後悔と生命
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!
会議室を後にした俺は、屋上に向かった。
何故かはわからないが、外の空気が無性に吸いたくなったからだ。
もしかしたら、紬の話を聞いて、自分の家族のことを少し案じてしまったのかも知れなかった。
「あれ、悟郎。ここにいたのか」
屋上の扉を開けると、そこには悟郎が立っていた。
少し朱に染まり始めた空を、ぼんやりと眺めている。
その口には、火の点いていない煙草がくわえられていた。
「火、貸すか?」
俺はライターを取り出して、悟郎に差し出す。
煙草は、ここ最近滅多にお目にかかることのできない嗜好品だ。
ヘビースモーカーは、一度吸い終わった煙草をもう一度紙で巻き直すなど、涙ぐましい努力をしていることも多いと聞く。
俺も、ヘビースモーカーとまではいかないが、手元にあれば吸う程度には好きだ。
いつか手に入れられたときに吸えるように、ライターは常に携帯している。
「おう、隊長。折角だが、遠慮しておくよ」
「そうか」
「俺、禁煙中だからな」
「へぇ? なのに、くわえてるのか?」
「くわえてないと、どうもしっくりこなくてな」
「折角の煙草だ、吸っても損はないだろ」
「……これは、願掛けなんだ」
「願掛け?」
「ああ……。少し前の話だ」
悟郎はそこまで言うと、少し躊躇うような表情をした。
「言い辛いなら、無理に言わなくてもいいぞ」
「いや、いいんだ。二年前の話さ。俺には一人娘が居てな。女房と三人で暮らしてた」
「結婚していたのか」
「ああ。娘が口癖のように、『お父さん煙草臭い』なんて抜かしてたからよ、禁煙でも始めようかと思ってたんだ。結局、娘が生きている間は、俺は煙草臭いお父さんのままだった」
「じゃあ、娘さんは……」
「奴等に喰われた。女房と一緒にな。だから、俺は禁煙してるんだ。この世から奴らを抹殺して、女房と娘の仇を取るまで、な」
「そうか。悪かったな」
「いや、気にすんな。ただ、思い出すんだ……。失った日が、ちょうど今日みたいな染まり方をしてたからな」
そういって空を見上げる。
悟郎の目は慈愛に満ちていた。
屋上から出て、休憩室に向かうと、翔が中でゲームをしていた。
休憩室には翔以外誰も居らず、翔のしているゲームの音量だけが室内に響いていた。
翔は、俺が入ってきた事には気が付かない様子で、ゲームに没頭している。
俺が声を掛けようと近づくと、翔は視線を逸らさずに、「何か用?」とだけ言った。
「よく、俺が来ているのに気付いたな」
「それくらいわかるよ」
翔は人を小馬鹿にしたような感じで答えると、再びゲームに視線を落としたが、すぐに電源を切った。
「どうかしたのか?」
「電池残量がなくなった。また、充電しないとね」
そういって、ポケットにゲーム機を仕舞った。
俺は、前から気になっていたことを尋ねてみることにした。
「翔、お前はどうして志願したんだ?」
「……」
「何か、言えない理由でもあるのか」
「……別に」
ボソッと呟くように言うと、視線を逸らしてしまった。
その様子が年相応に見えたせいだろうか、少し安心した。
やはり、翔もまだまだ子供に違いは無いのだ。
「いや、言いたくないなら言わなくてもいいんだ。少し様子を見に来ただけだからな。それじゃ」
そういって立ち上がると、思い出したかのように、翔が声を発した。
「僕は、母さんを殺した」
「……え?」
「母さんが襲ってきたんだ、僕に。咄嗟に、バットで頭をかち割った。母さんが誕生日にくれた、バットで……。結構簡単だった。簡単に人は――奴等が人だとするならだけど――殺せるんだ。とても、容易く。ゲームで例えるなら、イージーどころか、アマチュアって感じで。それなら、自分から難易度を上げてやろうと思った、それだけの話だよ」
「……確かに、人は簡単に死ぬ。でもな」
「……?」
「それは、自分だって簡単に死ぬって事だ。人生ってのは、お前が思ってるよりもう少しハードモードなんだ。覚えておけ」
「……そっちの方が、やりがいがあるね」
「死ぬなよ。きっと、お前の母親もそれを望んでるだろうさ」
「自分を殺した僕に生きろって願っているとでも?」
「ああ。母親っていうのは、そういうもんだ。多分な」
俺はそれだけ言うと、休憩室から立ち去った。
本部内を廻ってみたが、英人の姿は無かった。
恐らく、自室にでも居るのだろう。
自室といっても、隊ごとに割り振られた部屋なのだが。
部屋の中に入ると、やはり英人が居た。
壁に向かって、何やらごそごそしている。
まるで、何かを品定めしているかのようだ。
「何してるんだ?」
「ん? ああ、ちょっとな」
英人は、棚を少しずらしてから、こっちに向き合った。
「で、何の用だ、隊長」
「建物の中を廻っても姿が見えなかったから、部屋を覗いてみただけだ。特に要件がある訳ではない」
「そうか。ご苦労なこった」
「……英人、お前、家族はいるのか?」
「ん? どうした、急に」
「作戦は熾烈を極めるだろう。この隊から死者が出てもおかしくは無い。もし家族が居るのなら、その……。縁起でもないが、伝えておきたいことがあれば、今の内に言っておいてほしい。もしお前が死んでも、俺がお前の家族に伝えられるように」
「……嫁がいる」
「嫁だけか」
「今はな。嫁は、これなんだ」
そういって英人は、お腹の辺りを撫でるような仕草をする。
それを見て俺はピンときた。
「妊娠、してるのか」
「そろそろ産まれる予定なんだ。早く顔が見てみたいぜ。しわくちゃの猿みたいな奴だろうがな」
「そう、か。辛いな」
「もし、俺が死んだらの話だが……。嫁に出会う事があったら、よろしく言っておいてくれ」
「誰が嫁か分かればな」
「全ては明後日だ。泣いても笑っても最期……」
英人はそう言って、床の上に大の字になった。