた。封筒には『杉山宏実様』と書かれていた。
ベッドに座って、手紙を広げてみる。きれいな文字で文章がつづられていた。
『ずっと連絡をしないでごめん。今、仕事の関係で海外にいます。今までの自分を見つめ直すためでもあります。来年の一月六日に日本へ戻ります。その日、このドレスを着てこの場所に来てください。朝でも、昼でも、夜でも、深夜でも、待っています。 佐々木 浩司』
ベッドに広げて置いたドレスの裾を撫でた。デザインの違うレースが何層かに重なっていて、シンプルなデザインなのに可憐で甘い雰囲気を醸し出している。
このドレスを着て、か。なんだか私には似合わないような気がするな。なんだろう、会いたいような、会いたくないような変な気持ち。まあ、六日まであと十日くらいはあるし、それまでにちゃんと考えよう。
十日はあると思っていた。時間はあると思っていた。全くなかった。大晦日と正月のおかげでホテルは全室満員。とても有難いことだけど。仕事、仕事で、考え事をする時間もないまま六日になってしまった。
夕方にシフトを入れず、急いで実家に帰った。
そしてドレスを着てみた。サイズがピッタリで“なぜ”と思った。デザイナーならおおよそで、わかるものなのだろうか。
鏡に映る姿は、なんだか直視できなかった。ウェディングドレスのデザイナーでありMaria Afternoonのデザイナーでもある人が作ったドレス。でも私にとっては、佐々木さんが作ったドレスを着ているということが、なんだかドキドキした。髪とメイクを直して、ドレスよりも丈の長いコートを羽織る。
そして指定された場所へ向かった。そこにはきれいなオフィスビルがあった。エレベータに乗り三階へと昇る。
エレベータのドアが開くと、すぐ目の前にダークブラウンのドアがあった。そのドアにはMaria Afternoonと書かれている。
インターフォンを押すと、ドアがゆっくりと開いた。
「久しぶり。よかった、来てくれて」
「久しぶりだね。元気そうでよかった」
「うん。入って」
佐々木さんに促されて、オフィスの中に入った。大きなテーブルが真ん中にあり、ドレスを着たボディがいくつも並んでいた。オフィスと言うよりは、アトリエと言ったほうが正しい気がした。
「コート預かるよ」
佐々木さんは私の後ろに回った。一瞬、脱ごうとした。はっとして、脱ぐのをやめた。コートを脱いだら、あのドレスだ。それを着ている姿を見せる勇気はない。
「いいや。コート着てて、ちょうどいいから」
「そう」
佐々木さんは近くにあったイスを引き寄せて「どうぞ」と言った。そのイスに座り、佐々木さんもイスに座った。
「二カ月ぶりだよね。海外はどうだった」
「うん。いい仕事ができたよ」
「そっか。よかったね。先月、Maria Afternoonの展示会、見に行ったよ。ビックリしちゃった。あのヴェールがあるんだもん。それにデザイン画まで。その日、たまたま紗希さんと会ったよ」
佐々木さんは驚いた顔をしてこっちを見た。
「紗希に?」
「うん。二人が別れて理由も聞いた」
「そっか」
「もう、驚くことばっかりだよ。佐々木さんと連絡がとれなくなってから。そのくせ涼太とは連絡とってたんだよね」
無意識に窓の外を見つめた。実家を出たときは夕暮れだったのに、もう真っ暗になっていた。窓は鏡のようになっていて、不機嫌な顔をした私が映っている。
「ごめん、なにも話さなくて。Maria Afternoonのデザイナーは僕だ。それとビジネスパートナーとして広報や営業をしている田崎さんと二人でMaria Afternoonをやっている。田崎さんと僕の叔父が友人なんだ。叔父は僕がウェディングドレスよりもドレスが作りたいことを知っていて、副業としてMaria Afternoonのことを進めてくれたんだ。まさかこんなに反響があるとは思わなかったよ。Maria Afternoonは僕にとっても田崎さんにとっても副業だったから」
