24 魔術講義
ヴィンセント6歳。
ヴィンセント視点。
離宮から王族修練場に行くいつもの道を過ぎて、楓の小道に足を踏み入れる。
照りつけるような夏の日差しも、緑の葉を透かせば柔らかい。それでもじわりと汗が滲むのは、ここしばらく、うだるような暑さが続いているからだろうか。
「ヴィンセント様ぁー! おはようございます!」
後ろから聞こえる覚えのある声に、ほぅっと息が漏れる。
「おはようレイモンド。オリヴァーもおはよう」
「おはようございますヴィンセント様」
二人と一緒にいつもの修練場脇を通り抜けて、辿り着いたのは箱のような建物。
――――王立魔導研究院。
三階建ての煉瓦造りの館は、ベージュの柔らかな色合いと打って変わって、重厚な佇まいを醸し出す。館の壁に刻まれた溝や苔は、長い歳月を示す皺や豊かなお髭に見えなくもなくて、サイラスお祖父様の微笑む顔がふと頭に浮かんだ。
……そういえば、魔力を測定する時にお話ししたお爺さんもサイラスお祖父様と同じくらいご高齢だった覚えがある。顔を合わせた時は驚いたけれど、話してみれば声が大きくて、よく笑うお爺さんだった。お祖父様のように、厳しくも優しく教えてくれるのだろうか。
「入りましょうヴィンセント様」
「そ、そうだね」
思考が逸れて上の空になっていた僕を呼ぶ声で我に返り、一足先に館の扉を開けて手招きしているレイモンドを追って、オリヴァーと一緒に中に入る。
広々としたエントランスホール。
正面に階段があり、その両脇から幅広の通路が左右に伸びる。
外観のベージュと異なり、内装は木目の美しい飴色。
天井から光を降らすシャンデリアは飾り気に乏しいものの、ホールの隅々に至るまでを明るく照らし出している。
と、ここまではお城でも見たようなデザインなのだけれど。
「これは随分と……」
「ま、まあそうだな。僕だって大きな堕魔は狩ったが、これもまあ、すごいじゃないか」
絵画の一つでも掛けられていそうな壁には、代わりに大きなハンティングトロフィーがかけられていた。首から上だけとはいえ狼のそれはとても大きく、とうに意思も籠っていないはずの琥珀色の双眸が、館の侵入者を睥睨しているようにも見えて威圧感がある。
『ゴヨウケン ヲ ドウゾ』
「――――ひぁっ!?」「――――うわぁああああああああっ!!?!」
突然の、ひどく平坦な声。
僕の喉の奥から悲鳴が漏れて、けれどもそれを掻き消すくらいの大声で、レイモンドが狼狽えた叫びを上げた。
そのまま、レイモンドが、近場にいた僕にしがみつく。
(――――あっ)
硬直した身体はその勢いを支え切れなくて、あえなく傾いでいく。
ふと、しっかりとした感触に受け止められた。
「っと。大事ないですかヴィンセント様」
「う、うん。……あ、ありがとう」
胸がどきどきする。
間近で微笑むオリヴァーの顔が眩しく見えるのは、僕の気のせいなんだろうか……?
「離れなさいレイモンド。レイモンド! ヴィンセント様がご覧になっていますよ」
「……? ――――なぁあっ……!? っここここれは、違うぞ!? ぼぼぼ僕がここここ怖がったわけないだろっ!?」
「わかっていますよ。驚いて思わず悲鳴を上げてしまったせいで、驚かせてしまいました。不甲斐ない私をお許しくださいヴィンセント様」
「う――うん……? あ、ありがとう」
レイモンドが慌てた様子で離れた後、オリヴァーが卒なく立たせてくれる。
…………オリヴァーの悲鳴って、あったっけ?
「ま、全くだ! この僕より年上のクセに、こんなことでビックリしているようじゃまだまだだなっ!」
「ええ、なんともお恥ずかしい限りです」
押し倒されそうになった僕を支えて、安心させるように微笑んだオリヴァーと、未だにそわそわと動いて落ち着きのないレイモンドを見比べると、とてもそうは思えないのだけれど……?
