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王国の君  作者: てんまゆい
一章 揺り篭の君
40/96

25 新しい修練場

ヴィンセント6歳 初秋


ヴィンセント視点

 蹄が石畳を叩く一定のリズムが眠気を誘う。

 漏れそうになる欠伸を噛み殺して涙を拭った僕は、締め切られたカーテンの隙間をじっと睨む。

 ひらり、ひらりと馬車の揺れに合わせて小さく揺れるけれど、隙間から漏れるのは白い光とくぐもった喧騒くらい。聞こえているのに、その向こうの様子はまったくもって見えやしないなんて。

 カーテンまでが意地悪だ。


「騒がしさがお気に召しませんか?」

「え」

「先程からずぅっとカーテンの端を見つめていらしたので」

「それ、は……騒がしいから、お祭りか何かかなって、少し気になって……」


 壁にもたれかかるロニーや僕の太ももに頭を乗せてすぅすぅと息をこぼすミアは勿論、ローランドも目を瞑ってじっとしていたから、てっきり眠っていると思っていた。

 だから、ローランドにずっと見られていたと頭が理解した瞬間、恥ずかしくなった僕は、思わず視線を泳がせる。


「ああ……そういえば、ヴィンセント様が王宮の外にお越しになるのは初めてでしたねぇ。ワタシでよければ、見たことのある外の様子をお話しますよぉ」

「えっ! ……じゃ、じゃあ」


 覚悟していたくすくす笑いはなく、代わりに出たのは、思いもしなかった嬉しい提案。一も二もなく頷く僕に笑みを深めたローランドは、記憶の中を探るように宙に視線を彷徨わせる。


「この時間でしたら、大店が開店前の準備に忙しなく動いたり、大通りに屋台を開く者たちが客を呼び入れている頃ですねぇ。今外から聞こえてくる声も、おそらくそれでしょう」

「やたい? ってなに?」

「庶民向けの品物を扱うお店のようなものです。焼いた鳥獣の肉であったり、魚のスープであったり、具を挟んだパンであったり、あるいは雑貨や簡素な飾りを売っているものも見かけましたねぇ」

「食べたことある? どんな味だった? 雑貨ってなに? どんな飾りがあったの?」

「ふふふ、落ち着いて下さいヴィンセント様」

「う……ごめん」


 前のめりになりかけていた僕はそこで我に返って――――そろーっと姿勢を戻す。せっかく気持ちよく寝ているのなら、ミアを起こさないようにしないと。


「可愛らしいですねぇ」

「ん? うん……そうだね」


 そんな言葉をぽつりと呟いたローランドと目が合って、ミアのことかと視線を落とす。

 頬にかかる明るい青の髪をそっと避けると、むずがるように身動ぎする。それだけのことがとても大切に感じられて、胸がきゅうぅぅ、となる。


(前はいつも一緒にいたのに……)


 最後に一緒にお昼寝をしたのはいつだろう。

 ミアがいて、マルチダがいて。

 本を読んで、庭で遊んで、眠たくなったら一緒のベッドに横になって。

 お菓子を食べたりお歌を歌ったり。


(――――だめっ……)


 何かがこみ上げそうになる前に心の奥に押し込んで、止まっていた息をゆっくりと吐き出す。

 離宮にはマルチダもミアもいない。でも、その代わりじゃないけれど、リタがいるし、ローランドやロニーのように新しく一緒にいてくれる皆がいる。

 それに、くよくよなんてしてらんない。…………して、られないんだ。


「おや、そろそろ到着するみたいですねぇ」

「あ……じゃあ、ロニーを起こしてくれる? ミア? ミア、起きて。着いたよミア」


 馬車が速度を緩め始めたのを感じ取ったローランドにロニーを任せて、僕はミアを揺する。


「ヴィンセント様」

「? なに?」


 いいことを思いついたと言いたげな笑み。


「……お忍びで街に下りてみましょうか」

「えっ?」

「ほら、ロニー。起きないと置いていきますよぉ?」


 まるで悪戯に誘っているような声にまじまじとローランドを見つめるものの、気がつかなかったのかそのままロニーを揺すり始める。


(おしのび……?)


