壁の向こうとストリッパー
―過去―
俺は上半身を岸にあげると、激しく咳き込んだ。
落下の時、水を飲んでしまったのだ。
一段落ついてから、陸に上がった。
まず、周囲の確認をしなければならない。
辺りを見回すと、どうやらここが湖のようになっていることがわかった。
これは非常にラッキーだ。
もし川だったとしたら、流されて溺れたり、現在地がよくわからなくなっていたりしていたところだ。
ヘリが墜落する音はかなり大きかっただろうから、ゾンビはそちらに集まっていくだろう。
ゾンビは臭いよりも音に反応しやすいことは、この二年ですでにわかっていることだ。
となると、出来る限りヘリから離れておきたい。
果たして、ここから基地はどの方角なのだろうか。
パイロットがあと数分と言っていたから、さほど遠くはない筈なのだが。
空を見上げると、煙が上がっているのが見えた。
ヘリが墜落したところに違いない。
そこと真反対に動けば、少なくともゾンビに追われることはないだろう。
俺はデイパックの中身を確認した。
そして、中からいくつかの包みを取り出した。
それらは、ラップによって何重にも巻かれた包みで、中身は弾薬や、拳銃である。
元々ラップは銃や弾丸を湿気から守るために開発されたものだ。
幾重にも巻かれたラップでできた包みは、しっかりと水から中身を守ってくれていたのだ。
包みの二つを取り出し、包装を外すと、中からは、9mm拳銃と、弾倉が三つ出てきた。
レザージャケットを脱ぎ、デイパックの中に放り込むと、チェストリグのマガジンポーチに弾倉をねじ込んで、銃をホルスターに入れた。
もっとも、ゾンビは音に寄ってくるので、そんなに使うことはないだろう。
―現在―
「俺の予想どおり、その方向にはゾンビはほぼ居なかった。俺は少し拓けた場所に出て、近くにあった建物に入ることにした」
「それは何故?」
「建物の屋上に行って、とにかく位置を確認したかったのだ」
―過去―
俺は玄関の扉をそっと開けた。
開けてまず目に入ったのは、廊下だ。
埃が厚く積もっているところが、二年の歳月を感じさせる。
次に目に入ったのは、玄関に散乱している靴だ。
この家の家主はよほど急いで避難したのだろう。
写真立てが床に落ちて割れていた。
俺はその写真立てを拾う。
割れたガラスの奥に見えるのは、一組の夫婦と幼い子供だ。
紅葉した山を背景に微笑んでいる。
「家族…ねぇ」
両親とはパンデミック後すぐに連絡が取れなくなったし、兄弟や妻もいない俺には、家族は遠い存在となっていた。
俺は小さな溜め息と共に写真立てをそっと立て直し、奥に進む。
廊下を進むと、正面にリビングが見えた。
中に入ると、それなりに綺麗な内装だった。
血で汚れていたり、死体が転がっていたりするわけではなく、ただ、主が居ないだけだ。
リビングのすぐ横にはキッチンがある。
俺は引き出しを開けて、缶詰を二、三個頂戴し、デイパックに詰め込む。
食料がないわけではなかったが、あるに越したことはないだろう。
缶詰を詰め終えて立ち上がったとき、微かに音が聞こえた。
俺は銃を構えて、周囲を警戒する。
だが、ゾンビが出てくる気配はない。
しかし、微かな音は、断続的に聞こえてくる。
「上か?」
よく耳を済ますと、キッチンの真上から、音が聞こえてきている。
俺は再びデイパックを開け、中から円筒状の物体―サプレッサーと呼ばれている―を取り出し、拳銃に装着した。
二階に上がると、閉まっているドアが一つだけあり、そこから微かな音は聞こえていた。
カリカリ、カリカリと、扉を引っ掻くような音だ。
おそらく、この向こう側にゾンビがいる。
それも、子供のだ。
鍵が掛かっているドアの向こうで、ゾンビ化したのだろう。
写真に写っていた、小さな男の子だろうか。
俺は扉に向けて銃を構え、三発撃った。
辺りを静寂が包み、微かな音は聞こえなくなった。
俺は扉から離れ、窓から屋根の上に出た。
ぐるっと一周見回すと、少し離れたところに、フェンスのようなものが見えた。
おそらく、あそこが基地なのだろう。
かなりの規模だ。
