表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王国の君  作者: てんまゆい
二章 外へ
69/96

06 戦術講義

 ようやく雪の止んだ、曇り空の午後。

 数日に亘って降り続けた白い華は城も庭園も一色に染め上げ、芯から凍るような冷たさは水面を凍らせてせせらぎさえも静けさに呑み込んでいた。


 それでもここは王の住まう土地。

 人の姿は絶えることなく、欠かさず続く警固や使用人の往来が自然と降り積もる雪を踏み溶かしていく。


 そうして雪の除かれた石畳の上から、逸れていく影が一つ。

 普段なら気にも留めないその人影は、けれど見覚えのある小さな影だったからこそ僕の注意を引いた。


「…………ロニー?」


 光の加減でオレンジにも色づいて見える、金の髪の男の子。

 主には隙だらけなレイモンドに対して可愛らしい笑顔で毒を吐く、年下の学友。

 鉛空に今は翳った金の髪の少年の、その幼い横顔に映り込んでいたのはいつになく真剣な表情。


 ……双子の……誰だっけ? サミー? ………………じゃ、ないよね?


 瓜二つで見分けがつかないという噂はよく聞いている。…………あまり思い出したくない記憶にあるサミーの顔も、同じような顔立ちをしていたと思うし、王宮でぱったりと出くわした今に限って言うなら、両方を並ばせてじっくり見比べたことはないから、断言はできない。それに、何がとはうまく言えないけれど、何かが違うようにも感じた。

 だから、声をかけるのを躊躇ってしまったのだけれど。


 ……あれは、いつもロニーが着ている衣装だったはず。

 別の誰かに思えたのも、きっと何かの見間違い。


 僕に仕えるようになってから身に着けるようになった深紫のリボンタイがあったのを思い出してから、……うん? ともう一度首を傾げる。


 それは、何をしているんだろう? という単純な疑問だ。


「遊びに来た……」


 ……とは、聞いていない。

 事前に連絡しないと僕の住む小離宮に辿り着けはしないらしい。暗殺騒ぎがあってから付けられるようになった護衛騎士に視線が行く。


「――あ。探し物?」


 ……じゃあ、手伝ってあげようかな?


 幸い、講義まで多少の時間はあるのだ、と一つ頷いた僕は、思いつきのままにロニーの後を追いかけ始めた。

 ……それに、ロニーがあんなに真剣に探すものが何なのか、興味を引かれないでもない。


(……せっかくだから、こっそり行ってみようかな?)


 僕が気づいていてロニーが気づいていないなんて状況にはちょっと覚えがない。

 もちろん手伝ってあげるつもりだけど、ふとした悪戯心が湧いてきたのも事実。

 普段は揶揄う側のロニーが、どんな顔をするのか。

 ちょっとした好奇心に足音を潜めてみて――――不意に、足にスィラが下りてきた。


「わっ、わ……っ」


 ヘンな感触に、その場で足踏みを始めた僕に構うことなく、スィラのつるんとした身体がびろーんと伸びて、爪先から踵に至るまでを覆い尽くす。


「……? ……あ!」


(足音がしない……!)


 足裏に返る感触はちょっと頼りないけれど、石畳を踏む音よりも衣擦れの方が耳につくくらい。

 こんなことまでできるの……!? と、驚きに目を見開いた僕の襟首から顔を覗かせたスィラが、誇らしげにぷるんと揺れる。

 頼りになる相棒を小さく撫でながら、せっかくならと足運びだけは大胆にロニーの後を追いかける。

 白く色づいた庭園には、くっきりと足跡が残る。

 でも、よく見ると一つじゃない。


(……二人? 三人かな?)