「――――あ、ミア? 起きた?」


 頼んだことと尋ねるのは諦め、仕方なく興味をそそられる言葉の意味を探して記憶を掘り返しかけたところで、腰に巻きつかれる感覚に意識を引き戻される。


「……んぅ~……」

「ミア? ほら、起きて。もう着いちゃうよ。ミーア。――ひゃっ、起きてっ、あっ、そこに顔埋めちゃっ……!」

「えへへへへ……」

「あっ、こらっ、もう、おっ、起きてるでしょ!? ミ~ア~!」


 不意に悪戯を始めたミアに気を取られてそんな言葉は頭から吹き飛んでしまい、なんとか服装の乱れを整え終わったのは馬車の扉が開くその直前だった。


「酔った奴は? ――――顔が赤いぞ、ヴィンセント」

「な、なんでもない。酔ってない」

「……まあいい」


 問題なしと判断したらしい先生は、ついてくるのは当然だとばかりにサクサク進んでいく。


 行く手には背の高い建造物が一棟。

 黒灰色の石を積み上げて作られた外壁は風雨に削られてざらついて、その隙間にぽつぽつと開けられた小さな窓には鉄格子が並ぶ。生半可な好奇心なんてすぐにでも萎んでしまう険しい顔つきの中で、正面扉だけが大きく口を開いて来訪者を平らげようと待ち構えていた。


(ここが……先生たちが普段いるところ?)


 固唾を呑んで踏み込んだエントランスは思ったよりも涼しく、柱はあるものの見通しが良くて開放感がある。外の巌のような威容はなんなのかと思うくらいに静かな雰囲気に、止まりかけた足を動かして慌てて扉の向こうに消える影を追う。


 魔力によるのものと思しき光明を頼りに薄暗い階段を下り、先をいく足音を追いかけて廊下を急ぎ足で曲がった直後、


「――――わぷっ?」

「注意散漫だな?」


 欠片も驚きの感じられない声に、うぎゃあと漏らしかけた口を押さえて先生から慌てて距離を取る。

 いつもなら悪い顔で距離を詰めてくるところだけれど、今回は違った。


「改めて見ても、なかなかどうして麗しい……さて少佐、紹介を頼もう」

「は――――はっ。殿下にご紹介します。こちらがヘーゼルダイン中将閣下です」

「お目通りが叶い恐悦至極に存じます殿下」

「え……と、私も、お会いできて、嬉しく思います」


 突然の膝をついての挨拶に驚きながらも、なんとか取り繕って挨拶を受ける。

 美髭の美中年。

 装飾と勲章に彩られた軍服の上からでもわかるがっちりした肉体に相応しい男らしい顔つき。笑みに目尻を緩ませてなお鋭さを感じさせる碧眼。つるりとした頭の代わりとでも言いたげに、豊かな金の口髭が弧を描いて上を向く。


「このようなところで実に申し訳ないが、お互い顔を合わせるのに不都合があってはこうした意味もなくなるというもの。何卒ご容赦願いたい」

「えっと……はい」


 意味は測り兼ねるけれど、言外に何かしらの意図を滲ませていることくらいはなんとなく察せられて、曖昧に頷いた。


「ヴィンセント。学べ」

「うぷっ……むぅ、わかってるよっ」

「クリストファー君……君はまったく、恐れを知らんな」


 そんな内心は、先生とってはお見通しだったようで、ぐりんぐりんと頭を掻き回されてしまった。


「――――げえっ、父上ぇ……!?」

「父の顔を見てそんな声を出すとは、何か疚しいことがあるようだな」


 蛙が潰れたような声。

 追いついたレイモンドたちに目の前の男が相好を崩す。


(……ぁ)


