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ヴェールと涙(1)

「宏実、最近なんかあった?」

 食堂でお昼ご飯の中華丼を食べていると、目の前に座っている加絵がにやにやしながら聞いてきた。

「なにもない」

「嘘だー。憂いた色気が漂っていますよ。その色気の原因はなにかしら」

 カルボナーラをフォークで巻き取りながら、私の様子を窺ってくる。

「憂いた色気って初めて聞いたよ。そんなの存在しないでしょ」

「あるよ。色気と一言で言っても、いろいろあるんだよ。挑発的なのとか、艶っぽいのとかね。宏実は憂いた感じだね。寂しさから来るのかな」

「別に寂しくないし」

「はいはい。で、佐々木さんに会うのはいつ?」

「今度、会う約束はしてるけど、いつ会うとまではしっかり約束してないよ」

「そう」

 今の私になにを言っても無駄と思ったのか、それ以上佐々木さんのことには触れなかった。

 あの朝、別れてから佐々木さんに一回しかメールを送っていない。来月にならないと休みがないこととを伝えるメールだ。

 佐々木さんもそれに対して簡潔なメールを返してきて、それから連絡がなにもない。

 中華丼が残り半分になったとき「ここいいか」と言って、近藤さんが隣に座った。

 加絵は近藤さんと私を交互に見て、にやにやしていた。

「なあ、今度、飯でも行かないか」

「私と近藤さんとで、ですか?」

「ああ、たまにはいいだろう」

「そうですね。予定が合えば是非」

 なんの脈絡もなく食事誘われた。

 加絵は「ごちそうさまでした。先に行くね」と言って、私と近藤さんを残して行ってしまった。私が食べ終わるまで待っててくれてもいいでしょ。

 近藤さんは特になにも言わず、とんかつ定食を食べていた。そのうえ、なんとなく話しかけるなというオーラを感じ取り、私も中華丼を黙々と食べて先に席を立った。

 更衣室に戻ってスマホを見てみた。そこにはメール一件と着信が一件あった。それは両方とも佐々木さんからだった。

《来週、休み取れそう?》

 そのメールを見て、佐々木さんに電話を掛けた。四回の呼び出し音のあとに「もしもし」と聞こえてきた。

「杉山です。休みのことで」

「うん」

「来週の火曜日と木曜日のどちらかなら休めそう」

「よかった。僕も火曜日が休めそうなんだ」

「じゃあ、火曜日にね」

「じゃあ」

 電話を切るとあの夜の気持ちがぶわっと広がった。

 保留なんだから、普通にしていればいいや。保留なんだから。

 そう言い聞かせてから、更衣室を後にした。

 メイン・ダイニング・ルームへ戻ると、近藤さんは変わって様子もなく、仕事をしていた。

 近藤さんが誰かを誘って食事や飲み会をするような人ではなかったから、ちょっと気になったけれど別に深読みする必要もないか。

 自分のやるべき仕事をなにより優先することが大事だと思い、新しいディナー用のテーブルクロスを手に取った。

 カレンダーが次の月に替われば、装いも新しくなる。そういう準備が月末には多い。

 人間もカレンダー通りに変化できたらどんなに楽だろう。えんじ色のテーブルクロスを掛けながら思った。


 明日、私はなにを着ればいいでしょう。

 クローゼットから出した服を、ベッドの上に無造作に置いていく。

 今まで佐々木さんに会うからといって、服装で悩んだことがない。それなのになぜこんなことになって居るのかと言えば、ヴェールを着けるからだ。

 やっぱり白いワンピースがいいのかな。それとも黒とかの濃い色の服がいいのかな。そうすれば、ヴェールと色がかぶらなくて、見やすいのかな。でも白かな。いや、いかにも狙いすぎている。花嫁姿を見てって言っているように思われても嫌だし。

 結局、水色のワンピースにした。これならヴェールを着けていても、ちぐはぐした格好にもならない。佐々木さんと会うときに何度か着たこともあるから、お洒落してきましたという雰囲気にもならないだろう。

 ベッドの上に散らばった服を元に戻して、今度は自分がそこに転がった。

 さっき来たメールで、佐々木さんのアトリエはあのマンションの一室だということがわかった。

 またあの家に行くんだな。別にあんなことがまた起きるとは思っていないけど、複雑。

 今日はバスを使って、佐々木さんの家に行く。この前はタクシーに乗っていたし、夜だったこともあって街並みを見ることはなかった。

 流れる風景を追いながら、目についたお店を眺めた。あのパン屋さん行ってみたいな。あんなところに古本屋さんがある。人の出入りが結構あるんだ。今度行ってみようなどと思いながら。