 いつの間にか弾むようにもなった靴裏に合わせて軽いステップで距離を詰めながら、雪上の窪みを追いかけつつ観察してみると、足跡が二人より多い。数人くらいかな? とは思うけれど、それが見立て通りに三人なのか、それとも片手の指の数くらいいるのかまでは、ちょっと自信がない。

 ……誰かを追いかけてるのかな。

 見立て違いの可能性が鎌首をもたげる。鈍りかけた足でたたらを踏みながら、それでもここまで来たからにはと、鳴りを潜めた大胆さの代わりに慎重さを連れて、密やかに足を運ぶ。


(……わ。…………いた)


 赤や黄の厚い衣を振るい落とした代わりに白い衣を纏った木立近くの柘植(つげ)の茂み。その向こう側に淡い金の髪の少年を見つけた僕は、慌てて数歩下がった。


 …………耳を澄ませながら、魔力を整えて数秒。

 近づく足音も、まだまだぎこちない魔力の動きを遮る何かもないことが確認できて、ほうっと息が漏れた。…………ついでに、察してくれた様子の護衛騎士が少し離れたところからにこにこと見守ってくれていることまでわかって、ちょっと耳が熱くなってくる。


 そろーりと首を伸ばして覗き込むと、どうやらロニーは茂みの裏から木立の方を食い入るように見つめるばかり。後ろに誰かがいるなんて思ってもないみたい。

 オリヴァーみたいに完璧にとはいかなくたって、大抵のことはすぐに何でもないみたいにこなして見せるロニー。

 らしくない余裕のなさ。ロニーがそこまで興味を惹かれる何かに、少しだけ興味が強まった。


「…………」


 わだかまる躊躇を心の底に押し込めて、腹を括った後は慎重に足を踏み出す。


 ――――背中まであと五歩。

 足音はない。衣擦れは注意している。裾を引っかけないようにも注意して、背後に回り込んでいこう。


 ――――あと四歩。


「…………――、――い」

「――――ぁー……」


 誰かの話し声が二つ。

 小さくて、内容までは聞き取れない。

 だけどやっぱり、ロニーの目的は落とし物探しじゃないみたい。


 ――――あと三歩。


「そう……さなくたっていいでしょ……?」

「そうだな……じゃあ明後日の夜はどうだい?」

「外せないわ。行き遅れのおばさんが目くじら立ててくるの」

「そうか……残念だ。可哀想だが……」

「ちょっとっ、待ってちょうだい!」

「俺だって、いつでも休みを取れるわけじゃない」

「聞いて。日が悪いってだけ。別に、その気がないわけじゃないの」


 甘えたような声色と、余裕を滲ませる低い声。

 覚えのない妙な雰囲気で話し込む二人の会話に意識を引かれつつも、今回の目的はあくまでロニーをびっくりさせること。慎重に足元の雪を踏みしめて距離を詰める。


 ――――あと二歩。


「だったら一〇日後だ」

「それじゃ遅すぎるわ!」

「君一人の我儘に付き合ってばかりいられない」

「お願い。必ず予定を開けるから、今回は先にして?」

「駄目だ。応じられない」

「じゃ、じゃあ私、どうしたらいいって言うの……!」


 甘えたような声はあっさりと余裕を崩される一方で、低い声もまた冷たさの中に浮わついた気配が滲み始める。


「…………」


 声に篭った仄暗い感情に、自然と嫌悪感を掻き立てるやり取りに、自然と表情が険しくなった。


 ……こんなものに聞き耳立てて、ロニーは楽しいの?


 ――――……あと、一歩。


「――――なら今でいいだろ?」

「え? ――――むっ……ん、ちょ、っと」

「そう無下にするなよ。ここで済ませればいい」

「こ、こんな所で……」

「楽しい時間を過ごしたその足で、そのまま融通してやろうって言ってるんだ。わかるか?」

「…………」


 沈黙に焦りが滲んできたところで、低い声が突き放すように告げる。

 動揺と混乱が滲んだ高い声に、低音が感情を隠しもせず畳みかけて。

 やがて、吐息が入り混じり始めた。


 どことなく嫌だと、そんな気持ちを掻き立てるやり取り。


 ……だとしたら、じゃあ、ロニーってどういう性格してるの?


