朝日とスープ(2)
「杉山さん、杉山さん」
誰だ、私の苗字を呼ぶのは。
「杉山さん、杉山さん……。杉山さん」
目を細く開けると、すごく眩しかった。
「起きた?」
「え、あれ、どこ?」
「あの、僕の家です」
「ああああ! ごめん! 佐々木さんを送り届けて、すぐに帰ろうと思ったんだけど、ソファに座ったら寝ちゃった」
状況が呑み込めてくると、頭もだんだん覚醒した。鞄からスマホを取り出して、時間を確認すると朝の五時半だった。
「杉山さん」
呼ばれたほうを向くと、佐々木さんが床に正座をしていた。
「なにしてるの?」
「本当にすみませんでした」
佐々木さんは所謂土下座をしている。
「そんなことしないで」
ソファから降りて、佐々木さんの目の前に座った。
「いや、本当にごめん」
「あのさ、記憶は全部あるの?」
「だいたいは。飛んでる部分もあるけど」
「じゃあ、寝室に入ったあとの記憶も?」
「はい。本当にすみません」
「もういいから。酔っ払いのちょっとした悪戯ぐらいにしか思ってないから」
そう言っても佐々木さんの中では、うまく消化できていないみたいだ。そういう真面目な性格だから仕方がないのだろけど。
「佐々木さん、二日酔いは大丈夫?」
「ああ、僕、二日酔いはないタイプだから」
「私と一緒だ」
「ああ!」
佐々木さんが突然叫んだ。
「びっくりした。どうしたの?」
「杉山さん。仕事大丈夫?」
「うん、今日は休みだから。佐々木さんは?」
「僕はフレックスだから大丈夫」
「ねえ、もう正座はやめよう」
フローリングの上に直に座るのはやっぱり痛い。L字型のソファの両端にお互い座った。
佐々木さんは昨日と同じ服のままで、起きてすぐに私に気がついたのだろう。
あ、寝顔見られた。化粧、溶けてないかな。マスカラ、大丈夫かな。ここに長居しても、しょうがない。
「えー、私はもう帰ったほうがいいよね」
「いや、今後のことを」
「今後って、今まで通りでいいと思うけど」
今の私たちではそれ以外どうにもできない。それしかない。
「いいの?」
「うん」
佐々木さんは、ほっとした顔した。
「じゃあ、私は帰るね」
「いや、ちょっと待って」
「いや、朝飯おごるよ」
確かに、お腹はすいているけど。私にしても、佐々木さんにしても、いろいろあったから、楽しく朝食にはならないような気がする。
「僕とご飯食べるの、嫌?」
「そんなことない。食べよう、朝ご飯」
大きな体を小さくして不安そうな顔でこっちを見ている。それがぱっと明るくなった。
きっと、いつもの私たちに、今戻っておかないと次はない。佐々木さんはそう思っているのかもしれない。大事な人が前触れもなく突然消えた。こんな状況だから、私が消えてもおかしくないと思ったのだろう。
「で、どこで食べるの?」
「ここから歩いていける五分のところにスープの専門店があるんだ。もちろんスープだけじゃなくて、パンやサンドイッチとかもあるし」
「へえ、この時間でもう開店してるの?」
「うん、五時から営業だから」
「そうなんだ。じゃあ、そこに行きたい。その前に洗面所借りてもいいかな?」
「うん、キッチンの真向かいにあるから」
洗面所に入り電気をつけた。鏡を見て絶叫するような顔になっていたら、どうしようかと思ったけれど、いつも通りの顔で安心した。
髪と顔を軽く直して洗面所から出ると、ちょうど寝室から出てきた佐々木さんと目が合った。
上だけ着替えていたみたいで、濃紺のワイシャツから黒いパーカーになっていた。
「もう、出かけられる?」
「うん」
佐々木さんの後に続いて部屋を出た。
マンションからスープ屋さんに行くまでの道は直線だった。ただ、朝日に向かって歩かなければならなくて、寝不足の私には相当きつかった。
佐々木さんは何度か頭を振っていた。二日酔いはなくても、あれだけ飲んでいれば、この朝日の攻撃はきついに決まっている。
あまりの辛さに私たちはずっと無言だった。
「太陽、危険だわ」
お店の前に来て、最初に出てきた言葉がそれだった。爽やかな朝と健康的な食事には全く似合わない言葉だ。
