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王国の君  作者: てんまゆい
一章 揺り篭の君
55/96

33 披露宴 前編

 上に立つ者の立ち振る舞いと聞いて誰もが思い描くのは、建国王の半生を描いたレリーフだろう。

 ――――部屋の最奥に置かれた立派な椅子に鷹揚に腰を下ろして、臣下の言葉に耳を傾け熟考に耽る一幕。

 ――――彼方に迫る軍勢を前に、屹立する山のように敵を睨み据えて麾下の軍勢に号令をかける一幕。

 あるいは他のいずれかの勇姿を推す人もいるかもしれないけれど、いずれにせよ、そこに描き出されているのは、理想とされるリーダーの姿。

 人々が見出すのは、繁栄をもたらす思慮深き指導者の姿であり、万難を下して勝利を呼び込む勇敢な指揮官の姿なのだ。


 そして今の僕には、それらはおろか、それ以外の素質についても満足いくものにはなっていない。

 例えば、「えっと……」なんて言ってしまうような、口ごもってしまう癖なんて、優柔不断な印象を与えてしまう最たるものだと思う。

 勿論、折に触れて指摘してくれるリタに助けてもらいつつ、直す努力はしている。だって、僕は王子なんだから。


 でも、そうではあっても、必要とされる場面というものは猶予を与えてくれることなく訪れる。間に合わないからと、準備が万端でないからと、僕一人の都合で予定が変わることはあり得ない。

 なら、僕はどうすればいいのか。


「……笑顔で、だんまり」


 絞りに絞って教えられた内容は、たったの二つ。

 簡単なこと。…………そう、簡単なことだ。


 上に立つ者に望まれる資質があるのなら、逆に避けるべき事柄も当然あるというもの。

 ――――あるいは軽蔑であり、あるいは憎悪である。

 ――――あるいは吝嗇であり、あるいは強欲である。

 ――――あるいは臆病さであり、あるいは傲慢さである。

 ――――あるいは軽薄さであり、あるいは不信仰である。


 それらの具体的な内容はともかくとして、今回、僕とリリアーナ様のお披露目に限って言うなら、たった今おまじないのように唱えた二つの事に尽きる。

 すなわち――――――指定された席に背筋を伸ばしたまま座って、黙ってにっこりしていること。

 教育係として、リタが知恵を絞って出してくれた最低限の答えなのだから、まずはこれさえしておけば、間違いはないのだ。


 それに、考えてもみれば、未熟な王子と王女に何かを求められることなんてない。

 今回の目的はただ、王子様と王女様が何事もなく健康に育ったから、国の皆を安心させ、またお祝いするためにお披露目するよ、というもの。生まれて数年程度の年端もいかない子どもだというのに、機知に富んだ会話や、何らかの重大な判断を任されるなんてことはあり得ないというものなのだ。……中身は全部リタの言っていたことそのままだけど、少なくとも僕にとっては、正しいように思える。


 ……もっとも、リタが教えてくれた通りにしていられるかは、終わってみるまでわからないのだけれども。


「お兄さま、ゴーゴー!」

「うっ――――えっと、それじゃあ……先に行くね」


 タイミングを計っていた使用人の目配せに、先に気づいたリリアーナ様にせっつかれて、控え室との通路から、炯々と照らされたホールへと歩み出る。


 そうするまいと心に決めたのはほんの少し前だというのにと、言い淀んでしまった自分が情けなくて俯きそうになる。

 でも、本当にそうしてしまうのはいけないことだと知っているから、下がりかけた視線をまっすぐに固定して、怖気づいていうことを聞かなくなりそうな両足を、一歩ずつ前に動かしていく。




 ――――垂れ幕の向こうに踏み込んだ瞬間、光と音が溢れた。


 煌々と照らし出された大広間。

 手の届かない高みから、きらきらと眩い輝きを降り注がせるシャンデリア。

 磨き上げられた大理石の床面は白く反射し、青と金色に彩られた壁面を、鏡のように逆さに映し出している。


「――っ……」


 呆けてる場合じゃない。

 我に返った途端、竦むように止まっていた足が急かされたように動き出す。


(だめだめだめ、ストップストップっ、慌てないっ、慌てないのっ!)


