境界線と遺言
たっぷりと脂肪を蓄えた死体は予想以上に重く、引き摺っていくのにはかなりの労力を要した。
だから、気が付かなかったのかもしれない。
「こいつで、最後だ」
「そいつは、俺が……運ぶ」
「そうか、悪いな」
「ああ……隊長は、先に……中で、休んでいてくれ」
「わかった」
この時、引き下がるべきではなかったのだろう。
だが、引き下がらなかったところで、事態が好転したとも思えない。
この選択は、どちらを選んでも同じだった。
――ガコン
英人が行った方から、扉の方から、おかしな音が聞こえた。
今、聞こえるはずがない音が。
もう少し後で、鳴らされるべき音が。
「……英人?」
恐る恐る入口の方へ行くと、何故か扉が閉まっていた。
「おい、英人?」
扉を開けようとするが、びくともしない。
外側から頑丈に押さえつけられているかのようだ。
俺は扉を乱暴に殴る。
「英人! おい、英人!」
「隊長……そんなに、怒鳴るな……。聞こえてるよ……、聴力は、昔っから……落ちたことがねぇ」
「何してるんだ! 早く中に入れ!」
「へへ……中に、感染者を、入れる訳には……いかねぇだろう?」
「お前、何を言って……」
本当なら気付くべきはずだった。
気付いたところで何もできないにしても。
「もう、引っ掻かれてるんだよ……。これくらいなら、大丈夫だと、思ったが、やっぱり……」
「冗談はそれぐらいにしろ! 早く開けるんだ!」
「俺も、冗談で、あってほしいんだがよ……。しくったぜ……。なあ……」
「英人ッ!」
「俺には、腹の大きな嫁がいる……。生まれてくる子に、言い遺したいことがある」
「……俺が、必ず。必ず……伝える」
「…………へへっ、やっぱり、性に合わねぇ。こういう、のはよ……」
英人の声に、嗚咽が混じる。
生まれてくる子を想ってか、妻を想ってか。
「なあ、隊長、俺たちの……隊の部屋…………。そこの、棚を見ろと…………もし、俺の子供に会ったら、言ってくれ……。じゃあ、先に、逝ってるぜ…………」
銃声がして、それきり、英人の声は聞こえなくなった。
また、守れなかった。
共に戦った仲間、生き延びると誓った仲間。
その誰も、この場には居ない。
「翔、悟郎……紬……英人…………。俺は、俺は!」
扉を殴りつける。
何度も、何度も。
「なんで、どうして、俺は……」
壁に両手を叩き付けて、ずるずると床に座り込む。
「どうして、俺だけが、生きている」
同時に、凄い衝撃がシェルターを揺らした。
―現在―
「これで、あの場にいた感染者は根こそぎ消滅した。これが、真実だ」
「棚には、なんと……?」
碓氷さんは横の引き出しから、地図を取り出し、僕にくれた。
その地図の上に、自身の指を置く。
「俺は見ていない。だが、立ち入り禁止になっている故に建物は残っている筈だ。どうしても見たいのなら、忍び込め。この部屋に、その棚がある」
「忍び込む……」
「さあ、行け。俺から伝えることは、もう何もない」
僕は頷き、扉の方へ歩く。
その時、何か重い物がベッドの上に落ちたかのような音がした。
「碓氷さん?」
振り返ると、血濡れのベッドの上で、碓氷さんが寝ていた。
安らかな顔で、眠っていた。
僕はナースコールを押し、その部屋を去った。
数日後、僕は立ち入り禁止のエリアに侵入していた。
警備は思ったより緩く、入るのは簡単とまではいかないが可能だった。
所々に黒い炭の跡のようなものがあるが、それが何かに思いを馳せるのはやめておいた。
しばらく歩いて見えてきたのは、大きな廃墟だった。
窓ガラスは割れ、ところどころに骨組みが露出している。
地図によると、3階に部屋はあるようだ。
炭と煤だらけの橋を通り、玄関から内部に入る。
内部には、比較的きれいな部分がいくつか見受けられたが、活動している感染者はいないようだった。
念のため、大声を出してみたが、何の反応もない。
階段を駆け上がり、3階に到達する。
そして、部屋の前へ。
自分の父の死に様を知った。
どういう人間であったかを知った。
その父が遺した言葉、それを知りたかった。
扉を開こうと手を触れると、扉は開かず、そのまま倒れた。
蝶番が壊れていたのかもしれない。
部屋の中はほとんど被害はなく、当時の状況のままに思えた。
ここで、父さんは生きていたのだ。
仲間とともに。
壁際に置かれている一つの棚に近寄り、触れてみる。
棚を調べるが、特に何かが遺されている風ではない。
「部屋が、違うのか?」
事件から既に四十年近くたっている。
碓氷さんの証言に間違いが生じても不思議ではないはずだ。
部屋を立ち去ろうとしたとき、ふとあることを思い出した。
『部屋の中に入ると、やはり英人が居た。壁に向かって、何やらごそごそしている。まるで、何かを品定めしているかのようだ』
と、碓氷さんは言っていた。
もしかすると、この棚の後ろに何かがあるのかもしれない。
僕は棚を横にずらしてみた。
棚が動くにつれて、壁に掘られた何かが見える。
棚を壁際まで動かし、その何かに目を凝らす。
そこには、何かで引っ掻かれたような字が残っていた。
「これは……!」
『ワガコ ヨ ゲンキ ナ コ ニ ソダテ トウサン ハ イツデモ ミマモッテイル』
「父さん……父さんッ!」
僕は壁に縋りつく。
僕には、父がいた。
見守ってくれている父がいた。
よく見ると、まだ、何か書かれている。
「日付……」
この文章を書いた日だろうか。
年と日付が書かれている。
その時、僕はあることに気付いた。
戦闘が起こったのは、父さんが壁に書き付けているところを碓氷さんが目撃した二日後だ。
ここに書かれている日付の二日後は。
「僕の……産まれた日だ」
父さんが死んだ日に、僕は産まれたのだ。
「父さん……」
涙が、止まらなかった。
これにて『生屍の境界線』は終了です。
読んでくださった方、感想をくれた方々、本当にありがとうございました!
この作品も、多くの方に読んでいただけて、とても嬉しかったです。
次回作は例によって未定ですが、投稿の際には是非応援をよろしくお願いします!




