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王国の君  作者: てんまゆい
一章 揺り篭の君
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悪巧み

「お待たせしてしまい大変申し訳ありません、マクダーモット伯爵。それで……今回の訪問はいったい?」

「いえ、こちらこそ夜分遅くに申し訳ない。ですが、子爵殿に早くお伝えした方がよいかと思いまして」


 ……いったい何事だ。

 気を抜けばそう毒づきそうになるくらい、子爵の心中は荒れていた。


 力ある貴族の突然の訪問。それも、派閥からして異なるともなれば、緊張は同派閥の貴族が訪問した時の比ではない。己の立ち回りで図らずも不興を買った可能性どころか、下手をすれば何ら疚しいところはないにもかかわらず、所属派閥に対する裏切りすら疑われ兼ねない。


 だが、仕事が長引くと伝えてなお「仕事が終わるまで待ち続けよう」と言われては、根競べなどしている方が下手な想像を招く。

 断るための口実をまさか嘘とするわけにもいかず、一縷の望みをかけて急用で去れと思いながら明日の分まで仕事を片付けてしまって、いつにない疲れを感じていた子爵は、しかしおくびにも出さぬようにと、顔に笑みを貼りつけた。


「はて? 僭越ながら、伯爵殿から直接お知らせいただくような心当たりはありませんが……」

「そうですか? 算盤の弾き方について助言を差し上げた方がよいかと思ったのですが、それは私の勘違いでしたか?」

「ははは、算盤……でしょうか?」


 本気で心当たりがない。

 魔導の品々と王族の宝物、扱う物は違えど、同じ会計を担う者としてのアドバイスが真っ先に思いついたが、そんな噂を立てられるほどの下手を打った覚えはなく、またそうならば、複数の付き合いある貴族から指摘を受けているはずだ。

 ならば何らかの示唆かとも考えたが、それについても、大物に乗り込んでこられる程のことはしていない。昔はともかく、今は大人しくしている。貴族家や親交の深い商家などにも食指は伸ばしていない。脇の甘い騎士や、平民上がりの身の程を弁えない輩に、多少の勉強をさせてやっている程度だ。

 代替わりしてそう経っていないのだから、若造に昔の話を蒸し返されることもあるまい。


「魔導書が六八冊、魔道具が二八点、テーブル一五点と、椅子四五脚。なるほど、三〇グローはするかもしれない。――――五〇年程前ならば、ですが」

「…………」


 なぜその話が貴様から出てくる――?

 荒れ狂う感情のままに吐き出しかけた言葉を呑み込んで、子爵は喉が裂けるような違和感を覚えた。


「数代前の学術書など、物好きな歴史家の収集対象が精々でしょう。ですが、その管理も杜撰で、解れも直さず、落丁や虫食いで酷いものだったとか。そんなものを当時の値段で弁償させられるなどとは、随分と奇妙なことです。まして魔術書となれば、私にしてみれば処分の手間がかかるばかりのお荷物でしかありません。売り払おうものなら、厳罰ものですね?」

「………………それは、それは。貴重な、ご意見だ」

「でしょうとも。魔道具にしたところで同じですね。こちらは実物が残っていましたから、確認しやすかった。極一部を除けば、壊れた品がほとんどでした。その極一部も、何やら妙に真新しい廉価品が多く……。聞けば、罰代わりとして、魔導師見習い達から取り上げたものだとか? これは面白い話ですね」

「確かに、面白い。……若者が、困窮の鬱憤を晴らすにはよくあることだ」

「となると、弁償を求められた見習いが補填すべきは、古びたテーブルと椅子というわけですか。精々二グロー程度ですね。処理費用を計上しても、五グローにすら満たない。…………おや? 残る二五グローは、いったいどこに消えるのでしょうか?」

「――――――ハ」


 吐き捨てるような嘲弄。

 あるいは、怒りのあまり引き攣った声ともとれそうな吐息。


「ハハハハハハハハ! いや、実に面白い話だった。この老いぼれには、全く以て思いもよらない作り話でした。いやあ、つかの間とはいえ、仕事の疲れも吹き飛びましたよ。マクダーモット伯爵殿は実に多芸ですな。やはり若者の思いつくことは違う」

「煽てられても何も出ませんよ?」


 ――――――抜かせッ!!

