第17話 シャル過去編②
「はあ……はあ……」
月の光も届かないような深い森の中、私の必死な呼吸音だけが暗闇の中に響く。
さっきからどんどん心臓の音が早くなっている、足の裏もずきずきと痛んできた。
(……まだ追いかけてきてるかな?)
気づけばお父さんと別れてから結構な距離を走っていた。一度止まって後ろを振り返るが、人の姿は無い。
一瞬内心でホッとするが、同時に誰もいないという事実を突きつけられる。
いつも隣にいてくれたお父さんは今はもういない……
自分の心臓の音さえ聞こえそうな静寂が私の不安を煽る。
(これからどうすれば……?)
お父さんには逃げろと言われたがこれからはどうすればいいのか?
もちろん家に戻るわけにはいかない。
しかし、私には行く宛も頼れる友達などもいない。
それに今までめちゃくちゃに走ってきたので今、私自身がどこにいるかも分からないのだ。
私は疲れのあまりその場に膝をついて倒れこんでしまった。
自分では気付いていなかったが相当な疲れが溜まっていたのだろう。
(これ以上は走れない……)
自分の事は私が一番わかっていた。
今まで私はずっと家の中で過ごしてきたのだ、外を走ったなんて一体何年ぶりだろう?
だが、今となってはもう少し運動していてもよかったと思う。
(まさか……こんなことになるなんて……)
木々の隙間から青白い月の光が微かに差し込んできた。
その僅かな光が今まで暗闇に呑まれていた私の体を照らし出す。
腕や足に少し切り傷のようなものがある。
いつの間にか怪我していたのか、傷からは少量の鮮血が流れ出ていた。
(どこか少し休めるような場所は……)
いつまでもここで立ち止まっている訳にはいかない。
そう思い立った私はゆっくりと立ち上がり辺りを見回す。この周辺に建物らしきものは無さそうだ。
(せめて小屋のようなものがあれば……)
人にさえ見つからない場所に行けばしばらくは休んでいられそうだ。
(行こう……)
覚悟を決めた私は強く拳を握りしめ、月明かりが照らす森の中を歩き始めた。
「シャルちゃん?」
白が心配そうな表情で聞く。
突然、黙って俯き始めたシャルを心配に思った白がシャルに声を掛けたのだ。
「あ……え、だ、大丈夫です」
シャルは一瞬、驚いたような反応をしたがすぐに顔を上げた。
その表情は今までと同じ無表情だったが、その紫色の瞳はこの世界の終わりを映すような悲しい雰囲気を漂わせていた。
だが、シャルがそんな表情をしても俺にはこんな時どうすればいいかなどさっぱり分からない。
何か嫌なことでも思い出したのだろうか?
今の俺にはそのくらいのことしか分からない。
すると、白もそれに気付いたのか優しい表情になり、シャルの頭にゆっくりと手を置いた。
「ほら、笑って折角の可愛い顔が台無しだよ?」
白がそう言うとシャルは満面の笑み……とまでは流石にいかないが、少なくともクスッくらいはしたと思う……俺から見たからだけどな……
正直ここからだと白達の顔があんまりよく見えないんだよな……
見た感じでも3メートルくらいは上にいるし……
え? なんでそんな位置にいるかだって? それは……大体3分くらい前にさかのぼる。
……3分ほど前……
「は~い、任せて~」
グラスの言葉と同時に今まで吹いていた風が完全に静止し、辺りの気温が急激に下がり始めた。
明らかに周りの様子がおかしい。
そして、その変化は周りだけでなくグラス自身にも表れ始めたのだ。
最初は白い冷気のようなものがグラスの体から出ていただけだったが、その冷気の量は時間と共に徐々に増えて行った。
そして一分もするとその冷気はグラスを中心に半径10メートルほどの球体になるまでに大きくなっていた。
その冷気はある程度の大きさになると徐々に薄くなっていき、最終的には風に乗って消え去っていった。
その後、何事かと近寄った俺たちの目の前には……
全長15メートルはあろうかという巨大な龍が佇んでいた。
その龍の体の至る部分からは先ほどと同じような冷気が流れ出ていた。
鱗一枚一枚が青色に輝き、その姿は冷気と相俟って神々しさをも感じさせるようなものだった。
しかし、残念ながらその美しい姿を見て「ほーすげー」と感じる余裕はその時の俺たちにはなかった。
突然、目の前に巨大な龍が現れたら、普通驚くだろう。
俺は目の前の光景に何も言えず口を開いて、ただただ突っ立っていた、開いた口が塞がらないとはまさにこのことだろう。
隣にいたバン達も全員が腰を抜かすほど驚いていた。その姿は3人とも見た目が見た目なので少し意外だったが、多分これが正しい反応なのだろう……
ちなみに白の隣にいたシャルちゃんはと言うと……見事なまでに無表情を貫いていました。
「そんなに驚かないでよぉ~ボクだよボク~」
突如、俺たちの耳に聞きなれた声が聞こえてきた。
「グラス……なのか……?」
その声は紛れもなくグラスの声だった。
しかし、その声を発したのは言うまでもないが、目の前の巨大な龍だったのだ。
すると突然、龍の真横に文字のようなものが現れた。よく目を凝らして見てみると……
《竜種:氷結龍 グラス》
竜種……? ていうかなんだこの文字!?