 自分が住んでいるアパートから比較的近いとは言え、こっちの方には来たことがなかった。だから、新しい景色を見るのは新鮮に感じた。

 佐々木さんの部屋のインターフォンを鳴らす。少し待つと、ガチャっという鍵が開く音がした。

「いらっしゃい」

 ドアが開くと佐々木さんが出迎えてくれた。

「おじゃまします」

「どうぞ。コーヒー入れるから座って待って」

 リビングにはソファセットとテレビ、観葉植物しか置いてなくて、随分とすっきりした部屋だった。

 ソファに座ると、もぞもぞとした感覚が起こり落ち着かなかった。それでも無理矢理落ち着かせた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

「早速で悪いんだけど、アトリエに来てもらってもいい?」

「うん」

 コーヒーを持って、ドアが全開になっている部屋へ入って行った。そこは寝室の隣の部屋だった。

 中へ入ると、思わず「うわ」と歓声を上げてしまった。

 六畳くらいの部屋には、棚と大きなテーブルにミシンが載っている。棚にはデザインの資料使うのであろう本が立ててあり、下の方の段にはたくさんの布が段ボールに入っていた。その横にはパイプハンガーに掛かったドレスが数着る。部屋の奥には二体のマネキンがあり、それぞれデザインの違うウェディングドレスを着ていた。

「デザイナーさんのアトリエってすごいね」

「見たいものとかがあったたら見ていいよ。僕はちょっと準備があるから」

 佐々木さんはテーブルの上にメジャーやファイルなど、これから必要なものをどんどん置いていく。

 私はパイプハンガーに掛かっているドレスを、慎重に扱いながら見ていた。

 このヴェール、あのときの拾ったやつだ。

 ハンガーに掛かっていたヴェールを取り出して、ゆっくり広げてみた。

 丈は私のふくらはぎ辺りまであり、四枚の層を織りなしているものだった。あのときは両手でぎゅっと掴んでいたから、ヴェールの裾についているレースがすごくきれいという印象だけだった。これはレースだけではなく、オーガンジーが特殊なものらしい。重なった四枚のうち、上から二枚目のだけが光の加減で薄いピンク色見える。そして細い糸で小さな花が刺しゅうされていた。

 細部にまで拘っているんだな。ヴェールでこれだけのものをデザインするなら、ドレスのデザインは果てしなく細かいことになりそうだ。

「杉山さん、準備できたよ」

「うん」

「あ、そのヴェール」

「うん。あのとき、すごくきれいだと思ったから」

「僕はこれを見ると杉山さんの後姿を思いだすんだ。両腕でヴェールを掲げていて、なんだか僕のヴェールがすごく価値のあるもの思えたんだ」

「私がどう持とうが価値はあるよ。ウェディングプランナーの友だちが佐々木さんのデザインしたドレスはすごく人気があるって言ってた」

 佐々木さんは私の手からヴェールを取り、元の場所に戻した。

「そう言ってもらえて嬉しいよ。じゃあ、ヴェールを着けてほしいんだけど、その前にアクセサリーやヘアピンを外してくれる。ヴェールに引っかかるといけないから」

 私は腕時計、ピアス、飾りで付けていたバレッタを外した。

「じゃあ、被せるね。留めるとき髪の毛を引っ張ったらごめん」

 私の後ろに立ち、ヴェールを被せた。そして前に回り、数か所をヘアピンで留めた。

「これがアンティークのヴェール?」

「いや、これは僕がサンプルとして作ったもの。本物は向かって右側のボディがしているやつ」

 そのヴェールは白というよりアイボリー色になっていた。本当に古いヴェールなんだろう。

 佐々木さんはメジャーでサイズを測ったり、まち針で所々留めたりしている。

「このヴェールのことについて聞いてもいい?」

「どうぞ」

「アンティークのヴェールって、どこで手に入れるの? それとも代々家に伝わる家宝?」

「違うよ。友人のお嫁さんが独身最後の旅行をしたんだって。行先はヨーロッパ。そこでたまたま、そのヴェールを見つけたらしいよ」

「へえ。でもアンティークって高いんじゃないの?」

「いや、ピンキリだよ。由緒正しき名家のヴェールなら高いだろうけどね。これもアンティークだけど、今の僕らの感覚で言ったら古着と一緒。普通の家庭で見つかったヴェールを誰かが売ったんだろうね」