「ヴィンセント様。お許しいただけるでしょうか?」
「ま、まあなんだ、誰にも失敗くらいあるものだからなっ? 許してやれば、いいんじゃないかっ?」
「そう、だね? うん、気にしてないけれど、それよりこれ、なに……?」
最初のように、妙に平坦な声で『ゴヨウケン ヲ ドウゾ』と繰り返す全身鎧をじいっと見上げてみても、中に人が入っているような気がしない。
「自動人形かと思われます。西方から発掘されたものを、買い取って修復したのでしょう」
「……ぅぅぅ……」
臆した様子もなく鎧をコンコンと叩くオリヴァーを見ていると、さっき悲鳴を上げてしまったことが段々と恥ずかしく思えて居た堪れない。
「フン、全く、来客をビックリさせるなんて、全く以てなってない人形じゃないか! ――っつ〰〰〰〰!?」
「ぷっ、く、ふふふ……!」
そんな気持ちも、ゴンと蹴りを入れた直後にレイモンドが跳ね回るのを見てしまえば吹き飛んでしまった。
「人形よ。ヴィンセント様が講義を受けられる部屋まで案内しなさい」
『リカイ シマシタ。コチラ ニ ナリマス』
落ち着いたオリヴァーの命令に応じたみたいで、自動人形が多少ぎこちないながらも人間みたいに歩き始める。
「全く、どこまで僕をバカにすれば気が済むんだね、この人形は……!」
「ごめん、ごめんね?」
「い、いや、ヴィンセント様は悪くないさ! まあ、なんだ、僕が油断してたってのは認めようじゃないか。だがね、僕が魔術を使えば、こんなヤツくらいイチコロだとも!」
「うん、うん、わかってる」
「信じてないだろう!? ――――【水球】!」
止める間もなく、レイモンドが手を掲げる。唱えた直後、大きめの水差し一杯くらいの量の水が、レイモンドの手元に集まり、弾かれるように飛び出した。
「ほら、この通り! どうだい!?」
「わ、わ……! すごい、すごいよっ!」
「そうだろうそうだろう!? もっとだ、もっと褒めてくれ! はーっはっはっは!」
窓際、廊下のカーペットすれすれ、天井の灯りの周囲と、指揮者が振るタクトのように人差し指を動かすレイモンドに合わせて、水の球が縦横無尽に動き回る。ひゅんひゅんと音がしそうなくらい目まぐるしく飛び回らせているのに、レイモンドは造作もないと言わんばかりの余裕の表情。
追いかける僕の先で、水のボールは既に扉を開けて中に入っていたオリヴァーの頭上を越え、所狭しと物が置かれた部屋を踊るように宙をぐるぐる回る――――
「あっ」「――――え?」
一際高く空気が鳴って――――前触れなく、戸棚目がけて水球が弾けた。
(あ――――ダメだ)
びしょ濡れになる。
誰の目にも明らかなくらい手遅れに見えたのに、ばら撒かれようとしていた水が、不意に時間を巻き戻すように寄せ集まって、思わずぽかんとしてしまった。
「あ、危なかったぁぁぁぁ……」
ひどく重いため息。
声の方に向いて、鮮やかな緑の目と視線が合った。
「あっ、えっ、えっ、えっと!?」
レイモンドの魔術は事もなく収めたのに、青年は、僕を見て急に慌てふためき始める。
ちぐはぐな様子に、驚いていた僕の方が、思わず冷静になってしまった。
「……まずは、置いてください」
「ははははいっ!!」
一抱えもある箱型の何かを持ったまま狼狽えるローブの青年ににっこり笑って指示を出す。
王族が相手ともなると緊張してしまう人もいる。そういう人には「怒ってないよ」とにっこり笑って、簡単な事を命令をしてあげれば、酷いことにはならないってマクダーモット夫人が言ってたけれど……?