佐々木さんは淡々と話している。Maria Afternoonが副業。副業が世界を股に掛けていているって。メインは今働いている会社でやっているウェディングドレスのデザインが仕事だから副業なんだろうけど。
ひとり戸惑っている私を余所に、佐々木さんは話を続けた。
「副業だし、あえてプロフィールは隠していたんだ。ただドレスが人気になるとね、便乗商法みたいなのとか、勝手に自分がMaria Afternoonのデザイナーだと名乗る人間が現れてね。それならプロフィールを明かしたほうがいいんじゃないかって、田崎さんに言われて。そこに紗希のことが絡んでおかしくなったんだ。僕もメンタル面がボロボロになってしまって、叔父さんや田崎さんの勧めで副業のほうを休むことにしたんだ」
急に立ち上がって佐々木さんが私の手を引っ張り、大きな鏡の前に立たせた。そして勝手にコートを脱がせようとする。
「ちょっと、なにしてるんですか」
「いいから」
抵抗はあっさりかわされた。そして近くのハンガーから、今着ている同じサーモンピンクのなにかを手に取った。
「杉山さん、両手を少し上げて」
もう抵抗すきも起きず、素直に両手を上げた。
佐々木さんは私の腰に腕を回し、持っているもの巻き付け、後ろで大きなリボン結びをした。すると、着ていたカクテルドレスは映画に出てくるような、ふわっとした裾のドレスに変わった。
「すごい」
「このドレスがMaria Afternoonの最新作だよ」
「えっ?」
佐々木さんは鏡と私の間に立ち、両手を握ってきた。
「田崎さんから一昨年の年末にドレスを作ってみないかって言われたんだ。僕もそろそろ作ってみたいなって思って。でも不安のほうが圧倒的に強いときだった。雪の降る夜。僕のヴェールを持っている女性に出会うんだ。その女性は明るくて、裏も表もなく、美味しいものを食べるとすごく幸せそうな顔をするんだ。会えば会うほど、この人に僕のドレスを着てもらいと思うようになった」
ずっと見つめながら話す佐々木さん。その視線を逸らしたいと思う。でも、それができない。私の両手を握る佐々木さんの手から体温がじわじわと伝わってくる。
「君が男の人と楽しそうに肉まん食べながら歩いているのを、たまたま見ちゃって。もうそのときは最悪な気分だったよ。おかげで酔いに任せてキスまでしちゃうったし」
「いや、あの人は職場の先輩ですよ」
「そうなんだ」
そんな棒読みで言われても。少しムッとした顔のまま佐々木さんは話を続けた。
「それに好きな人ができたらコインケースを持つのをやめましょうって。君に恋愛対象外ですって、はっきり言われちゃうしさ」
「それなら、なんでコインケースを送り返してきたんですか」
「君との約束を守るため」
「なっ……」
本当は「なんでそんなに律儀なんですか」と言うつもりだった。
その言葉飲み込まれてしまった。突然のキスで思考も言葉も奪われた。
「顔、真っ赤。僕の好きな人は誰だかわかるよね」
繋いでいたはずの手は腰に回り、さっき結んだリボンを触っている。
「この状況で私じゃない女の名前言ったら怒るけど」
「そうだね。で、返事は?」
「このドレス似合ってますか?」
「え?」
「え、じゃない。このドレスが届いたとき、自分は似合わないだろうなと思ったの。それに、世界中で有名なMaria Afternoonのデザイナーって。なにそれ。私はただの平凡な人間なの。そんな人が佐々木さんの隣にいていいの? 世界中の女性が待ち望んでいたMaria Afternoonの新作を私が着ていいの?」
こんなすごい人が私を好きだと言った。キスをしてくれた。私も好きだけど、それ以上に突然不安が押し寄せてきた。あの展示会でわかっていたけれど、本人の口から聞くと現実味を増した。
