闇の婚活パーティーを開こう。
「わたくしはカシュアグール家、跡取りの娘マリーナ・エル・シュグハルド・カシュアグール。怪しい出自の後継者として六年前にこのカシュアグール家に現れ、陰惨な家督争いを勝ち抜いた正当な後継者。孤児院で一緒に育ったカシュアグール家の妾の子からカシュアグール一族の証拠である翡翠のロザリオを奪い彼女になりすますと、宝石で全身を着飾って頭のなかは世間知らずのぱっぱらぱーな小娘ままのなんちゃって未亡人の前女領主から奇跡のような方法で信頼を勝ち取り、ライバルたる遠縁の小生意気で小憎たらしい田舎貴族の坊ちゃん嬢ちゃんたちを空前絶後、青天の霹靂な完全犯罪で皆殺しにしてついでに家臣どもの人心もころっとガッチリ掌握し、微塵の懸念も毛ほどにも存在しないくらい完璧に家督を手にした最強の悪徳令嬢です」
幾重にも積み重なった宝物の山々の中から女の声が聞こえる。
部屋には絢爛豪華な調度品が大市場かというくらいに積まれ、床に敷かれた真紅のカーペットが見えないほどで、そのちょうど中心部分にぽつりとおかれた古い木製の椅子に少女が一人。
そして、それを称えるように二人の男が頭を垂れていた。
薄暗い部屋にはどうみても照明が設備されているはずだが、部屋の住人は明かりを付けようともせずにただ夜の帳が室内まで侵入するのを甘んじて受け入れていた。
「あの…お嬢さま一体誰に向かって説明なさっているッスか?」
若い執事が勢いよくツッコんだ。
いかにも田舎から奉公に出てきましたという風で、タキシードが全然似合っていない。
そんな彼の隣では、自分の娘ほどの少女にうやうやしく傅く老人がいた。髪も白髪に染まりきっていたが、若者とは比べ物にならないほどにタキシードを着こなしていた。
老人は黙りこくったまま、石像のように微動だにしなかった。
宝の山に埋もれるように座り込んでいた少女は椅子から勢いよく立ち上がる。
藍色のドレスに身を包んだその少女は、貴族の娘らしからぬ豪胆さあふれる仁王立ちで若者に向きなおる。
その屹立の衝撃で近くの献上品の塔が崩れて雪崩を起こしガチャガチャと音を立てる。陶器が割れる音や貴金属が箱の中で跳ね上がる音が聞こえても、少女はなんら気にとめた様子はない。
それどころか献上品を踏みつけると、一層高圧的な態度で若者に詰め寄った。
「おだまりなさい、ロバート。アンタ、飼い犬の分際で主人の話をさえぎっても無事でいられると思っているの?」
砕けて中身が露出した箱からは精巧に飾り付けられたガラスの獅子が見るも無残な姿をのぞかせている。
あの装飾品に一体どれほどの価値があったのだろうか。それをむげに踏みつける彼女の迫力はなんだろうか。
ロバートと呼ばれた執事は恐怖に涙をこらえるのに必死だ。
砕けてもなお勇ましい表情で虚空を睨む獅子を躊躇なく踏みつける彼女はさながら悪魔か魔竜の権現のようだ。つりあがった眉を更に鋭く立ち上げて、両手を握りしめ執事を睨む。
執事の額には一筋の汗。
若い執事は即座に平伏した。
平伏までのわずかな時間に見えた彼女は、すでに歳相応の少女ではなく、魔女だった。
静かにくすぶりながら黒煙を上げる炭のように、美しいはずの顔立ちには陰気のこもった大きな瞳がその表情の調和を崩壊させていた。
彼女の悪徳令嬢な表情を知るのはおそらく我々だけだろう。仮に知ったとしても次の瞬間にはこの世から消え去ることになるのだから。
嵐と雨と雷だけがこの沈黙を打ち破ろうと躍起になって窓を叩いていた。
「もういいわ」
少女は険がこもった額をふっと解放すると、くるりと後ろを向く。
「すみませんでした…ッス」
間一髪のところで許されたロバートはほっと胸をなでおろした。彼女を怒らせれば本当に死ぬことだってあり得る。リアルクビだ。
「…今わたくしが相談したいのはそんなことではないの、とりあえずこれを見て頂戴。」
破壊神的な迫力を携えた少女が懐から一枚の写真を取り出し、這いつくばったままの執事へと投げる。そこに映っていたのは一人の男であった。
「ははぁ これは精悍な若者でございますなぁ」
置物のように押し黙っていた初老の執事がようやく口を開く。その言葉を聞いて先ほどまでの禍々しさとは打って変わってマリーナは嬉しそうな声を上げた。
「で、でしょ?!彼…私の昔の幼馴染でずっと会ってなかったんだけど、最近生きていて…王都の方に来ていることが分かったのよ!盗賊団をとらえたり、クーデターを未然に防いだり大活躍してるのよ!」
しょんぼりと俯いていたロバートが水を得た魚のように元気よくさけんだ。
「なるほど。ウチが裏で流してる武器やら何やらを嗅ぎつけられると不味いんで、こいつを殺すッスか?」
「違うわよッ!!」
「じゃあナンスカ、コイツを抱き込むンスか?」
「だ き こ む 」
なぜかマリーナの鼻息が荒くなる。だがはっと我に返ったように首をぶるぶると振ってそれを否定した。
「はあ では、なにするッスか」
