05 近衛騎士団長
ヴィンセント5歳
王族の修練場にて
早朝。
眠い目を擦りながら、案内役の背中を負って辿り着いたのは土が剥き出しの広場。
あたりを見回せば、ほど近い場所で青色の鎧を着た騎士が黙々と剣を振っている。
上げて、下ろす。
ただ、それだけの動作だ。
でも、ただそれだけの動作が、どうしてだろう。
(……きれい……)
その動作をひたすら繰り返す様子に、ぼんやりと美しさを感じて見入っていたのがいけなかったんだろうか。
「…………ぁ」
はっとして案内役を探すと、彼はもう来た道を戻り始めていた。
見知らぬ場所に、一人。
途端に感じ始めた息苦しさが、足を竦ませて。
迷って、けれどここに来た理由を思い出した僕は、胸にわだかまる靄を抑えて、意を決して騎士の下へと歩みを進める。
僕とは比べものにならないくらい大きくてがっちりした身体。
近づくにつれてよりはっきりと聞こえてくるのは、剣が振り下ろされる音と、鎧が微かに立てる音。
首から上は日に焼けた肌が覗き、皺の刻まれた険しい顔が見える。
(……目、閉じてる?)
何かに集中しているような、真剣な表情。
武骨な顔の作りも相俟って、ひどく険しそうな人物にも見えた。
けれど、黙って突っ立っていることもできなくて。
「……ぁ、……っ、あのっ」
ブン! と空気を切り裂いて振り下ろされた直後。
おずおずとかけた声に、騎士はようやく目を開いた。
「いかがでしたか、殿下」
「え? ……あ、凄かった、です」
「はっはっは、そう仰っていただけるならば、お見せした甲斐があったというもの」
武骨な顔に不釣り合いなくらい明るい笑みを浮かべると、満足したように頷いて、壮年を過ぎた歳の頃の男は腰の鞘に剣を仕舞った。
「申し遅れましたが、殿下の武術指南役を務めるアルジャーノン・デジレでございます。どうぞアルとお呼びください」
「はい。……あ、えっと、第二王子の、ヴィンセント・スレイスロードです。今日はよろしくお願いします……アル」
マルチダに習った通りに、名乗って一礼。
軽く伏せた顔を上げると、軽く目を見開いた騎士団長と目が合った。
「……臣下にも礼儀正しいのですな、殿下は。ですが、どうぞお気軽にアルとお呼びください」
どっしりとした低い声が朗らかな色を帯びる。
責めているのではなく、けれども聞き流すにはしっかりしたものを感じる声に、僕はどうしたらいいのか困ってしまった。
「……いやはや。時間もあまり多くはありませんから、早速始めましょう。こちらを」
沈黙に滲んだ困惑を察したのだろうか。
騎士はすぐにそう続けると、指南役の騎士は傍らの木箱から棒を二本取り出し、うち一本を僕に手渡した。
「殿下。剣の握り方、振り方をお教えした後、時間があれば少し手合わせを致しましょう。よろしいですか?」
「え、っと……はい」
手渡された木剣の重さに慣れなくて、何度か握り直しながら、アルに頷く。
まったく新しく習い始める僕にとって、英雄譚が懐かせる漠然とした理想像はあっても、具体的にどんな練習をしたいという気持ちや考えはまるでない。
王族を守る近衛騎士、その一団の長の言うことなら間違いはないはずだと、ただただ僕は首肯した。
「わかりました。では、最初は剣の握り方からお教えしますが――――」
「――――さあ、構えて」
教えられた内容を頭の中で反芻してみる。
――剣の持ち方、足の位置。
――縦に振り下ろす方法、切り上げる方法。
――左右の薙ぎ払い方、突き方。
途中で休憩を入れながら、慣れるまで繰り返した動き。
身体を動かしたことで帯びた熱と、少しの気怠さ。
代わりに覚えた動きを、改めて思い起こして、柄を握り直す。
「では、殿下のお好きなように攻撃を仕掛けて下さい」
「……行きます。え、えいっ」
同じように木剣を構えて佇むアルに向けて、縦に振り下ろす。
「うぁっ――と……ッ」
木と木をぶつけた硬い音が鳴ったと思ったら、腕が跳ね上がっていた。