 鳥肌が立つような嫌悪感に、持ち上がりかけた足が鈍った。

 やわらかそうな金色の後頭部を見つめたまま、あと一歩のところで、どうにも足が重く感じられて。


 ――――もし。

 もし、ロニーが居心地悪そうにしかめた顔で息を殺しているだけなら、僕は「嫌な話だったね」って一緒に顔をしかめて、それからはまた、今まで通りに過ごしていける。

 もしくは怒っていたり、気持ちを抑えていたりするかもしれないけれど、とにかくどんな表情だって構わない。

 でも。

 だけどもし、ロニーまでもが、嫌な笑みを浮かべて、二人の会話を楽しんでいたら?


「…………」


 嫌な想像だと思う。

 僕の傍で仕えてくれる人を疑っているなんて自覚するだけで、胸がむかむかする。

 どうしてこんなことを考えちゃうんだろう。

 なんで、ロニーの後ろを追って脅かしてみようなんて思っちゃったんだろう。

 そんなこと、やめちゃえばいいのに。


 ―――――ペチッ。


「痛っ!? ……!?」

「――――――――!?」


 不意に。

 しゅるっと伸びたスィラの腕が撓りを帯びて、止める間もなく小気味よい音を響かせた。


「えっ…………び、ヴィンセント様……え……?!」


 叩かれた衝撃でバランスを崩すままにころんと転がって、それでも訳がわからない様子でひっくり返ったまま、ロニーが目を白黒させる。

 ……思わず首を振ったけど、でもこの場合って僕がやったことになるの?


「――――サミー?! いや、ロニーか!?」

「きゃっ……!?」

「あッ――――おいッ、レオナ……!?」


 そして二つの吐息が止まる。

 息を呑む声と、悲鳴。

 低い声の制止も耳に入らないとばかりに、高い声の人物が雪を蹴立てる足音とともに遠ざかっていく。


「くそ、サミーかロニーか知らないが、どうしてくれるんだ?!」


 一方の低い声の主は、カチャカチャと音を立てながら、茂みを踏み分けて姿を見せた。


「…………!」

「――――っ……!」


 目が合って、男は息を呑んだ。

 割合見られないことはない優男。

 だがそれも、予想外の闖入者に向ける間抜けな表情が粘るような笑みに変わったところで、堪えようのない怖気を掻き立てられた。


「――――ぎゃふっ!?」

「おいサミー、そこにいる可憐なお嬢さんは誰だ――――ぶべっ!?」


 歪に吊り上がった口角。

 澱んだ光を孕んだ双眸。

 ズボンを整え終えた男の靴が、躊躇いなく転がったままのロニーのお腹を踏みつけて――――それ以上を言う前に、スィラに張り倒された。


「え…………えっ」


 たった一打ち。

 しなる透明な腕が霞むほどの容赦ない一撃。

 小気味いいを通り越して、心配になるくらいに鋭い破裂音。

 それだけで、その場に崩れ落ちたまま、ぴくりとも動かなくなった。


「殿下ッ! ――――これは……?」

「え……と」


 尋ねられても困る。

 スィラのことは皆には秘密だし、倒れた男は何かしようとしていたけれどもその前に張り倒されたし、ロニーはお腹を踏まれた上に男に圧し潰されてじたばたともがいているし。

 答えに窮している間に、見兼ねた騎士が男を退けてロニーを助け出してくれた。


「いったかったー!」

「ええと……大丈夫?」

「いきなり背中を叩かれるし、転がってびしょびしょだし、クラークにお腹踏まれたし」


 そのままの流れで、気絶した男を背負って道端へと連れ出す騎士と一緒に石畳の上へ戻りながら、不満を垂れるロニーから視線を逸らす。


「……ホントにヴィンセント様じゃないの?」

「ち、違うよ……っ?」


 じっとりとした視線から目を背けてから「しまった!」って思ったけど、とっさに違うと言ってしまった以上は仕方ない。

 好き勝手にやらかしたスィラも今は大人しくしているし、ロニーも気づいていなかったようだし、黙っておいた方がいいってわかってはいるんだけど…………それでも、悪いことしてる気がして、どうにもそわそわする。


