22 戦術講義
ヴィンセント6歳 夏 王城にて
ヴィンセント視点
「おはようございますヴィンセント様」「おはよう、ございます」
「おはようオリヴァー、デイモン。早いね」
王城の一室に辿り着いて扉を開けると、見知った顔が二つ。
一緒に講義を受けるとは聞いていたけれど、王城の敷地の外からやってくるにもかかわらず僕より早く来てるとは思わなかった。
残りの四人もいるのかな? と室内を見回した僕は、代わりに一人の男性を見つける。
「お、お初にお目にかかります殿下」
ルイス・ブレイン。
少し硬い笑みを浮かべる彼が今日から始まる講義を担当する先生だ。
「早速講義を始めてしまわれますか? それとも、御学友の方々をお待ちになりますか?」
「んー、少し早いから、皆を待とうかな」
「かしこまりました。……そ、それでは、お待ちになられる間、あちらでオリヴァー様とデイモン様がチェスをなさっておいでですので、よろしければご観戦下さい」
「チェス?」
知らない単語に首を傾げて聞き返す僕に、ルイス先生が固い笑みを浮かべて指し示したのは、二人が挟んでいる板と……人形?
「ルールに則ってお互いに駒を動かし、王を取った方が勝ちとなるゲームでして、私が講義させていただく戦術の内容にも通ずるものがございます」
なるほどと生返事を返している間にルイス先生が二人に話をつけてきて、誘われるまま近くの椅子に腰を下ろす。
「折角ですから、ヴィンセント様にお教えする名誉を私たちで分け合いましょうか」
「……わかった」
オリヴァーの言葉にデイモンも苦い顔で頷いて、二人はあちこちに散らばっていた駒を並べ直す。
「ヴィンセント、様。これ……こちらが初期配置だ、です」
「……んと、デイモンが話しにくいなら――」
「ヴィンセント様。無礼を承知で申し上げますが、デイモンの言葉遣いを黙認するのは彼のためにもなりません。思い直しを」
「……えっと、どうして?」
言いにくそうだなあと思って口にした言葉に、思ってもみなかった反応があって、思わずこぼれた疑問。
「デイモンは、意図して言葉遣いを崩しているのでもなければ、敬語を使いこなせているわけでもありません。使う機会を与えて習熟させてやらなければ、いざという時に淀みなく話すことは難しい。……そう思われませんか?」
「それは……うん、確かに」
「さあデイモン、折角ヴィンセント様が機会を下さるのですから、不貞腐れていないで最初からもう一度、言葉遣いを整えてご説明しなさい」
それに明確な理由が返ってきて納得している間に、オリヴァーが白けかけた場を整える。
駒はキング、クイーン、ルーク、ナイト、ビショップ、メイジ、ポーンの七種一六個。
六四マスの中で決められた通りに駒を動かして、どう考えてもキングが取られる状況に相手を追い込めれば勝ち。
デイモンのぎこちない話し方を辛抱強く聞いて、なんとなくチェスのルールを理解したところで、残りの四人も揃って講義は始まった。
ひょろりと高い印象を受ける背格好の男性が、教壇に立ち、改めて一礼する。
「改めてご挨拶申し上げます。戦術の講義を担当させていただくことになりました、司書のルイス・ブレインと申します。それでは早速始めさせていただきますが……時に殿下は、戦術というものをどう捉えておいででしょうか……?」
「どう捉えて……?」
(戦術が何かっていわれても……うーん?)
戦術……戦いの術と書いて戦術とすれば……戦いっていうと、毎朝やってる鍛錬で、それにどうやったら先生に勝てるかとか……?
「ええ、なかなか素晴らしいイメージをお持ちです」
ルイス先生がやや大仰に手を叩いてみせる。
「殿下が考えられたような個々人の戦いを考える分野も勿論ございますが……私が担当させていただくこの戦術の講義では、目的達成のため、戦う者にどんな命令を与えるかについて一緒に考えて参りましょう」
……戦う者にどんな命令を与えるか……って?
