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王国の君  作者: てんまゆい
一章 揺り篭の君
14/96

09 武術指南2

ヴィンセント5歳

 ゆさゆさ。

 ゆさゆさ。

 ゆさゆさ。


「……セント様。起きてください、ヴィンセント様」


 マルチダの声がする。

 ふわふわとした気分を振り解いて目を開けると、ベッドの天蓋が左右に揺れている。


「んぅ……な、なぁに……?」

「おはようございます、ヴィンセント様。武術指南役のクリスという人物に覚えはありますか?」


 ふぁ…………………………くりす…………えっ、と……?


「……クリス……?」


 ――――瞬く間に、昨日の記憶が甦った。

 いっぱいいっぱい走らされて、剣の振り方ばっかりやらされて、僕が泣いても平然として「どうする?」なんて訊いてきて、最後には剣を振れなくなった僕に怖い顔で剣を振り下ろしてきた怖い男。


 目が覚めたらベッドの上。

 何事もなかったように朝を過ごした。

 だから、あれはただの悪い夢。

 ――――――――――――そのはずだったのに。


「……っ、く、うっ、うううう……!」

「っ……ヴィンセント様? ヴィンセント様!? ど、どうされましたか……? どこかお加減が悪いところでも?」


 震える手でしがみついた僕に困惑しながらも、マルチダはおずおずと抱きしめてくれる。

 温かさも、匂いも、背中を撫でてくれる手も涙が出るほど心が落ち着く。


「ま、マルチダぁ……」

「ヴィンセント様…………。大丈夫ですよ、私がついて――」

「――ま、待ちなさい!」「無礼者! 誰か! 誰か止めなさい!!」


「――遅い。いつまで寝ている」


「っ――!?」


 不意に、扉を開け放つ音がして、女官たちの悲鳴じみた制止の叫びが飛び込んできた。

 金切り声のような、幾重にも重なった声と声と声。

 その中でも、なぜか、恐怖そのものに等しい低い声だけは耳に届いて、身体が強張る。


「あ、貴方!? 何を勝手に入ってきているのですか!! ここはヴィンセント様の寝室です、貴方のような下賤な者の立ち入りが許される場所では――――」

「そいつは俺の教え子だ。だから連れていく。文句があるなら前任者にでも掛け合うことだ」

「なッ――!?」「ぁ――ぅぐっ?!」


 マルチダが絶句した直後、襟首を引っ張られ、全身を襲うふわりとした感覚に身体が竦んだ。

 寸前までいたはずのマルチダの腕の中が、けれども今いる場所からは、どうしようもなく遠い。


「ヴィンセント様! ま、待ちなさい! せめて着替えるくらいの時間は――」

「これ以上は待たない。襲われた時にも着替えるから待ってくれとでも言うつもりか?」

「それは……しかしッ」

「まだ子どもだからと様子を見られているだけだ。生き残らせたいなら一刻の猶予もないことは理解しているだろう。俺は厳しくやる。女官……か乳母かは知らないが、貴様がせいぜい甘やかしてやれ」


 硬直したままの僕に「行くぞ」と短く声をかけて動き出した男は、しかしすぐに足を止めることになった。


「ミ、ミア……?」

「ミア? さ、下がっていなさい!」

「……」


 マルチダが焦りを隠せない声で厳しく言いつけてもなお、立ち塞がった女の子は、口を引き結んで僕の顔の上あたりをじっと睨みつける。


(……っ)


 その姿を見ていると、どうしてかはわからないけれど、泣いている顔を見られたくない気持ちが膨らんできて。

 なのに、今の僕は、ただ吊るされているしかない。


(……どうしてこんな……ッ……)


 ――――情けない、情けない、情けない!

