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王国の君  作者: てんまゆい
二章 外へ
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28 窮鼠

 虎か、熊か。

 人よりはそう形容すべき体躯は縦にも横にも大きく、防寒具(毛皮)に覆われた胴とは打って変わって剥き出しの腕は毛深かった。


「最近のガキはどんな遊びをするんだ? 鬼ごっこか? かくれんぼか? ええ? オレにも教えてくれよ」


 肉食獣のごとく獲物を品定めする視線を前に、靴底がじりじりと砂埃を噛む。

 見つかった以上、隠れるという選択肢はない。

 先生に匹敵するかはともかく、格上と見て取れる敵の出現に逃亡を選択したくなるのは当然のこと。


「あぁぁ、くそっ……!」

「――待って。背を向けたらダメ」


 気圧されるまま、一目散に逃げる気配を強く発したジェイを寸でのところで引き留める。

 それでも、眼前で獲物を前に舌なめずりする獣から注意は逸らさない。先生以上と想定して対応する必要がある以上、背中を見せるのは却って大きな隙を晒すことと同義。相手の間合いがわからない現状、せめていつでも対応できるように身構えているしかないのだ。


 それでも、退路がこちらの背後にあるだけ状況は良い。

 例え相手にとって退屈しのぎの余興という理不尽極まる状況とはいえ、傍目にも明らかな油断も数少ない光明ではある。


「ならおいかけっこをしてやろう。一〇(とお)数えたら追いかけるぞ? ほら、逃げろ逃げろ!」

「――走って!」

「っ!」


 相手が数を数え始めるや否や、踵を返してジェイの背中を叩いて走る。

 ――――抗う手札の少ない今、距離を稼ぐことは最善の策。相手の申し出に乗るなら呆気にとられるほど迅速に。

 嫌らしい手口も、先生との鍛錬を思い返せば対応に迷いはなかった。


「どうすんだよ!?」

「上を突破するしかないよ! 先行けるなら行って!」


 魔力感知も出し惜しみせずに拡げながら、背後の警戒に幾ばくかの意識を置き続ける。

 相手の言を信じる理由は何一つない。一〇(とお)数えたら追いかけるなんて、実際に一〇(とお)数える保証もなければ、それを強いることもできやしないのだから。


「――――きた!」


 速い。

 階段を駆け上がり終えて扉を乱暴に開きつつあるジェイを見ながら唇を噛む。

 力がありそうな見た目の通りに鈍重であってくれたらよかったのだけれど、魔力感知の範囲にかかった相手はなかなかの速度で追いかけてくる。じわじわと距離を詰めて、精神的にも追い詰めようとする意図が透けて見える速度。


「前は!?」

「屈みながら走って!」

「無茶言うな!!」


 不意打ちに取っておきたかった【水流】も、出し惜しみして足を取られたらそれこそ本末転倒。

 悲鳴じみた抗議を上げながらも頭を低くしたすれすれを通し、魔力感知で掴んだ大人の背丈目がけて【水球】を滅多矢鱈にばらまく。


 三発ずつお見舞いされて二人が昏倒、残る一人も転倒。その横を駆け抜けるジェイに続きながら身を起こそうとする男にもう一撃おまけ。通り過ぎた脅威に価値はないと、以後は意識から切り離す。


 扉を閉める代わりに簡素な【水盾】を置いてひたすら駆ける。

 道なんて思い出せない。

 ジェイの背中を信じて追う。

 障害となる大人に【水球】を浴びせる。

 追いつかれそうになる前に【水盾】を張って足止めする。

 拙い魔術であっても、浪費に近い魔力消費でも、僕の魔力量であれば文字通り湯水のごとく使い捨てられた。


 ――――ただ、運はなかったらしい。


「――――! 袋小路……! くそ、くそ、くそっ!!」

「……っ……!」


 来た道を除く三方を壁に囲まれた空間。

 引き返したところで、追っ手との鉢合わせが避けられないところまで進まれていた。

 この場で迎え撃つ他ない。


「……【水盾】」

「な――――なにしてんだよっ!? 引き返すしかねえのに」

「もうそこまで来てる」

「は……っ、あ……っ、ぁぁぁぁああああ…………っ……!!」


 無理矢理引き絞られたような、力ない嗚咽。

 逃れられない現実が迫りつつある事実に、ジェイの心が折れたのがわかった。

 ……僕だって泣きたいよ。

 でも、泣いたところで、諦めたところでどうにもならないなんてことは、先生から最初に嫌という程刻み込まれたのだ。

 だから、泣きそうでも、何かが零れそうでも、視線は下ろせない。

 何も思いつかなくたって、考え続けることを止められない。

 手段が限られているとしても、立ち向かうことを最後まで諦められない。


 どん。

 どん、と。

 何かを叩きつける音が幾度となく響いて、見える中で一番遠くにあった【水盾】が形を崩す。

 大柄な影が幾人もの手下を引き連れて姿を見せた。


「……まだあんのかよ」


 僕達と追っ手を隔てる【水盾】の数に、獣のごとき大男の呟く声に押し殺しきれない億劫さが滲んだ。

 それは、わずかでも相手に通じるという手応え。

 なら、愚直なまでに繰り返せば、せめてもの時間は稼げる。


「【水盾】」

「――――!」


 一瞬の隙を突いて、眼前ギリギリに【水盾】を張り直す。

 表情を歪める手下達。


「いや、凄え。凄えな。どんだけ魔力が余ってたらこれだけの【水盾】を出せるのか見当もつかねえ」


 呆れたような声。

 彼らを率いる者の消沈したような声音に、得物を構えていた手下達も緊張を滲ませる。

 今更ながらに、自らが相手をしている者が、子どもとはいえ多大な力を有している可能性があるのだと。


「随分な素材を拾ってきたじゃねえか。なあロゾネ」

「――――だろう?」


 カツ、カツ、と。

 劣悪な建物内に見合わぬ質の靴音が響く。


「君達の作るアレの、絶好の核になるだろうと思ってね」


 破落戸に囲まれていることが不思議なくらいには上等な仕立ての衣服に身を包んだ男だった。


「ならさっさと出しゃいいだろ」


 大男を相手に余裕のある笑みを浮かべて歩く男は、割合整った顔貌をしていて。


「お愉しみなら出し惜しみくらいするさ」


 にもかかわらず、喜悦と余裕を滲ませる危うい眼差しが印象に残る人物だった。


「まさかわざと逃がしたわけじゃねえだろうな……?」

「どうかな。――でも、面白いものが見れただろ?」

「――――――――ッ!!」


 愉しげに唇を歪めた男と目が合った。

 否応なく総毛立つ。

 当然だ。

 纏う雰囲気も尋常ならざる相手なら、自分達を攫った当人をどうして警戒せずにいられようか。


「悪くはないね。……拙いけれど、込められた魔力は補って余りある。枚数も潤沢。気力はまだまだ持ちそうだし、破られてもすぐに出せるんだろう?」

「…………」


 君のところに辿り着くには、骨が折れそうだ。

 笑顔でそう零しながら手に魔力を収束させる男に、半生でも指折りの警戒感が胸を埋め尽くす。


 それでも、できることは次に備えて手のひらに魔力を寄り集めることだけで。






「――――――【◆◆◆】(シャンブルズ)






 囁きとともに。

 【水盾】が悉く掻き消えた。

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