「なっ何卒只今の無礼をお許しいただきたく……!」
果たして。
抱えていたものを落として物を壊したり足を打ったりすることもなく、青年は縺れるように跪いて頭を垂れた。
「構いません。貴方は?」
「ははははいっ! この度、ヴィンセント王子殿下の教師役を拝命いたしました、チャドウィック子爵家三男、ノリーと申します!」
「お立ち下さい。よろしくお願いしますノリー先生」
「は、え、え…………はい、よろしく、お願いいたします」
ぎゅうっと身を硬くしていたノリー先生が、恐る恐る顔を上げて様子を窺う。
安心してくれたらいいな、と思いながらにっこり笑みを浮かべてみせると、青年はようやくほっとした顔になってそろそろと立ち上がった。
「王子殿下と……」
「これは失礼しました。オリヴァー・シアーノスと申します。お見知りおきを」
「レイモンド・ヘーゼルダイン。ところで、随分と若いようだが、君はホントに魔導師なんだろうね?」
ぶっきらぼうに名乗ったレイモンドが、そのままノリー先生に疑わしげな視線を投げかける。
……とはいえ、その疑問も、わからなくはない。
レイモンドの指摘通り、そばかすの浮かんだ顔は、疲れこそ色濃く滲んでいるけれどお祖父様のような皺はないし、髪の毛も癖であっちこっち飛び跳ねてるけれど、かさついてはいないし…………さすがにオリヴァーよりは大人に見えるけれど、今の慌てふためきようも踏まえると、どうにも熟練した魔導師には見えない。
「えー……本当のことを申し上げますと、魔導師から基礎の指導を任されている魔導師見習いです……」
「オイオイ、冗談だろっ!? 王子殿下のご指導に見習いを寄越すなんて、本気で言ってるのか!? 担当の魔導師は何考えてるんだまったく!」
「落ち着いてはどうですかレイモンド」
目を泳がせたのもつかの間、堪え切れずに「実は……」とこぼした様子のノリー先生に、レイモンドが食ってかかった。
目を三角にしたレイモンドを、しかしすぐにオリヴァーが諌め始める。
「落ち着けって、君はっ、こんなふざけた話が認められるわけないだろ!?」
「そう言わず、考えてみて下さい。私や貴方はヴィンセント様に先んじて魔術を学ぶ機会がありましたが、ヴィンセント様は今日が初回ですよ? 何かと多忙な宮廷魔導師ですから、王族とはいえ初歩の授業内容で遊ばせておく必要はないでしょう?」
「馬鹿言うなよ、王族だぜ!? 魔導師長が出向いたっておかしくないはずだ! なのに、こんなっ……こんな見習いに丸投げって、とにかくどうかしてる!」
「そう憤慨するのは早計ですよ。年若いとはいえ、実は彼が優秀な人物かもしれません。実際、貴方が操り損ねた【水球】を一瞬で掌握してみせたのは彼じゃないですか」
「そっ、そりゃ…………ああっ! 確かにそうだよ! 部屋に入って早々に誰かのしっぱ……う……いや、少々、少しばかり操作を間違えたかもしれない魔術を、一瞬で上書きして制御してみせるなんて、今の僕には、ちょっと難しいかもしれんが……っ!」
「レイモンドで難しいなら、私には無理でしょうね。……ということでヴィンセント様。異存がないようでしたら、時間も惜しいですし、まずはこの魔導師見習いの講義を受けてみてはいかがでしょうか?」
いやしかし……! と頭を抱えてぐるぐる回り始めるレイモンドはひどく納得いかない顔のままだけれど、オリヴァーの意見を切り崩せそうには見えない。
……なら、いつものようにオリヴァーの言う通りにすればいいかな。
「そうだね。ということなので、改めてお願いしますノリー先生」
「は……はいっ! 精一杯努めさせていただきますっ!!」
パッと明るくなった笑顔が頷いて、だっと教卓の前に戻ってなにやらごそごそとし始める。
「こほん。で、では改めまして、本日からしばらくヴィンセント王子殿下とそのご学友の方々に魔術の手ほどきをさせていただきます、魔導師見習いのノリー・チャドウィックと申します。それでは殿下、お手元に用意しました魔道具をご覧ください」
準備が整い席に着いた僕の目の前には、厚みのある金属の板が一枚。中心には多少複雑そうな模様が刻まれていて、その両脇に、手を置く場所を示すように広げた手の絵が描かれている。
「オリヴァー様、レイモンド様はご存知かと思いますが、そちらは魔術の発動を経験していただくための魔道具です。殿下、そちらに両方の手のひらを押しつけていただけますか?」
「あ――――わ、ぁぁぁあ……!」
言われるままに、手のひらを恐る恐る押しつけてみる。
