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王国の君  作者: てんまゆい
二章 外へ
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09 訪問

「どこかしらお出かけなさる時は必ず傍の者をお連れ下さいね」

「わかってるってば!」


 何度目の台詞だろう。

 噛んで含めるように繰り返したリタに言い返して、それ以上何か返ってくる前に馬車からひらりと飛び降りる。

 冴え冴えとした空気と、ほんのりと肌に熱を与える日差し。

 二度目の外に、ん……! と身体を伸ばして窮屈さを追い払う。


 ――――手紙が届いたのは、去る祷朗月(とうろうづき)の末のこと。

 手紙自体は謹慎が明けた頃から届いていたらしいのだけれど、遅れを取り戻すために忙しかったこともあって、それらは全てリタに任せていた。

 だから、僕が手紙を開けて中を読んだという意味では、今回の招待が最初の手紙といっても間違いはない。


「ヴィンセント様、ようこそお越しくださいました」

「うん……えっと、お邪魔します」


 居並ぶ使用人達を控えさせた玄関前で、招待主のオリヴァーがいつものように穏やかに微笑む。

 招き入れることはあっても招かれることは初めてで、慣れないむず痒さにどんな表情をすればいいのか困ってしまった。


 ――――実を言えば。

 王子(ぼく)が招待に応じる相手というのは、成人してからはともかく、今しばらくは決まったところにしか行けない。リタが説明してくれた言葉そのままを借りるなら、仲良くすべき相手のところにだけ。

 その最初として選ばれる相手が辺境伯家の友人であり、僕の祖父が治める領地を含む北東部の指導者的地位にある家となるのは、当然の帰結と言えた。

 …………小難しい言い方をやめれば、お披露目の後に最初に遊びに行くのはオリヴァーの屋敷だと決まっていたのだ。


「さあ、こちらへ。応接間へご案内します」


 オリーブ色の目が、ちら、と後ろに控えたリタを映して、けれどもそれ以上は触れることなく、そのまま年上の少年は横に並ぶ。

 冬の午後の穏やかな日差しが降り注ぐ吹き抜けの玄関広間(エントランスホール)を過ぎて、厚い絨毯の敷かれた廊下を歩く。

 緩慢とも言えるほどにゆったりとした速度は、不慣れな館の中にあってさえ、自然と周囲を見回す余裕を齎した。


「気になりますか?」

「え……うんと、少し」

「例えば?」


 右手を見れば、雑多な印象を受けない程度の間隔で壁際に飾られた芸術品の数々。

 左手を見ても、庭園のあちらこちらを飾るように雄々しい男性像や豊満な女性像、華奢な少年少女の像が見受けられる。


「…………これ、かな」

「リケラの“謝肉祭”ですね。……そういえば、トレキア嬢と収穫祭を見に行かれたのでしたか」

「うっ」

「楽しまれましたか?」

「い、意地悪しないでよ……」

「ははは。これは失礼しました。ですが楽しまれたようでなによりです」


 その中から選んだのは、多くの人々で賑わう広場周辺を描いた一枚。

 大通りには仮装した人々が行列を成して練り歩いている。広場の中央で焚かれる篝火の中に藁人形が見える。踊る男女が輪を描き、その周囲には多くの店が軒を連ねて人を呼び込む。通行人は祭を賑わす楽器の音色に耳を傾け、あるいは手にした酒杯を掲げている。

 選んだ一枚は、あの夜に似て活気と喧騒が伝わってきそうなもので。

 それを選んだ僕の表情を見て、オリヴァーは誤解することなく口の端を緩めてくれた。


「謝肉祭の見物に興味がお有りでしたら、皆で眺めに行きましょうか」

「えっ! 本当? ――――いい?」


 振り返って、迷いながらもリタは頷いてくれた。


「では、詳細は後日改めて」


 何てことのないように口の端を緩めて見せた後、オリヴァーは行く手に開かれた扉の奥へと誘うように足を踏み入れる。

 通された応接間は、深みのある紅を基調とした部屋だ。壁紙は見慣れない意匠の淡い緑に金の蔦が踊る。

 自然と上座に腰を下ろして一息つく頃には、全員に紅茶と菓子が給仕(サーブ)された。


「……これ、ウェリスの?」

「ええ。飲み慣れていらっしゃるでしょう?」

「うん。……ありがとう」


 ふわりと鼻腔をくすぐる繊細で優雅な香りに緊張が解れる。

 ラタル伯爵領の西部で採れる茶葉は、デイモンが手土産に持ってきてくれることもあって、普段からかなり良い物を飲んでいるのだけれど…………それでもこれは遜色ない。

 誇ることでもないと穏やかに笑うオリヴァーに小さな憧れを感じながら、誤魔化すようにパイに口をつける。さくりと歯を立てた生地から、シナモンの匂いとナッツの香ばしさが口の中に広がった。