 頭の中に木霊する悲鳴も聞かずに両足は忙しなさを増そうとして、ともすれば今出しているのが右足か左足かもわからなくなりかける。


 ……でもこけるのはだめ、それだけは絶対だめっ。


 コップになみなみと注がれた水のように、これ以上ないくらい張りつめた気持ちを最低限どうにか立て直し、縺れそうな足運びの手綱を取り直し――――――た矢先、視線を上げた僕の前に段差が見えて、危うく躓きそうになった。


 跳ねる心臓を押さえようと上がりかけた腕を、身体の脇に引き戻して、呼吸を整える。


(っ……ゴールは段差の上、国王陛下と王妃様が座られているその場所の隣。座ったらあとは黙ってにっこり。大丈夫っ!)


 今までを考えれば不安しかない両足を震わせ持ち上げて、一段を登る。


 ……大丈夫。離宮の階段より低いくらいで、転ぶなんてあり得ない、大丈夫っ。


 やんわりと足裏を受け止めるいつもの感触に落ち着きを得た僕は、ようやくの思いで陛下の隣に辿り着き、引かれた椅子に慎重に腰を落とした。

 お尻の下から反ってくるのは、確かな弾力。

 早くもやりきった気分が胸に満ちて、僕の口から、ほぅ……と息が漏れて。




 ――――数え切れないくらいの視線にぶつかった。




 息が、(つか)える。

 胸の中身を、ぎゅううっと、背中の内側に押しつけられているみたいな不快感。

 自分のものであることを忘れたかのように、ぎっ、と身体が強張る。

 全身を縫い留められたような錯覚に呑み込まれそうになる中で、不意に訪れた沈黙の中、心臓だけが場違いなくらいに跳ね狂っていた。


(笑顔で、……っ、だん、まり)


 引き攣るように上がったまま硬直した頬を、せめてそれらしくしようと思えたのは、直前まで繰り返したおまじないのおかげ。

 けれど今の僕は、果たして笑えているだろうか。




 …………ため息と、さざめき。




 きらびやかな正装に身を包んだ、年齢も様々な男性たちも、思い思いの色彩で飾り立てた女性たちも、沈黙を破ったのはほとんど同時だった。

 近くで話していた者同士で話の続きに戻った……というには、どうにも勢いがあるように見える。

 頭のてっぺんから足の先までつぶさに観察されるような視線は変わらないし、時折真正面からぶつかる視線も、大半はサッと逸れてしまって、そうでなくても離宮の皆のような穏やかさとは程遠い。


 …………どう考えても、やっぱり、僕の……王子らしくない登場が、あれこれ言われてるんだよね?


(ううぅっ)


 ダメだった……と落ちた肩を、気力だけで引き上げる。


 確かに、ミアもオリヴァーたちも離宮の皆も、ここにはいない。

 けれどリタはいるし、お祖父様もいらっしゃるとお手紙に書いていたし、それに、マルチダもきっときているはず。

 だから、頑張る。頑張らなきゃ。

 途中で投げ出したって、いいことはないのだ。……せ、先生が怖いからじゃ、ないよ?


(……かっこ悪いところなんて見せたくない)


 その気持ちだけで、僕はなんとか踏み止まっていた。

 ふぅ……はぁ……ふぅ……はぁ……、と静かに息を繰り返して落ち着ける。先生との訓練と一緒だ。追い詰められても、焦ったままでいちゃだめなんだから、まずは落ち着くこと。


 自分の事で手一杯になっていた僕がようやく表情を取り繕えるくらいになった頃、名前を読み上げられたリリアーナ様は、既に王妃殿下の向こうに腰掛けていた。ちらりと盗み見た横顔は綺麗な澄まし顔。


 ……ほとんど同じ状況にいるというのに落ち着いているようにしか見えなくて、本当に同じ王族だろうかと思うと、ため息がこぼれそうになる。

 しかも妹なのに、これじゃあお兄ちゃんとしての威厳が……ぅうう。


「皆の者、今宵はよく集ってくれた」


 隣で起立された陛下に合わせて、僕たち王族も立ち上がる。

 大広間で話に花を咲かせていた貴族たちも、話をやめて居住まいを正した。


(これが……王……)


