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王国の君  作者: てんまゆい
一章 揺り篭の君
51/96

31 取引

 リタ・マクダーモットは妙齢の婦人だ。

 朝夕休みなく僕の傍近くに仕えてくれる彼女の肩書は、一王子の教育係ではあるけれど、王族に相応しい振る舞いの指導はもとより、身の回りの手配から、女官の取り纏め、必要な品々の用意、果ては予定の調整までこなしてくれる。

 それでいて、笑顔で僕を褒めてくれたり、眉を寄せて悪い点を叱ってくれたり、できるようになったことを一緒に喜んでくれたり、まるで在りし日のマルチダとの日々を思い出させてくれるような温かい人でもある。


 でも、それがリタの全てというわけじゃない。

 かつてはルークウッド子爵家に連なる令嬢。

 そして今は、僕より一回りから二回りくらい歳上の三人兄弟の母でもあり、何よりもまずマクダーモット伯爵家当主夫人なのだ。


「成程、こう動くわけですか! ……おや、この出っ張りは……? ――こうして、こうですか。ほう……! やはり触ってみないとわからないこともあるものですね」


 王城の応接間。

 その上座に座る僕から見て右手には、手中の物体を弄る男性が一人。

 すらりとした知的な面立ちに浅く前髪がかかる様が涼しげな印象を与える彼は、三十路を越えたばかりの若きマクダーモット伯爵にして、陛下の信頼厚き王家の宝物番。


 先生から勧められた相手にそのまま話を持って行って、紹介された人物こそ、他ならぬクレイグ・マクダーモットだった。


「さて次は……このつまみは何でしょうか。回るようですが、何も起きませんね? これは押せて、ここが開くと。何か入れられるようですね。中にもつまみがあって回ると。……何かを出し入れして動かすものかもしれませんが、ああ、肝心の入れる物がないとは……!」


 ……なのだけど。

 一つ一つの発見に、眼鏡の奥の緑青の瞳を輝かせたり残念そうに顔をしかめたりと忙しい彼は、まるで玩具で遊ぶ子どものよう。ティーカップの中身はとっくに冷め、それどころか近くに座る僕のことすら忘れていそうだ。

 そうしてテーブルの上に並べられた品々に触れ、時折ふと思い出したかのように発見した時や場所、その使い方を解説してくれる彼の近くで、カップを傾けること小一時間。


「殿下。ヴィンセント殿下」

「――――ふぁ……?」


 ……え、と?


「お待たせしました。お付き合いいただき感謝いたします」


 いつの間にかうとうとしていたらしい。硝子の向こうの瞳が、笑みに緩んでいた。

 気恥ずかしさに視線を泳がせながら居住まいを正す。……頬が燃えるように熱いけれど、それは、えとっ、気にしない。


「……その。十分に、堪能できましたか……?」

「それはもう。王族の方に貸し出す形で拝見させていただいたおかげで、じっくりと観賞するどころか、手に取って動かすことさえ叶いました。重ね重ねお礼申し上げます」

「それは……何よりです」


 箱に仕舞われた品々は片隅に移されたのか、既にテーブルの上になく、代わりにあったのはおやつと思しきマロングラッセ。

 努めて平静を装って、一つ頬張ってみせる。

 とろりと甘い煮汁。噛み締めた栗の風味。幸せな感覚が口の中に広がって、自然と頬が緩んだ。


「殿下は甘いものがお好きですか?」

「? ……はい。この時刻には、料理長が、いつも美味しいおやつを振る舞ってくれます」

「そうですか。それでは、次にお伺いする時には手土産にお菓子を用意させていただきましょう」

「本当ですか? 楽しみにしています」


(……あっ)


 どんなお菓子だろう。

 期待とともにお礼を口にしてから、今のは不味かったかもしれないという判断が湧き起こる。

 この場合、次にまた顔を合わせることに前向きだと取れる返事をしてしまったのもよくないし、手土産のお菓子は手に入りにくいものかもしれないから、それに見合う心配りをする必要だって出てくる。

 全部リタから聞いたことだけれど、そうした小さな積み重ねを軽んじていると皆から良く思われないから、きちんとしないといけないのだ。


「そう身構えず、今の言葉はほんの感謝の気持ちとお受け取り下さい。常より妻にはよくしていただいておりますので、少しでも恩をお返しできればと愚考した次第です」

「え……と」

「では、殿下の勤勉さにちなんで、無礼を恐れず申し上げさせていただきましょうか」

「は――――はい」

「殿下程のお歳の頃であれば、貴族の機微に思考を巡らすよりも、笑顔で一言、感謝なり、賛辞なりを述べられる方がよろしいかと」

「……そういうもの、ですか?」

「貴族の貸し借りの機微について、リタから聞かれたのでしょう?」

「えっ……」


 全て見抜かれているような気がして視線が泳いでしまう。

 僕が落ち着くのを待って、穏やかな笑みを崩さない男が再び口を開く。


「相手から情報や確たる返事を引き出し、対して自らは不用意に肯かず、安易に言質を与えない。でなければ、誰が盗み聞きしているかもわからないこの王宮で、貴族を取り纏めるべき立場を維持することは難しい」