「なッ なにするとか ワニするとか そういうのではなく……こほん、さっきの話に戻しましょう。家督を手に入れ、王都の裏の流通を掌握、すべてを手に入れたはずのわたくしが唯一持っていないもの…。それは…」
「…運命の相手よ…!」
素晴らしいタイミングで落雷が彼女の背中を照らす。二人の執事も直接電流で撃たれたような衝撃が走る。何か面倒事の予感がした。
「は」
「運命の相手…」
執事二人が声を合わせた。
「そうよ、何か悪い?」
相変わらず高飛車な態度のマリーナだったが、さすがに少し恥ずかしそうだった。
二人は不思議そうに顔を見合わせる。
悪徳令嬢の癖に初心なネンネかよ。とか はっコイツぁプッシー知らずだな!とか 殺せ!異邦人だ!とか、さまざまに言いたいことはあったが、二人は喉元まで出かかったそれを飲み込んだ。
「運命の相手…と、いいますと、結婚ですか」
老執事のロドリゲスが恐る恐る尋ねる。
「えっ!!??」
何故かマリーナは動揺する。
「はい。このかたと結婚するッスか?」
「いやッ いきなり結婚とか早すぎるから… あのう まずは恋人で… ああでもでも…そんな急に…あうあう…」
悪徳令嬢たるマリーナ嬢は、赤面した。貴重な光景に違いない。
「はて、真なる悪徳令嬢のお嬢様のことですから『のうみそがネズミの目玉ほども入ってないアホとバカのハイブリッドな人畜無害な貴族の鈍感男を尻に敷いて外面良く、裏ではイケメンたちを喰いまくりたい』とかほざかれるかと思ってました」
「あっ ロドリゲス様 それ俺も!俺も思ってたッス!ハイ!」
「………なによそれ」
彼女の目がすうっと細くなったのを見て二人は慌てて取り繕う。
「い、いえ、私の思い違いでした」
「失礼極まりないわね……だがそこがいい!毒舌!辛辣!誰にも靡かないドゲスなとこがあんたのいいところよ」
「ゲスでございます。ロドリゲスでございます」
「とにかくわたしはこの男と、その おつきあいしたいのですが…どうしたらいいと思う!?」
はあ と思わず気のない返事を返してしまいそうになる。だがそこをぐっとこらえて二人は頭を抱えてなやむ。
「そうですねえ。例えばプレゼントを贈ってみたり、うーん、そうですなあ…たとえば…居間のユニコーン像みたいなものを」
「いきなり重すぎないかしら?!物理的にも精神的にも!!」
「俺にいい考えがあるッス!!まずお嬢様が脱ぐッス!」
「お前は死ねッ!」
上段回し蹴り。回転によって破砕力を高めた必殺の一撃が後頭部へ炸裂し、ロバートをカーペットという名の真紅のマットに沈める。
「そ、そうですな… 手紙を書いてみたりとか…」
「無理よ!!何書いていいかわかんないわ!!それに五年ぶりの再会なのよ、やはりちゃんと ちょ…直接会いたい…ですわ…」
それはふつうの乙女すぎる表情であった。数分まえに本気で執事を殺そうかと思案していた少女にしては非常にかわいらしい。
「いい考えがあるッスッ!俺たちが攫って、ひん剥いてそっからお嬢様がハダカでアハァーンって感じに決めちゃえば」
「アンタほんとに殺すわよ」
「ああッ やめて!!その悪魔みたいな顔はおやめになってくださいッス!せっかくのお美しいお顔が!!」
「アンタがくだらないこというからでしょうがッ!!!!!」
とっさにロバートは頭部を守って身を低く構える、先ほどの経験から防御態勢を取ったのだ。が、狙われたは足元。
なればと、脚払いの一蹴が到達する前に素早く後ろへと跳びずさる…!避けきった…!
だがロバートが瞬間的に認識できたのは、呆れるように笑う悪魔の微笑みだった。
次の瞬間、鉄の塊のような一撃が顔面へと直撃し、彼は吹き飛んでいた。
下段フェイントからの右ストレート。足元狙いの下段出始めと踏込を混ぜた見切りにくい左足の技巧と黄金の右にロバートは再び血の海へと沈む。
「お見事に御座います」
「この色ボケ執事が…」
「…こほん、でしたらお嬢様。とりあえず彼にお会いしてみるのは?」
「えっ」
絶命寸前のロバートを無視して老執事は続ける。
「適当な名目でパーティを開いてそれに呼びつけてしまえばいいでしょう。王都にやってきたということですから、王や貴族に仕官されるためにいらしているのでしょう、こういうお話には飛びついてくるのでは?」
マリーナとロバートは感嘆の声を隠せない。さすがは年寄りといったところである。
「ここまでくればさほど難しいことではありません。自然な会話の流れからおつきあいしている女性の有無をそれとなく確認してみてみるだけですよ」
「なるほど…さすがね!ロドリゲス!」
「は、感謝の極み…」
「出来る男ッス!かっこいい!!」
夜はまだ明けない。雷の輝きが幾度照らそうとも闇はまだ、晴れない。
マリーナは高らかに宣言した。
「ならば…パーティーよ!婚活の宴の……幕開けよッ!」
真夜中に立ち込める暗雲に二人の従者は不安を隠せないまま、妙案を示したロドリゲスでさえ何か胸がざわめきたつのを感じていたのであった。