俺が次から次に飛び込んでくる情報に混乱していると、俺の脳内に直接語りかけるような聞き覚えのある無機質な声が響いた。
『ただ今より解析可能な情報はタスク様の視界に直接送らせていただきます。』
紛れもない。俺のスキル:ガイドの声だ。
どうやら分からない情報が多すぎる俺の為に気を利かせてくれたらしい。
そもそもスキルが気を使うということがあるかどうかは分からないがここは素直に感謝しておこう。
決していちいち教えるのがめんどくさいとかそういうわけではないと思う……多分……きっと……
「グラス~♪」
突然、白がグラスの巨大な頭をなでなでし始めた。それにグラスは甘えるように首を動かす。
(うん、この反応は絶対グラスだ)
それを見たバン達もなんとなく察しがついてきたらしい、少しずつだが冷静さを取り戻してきたみたいだ。
それでも白以外に声を上げる者はいない。いくら目の前の龍がグラスだと分かっても、それはそれでびっくりする。
俺たちが驚きのあまり声を失っていると、それを見た白は予想どうりと言わんばかりの清々しい笑顔で
「ね、驚いたでしょ~」
何故かちょっと悔しいがこの際そんなことはどうでもいい。
そう思いながら俺は目の前のグラスを見上げる。
きっとこれが白の言っていた移動手段なのだろう。
数分前の体の小さなグラスを思い出すと少し不安が残るのだが……
「なぁ本当にグラスに乗っていくのか?」
「そうだよ~」
「ボクに乗って行けば西の町へなんて一発だからね!」
俺の質問には白とグラスが自信満々といった表情で答える。
「おいおい、すげーぞお前ら!」
「やばいっすね兄貴!」
「……」
バン達も興奮した様子で大きくなったグラスを見て楽しんでいる。
……若干一人、目が死んでいる人がいたが……まあ大丈夫だろう。
龍なんて男からしたらロマンの塊のようなものだ、バン達が興奮するのも無理ないだろう。
実際、俺も初めはびっくりしたがグラスと分かった今では、恐怖心より好奇心が上回っている。
「正直、あいつらがやられたなんて信じられなかったが……これを相手にしていたとなると信じざるを得ないな……」
そう言いながらバンは呆れたような表情でグラスを見上げる。
バンが言っているのは多分、俺を路地裏で襲ったあの男の人たちのことなのだろう。
どうやらバンも、あの男の人たちを白とグラスが倒したということは半信半疑だったらしい、その疑いも今のグラスの姿を見たことで吹き飛んだみたいだが……
ここで俺の頭には一つの素朴な疑問が浮かんだ、あの男の人達どうなったんだろ?
確か白達が凍らせたところまでは覚えているが、そこから先は意識なかったし何も分からないんだよな……
「あの~今更で申し訳ないが……あの男の人達って大丈夫だったのか?」
「あいつらなら大丈夫だったぞ、氷が解けてから回復薬をぶっかけたら元気なったな、よく全身凍ってたのに生きてたよな」
ハッハッハとバン達は笑っていたが……そう考えるとちょっと可愛そうだな、というかよく生きてたな
今思えば全身カチンコチンに凍ってたのに回復薬を掛けただけで治るものなのか?
その回復薬の効果がどんなものかは知らないが、白の魔法レベルにすぐ治すって訳じゃないんだろ?
「あの人達なら手加減したんだよね、グラス?」
「そうだよ~あれは体の周りだけを凍らせて芯までは凍らせないっていう高等技術だからね~ あ、本人たちは気絶してただけだよ~」
シャルがはてなマークを頭上に浮かべている。
これはシャルに会う前の話なので話に付いてこれないのは当然だ。
(話を始めたのは俺なんだけどね……)
とにかく、話を戻すため一度話題を変えよう。
「それでグラスには全員乗れるのか?」
「う~んとそれは……」
確かにグラスは大きくなったが俺たち6人が乗るには少し無理がある気がする。
せいぜい背中に乗れるのは3人くらいだろうか?
「まぁとりあえず、先に僕とシャルちゃんだけ乗ろうか?」
白の言葉にシャルは小さく頷く。
「グラス~よろしく~」
白がそういうとグラスは前足? で白とシャルを掴み、ヒョイと自分の背中に乗せた。
そしてその二人を見上げるような形で話をしている、今の状況に繋がるのだ。
だが、やはり全員が乗るのは難しいようだ。
今は白とシャルが乗っているが、もうあと一人乗れるかといったような感じだ
「おーい白ー、これって俺たちちゃんと乗れるのか?」
もう無理だから徒歩で……なんて言われたら本当に死んじゃうからな、馬車を使っても3日かかるってのに俺なんかがそんな距離歩いたら……
「大丈夫だよ、ねぇグラス?」
「そうそう~」
そう言うとグラスは後ろ足2本で立ち、俺たち4人を前足でガシッと掴んだ。
(全員乗るのかな?)
俺は内心そう思いながら、空中で風に吹かれぶらぶらと揺れる。
「じゃあ出発!」
俺たち(ぶら下がっている4人)は一斉に顔を見合わせる。
「え? ちょっとま……」
バサッ
そう音を立てながらグラスは巨大な二つの翼を広げる。
そして、その翼を大きくはためかせる。
ゴウゴウと音を立てながらグラスの体は地上からふわりと浮きあがる。周りの草は地面に打ち付けられたように横向きに倒れ、辺りの風は一気にかき消された。
「いやいやいや絶対おかしいだろ!」
「あははは、大丈夫だよ~ちゃんと掴まってってね~」
「「「「あぁぁぁ~~~」」」」
こうしてグラスの背中に乗る2人以外の俺たちの恐怖の空の旅が始まったのだった。