もう一度周囲を見回して、他に基地のようなものがないことを確認し、コンパスで方角を確認して、屋根から降りた。
―現在―
「その後、俺は基地に向かって歩き続けた。ゾンビは見なかった」
「質問ですが、なぜ扉の向こうのゾンビを撃ったのですか?弾が勿体無いし、サプレッサーをつけていてもある程度音が鳴る筈ですが。それほどのリスクを冒してまで、なぜ?」
「……可哀想だったからだよ」
「は?」
「眠らせてやりたかった。それだけだ」
その瞳は真っ直ぐで、そして温かかった。
彼は、こちらを見ているようで見ていない。
遠い過去を見つめていた。
―過去―
道が想像していたよりも曲がりくねっていたせいで、最初の予定より十分ほど遅れてしまったが、ゾンビに出くわすこともなく、高さ五メートルほどのフェンスの前に立った。
すると、フェンスの向こう側にある、櫓のような建造物の上から、声をかけられた。
俺は両手を振って、ゾンビではないことをアピールする。
「参加者か」
「生憎と、まだ何に参加するか知らないんでね。参加するかどうかは保証できない」
「どこから来た?」
俺は空を指差していった。
「天国に行く乗り物から溢れちまったのさ」
「お前、もしかしてあのヘリの生き残りか?ここから落下していくのが見えてな。調査隊が派遣されたところさ」
「まだ調査隊は帰ってきてないのか?ゾンビが居るところにわざわざ行くなんて物好きだな」
「仕事だ、仕事。行きたくて行く奴なんか居ねぇよ。…調査隊はまだだ。まあ、生存者はお前ぐらいだろうな」
「わかった。で、何処から入れば良い?」
「待ってな。今ゲートを開ける」
櫓の上の男が、下に向かって、何か指示を出すと、目の前のバリケードが二つに裂けた。
どうやら、開閉式らしい。
俺はバリケードをくぐる。
すると、そこはまるで別世界だった。
この二年で崩壊した世界とは全く違う。
人がいた。
ほとんどが自衛隊や警察出身らしく、それぞれの制服を着ているが、ちらほらと、女や子供の姿も見えた。
どうやってバリケードを張ったのかはわからないが、そのバリケードのおかげで、たくさんの人が生活することが可能になっている。
俺が呆けたように立ち尽くしていると、先程とは違う男に、銃を突き付けられた。
「このまま前へ進め。そこで検査を受けてもらう」
「検査?」
「感染しているかどうかを調べるためだ。あと、武器は没収だ」
自分の武器を手放すのは惜しいが、治安を守るためならば、仕方がないだろう。
誰もが武器を持っていた場合、気が触れた人物による事件が起きたり、暴動が起きやすくなる。
ならば、不安の芽を摘んでおいたほうが得策だと、ここの指揮をしている者が考えたに違いない。
男に言われるがまま、テントの中に入れられる。
狭いテントの中には、椅子とテーブルが一脚ずつ、そして男の医者が一人いるだけの、簡素なつくりになっていた。
「まず、武器をテーブルの上に置いてくれ」
言われるがままに、持っていた9mm拳銃や、デイパックの中身をテーブルの上に置いていく。
ここに自分を案内した男は、ずっと俺に銃を向けたままだ。
すべて並べ終えると、また別の男がやってきて、装備を箱に詰め、どこかへ運び去った。
「次に、感染の有無を検査させてもらう。服を脱いでくれるか?」
少々原始的な手段かもしれないが、噛み傷や引っ掻き傷がないかを確かめることが、最も確実な方法だろう。
迅速かつ簡単な作業だが、男二人に、自分の体を舐めるように見られるのは、あまりいい気分とは言えない。
というより、最悪な気分だ。
だが、そうも言ってられない。
この検査をクリアしない限りは、この先に進めないだろうし、そもそも射殺されるだろう。
「ストリップショーは、見物客としてしか参加したことはないんだがな」
「安心しろ、こっちも男の裸で興奮する趣味はない」
俺が渋々ながら服を脱ぐと、医者が俺の体を眺める。
暫し沈黙の時間が流れていく。
「……よし、噛み傷と引っ掻き傷はない。合格だ」
「服を着てもいいか?風邪をひきそうだ」
「ああ、勿論。服を着終わったら、そこの男に案内してもらえ」
「了解」