 ……これ、ミア好きかも。

 淹れられた紅茶に負けないだけの芳醇なシナモンの匂いに今度の用意を考え始めたところで、


「あら、来客? ――――これはこれは、ようこそお出で下さいました、王子殿下」


 お披露目(デビュタント)の日に見た見事な赤毛の男性が姿を見せた。

 大貴族家の当主に相応しい見事な所作。以前とは違う意匠の、けれども変わりなく女性物の飾りをごく自然に織り交ぜた出で立ち。化粧の施された整った顔立ちは、装いに負けないだけの華やかさがある。

 思わず立ち上がりかけたところを、寸でのところでリタが膝の上に手を置いて諌めてくれたおかげで、立場に合わない対応をせずに済んだ。


「っ…………お久しぶりです、シアーノス辺境伯」

「お邪魔しております、辺境伯様」

「マクダーモット伯爵夫人も翳りがない様子で何よりよ」


 立ち上がりながら居住まいを正して一礼したリタの挨拶をごく自然に受けながら、シアーノス辺境伯はオリヴァーの隣に腰を下ろした。


「……どうやら、伺った内容とは違うようですが」

「そうカタいこと言わなくたっていいじゃないの。お互い様でしょ?」


 貴女がいるんだから、アタシがいるのも目を瞑りなさいよ――――軽い調子でさらりと流す声は、けれども含まれた意図が僕にさえ透けて見えるくらいにはっきりしていた。

 リタは、その返答があらかじめわかっていたみたいに落ち着き払っていて、何も言い返しはしない。けれど、それは決して相手の言い分を呑んだということではなく。

 隣から、微かな緊張感が漂い始める。圧の増した視線を、けれども大貴族の家長を務める赤毛の人物は飄々と受け流して菓子を摘まんだ。


「やっぱ、いいわねえ」

「……?」


 僅かに細められた目。

 菓子の味に満足しているように見えたその仕草は、けれども不釣り合いなくらいに長く僕を眺めていることで、菓子ではなく僕を値踏みをしているのだと理解させられる。

 自ずと、全身に緊張が満ちた。


「……何か、してほしいことがあるんですか?」


 探るような目つき。

 それはつまり――――言い換えれば、僕にしてほしいことがあるということで。

 目の前の赤毛の男性によく似た言葉遣いと仕草と雰囲気を持った大男を思い出しながら、結局僕は単刀直入に聞くことにした。

 だって、他の方法を知らないから。


「あら。わかっちゃった?」


 見当外れではなかったとそっと胸中に吐息をつく僕に、斜め向かいに座る辺境伯がそっと口の端を吊り上げる。

 それは、舌なめずりする獣を思わせる笑みだった。




†   †   †   †   †




「やっだもう、カンっペキじゃないのこの子ぉ~!」

「でしょ!? でしょ!? やっぱりアタシの目に狂いはなかったわ~!」


 ……重い。辛い。もう帰りたい。


 ――――服飾店クライネス・メリス。

 最近開店したという店舗の中は、清潔感と艶のある白を基調に多少の甘い雰囲気で纏め上げられている。よく言えば遊び心に富んだ、言葉を選ばなければ子どもっぽいところのある空気は文字通り甘めな匂い(フレグランス)も漂っていて、ミアは気に入るかもしれない。

 …………でも、男の子の僕としては、もうちょっとくらい甘さ控えめでもいいと思うのだ。

 そんなふうに感じて入店一歩目で足が鈍った僕を、この店の(リナ・)女主人(メリス)は目敏く見つけてすっ飛んできた。

 いや、のこのこと迷い込んだ獲物を生け捕りに来たという表現の方が正しいかもしれない。

 採寸も早々に、それからはずらりと並んだ服飾標本の山、山、山。

 ああでもないこうでもないと、いつの間にか集まってきた店員達も加わって目まぐるしく宛がわれ、被せられ、それでも足りないとばかりに脱がされて次々に既製品を着せ替えられ続けた。


 …………うぅぅっ……もうやだあ……襯衣(シャツ)の襟のデザイン一つでどうしてそんなに悩めるの…………襟締(タイ)なんてきちんと締まればいいよもう…………(ボタン)の形なんてどれも同じにしか見えないよう…………!