 痰とともにぶちまけてやりたい不快感を胸に押し込めて、くだらん話と笑って流す。


 魔導省の会計が魔導の品々を扱うのに対し、宝物番の若造が扱うのは宝物。実用性に乏しいそれらは、所詮、お綺麗なだけの玩具に過ぎない。

 扱う物が違うのだ。縁のない品物の価格に疎いのは言うまでもない。

 だというのに、同じ感覚で語られては困る。

 なかなかにいい線をいってはいたが、若造に知れる相場はそんなものだ。


 熱い感情は後で吐き出せばいいと、子爵はもう一度深く息をつく。


「いや、実に興味深い話ではありましたが、この老体に長夜の語らいは堪えます。ですので、このあたりで失礼させていただきましょう」

「おや、そうですか。それは残念です」

「でしたら、またの機会を用意しましょう」

「本当ですか。なら、有り難い申し出の手土産に、耳寄りな情報を差し上げましょう」


 ……自分が手を出すには大物だが、派閥の貴族なら、宝物番とはいえ食い物にできる者もいる。虎穴にのこのこ足を踏み入れるようなら、そちらに誘導してやるとしよう。


 席を立ちながら、暗い想像で溜飲を下げていた子爵の背後から声がかかったのは、その時だった。


 エメルソン・オグバーンは、振り向かないまま唇を歪める。

 ……やはり若造、脇が甘いのは世の常らしい。


「ほう? それは?」

「王家の宝物庫には、歴代の王族が興味を示された品々が眠っていますが、そこには当然、魔導書や魔道具の類も豊富に存在します。その道に詳しい子爵殿と面識を持てたのは幸いでした」

「それは……そう言っていただければ、私としても鼻が高いですな」


 だが、それは耳寄りな情報ではあるまい?


 何の前振りだと、ようやく作り笑いを貼りつけ直して振り向いた子爵を見上げて、クレイグ・マクダーモットは何の不安もなさそうに笑っていた。


「話が逸れてしまいましたね。さて、仕事柄、陛下にお目通りする機会も多くてですね。そうした品々の解説や、陛下のお悩みの解決に役立てられそうな宝物のリストアップも任されているわけですが、そうした仕事の合間の息抜きにと、面白い話を求められることもあるわけでして。私も話の種を探すのに苦労していたのですが、歳の離れた方にも楽しんでいただけたことで自信が持てました。――――それではまた後日」


 子爵の耳の奥で、血の気が引く音が聞こえた。


「ま…………待ってくれ」


 なんとか絞り出した声は、自分でわかるほどに震えていた。


「はあ。何を待てと言うのですか?」


 涼しげな容貌ににこやかな笑みを浮かべて紅茶の残りを飲み干した伯爵の元まで、子爵は震える足を引き摺り、手ずからポットの中身を注ぐ。


 それと同時に、子爵の頭脳は、半生でも指折りの働きをみせて、事態の解決策を探していた。


 ……この野郎、陛下にぶちまけると脅しやがった!


 とぼける? 誤魔化す? ――あり得ない。仮にも国王が宝物庫の鍵を預ける相手となれば、その言葉の重みは、並の貴族などとは比べるべくもない。


 泣きつくか? ――それも不味い。自分の裁量で行ったことだ。魔導省に更なるコネを求めるアルルス侯爵とはいえ、子爵一人ごときなら、庇うよりは切り捨てるはずだ。まして、多少の不都合な事実を揉み消すためなら、捜査開始早々に病死とされてもおかしくない。


 死ぬ、嫌だ、ここまでうまくやってきたというのに、何故、何故今更……!


「………………何故、だ?」


 注がれたカップ、次いで、改めて腰を下ろした子爵に視線を移し、しかし伯爵は沈黙を保つ。

 その笑みは、怖いくらいに最初と同じ。


「何故、一介の、見習いごときの肩を、持たれる……?」

「そろそろ引退なさった方がよろしいのでは?」


 先程まで浮かべられていた笑みの形のままに、しかし薄く開かれた双眸は、冷たい色合いを隠してはいなかった。


「………………………………………………わかった。……改めて、損害について評価した上で、関係者に妥当な請求書を回しておく」

「そうですか。それで、私にいったい何の関係が?」

「な、何の関係が、だと……?」


 予想とは違う言葉に鼻白んだままの子爵に、若き伯爵が変わらぬ笑みで口を開く。


「私は部外者ですよ? まさか貴方は、誰彼なしに会計内容を言い触らして回っているのですか?」

「ッ………………………………なら、何が望みだ……?」

「望みとなると……個人的には、遠い西方の遺跡に眠る珍品を用意できる伝手があるのでしたら、ご紹介願いたいものですね」

「っ……!!」


 西方商人との取引は、先王の時代まで禁止されていたのだ。

 東方や南方の領地貴族ならばともかく、魔導省の片隅で金の遣り繰りに追われる法衣貴族に、そんな伝手があろうはずもない。むしろ、宝物庫の管理人たるマクダーモット伯爵の方が得意とする相手のはずだった。