 視線を向けられて小揺るぎもしないどころか、王と臣下という関係を当然のものとして、彼らを睥睨し、あまつさえ貴族たちに居住まいを正させるその威厳。

 すぐ隣に立つ存在が、途方もなく大きくて遠いものに思えた。


「生まれて後も健やかに過ごし育ってくれたおかげで、今日、新たに一人の王子と一人の王女を王族として迎えることができた。これも主の格別なる愛と、折に触れての皆の献身あってのことだと私は考えている。故に、今日はささやかながら祝いの場を用意した。存分に呑んで楽しんでくれ。では、我らが父の思し召しと王国の繁栄に、乾杯」

「「「「「我らが父の思し召しと王国の繁栄に、乾杯」」」」」


 杯を掲げての唱和が響いた大広間に、再び、彼らの喧騒が戻っていく。


 なみなみと満たされて腕にずしりとくるゴブレットを慎重に傾ける。そんなにたくさん飲んじゃいけないのだけれど、少し口に含んだところで急に喉の渇きを思い出した僕は、気づけば半分くらい飲み干していた。


(あっ。……ど、どうしよ)


 【水流】で嵩だけでも誤魔化せないかなぁ……とも一瞬思ったけれども、足音が近い。泣く泣く諦め、陛下に少し遅れてテーブルの上に戻したところで、最初の賓客が挨拶に来た。


「新たな時代の担い手が増えましたこと、聖教を代表して、お祝い申し上げます」


 一団の前に進み出たのは、彼らの中で最も小さく、あるいは若い人物。といっても、僕より明らかに年上の……少年と青年の、中間くらいだろうか。

 緩く弧を描く薄い青の双眸。

 金の絹糸を紡いだようなさらさらの髪。

 中性的で線の細い容貌は、穏やかな印象を懐かせる。

 刺繍の施された神官服から覗く首筋や手首もほっそりしているのに、吹けば飛びそうな頼りなさよりも、周囲を落ち着き鎮めさせる独特の雰囲気を纏うのは、その出自のためなのだろうか。


 ――――アレッシオ・ヴェナリーヴォ。

 陛下に向けて一礼する代わりに聖印を切った若き神官こそは、聖教期待の若き司祭にして現教皇の嫡孫であり、そして今回のお披露目のために、遥々東のヒアヒム聖国から派遣された使節団の代表者でもある。

 …………以上、予習内容より。


「国王として礼を言おう。ところで、猊下はお変わりないか」

「……はい。未だ壮健にして、主のお招きには今しばらくの時がございますれば、よろしくお伝え申し上げるよう仰せつかっております。若輩ながら此度は同じ若者ということで、私めに陛下の下を訪れ、両殿下のご尊顔を拝謁し、そして叶うならば、次代を担う者たちで友誼を結べればと機会をいただけた次第です」

「息災ならば何よりだ。王国としても貴国とは変わらぬ関係を続けていきたいと考えている」

「……は。そのお言葉、しかとお伝えさせていただきます。それでは、私どもはこのあたりで」


 立場を考慮した、言葉遣いにそつのない言動。

 一国の王を相手に堂々と振る舞う彼は、本当に僕の倍くらいの年齢なのだろうか。

 自分の情けなさに再びもやもやしたものを懐き始めた僕を余所に、陛下の御前を辞去する挨拶代わりにと、再び聖印を切った司祭は、後ろに下がって後、踵を返す。


(……?)


 ゆっくりと向きを変える中で、その青い目だけが妙に長く僕を見ていた気がするのは…………気のせい、だろうか?

 笑顔のはずなのに、どうにも見覚えのない笑顔だった。

 オリヴァーたち学友の皆とも、離宮の皆とも違う笑み。いつかの道化師が浮かべていた笑みのような…………そう、まるで――――観察でも、されているような。

 だけど、初対面の僕に何か興味を惹くものがあるだろうか?