 胸の内に湧き出した感情に、唇を噛んだ。


「……怖い思いをしたくないなら、そこを退けろ」

「……にぃを、……てって」

「聞こえないな。もう一度言ってみろ」


 最初から耳を傾けるつもりなんてない――――そんな意思の透ける、底意地の悪い声音。


「ヴィンセントさまを、置いてってッ!」


 けれどミアは、退くどころか、ハッキリと叫んだ。


「ほう……?」

「――ッ、だめっ、ミアっ、逃げて!!」


 興味を映した声音。

 昨日目にした冷たい笑みが脳裏に浮かんで、自然と声が漏れた。


 ――――背筋が凍りつくような空気。


 昨日の最後に感じたあの感触が全身を呑み込む。

 僕に向けられたものではないとわかっていてもなお、恐ろしさが全身を縛る。


「っ、ぅぅぅう…………!」


 それを直接向けられたミアの目に、みるみるうちに涙が浮かぶ。

 足ががくがくと震え、横にまっすぐ伸びていた腕も支えを失ったようにふらふらと宙を泳ぎ始める。


「……ほう」


 それでもミアは逃げない。


「乳母子か。……そんなにこの王子が大事か?」

「…………かえ、して……ッ!」


 後ろから「ハッ」と冷たい笑いが響いた次の瞬間。

 吊り下げられるままに様子を見ていた僕の前から、ミアの姿が消えていた。


「ついでだ。お前も鍛えてやる」

「……!? なん――あっ!?」


 左側に聞こえた声にやっとの思いで目を向けると、暴れようとして僕に当たることに気づいたミアが固まったまま揺れている。


「ミ、ミア」

「にぃ!」

「……今度こそ行くぞ」


 伸ばした手を繋いだ僕とミアを両腕に抱え直して、男は離宮を後にした。




†   †   †   †   †




「――――どうした? ん? 逃げなくていいのか?」


 見覚えのある修練場に放り出され呆然とする僕とミアに向かって、男が小馬鹿にしたような声音で問いかける。


(なんとか、なんとかしないと)

「ミアっ」

「ん――んっ!」


 ミアの手を引っ張って立たせ、そのまま修練場から逃げられる場所を探して走る。


「そうだ。嫌なら精一杯走り続けろ」


 恐怖に唆されるままちらっと振り返った拍子に見えたのは、木剣を携えて空恐ろしく微笑む男の顔。

 逃げなきゃ、逃げないと……!!




†   †   †   †   †




「――――終わりか?」


 はあはあと空気を求めて喘ぐ声がうるさいのに、男の声だけはよく聞こえる。

 仰向けになってぴくりともできない僕とミアを傲然と見下ろす眼差しには、嘲りの色が見えていらいらする。

 それでも、今の僕にはどうすることもできない。せめて、ミアを庇うように覆い被さるくらいしか。


 …………僕だって、頑張った。

 ミアの手を引いて必死に逃げたけれど、修練場から出られそうな所には何度も何度も先回りされてぐるぐると修練場内を逃げ回るしかなくて。

 これじゃだめだと、せめてミアだけでもと、そう思って僕が男に向かって行っても、僕は足止めもできないどころかあっけなく無視された。そうして、男はミアを捕まえて「逃げるんだな?」と馬鹿にした笑みを浮かべて確認してくるのだ。


