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王国の君  作者: てんまゆい
一章 揺り篭の君
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幼い願い

マルチダ・トレキア視点

 私たちにあてがわれた寝室の扉を閉め、ミリアリアを座らせてから、私も向き合う形で椅子に腰を下ろす。


「――よく聴きなさいミリアリア」

「……っく、ヒクっ、…………おかぁさん……なに?」


 ヴィンセント様から「約束する」とのお返事をいただいたことで落ち着く様子を見せつつある娘に視線を合わせる。


「ヴィンセント様は諦めなさい」

「っ……や、や! や!」


 娘の肩が跳ねた。

 私が何を諦めろと言っているのかわかっている。やはりこの子はヴィンセント様のことを……。


 嘆息しかけた自らを戒め、再び涙を浮かべて首を振る我が子の頬を両手で挟み、努めて冷静に口を開く。


「よく聴きなさいミリアリア。……ヴィンセント様はこの国の王子であらせられます。対して、貴女はこの国の一男爵令嬢に過ぎません。本来ならば、貴女のような未熟者がお傍に侍ることすら許されないことなのですよ」


 身分の差があまりに大きすぎる。


「……ん……でもっ……」

「私や貴女がお傍に侍っているのは、偏にエミリー様がそう仰ったからです」


 そしてそれを陛下が聞き届け、私に一任すると仰った故。

 でなければ、いかに友誼があったとはいえ他の者が乳母に選ばれていたはず。第二とはいえれっきとした継承権のある王子。まして母もいないとなれば、第一王子殿下に付けなかった者たちは乳母を送り込んで勢力を築こうと画策するのは火を見るよりも明らか。

 現に、この離宮に侍る女官たちは私などより上の貴族家からも送り込まれているし、地味な嫌がらせも受けている。


 地味な程度で済むのは、以前に表立って行われた嫌がらせにヴィンセント様が怯えられ悲しまれたから。

 その者が程なく去ったこともあり、ヴィンセント様に嫌悪されないよう手段を変えたと私は踏んでいる。


 けれどそれは仕方のない部分もある。

 私は領地貴族とはいえ男爵家の出。

 場違いな下級貴族の家の者が、王宮の、それも王子の傍近くに仕えているとなれば、不釣り合いな場所で何かしでかすのではないかと危惧するのは致し方ない。


「ですがそれも今だけのこと。もう少しご成長なされた後は、私とともに貴女も実家に戻ることになります」

「っ!? や、やぁっ! やぁぁぁぁぁ!!」


 聞きたくないとでも言いたげに首を振ろうとする娘の頬を、優しくもしっかりと押さえて両目を覗き込む。


「貴女よりも高貴な家の娘がヴィンセント様の許婚……結婚を予定する方となられるかもしれません」


 状況の複雑さもあるが、第一王子殿下の例を参考にすればお披露目と同時に婚約の発表があっても異常しくはない。


「貴女を見ていることはヴィンセント様もできなくなります」


 仮に婚約者が決まらないまま成長なされ、さらにヴィンセント様自身の意見がある程度反映される状況がきたとしても、一男爵令嬢では並み居る令嬢を差し置いて娶られることはあり得ないし、彼女たちの矜持にかけて絶対に許しはしない。