(……どこかヘンだった……?)


 後ろまで切り揃えられた金髪や、すらりと伸びた神官服の背を見送っているうちに、ふと胸中に暗雲が立ち込める。


 何か変なものでもついてるとか……? あるいは、季節外れの虫でも? 実は着方がおかしかったり……!?


 不意に湧いた不安を顔に出ないようにと押し殺している間に、次にやってきた使者も挨拶を済ませて辞去していく。

 いかにも有能そうな印象の文官さんに見えたけど、レックラント皇国の人ってことくらいで何にも残ってないや。……どうしよう……?


「――――我らバルビエ大公国の使者一同、友好国の慶事をお喜び申し上げます、陛下!」


 新しい動揺を抱えて内心悩み続ける僕を構うことなく、賓客は立ち代わり挨拶に訪れる。

 我が国とは南東部で接するバルビエ大公国、そこの次期大公は、背が高く恰幅の良い青年らしい。

 といっても、贅肉に膨らんだようではなく、クリアブルーを基調とした豪奢な衣装を内側から押し上げるのは、鍛えた身体と見て取れた。

 全体的に短く刈り込んだ頭の後ろで、お辞儀に合わせて、淡い色の一房が揺れる。

 翠の目は今の感情を包み隠さず映して輝いていて、顔立ちも育ちが良く誠実そうで、お祝いの言葉を述べる笑顔にはどことなく愛嬌がある。


 ……フェルディナンド陛下とは違う、朗らかで温かな雰囲気の王様――――じゃなくて、大公様になるのかな。

 そう思わせる人柄が滲んでいた。


 それはいいのだけれども。

 次期大公の後ろに控えた一団の中で、一際目を引く男性が一人。

 額のところで亜麻色の髪を分け、後ろで緩く一括りにした長身の男性だ。正装を隙なく着こなして揺らぐことなく屹立し、合わせて一礼した後は、微笑みを浮かべて次期大公の堂々とした姿を眺めていた……はずだったのに、どういうわけか、気づいたら目が合っていた。


 何か興味を惹くことでもあるのかな? それともやっぱり何かおかしいところがあったりする? と再び鎌首をもたげ始める心の内に蓋をし、意識して笑顔でにっこり。

 とりあえずこうしておけば、今まで目が合った人は皆してサッと視線を背けたんだから、きっとこの人もそうするはず。


(…………な、なんで?)


 ……という予想は、どうしてか外れてしまった。

 可愛い子どもでも見るような微笑ましい目でにこにことこちらを眺めるばかりで、だけど視線を逸らす気配が全くない。しかも時々うんうんと小さく頷いてる。


 ……何なのどういうこと? なんで、目を逸らさないどころか、何か確認してるように頷いているのっ?


 いや、気にしないことが大事。笑ってだんまり、コレ以外にすべきことなんてない。

 そう自分に言い聞かせて落ち着く頃には、バルビエ大公国の一団が退いて、入れ違うようにパフィン首長国連邦の使節団が歩みくる。


 焦げ茶色の硬そうな髪を後ろに撫でつけた口髭豊かな壮年男性が、代表者として前へ。険しい顔はちょっと怖かったけれども、流石は王弟にあたる人物、年齢相応の貫禄を示して、滞りなく挨拶を済ませていった。


 そして次はモードラン連邦の代表使節団――――


「ナゼール・フィヨン閣下の右腕、フェルナン・マレと申します。連邦を代表してご挨拶に伺いました。この度はおめでとうございます」

「貴様! 同時に挨拶する取り決めであったではないかっ! おのれ――――陛下! 我こそはバスチアン・クルーゾー! 連邦の代表者、ジェラール・デグヴェル閣下の名代としてお祝い申し上げるべく馳せ参じた次第!」