佐々木さんは「光が痛かった」と、ぼそっと呟いた。
「入ろうか」
「うん」
自動ドアが開いた途端「いらっしゃいませ」と言う、爽やかな店員さんの笑顔に迎えられた。その笑顔は朝日より優しいと思った。
店内は普通のファストフードと同じようなお店だった。
「なに頼む? 好きなのを頼んでいいよ」
レジの前にあるメニューに目を通した。
野菜スープが豊富に取りそろえてあって、どれも体に良さそうだ。
「あのジャガイモとそら豆のスープ一つ。それとハムサンド一つで」
私と注文に続いて佐々木さんがニンジンとトマトのスープとバターロールを頼んだ。
「お席にお持ちしますので、こちらの番号札を持って、二階のお席でお待ちください」
レジの横にある人と人がすれ違うことがぎりぎりできる幅の階段を上り、二階へ行った。
思っていたより人は居て、窓側にある席はすべて埋まっていた。
私たちは朝日からなるべく離れるように奥へと進んだ。壁に向かうように設置されたカウンター席に座る。
その席はちょっと面白いものがあった。壁に埋め込まれる形で、ランダムに十五センチ四方の小窓があった。その小窓の中には、ミニチュアの模型が入っていた。
牧場と牛乳を運ぶお爺さん、草原で遊ぶ子供たち、洗濯物を干すお母さん、屋根の上で寝ている猫、風船をたくさん持った小さな女の子。どれもすごくかわいかった。小さいころ見ていた絵本やアニメの世界のようだった。
「楽しそうだね」
横から佐々木さんが言う。私はミニチュア模型から目を離すことができず、そのまま「うん」と頷いた。
「杉山さんはどれが一番好き?」
「これかな」
小さな小窓を覗き込みながら指差した。小さな男の子が同じくらいの年齢の女の子に花冠を載せようとしているものだ。
「どれどれ」
「ほら、かわいいでしょ」と言って横を向いたとき、佐々木さんの顔が近距離にあった。
お互い目を見開き、素早く体を離した。
一瞬、昨日のことがフラッシュバックする。
どうしよう、顔が熱い。この感じだと耳も赤くなっているかもしれない。
隣の佐々木さんをチラッと見ると、口元に手を当てて反対側に顔を向けていた。表情はよく見えないけれど首が真っ赤だった。
「お待たせしました」
なんとも言えない空気を終わらせてくれたのは、店員さんとスープだった。
私と佐々木さんの間にトレーが置かれ、番号札を回収して、店員さんは「ごゆっくりお召し上がりください」と言ってから居なくなった。
「食べようか」
首がまだ赤いままの佐々木さんがこっちを見て言った。
「うん。食べよう」
耐熱用の紙コップの蓋を開けると、アイボリー色のスープに、鮮やかな緑がぽつぽつと浮かんでいる。スプーンでゆっくりとかき混ぜて、少し冷ましてから口に入れた。
バターがほんのり効いていて、噛むとそら豆の味が広がった。
「温かい」
美味しいよりも、そっちの言葉の方があっている気がした。
「うん、温かいね」
佐々木さんもニンジンのスープを飲みながら言った。
サンドイッチもすごく美味しかった。
特に話もせず、黙々と朝ごはんを味わった。
「駅まで送らなくていいの?」
「うん、すぐそこだし」
来たときは攻撃的だった朝日も、少し高い位置に動いたおかげで、普通の太陽になっていた。
駅に続く横断歩道の前で立ち止まった。
「あのヴェールのことさ、まだ引き受けてくれるかな」
「ヴェールをリメイクするってやつでしょ?」
「うん」
「やるよ。休みの日が決まったらメールするね。丸一日使えるほうがいいでしょ」
「そうしてもらえるとありがたい」
「わかった。じゃあね。朝ごはん、ごちそうさまでした」
「うん、昨日はありがとう」
「別に私はなにもしてないよ」
そういうと佐々木さんは照れたように髪の毛を掻いた。
「ねえ、また靴下違うよ」
「あ、朝は履き替えたときだ。昨日はちゃんと同じの履いてたんだけど」
「そうだね」
「もしかして、毎回、僕の靴下見てる?」
「うん。佐々木さんに会ったときの日課だから。じゃあね」
話している間に何度か見送った青信号を渡った。