 ――――ですがそれは、大人の技術です。

 少し前まで少年のような目をしていたはずの男の、あっけらかんとした物言いに目をぱちくり。


「これも無礼を憚らず申し上げますが、殿下はわずか七つばかりの幼い子ども。まして、お披露目前ともなれば、貴方にそのような振る舞いを求める方が愚か者呼ばわりされるでしょう」


 そういうものか、と。

 素直に頷けない僕に、伯爵が言葉を足す。


「確かに、相手の意図や機微を見抜けるに越したことはありませんが…………それを気を取られていると悟られるのは、逆に不都合です。相手にしてみれば、貴方の振る舞いは全く子どもらしくない。砕けた物言いをすれば、可愛らしくないのですよ」

「か、可愛らしくない……ですか」

「殿下のように類稀なほど愛らしいお顔立ちともなれば、その違和感は、却って警戒心すら呼び起こすかもしれません」


 ……警戒心?

 顔の造詣はともかくとして、仮にいいものだというのなら、見ていていい気持ちが湧いてくるものなのに。


「……それは、どうして?」

「どうして、ですか。……良きにつけ悪しきにつけ、美しいものはそれだけ大きく人の心を揺さぶる……と申し上げても、少し難しいですか……」


 伯爵が苦笑を浮かべて上を見たのもつかの間のことで、視線を戻した時にはまたすらすらと話し始めた。


「では、先程の言葉は忘れていただいた上で、例えば、ですが。……いつもずるいことをする子がずるいことをしてもまたかと思われるだけですが、普段聞き分けのいい子がずるいことをしていたと知ったら、周りの者はまたかと呆れるどころか、他にもずるいことをしていたのではないかと疑いませんか?」


 それはそうだろうと頷く僕に、ティーカップを戻した男性が少し笑みを強める。


「例えたように、子どもと聞いて思い描く想像と、機微を窺い賢しらに立ち回るという大人の手口は、その不釣り合いゆえに、不快感を抱かせるのです」


 はあ、と頷きつつこてりと首を傾げる僕に、どうしてか男は笑みを深めた。


「これはなかなか歯痒い……」


 複雑な笑みのまま、伯爵は耳前で編んだ一房を弄ぶ。


「では、より単純な理由を申し上げましょう。――――色々考え抜いた末に言葉を選んだ返事をもらうより、感謝や喜びをすぐさま素直に伝えられた方が、嬉しくありませんか?」

「あ~」


 納得の声を漏らす僕に、知的な印象の青年が笑う。


(……あ)


 もしかして、こういう時?


「……あ、ありがとう、伯爵」

「………………」

「あ、あの……? 頭が痛むんですか?」

「いえ……いえ、少し目眩がしただけですよ。……とんでもないことをしてしまった気が……」


 気恥ずかしさをぐっとこらえて思い切って口にしてみたら、伯爵はビシ、と固まった後になにやら頭を抱えてしまった。


「え――――それは、お医者様を呼びますか!? 誰か、誰かいる!?」


 体調が思わしくないと言われたら、僕が思い出すのはミアやノリー先生だ。

 けれど、僕は今でもどうにかすることはできない――――何もできはしないけれど、それでも、せめて人を呼ぶことくらいは覚えた。


「いえっ、ご心配には及びません。本当に大丈夫です。昨晩は興奮して眠れなかった。それだけですから」


 あわあわきょろきょろしながら誰かを呼ぼうとする僕をどうにか宥め終えて、伯爵は淹れられた紅茶に口をつける。

 彼がカップを置いたのは、早とちりで呼び出してしまった女官が退出し、扉が閉まる音が部屋の空気に溶けた頃だった。


「……つかぬことを伺いますが、本日お時間を割いていただいてご覧になられた品々はいかがでしたか?」

「ほ、宝物の数々……ですかっ?」


 上擦った声が出た。

 終わったと思った話が出てきて嫌な汗が滲むのを感じながら、言うべき言葉を探して寝落ちする直前の記憶を手繰り寄せる。


(……なんだったっけ!?)


 つまみがどうとか、そんなことしか覚えてない!? 解説してもらったものもあるのに、何の参考になったとか、こんな仕組みがあんなものに活かされてるとか、そんなことがこれぽっちも出てこないのはどうして……!