「そうだね。こんなにいろいろなことを一気に言われても困るよね」
佐々木さんは優しく私を抱きしめてくれた。そして落ち着かせるように、ゆっくり頭を撫でている。
「僕はこれからもウェディングドレスのデザイナーとしても働くし、Maria Afternoonも続ける。これは僕の持論なんだけど、デザイナーは表には出なくていいと思っているんだ。表に出るべきなのは作り上げたものだけ。それには自分の心血を注いで作っているものだから。デザイナーがそばにいなくてもいいんだ」
耳の近くで聞こえる佐々木さんの声はいつも聞いている声なのに、いつもよりも甘く聞こえた。
「もし、僕がMaria Afternoonのデザイナーだって、最初から知っていたらどうした?」
「たぶん、仕事以外で接点を持つようなことはしないかな」
「だと思った。僕はそういう君がいい。肩書や財力に寄ってくるような人は好きじゃない」
「肩書や財力で言い寄ってきた人がいたの?」
「僕にはいないよ。なにも公表していないから。ただ勝手にMaria Afternoonのデザイナーだって名乗った奴が、夜のお店でたくさんの女性をはべらしていたっていうのは週刊誌で読んだ。この肩書って、人を寄せちゃうんだなって思ったよ」
「そっか。大変だね」
胸に埋めていた顔を上げた。佐々木さんを見上げると困った顔で「まだ、こっちは見ちゃダメだよ」と言って、強く抱きしめられた。
「僕は大きな家に住む気もないし、無理に荒稼ぎしようとか、巨万の富を得ようとか、考えていないけどいい?」
「大きな家は無理。私、家事が苦手なの。一人暮らしのアパートですら大変なのに豪邸なんかとんでもないよ。それに私は身の丈にあった生活がしたい。安くて美味しいお店でご飯を食べて、手頃な値段でそこそこ質の良いものを売ってるお店で服や家具、雑貨を買う。地道に働いて、時々ちょっとした贅沢をするくらいがいい」
「奇遇だね。僕も同じような考えだ。ほら、君も僕もなにも違わない。むしろ同じ部分のほうがたくさんあるよ」
「うん」
佐々木さんの腕がゆるみ、体が少し離れた。
「ドレス、よく似合っているよ。海外ではずっとこのドレスを作っていたんだ。君が着てくれる日を想像して。本当は電話して声が聞きたかった。でも君の声を聞いたら、その勢いで告白してしまいそうだった。それは絶対にしたくなかったから」
ゆっくりと私の頬に手を当て、存在を確かめるように撫でる。温かく大きな手を覆うように自分の手を重ねた。
「好きだよ。宏実のことが大好きです」
「うん。私も好きです、浩司さん」
初めてお互いのことを名字ではなく名前で呼んだ。それは少しむずがゆくて、恥ずかしい気持ちになる。
静かに近づいてくる唇を、待つようにゆっくりと目を閉じた。さっきのような一瞬で終わってしまうキスではなかった。
佐々木さんの手へ肩から腰へ回る。私は当たり前のように佐々木さんの背中に回した。すると佐々木さんの手が怪しい動きを始める。後ろにリボン結びを解き、背中のチャックを下ろそうとしている。反射的に佐々木さんの胸を押した。
「ちょっと、なにしてるの!」
「えっ、あ、ごめん。無意識だった」
「ここ、どこだと思ってるの。自分の職場でしょ」
「うん。そうだね。よし、帰ろう」
「えっ」
佐々木さんは私からスカート部分を取り、コートを着せた。それからオフィスの戸締まりをし、私の腕を引っ張りながらオフィスを出た。
そのまま佐々木さんのマンションに泊まることになった。もう、あれやこれやの展開についていけない。朝方、幸せそうな寝顔の佐々木さんを残してベッドから這い出た。
私の中では佐々木さんは穏やかな人だと思っていた。人間以外の生き物で例えるならウグイスみたいな鳥だ。それは勘違いだった。正しくは狼かライオンだ。時差ボケはないのだろうか。夜でもなんであんなに元気なんだ。
