12 魔賦の儀
ヴィンセント6歳
魔賦の間にて
――――――底冷えのする石の通路を、歩く。
一歩。
また、一歩。
踏み締めるようにしっかりと、かつ、一定のリズムで、歩を進め続ける。
――――――頑丈そうな扉を、潜る。
一枚。
また、一枚。
錠前が、重い音を立てて開く。
解かれた鋼鉄の鎖が、とぐろを巻いて地に伏せる。
閉ざされた厚い扉が、門衛の手で押し開けられていく。
――――――不意に、抜けた。
辿り着いたのは、開けた一室。
通路と同じ、暗い色の石壁。床も、天井も、黒々としていて、代わり映えしない重苦しい雰囲気が垂れ込める。そしてそれは、底冷えのする空気も同じ。
仄暗く、冷え冷えとしてがらんとした室内に、灯りは一つもなく。
ただ、部屋の向こうにある壁の窪みの中、半ば埋もれる形で鎮座する球体が二つ、淡い輝きで室内を薄ぼんやりと浮かび上がらせていた。
「――――っ」
我に返る。
部屋の空気に呑まれていたのは、きっと、わずかな間だけだとは思う。でも、ぼんやりと部屋を眺めてばかりじゃいられない。後ろがつかえてしまうのは、よくない。
前を歩く陛下の後ろを、同じ距離を保ってついていく。
隣には、薄青いドレスに身を包んだリリアーナ様。
横目に盗み見れば、背筋を伸ばして、でも前にある背中を見つめて、僕と同じように陛下の後につき従っている。
だけど、少し不安げな表情が、隠しきれてない。
(……手を握るくらい……)
……せめてそれくらいは、してあげられないだろうか。
ふとした思いつき。
それを、黙って握り締める。
言われた通りにするようにと、繰り返し告げられた。
予定にないことは、決してしてはいけないとも。
…………だから。
だから、不安そうな妹の手を取ってあげることは、僕にはできない。
リリアーナ様まで責められてしまうと、悲しいから。
だから、ぎゅっと。伸ばしそうになる手を、硬く握る。
――――ふと、陛下が立ち止まったのに気づいて、慌てて立ち止まる。
転ばないように慎重に、けれども遅れを悟られないよう急いで、その場に跪く。
ひやりとした僕の後ろからは…………咎めるような声は、聞こえない。
ただ、いくつも続く足音が、予め決められていた通りに、両脇に分かれて並んでいく。
「……これより魔賦の儀を執り行う」
魔賦の儀。
天賦の最たる魔法、その一端を――――魔術という、不完全な形でとはいえ――――身に宿すための儀式。
けれど、僕たちにそれほど難しいことは求められない。
僕とリリアーナ様がやるべきことは、『才の珠』に触れて、【凍結】と【水流】の魔術を授かることだけ。
そこに、複雑な手順も、特別な何かも、必要とはされない。
張りつめた空気の中、儀式が進められていく。
僕とリリアーナ様は、ひたすら、跪いたままの姿勢を保ち続ける。
足を這い上る湿った冷気も、じっと我慢しているしかない。
………………そうしていれば。
直に、儀式の終わりが見え始めてきた。
「……かつて男は憂えた」
それは建国王ウォルターのお話。
欲深い支配者が国を乱し人々を苦しめていて、その災いは彼のところにもやってきた。
そんな時、神様から言葉と力を与えられた彼は、その力で遍く災難と不幸とを退け、そして民を助け導いた。
敵の使う【水流】の魔術を、神様から賜った【凍結】の魔法で、文字通り凍りつかせて、打ち砕いたのだという。
「……そして悪しき支配は打ち払われた。欲深き支配者の死によって」
締めくくりの言葉を終えて、一人滔々と語っていた陛下の影が、遂に動いた。
「ヴィンセント、リリアーナ。面を上げよ」
陛下が仰るままに、僕とリリアーナ様は、伏せていた視線を上げて正面を見据える。
にわかに目の前の空間が冷気を帯びてゆく。ふるりと震えそうになる身体に力を込めてじっと待つ僕の目の前で、煙るような煌めきが形を結んだ。
「受け取るがいい」
差し出された手のひら。
その上で漂う氷の欠片を、手を伸ばして受け取り、口へ運ぶ。
カリ、カリ、シャク、シャク。
口の中に小さな音を響かせて、冷たく固い感触が砕けていく。
姿を変えた水が、口の中を洗い流すようにして喉の奥へ落ちていった。
「……は、……ぁ……」