 それでも強行すれば、貴族たちの反感を買いヴィンセント様のお立場が危うくなられる。


 愛人となるとしても、結婚相手の方が危機感を抱いて、あるいは愛されないことに嫉妬して、やはりミリアリアが酷い目に遭うことは想像に難くない。


 エミリー様から託されたヴィンセント様をむざむざそのようなお立場に追い込むことも、愛しい娘を日陰者にすることも、私にはできない。


「なに一つない貴女では、ヴィンセント様も貴女も不幸にするだけです」


 それくらいならば、恨まれようとも傷が浅い今のうちに二人を引き離すことを私は選ぶ。


「だから……“王子様”は、諦めなさい」


 未だ幼いミリアリアにこの辺りの話を振っても理解を求めるのは難しい。

 だから私が悪者になろう。

 感謝されなくてもいい、恨まれてもいい、ただ、人並みくらいの幸せを得てくれるだけでいい。


 身体を硬くしてぽろぽろと涙をこぼすしかない娘の表情に、「お姫様に憧れるのは構いませんが」という余計な一言を呑み込んで、小さな娘の目元をそっと拭う。


「……さあ、寝ましょう」


 厳しいことを言ったが、それをほんの少しでも理解してくれたのなら、必要以上に追い込むことはない。

 ヴィンセント様と過ごせる残りの時間を大切にしながら、少しずつ、折に触れて言い含めていけばいい。


「明日もヴィンセント様にお仕えしなくてはなりませんから」

「――ゃ」


 ……今、なんと言ったの。


「ミリ、アリア?」

「ぃや、ぜったい、いや!」


 相も変わらず舌足らずな言葉遣いで、でも、強い意志を感じる語気で、娘が言い放つ。


「おにぃのお嫁さんになるっ!」


 目の周りを真っ赤に腫らして、でも、涙をこぼすことなく私を見返す双眸。


「ほんもののおひめさまにまけないくらいっ、いっぱいいっぱいいいこになるもん!!」

「っ……」


 否定しようと口を開きかけて、迷う。


 仮に――――それでもヴィンセント様とミリアリアが一緒になれるとしたら、それはどんな条件なのだろう。

 愛娘の言動に「もしかして」と思った時に、そう考えたことはある。

 第二王子殿下と一男爵令嬢が他を排して結ばれるとしたら。

 ――――強く愛し合っているのは前提として。

 ――――他の令嬢を勧められない程度には美しさが必要で。

 ――――上位貴族となんら遜色ない気品と教養を身につけていて。

 ――――多くの貴族や令嬢に呑ませるだけの交渉力と利益が求められて。

 ――――そして、王族の伴侶に相応しい魔力量を誇るかどうか。

 いったいどれほど完成された令嬢だというのかと、その時はそんな妄想は振り払う結果になった。


 意志の輝きが宿る眼を前に、今一度考えてみる。

 愛情は、将来のことはわからないにしても、現時点で仲睦まじくしておくに越したことはないという意味で、有利な立場にいる。

 親の贔屓目を抜きにしても、容姿は悪くない。……勿論、殿下の好みに合えばだけれど。

 離宮という恵まれた場所にいるのだから、中身は別として立ち振る舞いや教養に優れ手本となる者には事欠かない。

 同じように、大人の世界を見続ければ、どうすれば人を動かし味方に付けられるのか学ぶことはしやすい。悪影響を覚悟しなくてはならないにしても、どの道いつかは足を踏み入れなくてはならない世界なのだから、そこは失敗が多めに見られやすい子どものうちに、そして私や実家が支えられる間に触れさせるのも別の面ではこの子のためといえる。


(……やはり、血筋と魔力……)


 夫も私も男爵家に相応しい程度の魔力しかなく、先に産んだ二人の兄もその域を出ないとなれば、やはり難しいと思える。

 エミリー様のように、下級貴族でありながら上級貴族に匹敵するような魔力量を持つというのは滅多にない事例なのだから。


「…………本当に、その覚悟があるのですか」


 けれど――――厳しい条件をつけた上でなお挑むというのなら、今この子の意志を頭ごなしに挫いてしまうより、それを許してしまう方が、この子のためになるのではないだろうか。


 嘘はつかないように注意しなくてはいけないが、それでも並大抵ではない努力をやり通す気があるのなら、それは本人を大きく成長させることに繋がるはず。


「あるっ!」

「本物の姫を越えるほどの令嬢になるというのですね?」

「なるっ!!」


 迷いなく答える愛娘に、あれこれと考える私が年寄りのように思えてくすりと笑みがこぼれる。

 子どもの成長は早い。

 いつも見ているミアがこれなら、実家で過ごしている上の兄たちは今頃どれほど成長しているのだろうか。


 逸れかけた思考を頭を振って振り払い、これだけは問わなくてはと、今一度表情を取り繕ってミリアリアに向き合う。


「……いっぱいいっぱい苦しい思いをしなくてはなりませんよ?」

「うん!」

「ヴィンセント様と一緒にいたくて、貴女に酷いことをする人がいるかもしれませんよ」

「がんばるっ!」

「たくさん頑張っても、ひょっとしたらヴィンセント様は他の誰かとご結婚なさるかもしれません」

「ぅぅ…………で、でも、がんばるもんっ!」

「……そうですね。貴女の言う通り、たくさん頑張らないとヴィンセント様に“王子様”になってもらえませんからね」

「……ぅ、ふっ、ぐず、う、あああああああああああん!!」


 頬を緩ませて頭を撫でると、ほっとしたのかミリアリアが涙を流しながら私に抱き着く。

 親に反対されて、内心ではずっと不安だったのだろう。

 娘を泣かせるなんて最低の母親だと自嘲しそうになる気持ちを心の奥に押し込め、娘が落ち着くまで優しく抱き締め頭を撫で続ける。


「……寝ちゃったわね」


 やがて、泣き止むままに眠りについたミリアリアを抱えて、寝台に潜り込む。


「……努力を続けられる限り、私も……きっとお父さんも、貴女を助けてあげるわ。だから、できないなんて言わずに、ヴィンセント様が遠く思えて辛くても、頑張り続けなさい」

「……ん……」


 返事のように寝息を漏らした娘にわずかに目を見開いて、頬が緩む。


「……おやすみなさい。私の可愛い可愛いミリアリア」




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