 どうすればいいんだ。


「今の状態が嫌なら実力をつけろ。知識を蓄え思考を磨け」

「っ……」


 考えていることを見透かされたようで、言葉が胸に刺さる。


「そろそろか……これはまた、大層な奴が出張ってきたものだ」


 呟きと同時に聞こえ始めたのは、土を踏む音。

 ふらつく身体を起こして、聞こえてきた方向に顔を向けると、白くゆったりとした衣装を身に纏った男性が見えた。


「お初にお目にかかります、殿下。司教のマルツィオと申します」


 耳慣れない響きの名前を名乗る男性が頭を下げる代わりになにやら手を動かす。妙な仕草に首を傾げた僕ににっこりと笑いかけた彼は、しかしすぐに男に顔を向けた。


「……無理が過ぎるのではないですかな?」


 柔和そうな顔に苦い表情を浮かべてマルツィオが苦言を漏らす。

 しかし男は司教に視線を向けることなく、腰から何かを外して僕に投げた。


「! ……え」


 棒状の、それでいて真ん中くらいから平たい何か。

 もしかしてと思いながら、革の包みから引き抜いて現れた鈍い輝きに、僕は恐る恐る視線を上げた。


「刃に触れてみろ」

「――いくらなんでも見過ごせません」


 当然のように言い放った男に対して、マルツィオ司教の声が割って入った。


「どういうおつもりか? 武術の指南役とはいえ、このお方は王族ですぞ。ましてこのお方はまだまだ稚い年頃ではありませんか。より適した教え方もあるはずでしょう。わざわざ怪我をさせる必要がどこにあるというのです」

「なにを仰るかと思えば。もとよりこのために神官殿に出向いてもらったのです」

「あ、貴方という人は……」

「さっさと刃に触れろ」

「っ」


 険しい顔をしたマルツィオを横目に、男はしれっとした顔で答える。言葉遣いは丁寧でも、男の態度はどこ吹く風と言わんばかり。

 怒りの声に平然と返されてマルツィオが鼻白んだ隙に、男は視線を僕に戻した。


「どうした? 嫌なら俺に勝てばいいが、挑んでみるか?」


 男はこれ見よがしに腰の鞘から柄を浮かせて見せる。


 勝て? この男に?

 制止に入った騎士たちをあっさりと転がしてみせたこの男を相手に、勝つ?

 逃げることさえできなかった僕たちが、僕が、この男に勝つ?

 …………想像できない。


 だからといって、従わずに、何か別の方法を試すこともできない。

 何も思い浮かばないというのも、確かにある。

 だけどそれ以上に、玩具で遊ぶみたいにさんざん追い回された経験が僕を捕らえて離さない。


 ――――別の方法を試そうとして、そしてその前にミアが捕まったら?


 …………僕にはどうしようもない。

 黙っていたってどうにかなる相手じゃない。

 ならせめて、大人しく従った方が…………きっと、いいはずだ。


「……にぃ……?」


 不安そうに、心配そうに僕を見つめ返すミアに痛い思いをさせるくらいなら……僕がやる、僕が、僕がやれば…………!


「っ……い、いたい……」


 一思いにと、曲線を描く刃を指先でなぞる。

 ピリっと、傷に沿って一瞬の痛みが走って。

 すぐに、ス……と、赤いものが溢れ始めた。


「に――にぃっ!?」「な、何をなさっておられるのですか!?」

「それが血だ。失い過ぎれば死ぬこともある」


 ミアが悲鳴じみた声を上げる。

 本当にやるとは思っていなかったのだろうか、ちらちらと僕を窺いながらも主には男に向けて責めるような視線を投げていたマルツィオが目を剥いて、慌てて僕の手を取った。


「【治癒】」

「……!?」「……あっ?」


(痛いのが……)


 指先に、光が灯る。

 温かく滲む光が、指先に導かれるように傷口を撫でると、まるで幻だったかのように、傷とともに痛みが失せた。


(なに…………これ?)


 動かしてみても引き攣れた感じがない。

 ただ、赤く汚れた指先だけが、傷があったことを物語っていて。

 初めての体験に呆然としながらマルツィオ様を見ると、顔に刻まれた皺が深くなる。


「――それが魔術だ」

「……」


 にこりと笑って口を開きかけたマルツィオ様は、しかし男が先んじて告げた一言のせいで、何か言いたげに口を動かした後、結局苦い顔で口を閉じてしまった。


「今のが【治癒】の魔術だ。それ以上知りたければこの後マルツィオ殿に質問しろ。王子の頼みとあらば快く答えてくれるだろう」

(【治癒】の魔術……)


