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王国の君  作者: てんまゆい
一章 揺り篭の君
50/96

始末

 深い闇の中。

 月明かりの翳る未明を、蹄の音が二つ。

 秋の夜長の冷気に煙る小道の上、冴え冴えとした夜気を裂いて、馬に揺られる男たちがいた。


「……お。ようやく見えたみたいだ」


 鬱蒼と茂る木々が途切れた向こうに紛れた影。霧に白む輪郭は、近づくにつれて小屋の形を浮かび上がらせていく。


「廃屋じゃねぇかよ」


 傾いだ屋根。

 びっしりと蔦の這う壁板。

 下草が我が物顔で蔓延り、余程住む場所にも困る者でなければ、一〇人が一〇人とも「潰れかけ」と形容しそうな外観の掘っ立て小屋が、苦労して辿り着いた目的地ともなれば、口をひん曲げて愚痴を垂れるのも仕方ないことではある。


「さあ……クリスから聞いてたのとは合うけどな」

「告げた場所は山賊の根城でしたとか言うんだろ……」

「やめろよホーク……思い出させるなよ」


 割合整った顔立ちに苦み走った表情を貼りつけながら、青年は傍目にもわかる形で気配を窺う。


「ポップ、朗報……」

「……何だ?」

「……あー、いや。やっぱ凶報かもしれねぇが、まあアレだ、泣く子も黙る我らが“氷鬼”サマが見えるぜ」

「なら、少なくとも敵じゃないか」


 ホークの言葉に、腰の柄に添えていた手を離した青年は、少しばかり緊張の糸を緩める。

 死に目に遭わせる上官ではあっても、死なせる上官ではないのだから。


「お待たせしやしたタイチョー」

「全くだ。……後は、釣れた魚の具合か」

「酒代まで出して、愚痴でも吐き出してからこいって言い出した時は気でも違ったかと思ったんだが……その様子だと、やっぱ何かあるんだな?」

「ポップ、余計な詮索はお前の仕事じゃない。下だ。小離宮に近づこうとした奴らを放り込んである。練習がてら、腹の中に溜め込んでるものを全部吐かせてこい」


 ちら、と背後に視線をやってみせたポップに小屋を指すと、クリスは二人が来た方へ歩いていく。

 程なく、不気味に騒めく木々と霧の向こうから風に乗って聞こえてきた物音と呻き声に、二人は顔を見合わせた後、早々に小屋の扉を軋ませた。


「クソねみぃのに、これから野太いコーラスのお時間? マジ?」

「マジマジ。はあ。何人いるんだろうな……あー…………これは、また」

「……帰りたくなってきたんだけどオレ」


 待ち受ける過酷な時間に愚痴り合いながら、倒壊しかけの小屋に踏み込んで、外とは打って変わった石造りの内装に、こぼれる吐息が一層重みを増す。

 天井近くまで積み上げられた木切れと木箱が屋内の半分を埋め尽くし、そして残りのスペースは粗末な寝台が縦に二つ。それらと簡素な机椅子を挟んで、床に嵌め込まれた物々しい鉄板。

 軍部の中でも疚しい類の隠し事の気配に顔を歪めつつも、二人がかりで分厚い金属板を上げて、姿を現した石段を下りていく。

 重く湿った空気。

 淀み腐らせたような異臭と黴の臭い。

 そこかしこから忍び寄るように鼓膜をなぞる呻き声。

 そして足裏から這い上がる冷気。

 そんな場所の出入り口には、椅子に腰かけた男が一人。


「ようこそ、地獄の洞穴へ」

「随分と浅い洞穴じゃねえの」

「ヒヒッ、そりゃあどうも。そっちのあんちゃんはビビッて声も出ねえかぁ?」

「まさか。ただ、胸一杯に吸い込みたい空気じゃなくてね」

「そりゃあ残念だ。アンタとも、まあ、仲良くできそうだと思ったんだがねぇ?」

「遠慮しとくよ。それよりもだ。恐ろしいタイチョーが戻ってくる前にやることやっとかないと怖いんだ。さっさと取りかからせてくれるか?」

「いいぜぇ、おれもお預けをくらってウズウズしてたところさぁ」


 嫌な笑みを浮かべて歓迎する乱杭歯の中年男は、さしずめ地獄の獄卒か。


 部屋がいくつかと、さらに下へと続く階段を通り過ぎれば、目隠し、猿轡、手枷足枷の揃った老若男女がざっと見て二〇人ばかり。

 大半は薄汚い身なりだが、まともだっただろう衣服の成れの果てを身に着けた者たちも、ちらほらと窺えた。


「一人は奥で準備してるぜぇ。それで、おれと一緒に楽しもうって奴ぁどっちだあ?」

「ポップはそのおっさんと仲良くしてな。オレぁもう一人の奴と組んでやらせてもらっからよ!」

「あ――――おい! のやろ……ッ」


 奥まで一通り見たところでサッと離れていく禿頭。その肩を、ソーセージのような指が掴んだ。


「ヒヒヒッ、待てよ色男ぉ。おまえに決めたぜぇ。仲良くやろうやあ」

「は、な、なんでオレなんだよっ!? あっちのが色男だろうがっ! くそっ、ポップ! 悪かった! な? まずは落ち着いて話し合おうぜっ?」

「仲良くすればいいんじゃないか」

「ポップ! てめ、このッ、覚えてろよ――――あッ、やめ、助けて、誰か、ひぃいいいい嫌だぁああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」