「……フッ、品がないな」

「何!? 文句があるならはっきり言ったらどうだ!」

「貴様の声がうるさいと見える。陛下も顔をしかめていらっしゃるようだ」

「フン! こういうものは堂々と言うに限る! 祝いの席だというのにぼそぼそと喋りおって、お前こそものを知らん奴め!」

「……陛下、この度は誠におめでとうございます。両殿下にも拝謁が叶い、伏して感謝致します」


 …………なにしてるんだろう、この人たち。


 前に進み出るところまでは足並みを揃えている様子だったのに、痩せた男性がおもむろに膝をつくや否や、しれっと口上を述べたと思ったら、そこから台無しになった。遅れまいと声を張り上げた大男も何やらぽろっとこぼしているし、残る一人も収拾をつける気はないようで、我関せずと挨拶を済ませて陛下の反応を待ってる。


 ……何しに来たんだろうこの人たち。


 たぶんこうはなっちゃいけないんだな、という悪い意味での見本を残して陛下の御前を辞去する三人の顔は、いずれも思わしくないようだけど、陛下にあっさりとあしらわれたことがそんなに残念だったんだろうか。


「国王陛下、王妃殿下、そして両殿下。この度はこのような祝いの場にお招きいただき恐悦至極にございます。マルゼール王国解放派を代表して祝い喜び申し上げます」

「……多忙な中、大儀である」

「滅相もございません! 陛下のますます壮健となられるご様子はもとより、幼くも麗しき両殿下の拝謁までもが叶いますれば、仮にそれだけであっても参上した甲斐があったというものにございます!」

(――――うぅっ……!)


 ちら、と向けられた視線に背筋がぞわぞわする。

 横を盗み見ればリリアーナ様も同じなのか、頬を引き攣らせて椅子の背もたれに張り付いていた。……すっごく逃げ出したい気持ちは、僕もよくわかる。だって、贅肉に埋もれた眼から粘るような何かが出てるような錯覚さえするのだ。本当に……気持ち悪い。


 とはいえ、いつまでも僕たちを見ているわけにもいかず、マルゼール王国の使者は、陛下の機嫌を伺うように視線を戻して笑みを濃くした。


 外交って、こんなヤな奴の相手もしなきゃいけないものなの……? と泣きそうになりながら、せめてそうなった時のためにと、話の行方を伺う。

 だって、陛下のあしらいようを真似てさっさと退場してもらうようにしないと、僕がもたないもん……。


「いえしかし、叶うことならば、この祝いの席にて、我らが同胞たちにも朗報を届けられれば、それ以上の幸いはないというもの!」

「そうか。ならば、使者殿にも朗報が訪れるよう祈っておこう」

「陛下にそう言っていただけるとはなんと心強い! 願わくばその朗報を陛下からいただきたいものですな!」

「さて、生憎と心当たりはないな。それはそうと使者殿、これ以上時間を弄ぶつもりならば、その前に他の者にヴィンセントとリリアーナを引き合わせる時間を与えてやりたいのだが?」

「時間を弄ぶつもりなど毛頭ございませんとも! しかし、陛下の仰ることも事実。今この場にてこれ以上語らう時間をいただいては、他の者に嫉妬されてしまいますからな! はっはっは、名残惜しいですが、では陛下の仰る通り、改めて伺わせていただくとしましょう!」


 頭を下げつつじわじわと後ろに下がる男にそれ以上何も言わず、それどころか何一つ反応を返さないまま陛下は使者を見送って、こうして最後の国賓の挨拶が終わった。


 ちらっと両脇を見た後、手振りでちょっとした休憩を示して陛下が席を立ち、王妃様がその後を追う。国内貴族たちとの挨拶の間に挟まれたわずかな時間に、ほうっとため息を漏らして、僕も与えられた控え室へと足早に下がる。気分は命からがらの逃亡、けれどそうは悟られないように、心持ちだけでも動作に余裕は残して。


 ……そんななけなしの頑張りも、垂れ幕の裏に入ってしまえば脆く崩れ去った。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁ…………つかれた……」


 といっても、窮屈な衣装を脱いでリラックスする時間じゃないし、それどころか衣装が崩れるからと、女官が直した後は柔らかなソファーにくにゃりと身体を預けることもできなくなる。軽食や飲み物だって、用意はされていても、そう味わう時間はない。