「……まあいいけど。それで、何で後ろをつけてきてたの?」

「え。……講義に行く途中で見かけたから、つい……?」

「つい?」


 可愛らしい顔に浮かぶ満面の笑みを前に、発言を誤ったことを悟った。


「………………………………き、気になって、後を追いかけてみただけ……」

「ふーん。……話、聞いてたの?」


 時折レイモンドに向ける、余裕と鋭さの入り混じった視線。

 肌が粟立つのを感じながら、焦りが内心そのままを吐露させる。


「話って、その、よくわからなかった…………けれど、何か、嫌な感じだった」


 無理矢理に何かを強いようとしていることくらいは感じ取れたけれど、それ以上は、話の途中からだったこともあって、結局わからないままだ。

 でも、おそらくロニーは、ほとんど最初から聞いていたはずだし、何をしていたかも見える位置にいたはずなのだ。

 だから、これ以上の追究を避けるための苦し紛れに、ふと浮かんだままに聞いてみることにした。


「……何してたの?」

「えっ? ――え゛。 あ、あー……え、えっと……」


 ……あれ?


 返した言葉に、何故かロニーの方が目を泳がせた。 


 ……どういうこと?


 首を捻ってみても心当たりが出てこない。何を話していたのか、どういうやり取りだったのか、目的は何なのか。それを尋ねただけなのに、こっそりと聞き耳を立てていたはずのロニーが困るはずはない。

 それでも、ロニーの様子から察してみると、何か隠したいことがあるようで。


「――――殿下っ! それよりも、そろそろお部屋に到着します。お忘れ物などはございませんか!?」

「えっ? ……うん。ないと思うけれど」


 そして何故か、騎士までもが一緒になって慌て始めた。


 ……何か、隠してる……?


 ロニーと今日の護衛の騎士との間で共有するような秘密はないと思うのだけれど、でも、慌てた二人は、疑念を含んだ僕の視線にも気づかずアイコンタクトを取り合っているのも事実。


「ささ、私はこの者を片付けておきますので、殿下はどうぞお部屋の中へ。講師がお待ちのようです。一緒にロニー様もどうぞ」

「えっ、ちょっと」「なになになんでぼくもなの!?」


 それでも年の功というものなのか、早々に気づいた騎士は、それ以上尋ねられるのを嫌がるように、張りつけた笑顔で強引に僕とロニーを部屋に押し込んで、扉の向こうに逃げてしまった。


「お待ちしておりました、殿下」


 やけに丁寧にしっかりと閉じられた扉に手をかけたところで、後ろから野太い声がかけられる。


「……え」


 振り返って、二人で固まった。

 見上げるような大男だ。

 窮屈そうな騎士の礼服に包まれた身体の上には豊かな黒の長髪。

 黙っていれば険しそうに見える四角い顔は、けれど機嫌がよさそうに微笑んでいるとどことなく愛嬌がある。

 花のような甘さの強い匂いは、女性ものの香水だろうか。


「ま……! 噂には聞いてたけど、本当に綺麗な子じゃないの。いいわね、ささ、こちらへ。それでそちらは……ロニー坊ちゃん、かしら? 随分とドロドロじゃないの。雪の中で泥遊びでもしてたの?」

「ぅわ」

「うわ? うわって、何?」

「ぅ――――うわー! ブルーノさん、久しぶりー……!」

「……んふ。まあいいわ。聞いてないけど、ちょうどいいから手伝っていきなさい。――――でも、ブルネッラさんよ?」

「は、はあーい……ブルネッラさん……」

「んふっ。お姉さん、素直な子は好きよ」


 機嫌よさそうにロニーの小さな頭を撫でる。………………でも、分厚くごつごつしたその手が、ロニーの頭を撫でる前にガッチリと頭を掴んでいたことを、僕は見逃していなかった。


