誤認と誤射
異変が起きたのは、戦いが始まってからわずか数分後の事だ。
翔の様子がおかしくなった。
「おい、大丈夫か」
その問いに翔が顔を上げたが、目が少し虚ろだ。
顔色もあまり良くない。
額に手を当てると、凄い熱だった。
玉のような汗もかいている。
「……大丈夫。少し、熱っぽいだけだから」
その言葉も少しつかえながら、絞り出したような言葉だ。
基地内の衛生状態はあまり良くなかったから、感染症にかかった可能性がある。
「本部の医務室に行って来い。紬、ついて行ってやれ」
「はい」
だが、紬が駆け寄ってくるのを、翔は手で制した。
「一人で……行けるから」
この様子では、誰がついていくと言っても同じだろう。
それに、出来るだけ戦力の削減は避けておきたいところだ。
「そうか。気を付けてな」
翔は銃を置いて、バリケードから降りて行った。
―現在―
そこまでいうと、碓氷さんは口を噤んだ。
「あの、どうかしましたか?」
「……あの時だ。俺は、あの時を死ぬほど後悔した」
「何があったのですか」
碓氷さんは手を握りしめる。
「あの時、俺が翔を一人で行かさなければ! 無理矢理にでもついて行っていればっ! ……翔が死ぬ事は無かった」
「え……?」
―過去―
俺は翔がバリケードを降りたのを見届けると、すぐに敵に向き直った。
良く狙いを定めて、引き金を引く。
その時、後方から銃声が聞こえた。
他の銃声に埋もれた、たった一つの銃声。
それが、不思議と気になった。
俺は、後ろを振り返った。
翔が、道の真ん中で立ち尽くしていた。
そして、その小さな体がぐらりと揺れたかと思うと、地面に崩れ落ちた。
「……翔ッ!」
俺はバリケードから飛び降りて、翔の元へと走った。
仰向けに倒れた翔の頭には、黒い穴がぽっかりと開いていて、血がごぽごぽと漏れ出していた。
事切れているのは、明らかだった。
ゾンビに襲われたわけでも、病気で死んだわけでもない。
味方の銃弾で、死んだのだ。
仕方のない事だったのかもしれない。
いや、冷静に考えれば、こうなるかもしれないと思えた可能性はあった。
道を、ふらふらとしながら近づいてくる人影を見たら、何と思うだろうか。
ゾンビと戦っている最中であったなら。
そして、一種の恐慌状態に陥っているのであれば。
ゾンビが、奴らが味方のバリケードを突破してきたのではないか……。
そんな考えが浮かぶはずだ。
頭では、そんなことがあり得ないと解っていても、バリケードが破られていないと解っていても。
引いてしまう。
重い金属の引き金を、いとも容易く引いてしまう。
撃ちだされた弾は、居るはずの無いゾンビの幻影に向かって飛んでいく。
そして、頭に穴をあけた。
「俺がっ……俺が、馬鹿だった! 俺は、なんて……」
翔の目が、こちらを見つめていた。
何も映していない瞳が、俺を捉えていた。
「もし、俺がついて行っていたら。もし、誰かをついて行かせていたら。もし、翔をゾンビと見間違えなければ。もし、撃った弾が、当たらなかったら。もし……」
後悔が、心の奥底から突き出る。
ダムが決壊したように、感情の濁流が押し寄せる。
俺は、手を伸ばして翔の目を閉じさせた。
頭を撃ち抜かれているから、ゾンビ化はしない。
それが、せめてもの救いだと思った。
いや、そう思わないと、自分に対する怒りで自分を殺しかねなかった。
俺は、翔の遺体を橋の端に寄せ、再びバリケードに上る。
バリケードの上に上っても、誰も俺に声を掛けない。
翔が死んだことを知ったからだろう。
俺は翔の銃を取り、空中に向けて数発撃った。
「かかってきやがれゾンビども! お前ら全員、翔の道連れだっ!」
それに応じるかのようにゾンビの蠢きが一層大きくなる。
「あああああああああああああ!」
銃弾をゾンビの顔面にばらまいた。