瞬間、両手を中心にして、色づくように紋様が淡い光を帯びていく。
全てが色づいた時には、板の少し上にひとすくいくらいの水の球が浮かんでいた。
「ねっ、ねっ、見て見て! できたよっ!」
「おめでとうございますヴィンセント様」
「うまいじゃないか! いや、僕ほどじゃあないが、初めてなら上々さ」
「素晴らしいです殿下。ではそのまま、もう何回か魔道具をご使用になられて、魔力が動く感覚というものをお確かめください」
しばらくの間ふよふよと宙を漂っていた水が落ちて、ノリー先生が勧めるままにもう一度、もう一度と、魔道具で【水球】を作り出す。
でも。
「いかがですか殿下。魔力が動く感覚というのは、なんとなくでもおわかりになられましたか?」
「……わ、わかんない」
五回、一〇回と繰り返してみても、そんな感覚…………全くない。
やっと、やっと魔術が使えるようになると思っていたのに。
「そ、そうですか……。しかし殿下、ご心配には及びません。王家の方々にも、まずはそちらで魔力が動く感覚を確認していただいていますが、少なくない方が感じ取れなかったと仰られたそうです」
「ほんとっ? ……ほんとに?」
「はい。ですので、次はこちらの魔道具をお試し下さい」
部屋に入った時にノリー先生が重そうに抱えていた箱みたいなものは、そのための魔道具だったらしい。
……よ、よかったあ……。
明かされた事実に、ほっと胸を撫で下ろす。
ずっと楽しみにしていたのに、ここで魔術が使えないかもしれないなんて言われたら、僕、どうしようかと思ったよ……。
「殿下。試される前に申し上げておかなければならないことがございます。こちらの魔道具は、先程お試しになられた魔道具が殿下から引き出した魔力量の、およそ数倍から数十倍の量の魔力を引き出してしまいます」
居ても立っても居られなくて、一抱えもある魔道具の前に陣取り使い方を聞こうと見上げた僕に、ノリー先生が真面目な顔で説明する。
「そのため、例えば怠さや気持ち悪さのような、何らかの不調がお身体に現れることもございます。一時的なもので、魔力が回復すれば体調も元に戻るとは思われますが、そうしたことが起きるかもしれないということはご覚悟ください。よろしいですか?」
「うん、だから早く早く!」
「わ、わかりました。では、こちらを握ってください。消費量は……これで問題ないですね。では……ゆっくりと手前まで引き寄せてから戻してください」
聞いた通りに上に飛び出した棒を握ってぐっと引くと、箱の一部にぽっと光が灯ってブーと低い音が鳴る。
「……これだけ?」
「……え? えっ? は、はい。…………あの、何も感じませんでしたか?」
「……う、うん」
「それは……随分と、魔力が多いのかもしれませんね」
真面目な顔になったのも一瞬だけで、笑顔に戻ったノリー先生が魔道具を触って何かを動かす。
「もう一度お願いします。仮に次でも手応えがなかったとしても、もう少し魔力の消費を増やしてみましょう」
がこんっという音を立てて棒を引くと、また箱の一部が光って音が出る。小さな変化でもないかと探ってみても、やっぱり何もない。
それを何度か繰り返して、
「これが、最大です。確認ですが――」
「大丈夫」
身体が重たく感じたり、気分が悪くなったりなんてことはない。
ただ、これで最後だと思うと、嫌な予想がどうしても頭から離れなくて、胸がどきどきして息が苦しくなる。
(お願い――!)
祈るように丁寧に引き寄せた。
瞼を閉ざしても眩しいくらいに光り、耳を押さえたくなるくらい大きな音が響く。
「……う、っ」
でも、なんともない。
何も感じなかった。
「殿下!?」「「ヴィンセント様!」」
足元が崩れるような感覚に襲われて、それでも必死に足元を押して踏みこらえる。
倒れてなんかいられない。
泣いてなんかいられない。
そんなことで時間を無駄になんかできない。
力が、力が要るんだ。
「だい、じょうぶ……大丈夫」
大きく息をして、がなり立てる胸元をぐっと握り締めて、落ち着くまで待って、声に出す。
「ごめんなさい。わかりませんでした。ノリー先生」
「それよりも、お身体の調子が――――」
「大丈夫ですっ。……少し、びっくりしただけです。今は何ともありません」
「……殿下……」
眉間に皺を寄せ、言葉を選ぶように唇を小さく動かして、それでも結局、ノリー先生は唇を引き結んだ。
「ヴィンセント様は私たちに任せて、ノリー先生はこのようになった原因を考えていただけますか?」
「それは……」
