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王国の君  作者: てんまゆい
一章 揺り篭の君
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10 スレイスフィールド王国

ヴィンセント5歳

「――それでは、少々早く始めて早く終わるとしましょう」


 一つしかない席に着いて準備を終えた直後、初老の男性が柔和な笑みを浮かべる。

 王城の書架を管理する司書の一人。

 彼は、セロンと名乗った。


「時に、殿下がこの王国について知っておられることをお話しいただけますか?」

「この王国について……」


 言われるままに、頭の中を探って、知っていることを掘り返してみる。


 国の名前をスレイスフィールド王国ということ。

 フェルディナンド・スレイスロードという王様がこの国で一番偉いこと。

 今いる場所が王城で、王城があるこのあたりをスレイスオールと呼ぶこと。


「……くらい、かな」


 いつかマルチダに聞いた気はする。

 けれど、説明できるくらいかと聞かれればと、よく覚えていないとしか言えない。


「あ、あと、サイラスお爺様がピュリスという町を治めていて、冬になると雪がいっぱい積もること!」

「それはそれは。殿下は雪がお好きですか」

「うん!」


 白い粒は、触ると溶けて消えて、すごく冷たい。

 けれども、庭に雪が降った時、ミアとマルチダと、それと女官と騎士と、とにかく皆と遊んで楽しかった。

 だから、雪は好きだ。


「では……時に殿下。この王都と、サイラス卿が治めるピュリスでは、降る雪の量が違いますが……それはどうしてだと思われますか?」

「え? ……え」


 降る雪の量が違う。

 ……首を傾げるしかない。

 どうしてそうなるのか? と問いかけられても、答えを知らない。

 そもそも、王都とお爺様のピュリスとで、雪が降る量が違うの?


「…………わからないです」

「ええ、ええ。わからないことをわからないと、素直にお認めになられることは美徳の一つですね」


 老司書がにっこりと笑う。


「それは、今殿下がおられる王都よりも北側にピュリスが存在するからです」

「? ……北側にあると、雪がたくさん降る……の?」

「ええ。……正確には、王都から見て、ピュリスは北東にありますし、そもそも北にあるというだけでより多くの雪が積もるわけでもありませんが。それでも、原因の一つには違いないでしょう」


 北にあると雪が多い。

 繋がりを感じられず、よくわからないと首を傾げた僕に、セロン先生は机の上で丸まっている羊皮紙を黒板に広げてみせた。


「こちらがスレイスフィールド王国の地図でございます」


 最初にぱっと見て取れた形は、でこぼこした四角。その四角の上側――方角で言えば北側の中央あたりには、凹みがある。

 太い線が、王国の大枠を示すように山と連なり、あるいは境そのものとして、白く抜けた縁回りとを隔てていた。


「地図で言えば、王都はここにあり、そしてピュリスはこちらですね」


 まず始めに、地図に描かれた四角の真ん中よりやや上側の点を、続けてその右上の縁に近い点を、セロン先生は手にした棒でトントンと叩いて指し示す。

 そのまま、スレイスオールとピュリスの間をくねくねと走る線をなぞりながら、


「道なりに進んだとして、行くだけでも馬車で六日から七日、大人が急いで歩いても二週間ほど必要になるでしょう」

「そんなに……」

「ええ。殿下がこれから学ばれることは、例えば、今お住まいの王都から、ブレットノア子爵殿がお住まいのピュリスまでお会いなされようと思われた時、どれくらいの時間がかかるのかとお考えになる時に役立つことと思います」

「はあ……」


 描き込まれた線は、僕の指でなぞっても数秒で終わる程度の長さでしかない。

 それが、けれども実際には、一週間や二週間もかかるくらい遠いものらしい。

 王宮から出たことがないから想像がつかないけれど…………お祖父様にお会いしようとしたらそんなに長くかかるんだ……って、あれ?