ここまではよろしいでしょうか? と確認を取るルイス先生に頷いて返すけれど、ぼんやりした内容に対する疑問が顔に出ていたみたいで、ルイス先生の表情が取り繕うようなぎこちない笑みに代わる。
「……と申し上げてもわかりにくいでしょうから、そうですね、丁度前後の二人でペアになっていただいて、レイモンド様は僭越ながら私がお相手を務めさせていただきます。それではこのチェスで遊びながら説明させていただきましょう」
「フッ、まあ仕方ないな!」「おや、折角ならヴィンセント様のお相手を務めたかったですねぇ」「……遊びかよ」
ロニーとローランド、僕とオリヴァー、デイモンとソウスケが机を挟んで座り、各々の間にチェス盤と駒を並べて開始の盤面を作る。
「では砂時計をひっくり返して始めましょう」
「チェックメイトです」
逃げ場も、今いる場所もだめだ。
ナイト、ルーク、ビショップに囲まれて打つ手がない。
さらさらという音が途切れる頃になって、ようやく僕は詰みの意味を理解した。
「……っ」
唇を噛み締めて両の目から溢れそうになるものをこらえる。
「御二方ともお疲れ様でした」
ルイス先生の拍手につられるように拍手の音が続いて、でも負けた悔しさはとてもじゃないけど晴れるはずもない。
「本日初めてルールや駒の動きを学ばれて、あまつさえ時間制限を設けてなお、ヴィンセント様は私からこれだけの駒を取っておいでです。私がチェスに出会ったのもヴィンセント様と同じ年の頃でしたが、口が裂けてもこうはいかなかったでしょう。どうぞ誇ってください」
「………………ほんとに?」
「勿論です」
オリヴァーの、落ち着いていて翳りのない笑みで頷かれると、そうかなと思う。
「殿下、いかがでしたか?」
「……負けて、悔しい。……あと、頭がぼうっとする」
考え詰めて……ちょっと、疲れた。
「それは……えー、では、手短に。このように、同じ兵を揃えても、それを指揮する者次第で勝敗が決するもの。その差を作るものこそが戦術なのです」
そして、と一拍置いたルイス先生の言葉に熱が籠り始める。
「本日は時間に制限をかけてゲームを行っていただきましたが、現実においては、刻一刻と変化する戦場で、いくつもの事柄を同時に考えながら戦う者たちに指示を下しております。そして彼ら兵士は、その指示が勝利をもたらすと信じて命をかける。どうか、これだけは覚えておいて下さい。指揮官は兵を駒のように扱いますが、一度取られた駒は二度と盤面に戻らないように、討たれた将兵は二度と生き返りはしないのです」
「…………」
それは、途中から様相を変えていく。
僕の反応を逐一窺っていた眼は、熱の高まりとともに、真剣な色を帯びていく。
それは、祈るような眼差し。
訴えたいことが、どうか伝わるようにと――――
「…………ルイス先生も、少々お疲れのようですねぇ?」
不意に。
ローランドの一言で、両の眼に映っていた熱が、掻き消えた。
後に残るのは、つかの間の呆然とした表情。
「! ――いえっ、これは、そのっ…………も、申し訳ありません殿下! 決して、殿下をご不快にさせるつもりでは……!」
片膝をついて僕の手を取っていたルイス先生が、青褪めてゆく顔を慌てて伏せる。
「え、と……ルイス先生。どうぞお気になさらず、立ち上がって下さい」
不思議な重みのある言葉。
妙に心を揺さぶられる真摯な眼差し。
何か、どうしても訴えたいことが――――訴えなきゃいけないことがある、そんな感じだった。それは、僕を王子とも思わない扱いをするあの先生が、大事なことを言おうとしている時と同じ雰囲気。
だから、ルイス先生の突然の変化にはびっくりしたけれど、王族に対して礼を失していると責める気は湧いてこない。
「と、とんだ無礼を致しました……。どうぞ、私如きが申し上げたことなどお忘れください」
「ルイス先生、僕は気にしていませんから――」
「ヴィンセント様、それくらいに。時には時間を置くことも必要ですから」
「え? …………そ、そう?」
「ねーヴィンセント様ー、ぼくそろそろお腹空いてきたなー」
「あ、うん、えっと……じゃあ、お昼にする? あ、ちょっと二人ともっ、荷物とか――」
「ワタシがお持ちしますよぉ」
「ローランドも! あ、えっと、ルイス先生っ、またよろしくお願いします!」
僕や皆が立ち上がっても、顔を伏せたまま微動だにしないルイス先生が気にはなったけれど、ソウスケやロニーに背中を押されて、ルイス先生を残して部屋を後にした。