 湿りを帯びた耳障りな笑い声とともに連れ去られる禿頭を、ポップと呼ばれた青年は朗らかな笑みで見送った。




†   †   †   †   †




「お楽しみの最中も顔を引き攣らせてよぉ、碌でもねえって言いたげに顔をしかめるんだぜぇ? それ以上のコトぉしておいて、よくあれだけ自分は慈悲深ぇんですって顔しやがるよなぁ。悲劇は大喜びで観やがるクセして、シャワーがかかるくれぇの間近は嫌ってかぁ。どこのお嬢ちゃんだって話だぜぇ。さぞかしいい声で鳴くんだろぉなあ……仲良くしてぇなあ…………なあ、おめぇもそうだろぉ? 玩具屋よぉ」

「そうか」

「ヒヒヒッ、つれねえなあ。絶体絶命の戦場に比べりゃあ、こんな監獄なんて生温ぃだろうがよぉ。あんただって、命を刈り取る瞬間の、あのたまらねぇ感覚はわかってんだろぉ? そんでもってぇ、自分は死にゃあしねえって顔してやがる奴がぜぇーんぶ失う瞬間の、あの表情ときたらよぉ! ゾクゾクさせやがらあ!」

「それはよかったな。さて、結論を言え」

「わからねぇフリかあー玩具屋ぁ。仲良くしてえっつっただろぉ。それで、なぁ、いつおれにくれるんだ?」

「どこの臭いだ」

「ドブクセぇ、ドブクセぇ、南のお貴族ネズミだぁ。ありゃあ、素人だって嗅いだらわかる臭いだろうがよぉ。それになあ、見たらわかんだろぉ? あの顔っ、顔がよ、芸術家気取りのクソ野郎が捏ね回したんだろうぜぇ。せっかく【変化】(へんげ)なんてよお、お誂え向きの道具があンのに、もったいねえよなあ。おれなら、もっとすげえ作品に仕立て上げてやるってのによぉ。高慢ちきどもにゃあ全く以て過ぎた玩具じゃねえかあ」

「そうだな」

「そうだろおそうだろお! なあ、それで、なあ、ありゃあ、いつまで泳がせるんだあ? なあ。久々の上物の臭いで、おァァっ、コッチがビンビンきてんだよお。それくらい教えてくれたって、バチは当たらねえだろぉっ?」

「さてな。俺の一存で決められることでもない」

「なら、檻に入れる時は必ずおれにくれよお? なあ? なあ!」

「働き次第だ。……そういえば、この前は中将に会ったか」

「いいぜいいぜえ! なんでも聞いてくれよぉ! 何が知りたいんだあ?」

「――1番」

「――ハーッ! ありゃあ無理なもんさぁ」


 肉の隙間から濁った目を爛々と輝かせて身を乗り出していた男が、ここで初めて不快な表情を浮かべてジョッキを呷った。


「ゲエェッ。……お前が回してくるんだ、さぞや楽しみ甲斐のある玩具だろうと期待したってぇのに、あんな期待外れはごめんこうむりてぇ」

「お前でも無理か」

「まるで人形じゃあねぇかよぉ。あれならまだ人形で練習してた方が割り切れるぶんましだぁ」




   『予言しよう。


   妾腹の子よ。

   死神の足音は近い。

   研がれる刃に備えよ。

   闇より出で来る影に注意せよ。


   怠ればすなわち汝は失うべし。

   さらば見知る者を疑えよ。

   さらば届かぬ所に隠れよ。

   連れ来る贖いの夜が静かに更け行くよう精々祈るがいい』




「妾腹の子ってのは、やっぱりあれかあ? お前のお気に入りかあ?」


 にちゃりとした笑みを浮かべて観察する男の視線をどこ吹く風と無視し、一日一度、決まった時刻に繰り返される言葉を睨む。


 ――――ヴィンセントの元に暗殺者を寄越す、だから命を刈り取られるその日まで逃げ惑い震えているがいい。


 要約すればそれだけの、警告の体裁を取った脅迫文だ。取り合わず、いつも通りの警戒網を敷いていればいい。軍部と騎士の二重網で、内はともかく、外は他国の魔術師も想定して備えさせているのだから、事が起きようとそうでなかろうと、想定に従って対処するのみ。騒ぐ程の話ではない。


 …………そのはずだったのだが。

 寝込んでいたヴィンセントは着替えた状態で、当日の傍仕えは寝落ちしていたという。

 そして同じ日に、窓の鍵が一つ、開いていたとも。


 ちょっとした偶然が重なっただけだ。常にない事態に忙しさを極めた結果、傍仕えは寝ぼけたままヴィンセントを着替えさせたがそれを思い出せないだけ。窓も戸締まりを忘れたかあるいは施錠が甘かっただけ。


 ……杞憂だと、一笑に付すのだろうが。


(探られている……か?)