朝だというのに魂が抜けている私は、珍しくタクシーで実家に帰った。
家に入りキッチンにいる涼太を見て、しまったと思った。なんでアパートに帰らなかったんだろう。そこまで頭が回らなかった。
私の顔をじっと見て「ふーん」と涼太は言った。
それを無視して部屋に入ろうとしたとき、バッグからマナー音が聞こえていた。スマホを見ると佐々木さんからの電話だった。急いで部屋に入り画面をタップした。
「もしもし」
『あ、宏実。勝手に帰ることないだろ。隣にいないからびっくりしたよ』
「ごめん。よく寝てたから、起こすのも悪くて」
『今、家?』
「そう。着替えたらすぐに行かないと」
『そっか。休みの日とか決まったら連絡して』
「わかった」
『うん、仕事頑張って』
「浩司さんも」
電話を切り「キャー」と言いながら、ベッドの上に転がった。
うわ、なにこの感じ。すっごく照れるのに嬉しいんですけど。なんだかんだ言っても、幸せだなと思った。
「美味しそう。浩司、イタリアンも得意なんだ」
テーブルの上にはいい香りを漂わせたパエリアが置かれた。
「パエリアはそんなに難しい料理じゃなないよ。たぶん涼太君も作れるんじゃない」
「どうだろ。うちでは出てきたことないかな」
パエリアを取り分け「いただきます」と言ってから、それを口に運ぶ。
「美味しい。魚介類の味が染みてる」
「そう。気に入ってもらえてよかった」
私と浩司は相変わらず、美味しいものに目がない。外で食べるときもあれば、浩司の手料理の日もある。私の勤務時間がまばらなため、気が付けば半同棲状況になっていた。はっきり言って、ここ最近はアパートに帰った記憶もない。
涼太には「同棲すれば。てか、結婚しちゃえば」と言われている。そして加絵にも同じことを言われた。
「昨日さ、田崎さんにいつ結婚するんだって聞かれた」
「結婚しろっていう人がまた一人増えたね」
「ねえ、してみる? 来年くらいにでも」
「いいよ。その代わりちゃんとプロポーズしてね。じゃないと結婚してあげない」
浩司は笑いながら「最高のプロポーズの言葉を考えない」と言った。
浩司の仕事は順調に進んでいる。ウェディングドレスを作る傍ら、Maria Afternoonのドレスも作っている。どちらも評判がいい。当の本人はただいいもの作っているだけと言って、案外あっさりしている。
私が相変わらずホテルで忙しく働いている。
「この前、アルバイトの子に彼氏さんと馴れ初め教えてくださいって言われたんだ。よくご飯を食べに行く友だちだったのって言ったら、その子、すごいこと言ってきたんだよ」
「どんなこと?」
「へえ、メシトモだったんですね。食欲って、いろいろな欲につながってるって言いますよね。きゃっ、相性抜群って。周りにいた男性スタッフなんか微妙な感じでにやけてて。絶対に変なこと連想されたよ」
浩司は「若い子なら、そういう感じの話に持っていきがちだよね」と笑っている。
「それにさ、僕らの出会いはヴェールを落としたことだけど、付き合いたいって思えたのはご飯のおかげだよ。だからいいんじゃない。食の好みが一緒で、他のものでも好きが一緒で、気づいたらその人を丸ごと好きになってました、でさ」
「そうだね」
空になったグラスにワインを注ぐ。それを美味しそうに浩司は飲んだ。ああ、その顔すきだなと思う。
グラスを置いた浩司が急に真面目な顔になった。
「宏実、来年はやめよう。今しよう。僕と結婚してください」
「はい」
色気もムードもない。でも私たちにはちょうどいい気がする。
美味しいご飯があって、部屋には彼が大事に作ったドレスあって、私と浩司がいる。私たちの大事なものが手の届く世界。そこで二人が楽しく暮らしていけたら、それで充分だ。