……信じられない。
思いっきりぶつけたはずなのに、小揺るぎもしないなんて。
「さあ、間断なく打ち込んで!」
「……!」
まるで大きな岩の塊のような、やわらかな身体を持った相手とは思えない感触に目を瞬かせる僕を、その痺れを返した本人が何事もなかったように叱責する。
だから、言われるまま、持ち上げた木剣に引っ張られそうになる身体に強いて、もう一度振り下ろした。
「はっはっは! その調子です!」
(っ……)
弾かれた衝撃が手から上がってくるけど、覚悟していたから、今度は大丈夫。
暴れる木剣を握りしめて、アル目掛けて何度も繰り出す。
右に流れる剣先に合わせて、右から薙ぎ払い。
下から。
回して上から。
上から。
左の薙ぎ払い。
右、左、右。
上から振り下ろして、突いて、今度は右っ。
「――うあっ……?」
と思ったら、出し抜けにアルは一歩下がった。
さっきまで騎士が居た場所を、何の抵抗もなく剣が通り過ぎていく。
当たると思って思いっきり振ったせいで、振り回した木剣に、腕どころか上半身まで引っ張られてしまって。
僕は、思い切りたたらを踏んでいた。
「殿下、隙だらけです!」
「あうっ!」
こつ、と。
肩に軽く当てられた拍子に、びっくりして木剣が手から抜け落ちた。
「……っ、はーっ、はー、はあ……」
無我夢中で動かした身体が、思い出したかのように空気を求め始めた。
「思い切りのいい打ち込みようでしたな、殿下」
僕にそう声をかけながら、アルが拾ってきた木剣を差し出した。
「……いきなり避けるなんて、ずるいよアル」
「はっはっは。殿下の打ち込みに気圧されてしまいました。……さて、もう一度やってみますか?」
「むぅ……次は当てるから!」
大げさに笑って頭を掻く騎士に、気圧された様子なんて欠片もない。
むくれる僕にカラカラと笑って返した後、真剣な表情で木剣を構えるアルに触発されて、僕も受け取った木剣を同じように構え――――
……きゅるるるるる。
「……ぶ、わはははははははははははっ!」
「っ!!」
巌のような男が、破顔した。
「わっ、笑わないでよっ!」
「くっ、いや、これは失礼! ふっ、はははははは! そういえば朝食前でしたな! 育ち盛りには辛いですか! はははははははは!」
お腹が鳴った音に目を丸くしたのもつかの間、何がおかしいのか、アルは盛大に笑い始める。
だけど笑われる僕はちっとも嬉しくない。アルに怒ってみせるけれど、厳めしい顔つきは崩れたまま一向に戻る様子がない。それどころか、どうにも堪えられないようで、とうとう構えも崩してしまって、腹を抱え始めた。
「いや…………ふっ、く……! じ、実に失礼をしました。この通り、どうぞお許しを、殿下」
「……」
神妙に頭を下げてるけど、身体が震えてるじゃないか! 僕の目は誤魔化されないからね!
「……ふっ……も、申し訳ありません。この通り、どうかお許しを」
――くるるるるる~、と。
「……っ! も、もう終わりにするっ!」
二度目の訴えに頬が熱くなるのを感じながらそう告げると、僕はさっさと踵を返した。
「わかりました殿下。木剣をお預かりしましょう」
笑いをこらえながら後を追ってきたアルに押しつけるようにして木剣を渡し、元来た通路に向かって歩く。
「離宮までお送りします」
「……っ……!」
来た道の記憶がちょっとぼんやりしているからといって、ちょっとほっとしてしまった自分が憎い。
「殿下。私が悪うございました。ですから、機嫌を直して下さいませんか」
「……」
もう怒ってないっ。
そう言おうと口を開きかけて、肩に当てられたことが頭を過ぎる。
「……次は、絶対当ててやるから」
「おや……そうですか。それは、楽しみにしておきましょう」
「っ、本当だからね!?」
「承知しておりますとも、殿下」
思わず振り返って見上げたアルの顔には、妙に嬉しそうな笑みが浮かんでいた。