 マルツィオ様は、なんとも言えない顔で頷いた。

 その向こうで、男は僕の目を見据えたまま、あの冷たい笑みを浮かべた。


「さあ次だ。もう一度。今度は手を切れ」

「――いい加減になされよ!」


 鋭い声。

 穏やかだったはずの声を険しくしたマルツィオ様が、立ち上がって男に詰め寄る。


「いたずらに傷を作らせることのどこが指南だと言うのか!?」

「ほう? 司教殿は必要ないと仰るか」

「当然でしょう! かように幼い王子殿下が何故、何度も御手に傷を作らねばならないのですか! それも御自ら!」

「何度もではなく、今回で二度目です」

「具体的な回数を言っているのではない!」

「では何だと?」

「恐れ多くも、殿下御自らが二度も御手に傷をつけねばならない理由をお聞かせ願いたい!」

「ああ、それならば簡単なことです。一度目でこれから扱う物がどういう結果をもたらすのかを知り、二度目で痛みを負う覚悟を決めさせる。己が手で扱う以上、その危うさは身を以て知らねば」

「馬鹿馬鹿しい! 王子は守られる立場の御方! そのような覚悟など不要に決まっている!」


(もう一度……)


 間近で行われる言い争いをどこか遠い事のように耳にしながら、手の内にある刃と、赤く濡れた指の間で、視線を彷徨わせる。


 ぱっくりと割れた傷口はそこにはないし、触っても血が出てきたりはしない。自分で切る前の、傷一つない指のままだ。

 けれど、指先に感じた、あのズキズキとした感触が忘れられない。

 お薬の苦い後味のように、頭の中にこびりついたように残って、どうしても消えてくれない。


(こんなのを、もう一度やらなきゃいけないの……?)


 痛いのに、痛いってわかってるのに、もう一回?

 ――――「嫌なら俺に勝て」。

 痛いのなんて嫌だ。

 でもできない。勝てない。

 あれだけ逃げ回ったのに息も切らさず追いかけてきたのに、勝てっこない。

 逃げられない。

 嫌だ。

 でも、あの怖い感じは絶対に味わいたくない。

 嫌だ。

 助けて。

 なんとかして。

 マルチダ。

 誰か。

 誰か。

 誰か。


(……そうだ、マルツィオ様は)


 男にも堂々と怒っていた司教様ならと、意識を目の前に戻して、


「――ヴィンセント」「――っ」


 暗い影が覗き込んでいた。


「ぅ……あ、ぁ……っ」

「ヴィンセント。もうやめるか?」

「ぁ……――、ぇ、……っ?」


 これ以上に何か恐ろしいことがくる。

 覚悟もないままに声をかけられて震えた僕は、けれども、すぐに自分の耳を疑うことになった。

 一度も聞いた覚えのないひどく優しい声に、目の前の男が誰なのか、一瞬だけ、わからなくなってしまったから。


「痛いのは嫌だっただろう? 走るばかりさせられて、息は苦しくなる。剣の振り方ばかり注意されて、詰まらなかっただろう?」


 全てを呑み込んでしまいそうな暗い黒髪は、クリスと名乗った男のもののはず。

 でも、マルチダがしているやわらかい目を、あの怖い男が見せるはずがない。


「アルジャーノンが教えてくれたように楽しく剣を振りたかったはずだ。そうだろう?」

「……う、うん」


 同じ声、同じ言葉遣い、同じ抑揚。

 なのに、同じ男と思えないくらい、言葉に籠る何かが違う。

 けれど、あんなに恐ろしい男が、こんな温かい笑みを、言葉を、僕に向けるなんてありえるのだろうか……?