 できもしないものを求められて、馬鹿にされていることに気づいた子爵の顔が恥辱に染まる。

 顔を伏せたのは、赤く染まった顔を見せまいという、せめてもの抵抗だった。


「ところで陛下は、この頃、甚だお疲れのようでして。色々と仕事を増やされる忠臣が多いと、そうこぼしておられましたか」


 最初から選択肢などないことをようやく悟った子爵の前で、青年が大仰にぼやいてみせる。


「忠臣を自負する私としては、時には心労を減らせるような胸の空くお話をお持ちしたいものです。――――例えば、魔導省にも志ある者がおりました、などとね」

「っ」

「そんな忠義者がいれば、陛下もさぞお喜びになるでしょう。これからも王国のために尽くしてもらいたいと、労っていただけるかもしれませんね」


 伯爵が立ち上がる衣擦れの音を聞きながら、子爵は暮れゆく秋の夜気にではなく、老体が震えるのを覚えていた。




†   †   †   †   †




「随分と膿が溜まっていたんですねー」

「お前……持ち込んでおいてその言い草はないだろ」

「宝物を好き勝手に拝見させていただいた代わりに、可愛いご子息のお願いを叶えさせていただいただけですとも」


 詰み上がった書類に忙殺される国王の顔には疲れが滲み、威厳も何もあったものじゃない。


 ……哀れだとは思いますが、物の価値しかわからない木っ端伯爵では、国王の晩酌のお相手としてグラスを傾けていることしかできないのですよ……。


 心の中で独り言ちながら口へと運んだ塩漬けに舌鼓を打つ伯爵に、部屋の主は顔をしかめていた。


「オレのコレクション減らしてないで手伝えよ」

「このつまみはなかなかいけますね」

「いや聞けよ! っつーか食い過ぎだろ!」

「テノーマスからの献上品ですよね? 王家の領地なら、言えばすぐにでも送ってくるでしょうに」

「いや、そうなんだが……」


 歯切れの悪い返事に、伯爵は視線を上げる。


「愚痴るだけでも気が紛れますよ」

「誰にも言わないっつって情報売るのは貴族の常套句だろ」

「ならご勝手に」


 しれっとのたまう伯爵にもの言いたげな顔を向けていたが、しばらく沈黙した後にフェルディナンドは舌を動かし始めた。


「……代官は伏せさせているらしいが、大物が出たらしい。漁や荷運びに差し支えないといいんだが」

「大物というと?」

「さあな。魚かクラーケンか、はたまた他の海の魔物か」


 多くの目が向けば悪い評判も広まるものだ。まして遠く離れた場所の出来事なら、その噂だけが根付いてしまうこともある。そうなればなかなか払拭は難しい。単に商売敵を出し抜こうとする商人ばかりが相手ではない。


 ……かくいう私もその一人ではありますがね。


 しかし、放っておくわけにもいかないのは確かだ。


「デジレ伯も呼びますか?」

「そんなに気に入ったのか? ……まあ、出たといっても、たった一度で、被害もなかったらしいしな。遠くに引っ込んでくれればいいんだが…………よし、終わった! くそ、ラタルの爺、オレに嘴を突っ込ませまいと、溜め込んでた裁可待ちの書類をここぞとばかりに吐き出しやがって」


 節々を鳴らして立ち上がったフェルディナンドは、最早欠片も取り繕う気はなく、ソファーにどかりと腰を下ろすと瓶のまま葡萄酒を呷った。


「……はーっ。少しはハッフィルコットが大人しくなってくれればいいんだが」

「結局尻尾は掴み損ねたんですか」

「部屋まで見りゃいいと言われてシロじゃあな」

「運がいいのか抜け目がないのか。老獪なことで」

「準備の段階で漏れていたとは思いたくないが…………ともかく、大貴族たちに媚び諂う貴族を、多少は削げた。こっちの魔導師と最低限のサポートを捻じ込む目途も立った」

「取り潰した家はともかく、方々の恨みが怖いですね」


 ミフィーユは派閥を崩されて恥を搔き、ハッフィルコットは牙城で鼠を飼う羽目になり、アルルスも苦労して魔導省に捻じ込んだ人脈をパアにされた。

 有象無象の貴族も含めれば、いったいどれだけの家が王家に恨みを募らせているか。


 それでいて、今回おこぼれに預かる者たちもいかほど役に立つかと思うと、さぞ頭が痛いだろうと、可笑しげな表情を浮かべて杯を空にしたクレイグに、国王は呆れながらも手ずから飲みかけの中身を注いでやる。


「しばらくは裏切り者が出ないか互いに見張り合うだろうさ」

「ダシにされた子爵家にとっては、随分と荒れた門出ですが」

「若い時の苦労は買ってでもしろって言うだろ?」


 裏切り者と相手にされなくなるよりは、新参者でも派閥に迎えられた方がまし。打つ手なく潰えていく未来しか残されていないのではなく、己の力量次第では足場を築く道が残されているのだから。

 派閥の主にしてみれば十分手厚い…………というよりは甘いというべきか、それとも派閥の人材不足を嘆くべきか。

 それも当然狙いがある。国王がわざわざ自派の貴族たちに声をかけたのは、告発しても代替わり程度でその後もやっていけると示して寝返りやすくするためであり、国王派に疚しいところなどないと外に示すことで、自派内の自浄も期待してのこと。


「悪辣な主君もいたものですよ」

「その悪辣な主君を易々と扱き使う臣下ほどじゃない」


 自らのグラスも満たすと、臣下と主君はお互いに唇を歪めて杯を傾けた。

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