 どこか、やわらかい。

 獲物を見つけた肉食獣のような色を含みながらも、さっき僕に向けた笑みとは違って、どこか温かみを感じる。

 ……これが、息子に向ける心からの笑みなんだろうか。


「さて、改めてご挨拶申し上げよう」


 こちらに戻る視線を感じて慌てて気持ちを切り替え、立ち上がって居住まいを正した男性に向き直る。


「ヘーゼルダイン伯爵家当主のラザレスだ。軍務大臣も務めている。以後お見知りおきを、殿下」


 全く同じはずの人物が、武骨な軍服には不釣り合いな、けれども貴族としてはリタに勝るとも劣らない流麗な動作で一礼して見せる。

 下から見上げるその顔には、茶目っ気のある笑みが浮かんでいた。




†   †   †   †   †




 本当に顔を合わせるだけだったようで、レイモンドをよろしくとだけ残して、ヘーゼルダイン伯は去っていった。


 その場から道なりに進んだ僕たちが辿り着いたのは広大な空間。

 王族修練場と同じか、もしかするとそれより広いかもしれない空間は、けれど四方はおろか天井さえも頑丈そうな金属で覆われていて、遠くに灯る魔道具の光を鈍く照り返す。

 ――――地下魔術演習場。

 どちらかというと貴族士官向けに設けられているらしいこの演習場で、レイモンドたちはというと、


「ほらほらガンバんないと痛いっすよー」「うわわわわっ!?」「ああああっ、射線に入るんじゃない!」「邪魔すんじゃねえヘタクソ――がぁっ!?」「……隙」「ぐっ、すみませんオリヴァー!」「いえ、気にせずもう一度」「一人じゃ辛いのですがねぇ……!」


 時間差攻撃。

 前後での挟撃。

 身体で隠しての魔術攻撃。

 六人がかりで手を尽くしているのに、イーズとテイラーだけで面白いくらい簡単に転がされていく。魔術も武器も使ってるのに、イーズは動きで翻弄して、テイラーはその場をほとんど動かず手だけで全て捌き切る。

 余裕があるとしか見えないのは、近くで同じ軍人のアイズとミアが繰り広げている踊るようなやり取りと見比べてしまうからだろうか。


 実力を査定する、と言っていた。

 その宣言の通り、先生とセリーナさんは時折手元に視線を落としては何か書き込んでいる。これからは一緒に扱いてやろうって笑っていたから、きっとそのための材料を探しているのだろう。…………皆には申し訳ないけれど、僕じゃなくてよかったって思う。


「殿下ぁー、あー、そろそろよろしいでしょうかー……?」

「うん」

「では――――【刻印】」


 先生に睨まれて声をかけてきたホークに頷いて構える。

 何かされた気はしないのだけれど、でもホークは確実に僕に【印】をつけた。

 番えられた矢が放たれて、それを両手で構えた盾で打ち払う。

 小盾では大人が身体を隠すには小さいけれど、まだ子どもの僕なら十分に大事な場所を守れる。


 飛び道具に慣れる訓練。

 今朝、ボールから始めた訓練は、速さに目が慣れたところで訓練用の矢や投げナイフに代わり、今は盾に隠れるところから、こうして積極的に盾で打ち払う段階に移り変わりつつある。

 ガツンと肩まで震わせる衝撃を耐えながら、身体も盾も動かして斜めに受けようと足掻く。


 先生は、必要な訓練だと言った。

 毒でミアが倒れた時のことを引き合いに出して説明されるまでもなく、僕や僕の大切な人を傷つけられるかもしれないってことは、もうわかってる。


 先生みたいな強い人が襲い来れば。

 闇夜に乗じてベッドまで辿り着かれれば。

 多くの人が集まる場で召使いとして潜り込まれれば。

 マルチダのように、やがて王宮の外へと出る機会がくれば。

 そんな機会はこれからたくさん訪れる。だから、守られる側から、守る側になるために、必要なことだと思うから、食らいつく。

 避けるために走って、けれど【刻印】の力で軌道を捻じ曲げられた矢が斜めから降る。下手に弾けば足を射抜くかもしれないそれを、小盾の曲面に合わせて流すように弾く。


(――――次は!)