「……うー」


 お披露目ってこんなに大変なことだったんだ、とため息がこぼれる。


 僕自身が特に何かしたわけじゃない。衣装合わせをして、当日の動きを頭に入れて、後は仔細誰かが適宜いいようにしてくれた。でも、色んな人が準備に忙しくしていたことくらいは、僕だって感じ取っていた。週に数回王城に出入りする度に感じた慌ただしい空気が、徐々に密度を増していく感触は、今でも記憶に残っている。

 誰もが自分の役割を頑張って、僕とリリアーナ様のお披露目がうまくいくよう願ってくれてるんだとはわかってる。


 でも。

 でも、まだ何もしてなくてこんなにずっしりとしたものがのしかかってくるというのなら。

 さらに王子としての責務だとか、他に何かすることが増えたりしたら、それも合わせて考えて、ひとつひとつ注意しながら姿勢や仕草に気をつけ、言葉を選び、動かなくちゃいけないのだろうと思うと……どうにも、気が滅入ってくる。


(なーんか、やなことばっかりだなあ……)


 マルチダはいなくなるし、ミアとは離れ離れだし。

 勉強して、護身術を磨いて、ダンスや演奏も身につけて、後はおいしいご飯を食べてお話したり遊んだりして、ぐっすり眠れたらそれだけでいいのに。


(……んー……)


 それだけじゃなかったのはわかってる。学友の皆が一緒にいてくれるようになったし、リタはマルチダ以上に色々なことを教えてくれる。魔力の感覚くらいは掴めるようになったし、【水流】だって、ちょっとくらいは使えるようになったのだ。どれも一年前にはなかったものだから、悪いことばかりだったなんてのは、ホントは……その……なんというか、嘘というか。


 でも……ヤな気持ちに引き摺られちゃうと、どうしてもちょっとくらいは、そんなふうに思ってしまう。


 だからせめて、そんな気持ちを、ここに置いていけるようになるまでは。


「ヴィンセント様、そろそろお時間ですよ」


 ……天にいらっしゃるという神様は、そんな気持ちを叶えてくれるつもりはないらしい。


「えー……エマ~、もう少し」

「え、えっと……だ、ダメです。もうお迎えきちゃってます」

「えーぇ。……後ちょっと」

「あの…………その、何か嫌なことでもありました?」

「……んー……ちょっと、疲れただけ」


 特に最後のオジサンが最悪だったけど……忘れよう。あんなのそうそういないはず。……いないと思う……いないといいなあ……あんなのばっかりだったら、どうしよう……。


「医官を呼びますか? それとも……」

「んーん。大丈夫。行くから、やって」

「……はい」


 返事に間があったエマが近寄る気配を感じながら、大丈夫と言い聞かせて、ソファーから身を起こす。


 心配をかけるのは嫌だ。

 お祖父様やマルチダに会いたい。

 それに……もしかしたら、僕がやらなきゃいけないことが、あるかもしれない。


(だから、僕は、あそこにいなきゃ)


 身支度を整えて、再び明るく輝く大広間へ身を晒す。

 今度は、余裕をもって椅子に座ることができた。

 それでも気分は、椅子の上に縛りつけられた罪人のよう。

 ……でも、にこにこ、だんまり。それだけは忘れちゃいけない。


 初の休憩、その後で最初に来たのは、王妃様によく似た壮年の夫婦。

 細身を包む品の良い装束、堂々とした立ち振る舞い、後ろへ丁寧に撫でつけられた銀髪、細部まで整えられた口髭、そして鷹のように鋭い眼差し。厚みを感じさせる重厚な雰囲気も相まって、男性からは本物の武器を突きつけられているような鋭い印象を受ける。

 女性の方は、余裕を感じさせる笑顔を浮かべている。品の良さを持ち合わせながら、それとは違う何かを漂わせている。余裕のような、自信のような、不思議なものだけれど、何にしても、こちらも隣の男性に遜色ない堂々たる立ち振る舞いだった。