「誓って、ヴィンセント様を害するようなことはありません。ただ、先生の方が何かとお詳しいでしょうから、冷静になって振り返っていただければと思ったのですが……」
「……そういうことであれば、少しの間よろしくお願いいたします。オリヴァー様」
「承りました。……さてレイモンド。先に伺いしますが、貴方は何か思いつきませんか?」
「えっ?! ぼ、僕かね!? え、いや、そうだな……ええっと……」
あっという間に話をまとめてしまったオリヴァーに話を振られて慌てふためいたものの、
「あー……つまり、己の内に魔力は眠ってるんだ! こう、ぐわっと動く何かを感じ取る! それしかない!」
「レイモンド、貴方……」
「わかった」
「えっ? ――いえ、なんでもありません」
何でもないらしいので、レイモンドの言った通りに、自分の内に眠っているはずの魔力がかすかにでも動く気配がないか探る。
魔力は使ったんだから、多少なりとも減ってはいるはずなんだ。だったら、使った分何か変化があるはずで、その動きがきっとある。
心の臓が跳ねる音。
息を吸い、吐く音。
関節や筋の軋む音。
お腹の奥で響く音。
目を閉じ、僕の身体の内側に見つかる変化を一つずつ感じ取っては、頭の中から追い出していく。
頬を撫でるそよ風も、肌を撫でる衣の感触も、意識して、締め出していく。
「………………んー……だめみたい。……わかんない」
「それではヴィンセント様、次は私なりに考えついたことがあるのですが、いかがしますか?」
「それは……なにか、あるなら」
「では、私の魔力をヴィンセント様に直接当ててみようと思いますので、お身体に触れる許可をいただきたく」
一も二もなく頷いた僕の胸あたりに両手を添えて、オリヴァーが集中するように目を閉じる。
「……行きます」
「……………………何も、ない――――オリ、ヴァー?」
少しの違いも見逃さないつもりで目を閉じて、それでも何も感じない。それを確認して落胆を覚えるより先に、かすかな温もりが、胸からお腹へと滑るように落ちる。
離れた手の感触に思わず目を開けた。
「オリヴァー! だ、大丈夫!?」
僕が目にしたのは、膝をついて顔を青褪めさせたオリヴァーだった。
「大、丈夫、です……………………申し訳、ありません。魔力を、振り、絞っては、みましたが、力及ばず……」
「なんっ、なんで、そんな無茶したのっ?」
「辺境、伯家、出身の、私が…………おそらく、魔力が、最も多いでしょうから、お力になれればと、思いましたが……ははは、どうやら、私は、頭痛のようですね。……これは、痛い……」
「全部って、枯渇に慣れてないのなら、っ……とにかくこちらで休んでください」
呆れてついつい大きくなった声を途中で抑えて、ノリー先生が椅子を並べた場所にそっとオリヴァーを横たえる。
(また……っ)
また何もできなかった。
何をすればいいかわからないから、何もできないうちに誰かが何とかしたり、何の手段もとれないうちにどうにもならなくなってしまったりする。
そして、言うんだ。
「殿下、お気になさらないで下さい。魔力の枯渇は少し休んでいれば元に戻ります」
――悪くありません。
――胸を痛める必要はありません。
――お心を砕いていただけるだけでも勿体無いことです。
「どうしたらよかったの……?」
違うよ。
例え僕が悪くなくったって、心配なんだ。
何もしなかったじゃなくて、何もできなかったんだ。
目を潤ませて見上げる僕を、ノリー先生は面食らった表情で見つめ返していたけれど、ややあって、彼は膝をついた、
「……一緒に学びましょう、殿下。魔力を感じる方法も必ず見つけます。魔力についても、枯渇や、回復の方法や、他の魔力に関する事柄も、それ以外も、私が知る限りのことをお教えします」
「先生……?」
ノリー先生が正面からまっすぐに僕の顔を見つめる。
「ですからどうか。私のような者の願いにも耳を傾けていただけるなら、どうかその御心を忘れずにいらしてください。殿下の慈悲深い御心は、いつか必ず殿下の力となるでしょうから」
慈悲って言われても、そんなものが僕にあるのか。
そんなものが僕に力をくれるって言われても、どういう意味なのか。
ノリー先生が僕に言ったことも、その言葉に込められた願いというものも、僕には不確かでわからない。
「…………わかった」
でも、会って間もない僕でもわかるくらい、強いものを感じた。
何かを求められる時とは少し違った、窮屈さのない思い。
まっすぐに、ひたむきに、ただただ僕を見て告げられた気持ちに、そうだったらいいなと思うから僕は頷いた。