「……先生。どうしてまっすぐ行かないの?」

「おや。いい質問ですね」


 まずはこちらをご覧くださいと、棒で示された点を見る。


「こちらの青く塗られた部分は海と呼ばれるものです。海はご存知ですか?」

「……ううん。それも知らない」

「雨が降ると地面に水溜まりができますね。あれよりもっともっと大きなものを想像してみてください。この王宮もすっぽりと収まってしまうくらい大きいものを。…………それがいくつもいくつも繋がった大きな大きな水溜まりが海です」

「……海……」

「いつかご覧になられる機会もあるでしょう」

「え――あっ……はい」


 ぼんやりと想像していると、セロン先生がふふふと笑う声が聞こえて、慌てて視線を戻す。

 気恥ずかしさをこらえて、セロン先生のお話に耳を傾ける。


「海を通るには船という水に浮かぶ乗り物が必要ですが、これは潮の流れに影響を受けるのです。……水の流れに逆らって進むのは大変でしょう? あの流れは海にもあるようです」

「えっと……?」

「平たく広がるように見える海であっても、風や波や流れは尽きません。時に人の行く手を遮り、時に人の背を押す。

 陸はそれ以上に変化に富んでいます。地図に描かれている以外にも無数の山があり、谷があり、水が湧き、そして流れが集まって大河を形作る。また、人里近くには森が広がり、人に恵みをもたらす他方、人の手には負えない魔が潜んでいる」

「う、うん」

「説明が重畳でしたね。言葉にすればこのようなところですが、いずれ王宮から出向かれる折にはおわかりになられますよ」


 うち続く言葉の羅列が頭の中をぐるぐると回る。

 ぼんやりとし始めたことに気づいたのか、司書は一つ咳払いをこぼした。


「覚えるまで聞くもよし、お手元の紙に書いて後で確認するもよし。それが勉強ですから、私も殿下が望まれる限りお手伝いいたします」

「は、はい」




「――――端的に申し上げますと、この地図ではわかりにくいですが、地面に凹凸があるように山や谷という大きな凸凹があります。歩きにくいですから、まっすぐ進むより回り道をする方が結果として早く着くこともあるのです」




「――――生きていくには食べ物や水が必要ですね。移動する時にもそれは変わりありません。先程申しましたように、例えばスレイスオールからピュリスまで歩くとしましょう。私は先程一四日ほどかかると申し上げましたね。それだけの日数の食べ物や水を持っていくのはとても大変でしょう? ですから、移動の途中途中で、こうした町や村に立ち寄り、食べ物や飲み物を手に入れるのです」




(はあぁぁぁ……!)


 そして。

 セロン先生のお話を書き取り終えて羽ペンを置いた僕は、わくわくとした気持ちを懐いていた。

 確かに腕は重いし頭はちょっとぼうっとする。

 でも、なんて言えばいいのか……うん。


(面白い……!)


 手元に書き記したことがわかると「やった!」って気持ちになる。

 質問しながら書いていくうちに、何かが繋がっていくような感じがして、それが気になって気になって、そしてわかった時のドキドキ。


「一段落したことですし、本日はこのあたりに致しましょうか」

「えっ……」

「っ…………、そのような顔をしていただけるとは……」

「……?」


 終わりと聞かされた僕は、きっとがっかりした顔をしていたはずなのに。

 セロン先生は、どうしてか、眩しいものでも見ているような顔をしていた。


「……殿下が学ばれるべきことは、他にも多々ございます。楽しみはまた次の時間に取っておかれて、今は昼食をお摂りください」

「んー…………はぁい」


 そうでもなかった気がするのに、言われてみるとお腹が空いてきた気もして、少し不満だけど頷いてみせる。

 それに、ミアがお腹を空かせて悲しそうな顔をしているかもしれないと思うと、早く戻った方がいい気もしてきた。


「セロン先生、またね!」

「はい殿下。私も次回を楽しみにしております」


 荷物を纏めて、にっこり笑う先生に手を振った僕は、部屋を出た。

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