 ……おかしい。

 戦術講義を受けに来たはずなのに、おかしい。

 飽きる間もなくいろいろなゲームを教えてくれたルイス先生がいなくなっているのもおかしいけれど、代わりに見覚えのない…………えっと……変な――――じゃなくて、妙な……でもなくて、個性的な人がでてきたのがとってもちっともわからない。

 でも「顔を合わせたら一発でわかる」って言ってた意味はこれ以上ないくらいよくわかったけど、手遅れな気がするのはどういうことなの……? わざわざ騎士がついてきたのは、僕を確実に講義に出席させるためだったの…………?


 場所も思考も妙なところに迷い込んでしまった錯覚に陥りながら、それでも背中に添えられた大きな手に促されて否応なく席へ近づく。

 外套を預けてから席に着いたところで手が離れて、自然と吐息が漏れた。


「今回から戦術講義を担当する近衛騎士のブルネッラ(・・・・・)・エッケナーよ。今度ある乗馬訓練の教官も務める予定だからよろしく。それじゃ早速始めちゃいましょ」


 何かの間違いな気がしていたけれど、間違いではなかったみたい。

 裏返ってもどうしようもないくらい野太い声。

 並の騎士を上回るがっしりした体格。

 だというのに、言葉遣いや仕草は板についたやわらかさがある。どうしてか、リタの動きを思い出すような…………嫋やかという表現の似合うリタと、目の前の筋肉が服を着ているような大男とに、似通ったところなんてあるはずはないのに。

 強い違和感に襲われながら、それでも講義開始の宣言を聞いた身体がのろのろと一式をテーブルの上に広げ始める。


「ああ、そういうのは要らないわ。密書の伝達役じゃないんだから、メモなんて取るくらいなら状況に慣れなさい。詩の朗読じゃないんだから、教本もここで読むものじゃないの」


 巨大な手のひらが小気味良…………くない低い音を響かせる。


 …………なんだろう。振動がここまで伝わってきている気がしてならない。


「――――いい? 指揮官にとって戦場っていうのはね、一分一秒を惜しみながら脳みそ振り絞って相手の裏を掻きにいく場所なの。つまり騙し合いね。さ、じゃあこっちにいらっしゃい」


 じゃあなんで席に導いたの……? と思いながらも、顔が笑みの形に引き攣ったロニーと素早く目配せして立ち上がる。……巌のようなあの手に頭を掴まれたくはない。


 ほとんどの物を壁際にまで追いやって作った空間を占めるのは、講義用の机をいくつも寄せて広さを確保したテーブル。その上には厚手の布が置かれ、様々な意匠を凝らした駒が何らかの規則性を以て整列していた。


「王族に最初に学んでもらうのは、高貴な御身だからこそ学ぶ価値のある戦場よ」

「?」


 二人して顔を見合わせて首を傾げる。

 どうやらロニーにも心当たりはないらしい。


「ルメーニュ平原の戦いって言ったらわかるかしら?」

「建国王の決戦?」

「そ。王子様、ご名答」


 建国王の生涯については、城の劇場で度々観る機会があるから馴染みはある。

 ルメーニュ平原の戦いと言えば、憎き貴族連盟に侵攻を断念させるに至った大戦だ。裏切り者によって恋人の一人の命を奪われ失意の只中にいる建国王が、犇めく軍勢とさらにその後に姿を現す四匹の悪しき獣を相手に魔法を振るう一幕。