「我ら、ミフィーユ侯爵家を代表し、心よりお祝い申し上げます」


 それもそのはず、彼らは王妃様の父と母なのだから。

 一礼してみせる動作は斜めから眺めても堂に入ったもので、中央にいらっしゃる陛下と王妃様に向けて恭しく頭を下げてみせる様子は、物語の一幕のように見事なもの。

 お話に出てくる有能な忠臣そのものの姿に見えた。


「……一層の献身を期待する」

「今後も頼りにしていますよ」

「は。有り難きお言葉にございます」


 それまで沈黙を貫いていた王妃様が口を開いたのは、後にも先にもこの一度切り。

 陛下の後に続いた王妃直々の言葉に、侯爵夫妻は満足そうに下がっていった。


 同様にして、次の貴族が前へと距離を詰めてくる。

 巌のような偉丈夫が、年齢不詳の可愛らしい奥方を伴って陛下に一礼し、いくつか言葉を交わして去っていく。

 アルルス侯爵家。

 つまり、ロニーのお父さんとお母さんなのだけれど、お母さんはともかく、お父さんなんて似ても似つかない。ロニーは、どちらかというと小柄で愛くるしい見た目なんだけど、大人になったらぐんぐん背が伸びて身体もがっしりした感じになるのだろうか……と考えてみても、どうにもそうは思えないような。


 内心で首を捻っている間に次の貴族。


「え? オリヴァー!? ――っ……」


 ここにいるはずのない学友にぽろっと言葉を漏らした口を、慌てて押さえる。…………ちら、と横目で確認する限り、陛下も王妃様もこちらに注意を向ける様子はない。

 どうやら大丈夫らしいと、浮いた腰を下ろして、そそくさと居住まいを正した。


「シアーノス辺境伯家を代表し、次代ともどもお祝い申し上げますわ、陛下」

「お祝い申し上げます陛下ならびに王妃殿下、両殿下」


 いつものようにそつのない様子で深く一礼してみせるオリヴァーの隣にいる、その……人物? が、今言ったように、辺境伯家の当主、なのだろう。

 耳の端からゆるりと長く垂れた髪はオリヴァーと違って赤いけれど、柔和に細められた目元はよく似ていて涼しげなものだし、鼻筋とかも、似ているといえば似ているかもしれない。侯爵家の当主に相応しい高価で質のよさそうな正装も、違和感なく着こなしてる。長身だし、胸もまるくないし、首筋や腕もしっかりした造りに見えるし、やっぱり男の人だと思う。


 でも、ちょっとわからない。

 例えば――――今まで見てきた女性たちに勝るとも劣らないくらい、髪の毛がよく手入れされていそうでつやつや輝いてる上に、女性物と思しき髪飾りがついてることだとか。

 あるいは――――ちょこっと覗いて見えるフリル飾りのシャツとか、正装の上に羽織ってるショールとか、捲った腕につけてる飾りとかも女性物に見えることだとか。

 他には――――香水のような匂いがするのは今までの貴族と同じだったけど、女性がつけてる方に近い甘い匂いに感じることだとか。

 何よりも気になるのは――――話し方が女性っぽく聞こえた気がするのはどうして? ってところだ。


「またいずれ会いましょ」

「………………」


 陛下相手に、始終にこやかな表情で言葉をやり取りした赤毛の男性が去り際に残したウインクも含めて、いろいろとどう受け止めたらいいのかわからない人物だった。


 呆気に取られている間にも、挨拶の列は粛々と前に進む。

 お腹の部分のボタンが弾け飛びそうなくらいぱんぱんなおじさんと、露出の多いお姉さんの組み合わせ。金糸銀糸の織り込まれた布地を窮屈そうに張りつめさせながら、腰を折って祝いの言葉を述べるその男性がル・ブーニュ辺境伯家の当主で、それなら方々からの視線を集めて誇らしげに唇を歪めて淑女の礼(カーテシー)を取る若い女性がやっぱり奥方なのだろうか。ぱっと見て親子のような年齢の違いがある組み合わせを疑問に思いながらも、だからといって僕には何の関係もなければ何かしなきゃいけない状況にもないわけで、僕はにこにこ笑いつつ、緊張が解け始めてゆるゆるになり始めた背中の筋肉をこっそり張り直して見送る。


