13 日常が崩れる音
――――魔賦の儀を終えて、しばらく。
僕は、控室にいた。
あの直後、何が何だかわからないうちに、僕は医者と神官たちの元に運び込まれた。
だけど、異常は何もなし。
強いて言うなら、ぶつけた頭が少し腫れていたくらい。大した痛みもないならと、特に治療を受けることはなかった。
お昼を食べ終わってから、報告の遣いがやってきた。
結局、眩しくなったのは僕の魔力と相性が良かったからだろうとのことで、異常がないならと、リリアーナ様も遅れて魔賦の儀を終えられたらしい。
どちらにしても「そう」と頷くしかない内容だったけど、問題がないなら、それはよかったと思う。
それより大事なのは、僕が魔賦の儀を終えたということ。つまり、これで僕は魔術を使える、ということになる!
…………なる、はずだったのだけど。
魔術よ出ろー! と念じても、「【水流】!」や「【凍結】!」って小さく呟いても、えいって手を突き出してみたりぐっと身体に力を込めてみたりしても、なんにも起こらない。
首を捻りながらあれこれ試していたら、いつの間にか声が大きくなっていたのか、周りのみんなに止められてしまった。
魔術が使えないよ! なんで!?
そう訊いても、みんなして「興味があるのは大変よろしいことですが、どうぞ魔導師が殿下に説明するまでお待ちくださいますよう」と頭を下げて繰り返すばかり。
じゃあ魔導師を呼んで今すぐ教えてよ、とお願いしても許してくれない。あれも駄目、これも駄目と言われて膨れていたら、時間になったとほっとした顔で言う女官たちにずるずる引き摺られるまま、湯浴みをさせられ、香油をたっぷり擦り込まれ、着せ替え人形みたいに衣装をあれこれ当てられて。
ようやく解放されたと思ったら、今はこうして控室に押し込められて出してもらえない。
「……む~――プッ、わっ……ミ、ミア?」
思い出して膨れていたら、ミアに頬を突かれた。
「にい……聞いてた?」
「え……と、聞いてたよ……? ちゃんと、聞いてたよ? お披露目に出られたらいいのにってことでしょ? 僕も、ミアも一緒に出られたらいいなって思ってるよ」
「そ、そう? えへへ」
ミアの厳しい視線がにへっと和らいで、僕はこっそりと胸を撫で下ろした。
――――本当のことを言うと、ミアはここにいるけど、いないことになっている。
ここは王族専用の控室。家具の一つ一つはおろか、装飾品や絵画、壁紙に至るまで王族のために誂えた大事なものばかり……らしい。だから、この部屋を割り当てられた僕と、そのお世話をする人以外の、関係ない人は入っちゃいけないのだ。
…………入ってはいけないのだけれども。
楽しみをお預けにされて不貞腐れていた僕が、魔術を使おうとしたりせず大人しくしていられるならということで、みんなで見ないふりして、ここでお話したり、お菓子をつまんだり、カードで遊んだりして、時間を潰している。
ちなみに、マルチダはここにはいない。
男爵の奥さんだから、おめかしして僕に挨拶しないといけない、だからミアをお願いします――――すっごく不安そうな顔でミアを見ていたけれど、そう言って、かなり前にどこかに行ってしまった。
今頃は、着飾っているのだろうか。それとも、もう大広間にいるのかな?
「失礼いたします。新しくお菓子を持って参りました」
ノックの後に入ってきた女官が、皿の残りを下げて、新しく紅茶とお菓子をテーブルに並べていく。
「わぁ、なにこれ?」
「ヴィンセント様だけでなくミリアリア様もこちらにいらっしゃるとのことですので、無聊の慰めに新作を用意させていただいたとの言伝を、料理長より預っております」
パイ、ウエハース、スコーン、キャンディー、クッキーなどが並ぶお皿の中央に飾りつけられているのはハート形のケーキ。
僕の両手をはみ出すくらいの大きさはある。
「わあ、綺麗……!」
クリームで真っ白なハートの左右半分ずつを、青とピンクの砂糖菓子で派手に飾り立てられたケーキ。
その可愛らしい見た目に、ミアの目がキラキラと輝いた。
……まだ食べるつもり?
「召し上がられるのでしたら、お取り分け致します」
「ね、ね、食べよ!」
「えっ? あー…………うん、ちょっとだけ」
いつものように「お菓子をいっぱい食べて夕餉を食べられなくなっちゃったら、マルチダに怒られないかなぁ……?」とは思った。
思ったけれど、とても楽しそうに頬を上気させてせがむミアを見ていると、水を差すのも躊躇われる。
それに僕は、まだまだ怒っているのだ!
だから、食べたいなら食べてよし! ってことにする。うん。……あんまり深く考えないようにしよっと。
僕には青色、ミアにはピンク色のハートの片割れを、それぞれ綺麗に取り分けた女官が一礼して退室する。
それを横目に、僕とミアはフォークを手に取った。
「……あまーい! 美味しい! ねっ、にい!」
「う、うん」
素直に頷けない。
……流石にお菓子を食べ過ぎた。
甘い。
甘くて美味しいと思う。
美味しいのだけど、いい加減お腹もいいし、何より甘いものには飽きてきた。
でもミアに言われると、つい笑顔で頷いてしまう。………………どうしてだろう。
幸い、飾りみたいな可愛いケーキだったから、あっという間に食べ切ってしまったミアに遅れて、僕もなんとか食べ切った。
くるしい思いをしながら紅茶を飲んでいると、部屋に控えていた女官が時間を告げる。
……またお菓子がきたらどうしようかと思った。
「ミア、じゃあ行ってくるね」
「う、うん」
「? ……大丈夫?」
「……え? なぁに? 大丈夫だよ? ミア、ちゃんとここで待ってるもん」
いつもよりどことなく元気がなさそうに見えて、言葉が口を突いてこぼれ出た。
けれど、立ち上がった僕を見上げるミアの顔は、なんともないように見える。
………………………………でも。
だけど、何か。
なにか、引っかかるような感じが拭えない。
いつもと違う……気が、する。
でも、それが何なのかが、わからない。
「……本当に? 嘘ついてない?」
「…………ぅ、え、えへへへ。……実は、ちょっとだけお腹が痛い、かな」
「え!? だ、大丈夫じゃないよ! 誰か呼ぶから――」「――大丈夫だから!」
慌てる僕に聞かせるように、ミアは大きな声で叫んだ。
突然の大声にびっくりして固まった僕の手を取って、ミアがにっこり微笑む。
「大丈夫。ちょっと食べ過ぎただけだもん。ね? だから、ヴィーにいは心配せずに、お披露目を済ませてきて」
「…………うん」
数秒間。
穴が開くくらいじっと見つめてみても、それ以上の違和感は拾えなかった。
だから、本当に大丈夫だろうと判断して、ミアに掴まれたのとは反対の手で頭を撫でる。
「でも、誰かに言っておくから、ちゃんとお医者様に診てもらってね?」
「……ん」
気持ちよさそうに目を細めるミアを立たせて女官に預け、お医者様に診せるよう言づけて、そのまま一緒に部屋を出る。
「いってらっしゃいませ、ヴィンセント様」
「うん。いってきます」
ちっちゃな女官が一礼するのに頷いて、案内の者について廊下を歩く。
――――カシャン。
妙な音がして。
「……ミ、ミア?」
なんだろうと、軽い気持ちで振り向いた先。
――――――――――――小さな身体が、崩れ落ちていた。