 話はあまり好きじゃないけど、派手で見応えがあるから強く印象に残っている。


「んーと、じゃあ、大魔術を使うってこと?」

「あら、ロニーちゃんも察しがいいじゃないの」

「…………なんでぼくここにいるの…………?」

「アタシは可愛いぼうやが増えるなら大歓迎よ」

「う゛………………う、うわーい……」


 ウインクが死ぬほど似合わなくて、二人して視線が泳いだ。


「じゃあ実際の布陣を見てちょうだい。戦場となったルメーニュ平原はここ。地形は平坦な小麦畑やちょっとした雑木林が広がる場所ね。北から建国王と急いで南下してきた手勢が一五〇〇に、国境の砦を放棄して北上してきた残存兵力が八〇〇。対する侵略者は、銀嶺のこっちで陣を敷いているのが三〇〇〇とも五〇〇〇とも言われているわ。手加減で今回は三〇〇〇ね」


 指示棒が王国南西部と思われる地図の上を転々としていく。

 地図の北側には王冠の駒と大きめの青い駒が三つ。逆に南側の国境周辺に大きめの赤い駒が六つあって、その間に小さな青い駒が八つバラバラに散らばっている。


「ま、普通に戦えば負けるわよね。相手は陣地の構築も済んでるし、何より数が多い。敵地ってことを除けば、目先の戦い以上に不利はない状態。反対に、国内とはいえ急報を受けて駆けつけてきたから建国王の兵士はへとへとだし、命からがら逃げ延びてきた砦の兵士もすぐには戦えない。

 ――――ま、でも今回は話をシンプルにしちゃうから、忘れちゃっていいわ。じゃ、ヴィンセント様は青の駒の側に、ロニー坊ちゃんは赤の駒の側に立ってちょうだい」

「えっ」


 負けそうな側で戦うの? と視線で尋ねても、大男の笑みは欠片も崩れない。


「さ、じゃあヴィンセント様にはこっちの情報を公開ね。ロニー坊ちゃんはこれ」


 渡された紙切れに書かれた内容は――――王冠の駒が持つ魔法(切り札)の、攻撃範囲。

 情報と地図上に引かれた区割り線を見比べて、ようやく腑に落ちた。

 ……広い。

 実際に足を運んだことはないし、地図の距離感もいまいち掴めていないから断言はできないけれど、それでも建国王の駒が放つ【凍結】の魔法の範囲はかなり広い。大きな赤い駒を詰めて置けば、その占める範囲を三つ囲んでそれでもまだ多少の余裕がある。


(……つまり)


 この戦いの勝敗は、切り札を使えるようにうまく誘い込めるかどうかにかかっているとみて間違いない。……はず。


「じゃ、駒はアタシが動かすから、与えられた時間の中で思った通りに動いてごらんなさい――――」




†   †   †   †   †




「――――ま、辛勝を拾ったってトコロかしらね」

「むぅ……」


 渋い評価に顔をしかめてしまう。

 けれど、その評価は否定できない。

 盤面は酷い有様だった。

 赤色は七割を削られて撤退。

 けれど、魔法使いの王を抱えているはずの青色も、割合としては大差ないくらいまで戦力を失っていた。


「これが現実だったら大問題でしょうね。勝ちは勝ちでも王国側の被害も甚大だし、入り込んだ敵を国境線まで叩き出すことなんてできないくらい消耗してるし――――何より、味方を巻き込んで大魔法をぶっ放しちゃったのも、今後の士気に関わる」

「うっ……うううう……」


 痛いところを的確に指摘されて、ぐうの音も出ないままテーブルに突っ伏した。


「でも、味方を切り捨てる決断をしてでも確実に勝利をもぎ取ったのはいいことよ。勝たなきゃ次はないんだから、指揮官としてはダメダメでも最低限の判断はできてる」


 だからそう肩を落とさなくたっていいわって言われたって……できてない自覚があって、そんな自分を認められないんだから、そう簡単には立ち直れない。


「でもねー、そもそもの話、ロニー坊ちゃんが嫌らしいわよね」

「――――えっ」


 いきなり悪者にされたロニーがぎょっとした顔をブルネッラに向ける。


「敵に大魔法使いがいるって知ってるでしょ? 史実通りに(・・・・・)魔法を使ってくるって思ってるでしょ? 連盟の強盗共が指揮通りに動いてるでしょ? お互い数の有利不利を前提に動いてたでしょ?