「――――なら、俺のような奴が、お前を殺しにきたらどうするんだ?」




「っ………………それ、は……」


 寒々しい声音。

 一変したそれが耳をなぞる感覚に、前より強く、背筋が震えた。


「アルジャーノンより強かったら? お前が一人の時に襲われたら? どうにもできないまま、もっと痛い目に遭うか?」

「そんなっ、そんなこと………………だって、いつも、騎士の皆が――」

「そうだな」

「え?」

「お前は王子だ。だから常に騎士が守っている。痛い思いもせずに済むかもしれない。よかったな?」

「え、あ、う、うん……」

(な、なんで?)


 騎士の皆が、守ってくれる。

 その言葉を言い切る前に、目の前の男はあっさりとその言葉を認めてしまった。

 ……どうして? ……どういうこと……?

 あっさり前言を翻されて混乱する僕の前で、男は視線を横に向ける。


(……ミア?)

「……ヴィーに、ヴィンセントさま?」


 その視線を追って見つめる僕を見つめ返して、ミアが強張った頬を動かして笑う。


「……しかし、残念だ。あの娘は――――守ってもらえないかもしれない」

「――――――」


 囁くようにこぼれた内容に、足下が崩れたような衝撃を受けた。


 ……ミアは、守ってもらえない?


(なんで――?)


 そんなはずはない。……そう、そうだ、リリアーナ様がいきなり現れた時だって、僕の傍にミアがいた。一緒に守られていたことを、僕は確かに覚えている。


「――――っ、嘘だッ! そんなはずない!!」

「そう思うか? なら、司教殿に尋ねてみたらどうだ?」

「……そんなの、聞くまでもない」

「ほう! それはまた、どうしてだ? 自信がないのか。……それとも、司教殿を嘘つきだと疑っているのか?」

「――! マルツィオ様!」


 あの小馬鹿にした笑みに、頭がかあっと熱くなって、僕は、気づけば老神父の名前を叫んでいた。


「……殿下」

「僕はっ、ミアだって守ってくれるって、みんなっ、何かあった時にはミアだって、必ず守るって言ってたからっ――――――」

「落ち着いて下さい、殿下」

「う、あっ、で、でも……!」

「まずは深呼吸を。吸って、吐いて、吸って、吐いて……」


 いやいやをするように首を振る僕の肩に、マルツィオ様の厚い手のひらが置かれる。

 眼差しは穏やかで、大木のように揺るがないその空気に、胸の中で暴れる感情が、徐々に落ち着きを思い出して鎮まっていく。

 肩に優しく置かれた手が、穏やかな声が、静かな微笑みが、言われるままに呼吸を繰り返す僕を、少しずつ落ち着かせていった。


「…………ごめんなさい、マルツィオ様」

「謝られることではございませんとも。ええ、では、私でよろしければ、なんなりとお尋ね下さい」

(僕が言いたいのは……)


 あの嘘つき男が言ったことを言おうとして、そのままは嫌だからやっぱり少しだけ変えて、


「…………何かあったら、騎士の皆は、ミアも、ミアだってっ、必ず守ってくれるよね……?」

「……殿下。よくお聞きください」

「え……?」


 ……どう、して?

 姿を見せた時から変わらず僕に向けてくれたやわらかな笑みで「勿論です」って言ってくれると、そう思っていたのに。

 そんな……なんで? どうして、そんな顔するの……? まるで、どう言おうか迷っているみたいな顔……。


「殿下とミリアリア嬢は………………違うのです」

「違う、って……」

「騎士は……殿下をお守りするべく励んでおります。勿論、殿下が大切になさっておられるならば、人であれ物であれ、守ろうと努めておるでしょう。……ですが、彼らが何をおいても――それこそ、己の命を賭してでも守るべきは、他でもない王族の貴方様であって、一貴族の娘ではないのです」

「……………………王族だから……一貴族だから……?」

「……はい。その通りです」


(じゃ、じゃあ、ミアは、ミアは守ってもらえないの……?)


 それが理由? 王族だから、貴族だから…………身分が違うから……?


(身分…………て、なに……?)