「その………………………………………………王家の宝物庫には、思いもよらないものがあるのだなあと……驚かされました」


 べ、べつに、興味がなかったわけじゃないよ? ただ、えっと………………………………………………………………………………………………………………何かもわからないものを見続けているうちに、気がついたら瞼が落ちて、時間が過ぎていたというか……。


「居眠りをなさっていたことに触れるのは、この位にしましょうか」

「あうっ」

「ははは。ほんの冗談ですよ殿下」


 刺さる一言に胸を押さえながら、先生みたいに性格が悪いかもしれないと恐々とする僕に伯爵が笑いかける。


「お時間とお手間を割いていただいたので既におわかりでしょうが、私は銘品珍品の類に目がありません。そして今日拝見させていただいた品々は、先王陛下が蒐集なされたものでもあります。何の役に立つかもわからない、しかしかつての人々が確かに使っていただろう道具たちを眺めて、その用途を想像するのがお好きな御方でした」


 一呼吸置くようにカップを傾けてから、伯爵は本題を切り出した。


「対して、今の陛下は、実利的なものを好まれます。宝物に用がおありの時は、概ね問題の解決策を求めてのことです。では、殿下の興味はどちらに向いているのかと疑問が湧き起こりまして」

「きょうみ……?」

「面白いと思われることですよ。日々王族の務めにご多忙とはお察ししますが、では、それがなかったとしたら。空いた時間で、殿下はどんなことをしたいですか?」


 殿下を退屈させることのないよう、差し支えなければ、次の機会の参考にさせていただこうかと。

 そんな一言を付け加えられたら、黙っていることが悪いことのように感じられる。


 ……それにしても、僕が面白いと思うこと…………?


 一番大事なのは、皆を守ることだ。そのために、剣を振るだけじゃなくて、先生に言われたことはやってる。マナーや読み書きは覚えたし、算術も少しずつ勉強してる。王国の地理や歴史、主要な貴族の家について学ぶことだって怠りなくやってるつもりだし、手紙の書き方のように、機会があればその都度、出くわした事柄についてもおさらいしてる。


 それらがなかったとしたらということは……全部、必要なくらいできるようになったらってことだろうか。

 努力も要らないくらいいろんなことができるようになったら…………僕は、どんなことをするか……?


「……魔法、とか?」

「魔法ですか?」


 僕が持つ魔法が何なのか。どんなことができて、どんなふうに役に立てられるだろうか。何のために僕は魔法を持って生まれたのか。

 金の巻き髪の、少し年上の少女がもたらしてくれたあの奇跡が、ふと脳裏を過ぎって。

 我知らず、そんな疑問が声に出ていたらしい。

 内緒と言われてたのに。


「あ……え、と」

「そういえば、最近は魔術を使えるようになったらしいと囀っていましたか……。であれば、魔法に興味を持たれるのも……?」


 先生に怒られる!? と戦慄している間に、伯爵は一人で納得してくれたらしい。考え事に沈んでいた視線が、再び僕を捉えた。


「魔術ではなく、魔法にとりわけ強いご興味が?」

「あ、えっと……魔導、かな」

「そうでしたら、魔道具も持ち出してくるべきでしたね。私の趣味を優先した責任もありましたか」

「?」

「いえ。魔導のどんなところに強く惹かれたのですか?」


 魔法……は黙っていると約束したから、魔術に興味が向いた理由。

 再び訪れた沈黙を埋めようと記憶を手繰って、思い出すのは、


「……司教様に傷を治してもらった時、痛くなくなって、凄いって思ったんだ」


 ――魔術って、悲しいことや辛いことをなくせるんだって感動した。


 枢機卿が訪ねてきた時、お祖父様が魔術で氷菓子を作ってくれて。枢機卿も目を輝かせていたし、クラウディアさんも美味しそうにしていた。

 また食べたいとまで言って、約束したらクラウディアさんは嬉しそうにしていた。


 ――魔術って、誰かを笑顔にすることができるんだって感じた。


「笑顔のため、ですか」

「うん。それと……」

「それと?」

「あ……んと、そんなところ、かな」

「……そうですか」


 ひどく柔らかく見える表情で目を瞑っていた伯爵が、ややあってぽつりとこぼし、立ち上がった。


「ついつい長居してしまいましたが、そろそろお暇させていただきます。それと、御相談いただいた件はお任せ下さい」

「それは……お願いします」

「有能な魔導師の下で学ばれるという殿下の楽しみのためにも、微力ながらお手伝い致します」


 茶目っ気のあるウインクを残して伯爵は去っていった。

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