 飯も水も摂らず、伝言を除いては、石のように沈黙し続ける人間。そんなあからさまに奇異な便りまで寄越されれば、偶然の重なりで済ますには死地を歩き過ぎた。


 同一か否かにかかわらず、外部から侵入して何らかの細工をされた可能性がある。クリスにしてみれば、それはもはや否定できない事実だった。


 ――だが、何のために?


(揺さぶりにしては甘い)


 ……脅すのなら、何故ヴィンセントが気づくような悪戯を仕込んでいない?


 手の込んだ伝言を寄越せるくらいならば、王宮の内でなくとも、貴族街あたりまでであれば噂を流すくらいわけはない。例え本人の耳には入らずとも、周囲の緊張や不安は伝播する。

 まして同一犯であるならば、寝室に堂々と侵入者の形跡を残していけばいい。幼い王子はおろか、大貴族家の当主や一国の王であろうと、寝所に土足で踏み込まれたとなれば、十分な揺さぶりとなる。死の恐怖に慄く心は、やがて疲弊し、蝕まれていくものだ。


 それ故、ヴィンセントではなく警護の対応を測るための一手かと勘ぐったわけだが、それにしては腑に落ちない。

 脅迫状があったからこそ、今回の侵入された形跡を発覚できたのだ。気づくかどうかも怪しいが、気づいたとしても考えすぎと流される可能性が少なくないのでは、警護の質を見定めるのには不向きだ。どのみち侵入を許した時点で、質の低さは知れたことなのだから。


(老婆心での警告か。……あり得んな)


 それだけのために王子の居室に潜り込める人物を寄越す? 人間の形をした脅迫状を差し向ける?

 それだけ優秀かつ使い勝手のいい手札(カード)があれば、大貴族に引けを取らない悪巧みができる。はっきりいって、資源と効率の無駄だ。


(となると、どこかに動かしたいのか?)


 いつでも暗殺できるのなら、どこか都合のいい場所で王子の首を落とすことも視野に入るだろう。


 ……だとしたら、王宮以外でヴィンセントが頼る可能性のある人物を糾弾する目的もあるか。


 王都では王宮以上の守りは望むべくもない。

 王都の外となると、順当に考えれば血縁者――――【結晶化】の魔法使いのお膝元か。


(可能性はありそうだな……)


 子爵家の生まれで、魔法使い。……侯爵家ほどの血筋でも魔法使いは稀なのだから、方々の嫉妬は相当なものだろうとも。あるいは、破談となった商談相手の逆恨みもあり得る。不利益を被った大商人もか。


(この場合は、いよいよあの家か)


 対立候補を消して憂いなく玉座を手中にでき、目障りな魔法使いが死んで寄子の貴族も溜飲を下げ、ついでにある程度狙った時期に仕掛けられるのだから、取り潰されて残った領地をいいようにすることもできるだろう。

 痕跡も残さずできる手札があるのなら、利益しかない。


(これが、最悪の可能性といったところか)


 この場合、王都から離れるのは悪手だ。首謀者が疑いをかけられる距離から外れた途端に始末される可能性が高い。

 動機と利害も一致する。


 話の筋が通る相手を見出して、クリスもまたカップを傾けた。

 生温く風味も安いものながら、酒精を差したことで重苦しい考え事に疲弊していた思考が多少なりとも滑らかさを取り戻す。


 ……あるいは、仮にヴィンセント以外に目を向けてみるならばどうか。


(ヴィンセントに注意を向けさせておいて、本命はその周囲にいる誰か、か?)


 必要のないところまで手を伸ばす思考に口の端が歪む。


 “連れ来る贖いの夜”は、周囲にも暗殺者を差し向けると解釈できる。だが、ヴィンセントに近い標的を暗殺したいのなら、わざわざ警告文に入れる必要はないどころか、むしろヴィンセントこそが狙いだと書き連ねればいい。

 周囲も守れと言っているようにしか考えられない書き方となれば、やはり、ヴィンセントが自らの護衛を減らすことを狙っての言い回しと考えるのが妥当か。


 ――狙いは、ヴィンセントのみ。


 結論を下して残りを呷り、カップを振って水気を払う。


「後始末はきちんとしておけ」

「ヒヒヒッ、ここにしっかり刻んであらあ」


 中程から欠けた右の薬指と小指の縁をなぞりながら、弛んだ腹を揺らして獄吏が笑う。


「他国の魔術師に位置も存在も露見させた以上、ここは即刻処分だ。お前の秘密の遊び場にするのはいいが、報いを受けたくないならやめておくことだ」

「チッ。……ここより居心地のいい場所と十分な品揃えを期待して待っててやるよぉ」


 荷物をまとめると、聞き忘れがないことを確認して、クリスは小屋を出た。

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