 ね? 実際は全部知らなかったし、お互いに手探りの状況だし、欲の皮が張った連盟の連中が指揮に従うなんてあり得なかったのよ。

 だから、そういうの全部込み込みで分散して包囲にかかったロニー坊ちゃんがホント意地悪ってコト」


 ……確かに。言われてみればその通りかも……。


 実際にあった戦いを元にしているから、赤い駒を動かすロニーにしてみれば、建国王という魔法使いが大魔法を使ってくることは予想できる。人数だって、自分の方が明らかに多いとわかった状況だった。だから、兵を散らして大魔法による被害を最小限に抑えるように動き、肉薄した後は数の差を活かして取り囲むことで、魔法を使われても味方を巻き込むような位置取りをするよう気を配って細かく指示を出していた。

 指折り挙げられた内容に矛盾はなく、有利不利の偏りに自然と頬が膨らむのを感じて、それでもロニーに複雑な視線を向けてしまうのを抑えられなかった。


「…………ずるい」

「えぇー? じゃあぼくも言うけど、そもそもの話、ブルーノ――――ブルネッラがルメーニュ平原の戦いだって言ったのが悪いよ!」

「あら、どうせ途中で気づいてたでしょ? ――――戦いなんてそんなものよ」


 ロニーの抗議をさらりと受け流して、ブルネッラが肩を竦めて見せる。


「もしもの話はできたって結果は一つ。一〇〇〇年以上も前の昔話の通りなら、連盟の業突張りは統制が取れないまま蛮勇に身を委ねて、建国王様は躾のなってない駄犬どもを微塵の容赦もなく打ちのめした。それで全てよ。

 いい? 現実は盤上の遊びじゃないわ。全容が把握できないまま始まるのが戦場。そして戦術というものは、その見えない部分を想像で補うための苦肉の策よ。盤上遊戯に時間を費やしてきただけあって、少なくともアナタ達には駒を動かすために必要な視野の広さがあるわ」


 褒められてる気がしないでもないけれど、結果が結果だけに素直には喜べない。


「ふーん。じゃあやっぱり、盤面の外のこともわかった方がいいんだねー」

「盤面の外?」

「うん。だって、この戦いで、赤い駒はいうこと聞かなかったんでしょ?」


 何でもない様子で感想を口にするロニーを、けれど教鞭を執る大男は止めもせず見守っている。


「駒がいうことを聞くのかとか、後は、指揮する人がどんな戦術が好きかとか、んー、相手の目的とか、ほしいものとか? そういうこともわかってたら、現実だともっと戦いやすいだろうなーって」

「ロニー坊ちゃんってば、目の付け所が違うじゃないの~。――――そういうのが得意なだけあるじゃない」

「えっ………………え、えへへ、あははは、そ、そうかな~……?」


 分厚い手で頭を撫でる大男の一言に、ロニーはようやく角の取れつつあった笑顔を再び引き攣らせた。


「せっかくそこまで話が進んだなら、ちょっとだけ話しましょうか。

 ロニー坊ちゃんの言うあたりのことが事前にわかっていれば、戦いの行方は察しやすいわね。敵の狙いがわかれば、進軍ルートを割り出したり、敵を誘い込んだりもできるでしょうし、自軍を動かす理由によっては、士気が大きく上がることもあればどうしようもなく下がっちゃうこともある。相手の指揮官が好む手を知っていれば、それを警戒して行動を制限することもできるかもしれない。――――敵を知り己を知れば百戦危うからず、ってヤツね。

 ま、このあたりは戦術を越えて、戦略とか外交とかの政治の領分にも首を突っ込む話になってくるでしょうから、アタシじゃなく政治屋に聞いてちょうだい。じゃ、時間もいいから今日は終わりね」


 分厚い手を器用にひらひらと振ってみせて、大男は講義の終わりを告げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