「そうなんだ。それであのアンティークのヴェールを原案にして、佐々木さんは現代用にアレンジをして作り直す依頼を受けたってこと?」

「そう。そして杉山さんはそのモデルになったってこと」

 ヴェールはどんどんまち針が増えていっている。くしゃみをしたらどこかに刺さりそうだなと思った。

「ちょっと前もいい」

 佐々木さんが私の前に来ると、目の前にヴェールを下された。

 視界が一瞬で乳白色の世界に変わった。白い世界越しに、佐々木さんと目が合う。私が目を逸らすよりも先に佐々木さんが目を逸らした。

 見られていてもやりにくいだろうから、視線を佐々木さんの胸辺りに落とす。そうすると、顎から首くらいしか視界に入らない。

 前の微調整はそれほどないみたいで、すぐに下ろされていたヴェールが上がった。

「杉山さん、もう少しだから」

「うん、焦らなくていいよ。そんなに疲れてないし」

「うん、でも本当にもすぐで終わるから」

 佐々木さんはスケッチブックに細かいことをメモしていた。そして手に持っていたものをすべてテーブルの上に置いた。どうやら終わったらしい。

「杉山さん、申し訳ないんだけど、写真を撮ってもいいかな。顔は映らないから」

「うん、いいよ」

 佐々木さんは棚からデジタルカメラを取り出し、まち針を打った場所を取り始めた。

「ごめん、杉山さん。これで顔を隠してくれる。どうやっても顔がうつっちゃうんだ」

 杉山さんから渡されたコピー用紙の束を顔の前に置き、佐々木さんの撮影が終わるまでその状況をキープした。

「ありがとう、助かったよ」

 佐々木さんは私の髪の毛に留っているヘアピンを慎重に抜いた。

「あ、今ちょっと髪の毛を引っ張っちゃったかな」

「ううん」

「よし、取れた。これでモデルは終了。すごく助かったよ」

「お役に立てて光栄です」

 佐々木さんはテーブルの上を軽く片づけ、私たち出会いのきっかけになったヴェールを持った。

「せっかくだから、これ着けてみる?」

「いいの?」

「うん」

 さっきと同じように後ろからヴェールを被せ、前に回りヘアピンで軽く留めてくれた。

「すごくきれいだよ」

 佐々木さんはパイプハンガーの裏に置いてあった、姿見を持ってきてくれた。

 鏡を見て、きれいとは思えなかった。やっぱり普通のワンピースとヴェールではどうしようもない。

「全然きれいじゃないよ。ヴェールがすごくきれいなだけ」

 そう言うと佐々木さんは後ろから抱き締めてきた。

 鏡には戸惑っている自分と、私の肩に顔を埋めて腕を回す佐々木さんの姿が映っている。

「佐々木さん、ヴェールが皺になっちゃうよ」

「大丈夫だよ、こういう素材はそんなに皺にならないから」

「そういう問題じゃないでしょ」

 こんなの保留できないじゃない。自分の気持ちを自覚してしまうじゃない。人の体温はずるい。もっとずるいのは意識している人の体温だ。

 違う。今に始まったことじゃない。本当は、このヴェールを拾ったときから佐々木さんが気になっていた。

 一緒に食事する時間と比例するように友情とは違う気持ちが増えていた。でも恋愛なんて面倒くさいって、いつも言っていたから自分の気持ちも見えなくなって、やっと見つけたら、その人には忘れられない人がいる。ほら、苦しい結末にしかならない。

 鏡越しに自分の顔を見た。苦しいのに嬉しい顔をしている。大丈夫、自惚れたりしないから。勘違いなんかしないから。

「佐々木さん」

 私の声に反応して、体が離れて行った。

「急にごめん」

「いいえ。ヴェール取るね」

「あ」と言って、佐々木さんが私の頭に手を伸ばしてきた。

 それを気がつかない振りをして、鏡に近づき自分でヴェールを外した。

「はい」

 佐々木さんは寂しそうな目でこっちを見ている。そして差し出されたヴェールを受け取った。

「うん、ありがとう。これからどうする。外にご飯でも食べに行く?」

「ああ、今日は遠慮します。実家で夕飯を食べる約束しているから」

「そっか、なら仕方ないね。また今度」

「はい。お邪魔しました」

 いつも通りの顔をキープして、玄関で靴を履き、もう一度「お邪魔しました」と言って部屋を出た。

 本当は実家に帰る約束なんてない。予定なんてなにもない。ただ、早く一人になりたかった。

 佐々木さんは知らないだろう。私の今の気持ちを。『また、今度』と言う言葉がどれだけ希望を持ってしまったか。その言葉で私は佐々木さんの近くいてもいいんだ、と思えたから。

 この気持ちをどうするか、早めに答えを出さなければいけない。そう思った。

 恋を自覚してしまうと、どうも自分に違和感が出てきてしまう。洋服を選んでいても“こっちのほうが佐々木さんは好きかも”といったような思考が出てくる。それでハッとして、買い物を中断してしまう。高校生みたいな発想で自分が恥ずかしくなる。

 こういった自分の中だけで起きている感情なら、自分で折り合いをつけるからいい。

 最近はまた別の問題が発生している。それは佐々木さんからの食事のお誘いや電話の量が増えた。

 今までは二週間に一回くらいの頻度で取っていた連絡が、週に二回くらいある。

 もちろん、電話のたびに食事に行こうと言われるわけではないけれど、電話の用件が“ただ話がしたくて”なのだ。

 これはまるで恋人ではないか。もう私の頭は限界です。この気持ちをどうしていいのか決めることすらできないんだから。

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