 次の一射を告げる声はもうない。

 狙いは――――まっすぐ。

 恐れて後ろに下がるんじゃなく、横へずれて流す。


「――次!」


 痺れて盾を取り落とさない間に、腕が上がらなくなる前に、一矢でも多く――。







「こんなところか」


 先生の終わりの声と同時、僕は膝から崩れ落ちた。


(い、痛い……)


 盾を抱え続けた腕がぷるぷるしてろくに動かないのをいいことに、木剣を握った先生と一対一。

 逃げ回れるはずもなくて、加減ありとはいえ振り回される剣を紙一重で逃げて、でも逃げられなくて腕にぶつけられて、虚を突いて繰り出される拳を受け止め切れずに地面を転がって、寝てると蹴飛ばされたり踏みつけられたりするから痛みに止まることもできずにまた立ち上がる。

 こんなのあんまりだ。

 ここに神官なんていないし、この痛みも我慢するように言われてるから治しにもいけないなんて…………あんまりだ……。

 ミアもやったからって、考えなしにやるって言った僕の馬鹿さ加減もあんまりだぁあああああああああああああああああっ。


(いたぁい……!)


 そのミアは、どういうわけか、先生の部下と一緒になって六人を嬲って悲鳴を上げさせてる。……目が合ってにっこり笑ったのに、木剣振り回しながらだと妙に怖いのはなんでだろう。


「それで、魔術の調子はどうだ」


 視線を逸らした先にわざわざ腰を下ろした先生からさらに視線を逸らして、答える気力もないことをアピール。


「そうか、まだ物足りないか」

「――――!! あ、ぅぎ……っ!?」


 身体も重たいし動かすだけでも痛いのに、先生が微妙に弾んだ声を出すだけで跳ね起きちゃう自分が嫌になる。

 せめてもの抵抗とフーフー唸ると、そこまで本気ではなかったみたいで、先生はすぐに腰を落ち着け直した。

 元より動く力もない僕も、生まれたての子鹿のように震える足から力が抜けるままにぺたんとその場に座り込む。


「…………ま……魔力がわからない……」

「聞こえないな」

「魔力が……わ、わからない」

「なんだって?」

「っ――――魔力がわかんないって言ってるの!!」


 のーのーのぉーのぉー……。

 つい苛立って出した声は予想以上に響いた。


(ああああああああ……っ!!)


 悲鳴を上げていた皆までが、何事かと僕に視線を向ける。

 その視線から逃れようと、僕は顔を俯けた。


 ……なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ……。


「閉鎖空間で大声を出すと遠くまで聞こえてしまう。一つ学んだなヴィンセント」


 くっと睨み上げたってどこ吹く風、いい笑顔で頭を掻き回してくる先生はこれっぽっちも気にしやしない。


「かれこれ一ヵ月か。魔力、魔力…………何をしてきた?」

「何って……」


 思わず身構えたけれど、先生が尋ねる声に責めるような声色はなくて、ほっと胸を撫で下ろす。


 言われるままに試し続けた。

 初日に触れた魔道具に魔力を消費させてみた。

 他の、魔導研究院にある限りの魔道具も発動させた。

 えずくくらい不味い煎じ薬も、頑張って飲み干した。

 一抱えもある魔石をずっと抱えていたことだってある。

 ノリー先生が発動する【水球】に手を突っ込んでもみたのだ。


 ………………………………でも、何も感じなかった。

 次はどうすれば……探して探して探し続けて。

 そんな日々が長く続けば、最初の頃には見られなかった困惑の色が、誰の顔にも隠しようもなく滲んでいく。

 落ち込まないでと励ましを繰り返す皆の声は、何かを削り取られてしまったようにがらんどうで。

 「哀れ、あの王子は、魔力がわからないらしい」――――どこから広がったのだろうか、最近は、王城に足を踏み入れる度、くすくす笑いにも似た囁きが耳につく。


 ………………いつまで。

 いつまで僕は、こんなことを続けたらいい?

 いつまで僕は、皆にがっかりした顔をさせればいい?

 いつまで僕は、嘲笑う声から耳を塞いでいればいい?

 いつまで……いつまで……………………どうして………………? なんで、僕だけ、魔力がわかれないの……?

 僕が、なにか………………悪いことしたのかなぁっ……?


「そうか」


 ぽつぽつとこぼしていた言葉は枯れて、代わりに何かが、ぽたぽたと、床についた手を濡らす。

 哀れむでもなく、責めるでもなく、嗤うでもない。

 何も変わらない、いつも通りの先生の声。


「努力したな、ヴィンセント」


 ………………頭を掻き回す手だけは、少しだけぎこちなくなった気がした。

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