「――守ろうとは思わないのか?」







 不意に、厳しい声が耳を打った。


「守る……?」

「他でもないお前が、どうして守ろうとしない?」

「…………僕が?」

「お前の大切なものは、お前の手で守る。そうすれば、誰も守らなくとも、お前がいるだろう?」

「それは……」

(…………そう、だけど)

「どうすればいいかわからない、か?」

「っ……」


 呆れたようにため息をつかれて、悔しさに涙が滲む。


「簡単なことだ。力をつけろ」

「ち、ちから?」

「そうだ。

 暴力に抗うために戦う力をつけろ。

 騙されないために知識を蓄えろ。

 うまく生き抜くために知恵を磨け」

「そんなこと……急に言われたって……」

「剣の振り方なら教えただろう? あれをより上手に、いつでもできるようにすればいい。

 他の事柄であれ、変わりはしない。言われたことをやれるようになれ。言われなくても真似てみろ。そしてやれるようになれ。やれるようになったら、より上手くやれるように試せ。そしてそれを繰り返せ」

「それだけで……?」


 それだけで、ミアを守れる?


「それだけだ。ずっと続けていれば自然と力は身に着く。……簡単だろう?」

「う…………」


 昨日起きたばかりの記憶が脳裏を過ぎる。


 走ることも、構えを取ることも、剣を振ることも、どれも辛かった。

 最後に先生に木剣を振り下ろされた時は、漏らしそうなくらい怖かった。

 嫌だ。

 あれは嫌だ。

 できるなら、二度と経験したくない。


 ………………だけど。

 ミアを守れないのは、もっと嫌だ。


「……うん」


 だから。

 それだけでいいのなら。

 そうしていれば、今日、先生みたいな敵に追いかけられたとしても、ミアを守れるようになれるっていうのなら。

 僕は、


「……やる」

「そうか」


 見上げた男の口元には、薄くも不敵な笑みが浮かんでいた。


「なら次は、誰から、何を、どう学ぶかだ」

「誰から、何を、どう学ぶか……?」

「俺が武術を指南すると、昨日はそう言ったな? だが、他の奴はアルジャーノンのように優しく楽しく教えてくれるぞ?」

(アルみたいに?)


 アルは、怖くなかったし、痛くなかったし、なにより、やっていて楽しかった。他の人も、そんなふうに教えてくれる?


「………………クリスは?」

「ほう、俺か?」


 おずおずと訊いた僕に、黒い男がニヤリと口の端を歪める。

 それはそれは、悪魔が浮かべていそうな悪い笑みを。


「俺は厳しく鍛える。王族だから、幼いからといって、アルのように甘い教え方はしない」

「っ……どうして?」

「厳しくすればアルが教えるより早く力がつく」

「早く……? ……本当に?」

「どんな訓練をしてきたか、帰って騎士に訊いてみろ。アルが教えたような楽しいやり方で強くなった奴など一人もいない」


 騎士たちの、ごつごつとした手を思い出す。

 見苦しいものと、そう言ってすぐに隠してしまう彼らの手は、とても硬そうだった。

 見せてくれたアルの手は、とてもごつごつとしていて、頑丈そうだった。


 そして、僕を抱え上げた目の前の男の手も、やっぱり硬かった。

 僕の、ぷにぷにした手とはまるで違う、力強い手のひらだった。


 ……やっぱりこれも、嘘ではなくて本当のことなのかな。


「今日は終わりだ。明朝、答えを言いに来い。俺に教わるか、他の奴にするか。お前が好きに決めろ」


 首を傾げているうちに、男は踵を返した。

 その背中には、僕がどうするかなんて気にした様子はまるで見られない。


「――あ……――こ、これは?」

「短剣なら明日渡せ。……一つ言い忘れていたが、俺に教わる気なら先生と呼べ」

 振り返った先生は、やっぱり不敵な笑みを浮かべていた。

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