 それでも頷いた以上は仕方ない。

 自分の愚かさに胸中をしくしくと濡らしながら、体感的には耐え続けること幾星霜。


「あーっ、堪能したあ~! これ以上はモノがないわ!」

「ふぅっ。……アタシも、やり切った感あるわね」

「ありがとう辺境伯様。流石は私のパトロン様ってところね!」

「いいのよリナちゃん。それよりこれからもじゃんじゃんいい作品を創り出してちょうだい」

「もちろんよ! 実を言うとね、王子殿下を一目見てから、あれを着せたいとかこれを飾ってみたいとか、もう想像が止まんなくてヤバいのよ……!」

「いい笑顔ね。でも鼻血出てるわよ」

「うおっと、自信作たちが汚れる……」


 すっきりとしたシルエットの襯衣、その胸元を飾るのは氷の華を模して飾片(スパンコ)数珠玉(ールビーズ)を散らした襟飾(クラヴァット)。その上にはリリアーナ様から用意された黄水晶(シトリン)が煌めく。漆黒を基調とした外套(コート)下襟ラペルは濡れたように暗い真紅の色合い。胸元から縞柄(ストライプ)胴着(ウェストコート)が垣間見える。膝下までを覆う短筒服(ハーフパンツ)にやや踵のある長靴(ロングブーツ)が足元をすらりと見せてくれる。


 …………悪くない、かな。


 鏡の中の着飾った自分を見て、吊り上がりそうになる口の端をきゅっと引き下げる。


 女主人が袖口で額と鼻の下を拭う隣では、上着を脱いで肘まで捲り上げた辺境伯が達成感に酔うように吐息を漏らしている。

 微妙な変化を悟られずに済んだと、そっと息がこぼれた。

 …………僕から見たって満足いく仕上がりに見えるのだけれど、如何せん長過ぎた。二人で固い握手を交わすのはいいから、もう解放してほしい。さもなくば、いっそこの格好でもいいから店を出ていこうか。というかご主人様(ぼく)が困っているのになんでオリヴァーは助けにこないの……?


「――――じゃっ、次は坊っちゃんね!!」

「!?」


 完全に油断していたらしい。

 あのオリヴァーが、珍しく表情を崩しているなんて。


「いっ…………いえ、私は、あくまでヴィンセント様の付き添いで……!」

「ウチの宣伝しないでどうするの。別に殿下みたいにピンクふりふりの可愛いのまで着ろって言ってるんじゃないんだから、遠慮しないでちょっとこっちにいらっしゃい……!」


 僕を捉えた視線は動揺と混乱に揺れていた。

 …………だって、嫌がる暇もなくいつの間にか着せられてたし……。


「何言ってるの。若いんだから、じゃんじゃん着飾っちゃいなさい」

「――! いえ、あの、私は……っ」

「えっへっへ、美少年美少年、何着せよっかな~!」


 いい笑顔で親指を立てた当主直々の許可に、だらしない顔をした女主人が扉を開け放って意気揚々と奥へ消えていく。次いでオリヴァーの途切れ途切れの声がなす術なく奥の方から漏れ聞こえてきて。


 努めて視線を逸らし続けたままで、僕はそっとソファーに腰を下ろした。

 ほぅ、と。息が漏れる。

 窮屈なきらいはあるけれど、でも肌触りはよくって、それに見た目もいつもより華やかな感じがして…………うん。悪くない、かな。


「――――気に入った?」

「っ!?」


 気が抜けたところに、不意を打つようにかけられた声。身を竦ませた僕に構わず、辺境伯は少し離れた席に腰を下ろした。


「もう何もしないわよ。……今日はね」

「?!」

「ふふふ、冗談よ、冗談。でも好みはちゃんと教えてちょうだい」


 気に入った物を着たいでしょ? と言われたら仕方がない。

 オリヴァーのさらりとした人当たりを残しつつも朗らかに距離を詰めてくる辺境伯に、むーっと眉をしかめつつ、渋々感じた好みをこぼしていって。


「こんなところかしらね。じゃあ渡しておいて。――――さて、それじゃあ今度は殿下の用件と行こうじゃないの」


 活力を衰えさせないまま、パンと小気味良く手を打ち鳴らした辺境伯が立ち上がる。

 ……取って置きの盛装(ドレス)を選ばなきゃ。






 ――――選び抜いた盛装(ドレス)を贈った返事が来たのは、その二日後。


「…………どういうこと……?」


 えら(You)んで(choose)! とだけ走り書きされた手紙と一緒に届けられた品を前にして、首を傾がせる。


「――――わかりました」

「え?」

「お任せください」


 リタが、満ち溢れた自信とともににっこりと笑った。

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