(後は、これからくるヒノ辺境伯家で、最上位貴族は終わりのはず)


 やってきたのは趣の異なる衣装に身を包んだ男女。

 銀鼠の髪に糸目をやわらかく撓めた青年と、シャンデリアの煌めきを照り返して、濡れたような色合いの黒く真っ直ぐな髪を垂らした、少し上の歳くらいの女の子。

 青年の方は、黒色の薄い上着を羽織っていて、襟元を見る限り、下にも何重にか重ねて羽織って、別の布で腰の辺りを留めているように見える。下は灰色の、ややふわりと広がっていて、筒のように見えなくもないズボンのようなものを穿いていて、足元は白い靴下のようなものの上から、光沢のある黒塗りの板か何かを履いているみたい。

 女の子の方も、基本的な作りは似たものに見えたけれど、青年と比べて色鮮やかな布地で作ったもので着飾っていて、赤地に色とりどりの花々が咲き乱れていた。


「お初にお目にかかります(かかりまっせ)。ヒノ家当主代理を務めております(とります)ヒノ・カズマサという(っちゅう)でございます(やけど)よろしく(よろしゅう)お願い致します。それはそうと(ほんで)、今日はご挨拶に参りまして、大変(えらい)健やかにご成長なされて本当に(ホンマに)おめでとうございます(さん)

「大儀である。父君のご様子はどうだ」

「陛下の御心を煩わせるほどのことではございまへんが、お気遣いはありがたく頂戴します。ワテの父も喜びまひょ」


 …………え? えっ??


 立て板に水のごとく。

 耳慣れない言葉遣いに気を取られている間に、滑るように流れていった言葉が終わって、ようやくハッとした僕の前で、片膝を突いた青年が笑みのままこちらを見る。


「ヴィンセント殿下(はん)におかれましては、ソウスケと仲良()してくれて(もろうて)本当に(ホンマ)ありがとうございます(おおきに)。これからもどうぞよろしく(よろしゅう)()ます」


 え? ソウスケ? が、なに!? 頼……まれたってことで、いいの!? 返事していいのっ!?


「…………はい」


 ニィ、といい笑顔で笑って「おおきに! ほなこれで」と去っていく青年の後ろを、赤い衣の女の子がしゃらんと髪飾りを鳴らして追っていった。


 嵐が過ぎ去った後のような感覚を引き摺っている間にも、貴族たちからの挨拶は切れ間なく続く。

 その間にちらほらと見覚えのある顔も訪れる。

 騎士団長のアルジャーノン・デジレ伯爵と着飾ったセリーナ先生がにっこり笑って挨拶したり。

 屋敷を贈ってくれたラタル伯爵が粛々と一礼したり。

 リタとその旦那様のクレイグ・マクダーモット伯爵が、いつもと変わらない穏やかな笑顔で一礼していったり。

 レイモンドのお父様のラザレス・ヘーゼルダイン伯爵が、きびきびした動作で跪いて挨拶したり。

 お祖父様が慣れた様子でサッと跪いた相手が、陛下じゃなく僕だったりして、会場が騒めいたり。


 爵位が下がるにつれあっさりとしたものになりつつ、けれども数は反比例して急激に増えていくために、今まで以上の時間がかかるようになったのも事実。

 そのために何度か休憩を挟むことになって、そして挨拶する貴族の爵位が、男爵に変わってしばらく経った時のこと。


 半年くらい前のことなのに、気を抜けば涙が出そうなくらい懐かしい女性が隣に男性を伴って挨拶に近づいてきて。




「――――陛下! 火急の要件につきご容赦いただきたく! さあ、おめおめと陛下の御前に姿を見せた罪人たちを捕らえろ!」




 大ホールに反響する大声。

 貴族の装いをした男の後ろから武器を手にした男たちが飛び出したと思ったら、突然の出来事に目を丸くする全員の前で、居並ぶ切っ先が、マルチダと男の人を取り囲んでしまって。


「――――」


 ……っ、………………きた。


 目の前で起こった捕り物劇に、身体がぎゅっと強張った。

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