目覚めてから一切の飲水を絶たれていた喉を潤す冷たさに、思わず吐息が漏れる。腰の高さまで達した寒さも、今だけは、和らいだ気がした。
「ゆめ忘れるな。その氷を、その水を。汝らはこの国を背負って立つ者なれば、迷いに際して思い出せ」
「「っ、はい」」
さらなる潤いを求めるように見上げる僕の目を見返す碧い瞳。
厳然としたその眼差しに見据えられて、我に返った僕とリリアーナ様が返事をしたのは、ほとんど同時だった。
「ならば、これよりお前たちに魔術を身に宿す機会を与える。……行け、ヴィンセント」
「はい」
命じられるままに立ち上がり、渇きに重くなった身体を動かして前へ歩みを進める。
そこにあるのは、二つの台座と、同じ数の大きな『珠』。
大人の身の丈を優に上回る大きさの透明な球体の中で、無数の小さな輝きが、あたかも踊るように、合わさっては千切れ、また合わさるのを繰り返しながら巡り続けている。
見続けていても飽きないだろう幻想的な光景に半ば見惚れながら、近寄った台座と台座の間、手の形が描かれた場所に、ぺたりと手のひらを押しつける。
――――――と。
小さく淡い輝きたちが、ふと何かに気づいたかように、軽快な動きを見せ始めた。
思い思いに踊っているように見えた小さな光は、やがて渦を形作って、吸い込まれるように『才の珠』を鷲掴む台座へ消えていく。
「わ、ぁ……」
『才の珠』から手を触れている台座へ、溝を伝うように走る光が、薄暗い部屋を照らす。
そして光は、僕の手が置かれている場所に届いた。
「……えっ? わっ――え、えっ……!?」
光の流れが手を置いた場所まで到達したと同時に、じんわりとした熱を感じて、思わず手を引いた僕は、けれどもさらなる驚きに襲われた。
「――――っ!? ぅあっ……?!」
びっくりして、思わず後退った――――その、つもりだった。
でも、途中で、急に肩を引かれて、つんのめった。
(何!? ――――え、あっ、手、手がっ! ……なんで!? なんで離れないの?!)
全然離れられない。
手首から先が、まるで溶けて一つになったみたいにびくともしないっ、動かない!
「ヴィンセント! 落ち着け!」
「っ! ――くあっ……!」
陛下の声。
焦りのない、けれども、すぐにでも従わなくちゃいけないと感じさせる声。
――――反射的に動くことをやめた瞬間、唐突に増した光量に、なす術もなく両目を貫かれた。
痛いっ! ――違う。痛いと、そう感じるくらい、眩しい。
瞼をきつく閉じて顔を背けているのに、それでもお日様の下で目を瞑った時のように視界が明るい。
手で覆いたいのに、全然、手がっ、離れてくれない!
「何だ!? 何が起こっている!?」「わ、わかり兼ねます! こんな、こんなこと、いったい何が……!」「わからんとはどういうことだ! それでも魔導師の長か貴様ッ!」「言い争いは後だ! 万一に備えろ!」
立て続けに起こった予想外の出来事に、列席した者たちは混乱の真っ只中に突き落とされる。
大臣たちの緊迫した声が飛び交った。
「……っ、く、ぅ、うぅ……――わっ……!?」
手から這い上がる熱。
動かすことさえできない両手。
光に灼かれて眩んだ両目。
混乱――――緊張――――恐怖――――。
頭の中をぐちゃぐちゃに埋め尽くした感情が、涙腺を緩ませた。
その瞬間、出し抜けに両手が解放されて。
光を失った視界に、星が散る。
そのまま、両腕が勢いよく跳ね上がるままにひっくり返った僕は、石の床に後ろ頭を思いっきりぶつけた。
「うっ、ぐ、あっ、あ、うぅぅぅ……い、いたい……あ、れ…………?」
気づけば光は弱まっていて、恐る恐る瞼を開けてみると、明るさの変化に慣れてきた目が、薄暗くなった部屋を映し出す。
混乱の最中に訪れた、唐突な静寂。
「……ヴィンセントを典医の下へ。魔導師長以下は今すぐ解明に取りかかれ。他の者は別命あるまで待機。さあ、動け!」
「「「「「――――!」」」」」
状況を窺うような沈黙は一瞬。
陛下が下された指示に、場が慌ただしく動き出す。
「殿下、失礼するわよ」
それは、僕も例外ではなくて。
僕はぼんやりとしたまま、誰かに抱え上げられるままに、部屋から運び出された。