静けさと絶望
―現在―
「俺の部下は、皆何かしら辛い過去を背負っていた。……だが、そんなことは、あの時代では珍しくも無かった。家族全員が無事だなんていう事はほんの一握り、いや、小指の先ほどしかいなかったよ。誰もが、辛い別れを経験してきた」
「そこまで、感染は広がっていたのですか」
「そうだ。だからこそ、あの作戦が行われたのだろう」
「感染者を水際で掃討する作戦ですか?」
「いや、そうじゃない。作戦はもう一つあった」
「もう一つ?」
「俺達には知らされていなかった。最初から、全て計算の内……。ここからは、あまり話したくない。だが、伝えなければならない」
―過去―
作戦の前日は、基地中が静かだった。
嵐の前の静けさというところか。
ただ、橋のバリケードの前の黒い人だかりが、雪が積もる様にぐんぐんと大きくなっていった。
バリケードは、急ごしらえとはいえ、中々に頑丈だ。
千体ほどのゾンビが来たくらいでは、微動だにしていない。
各々が、家族に挨拶をしたり、自らの趣味を楽しんだりさえしていた。
まるで、平和な時間が、これで最期だといわんばかりだった。
俺は、武器庫に向かい、自分の武器を清掃していた。
俺には、別れを告げる人はいない。
ただ、命を預ける銃の手入れをすることしかなかった。
―???―
「……おいおい、冗談は大概にしてくれよ」
「冗談なものか。お前は、さっきのシナリオ通りに死ぬのだ」
男が引き金に力を込める。
だが、俺の目線は横たわった井伊の手に注がれていた。
「なら、死ぬ前に一つだけ言わせてくれ」
「遺言か? 伝える者はいないぞ?」
「それでも、構わない。だが、一つだけ」
井伊の手に握られていたもの。
それは、焼夷手榴弾だった。
「元井伊さんは、相当しつこい性格だったようだぜ」
同時に、焼夷手榴弾が爆ぜ、車内が炎に呑まれる。
―過去―
俺は、目を覚ました。
外はまだ暗い。
作戦への緊張からだろうか。
これでは、初陣の時とあまり変わらないではないかと苦笑しつつ、窓から外を見る。
ビルの3階から見ると、ガラスが黒い布で覆われているように、何も見えない。
いや、目を凝らせば、少し見える。
既に安全圏ではなくなった居住区の建物の輪郭が、ぼんやり見える。
その時、俺は微かな違和感を感じた。
何故かはわからない。
暫く考えて、分かった。
いつもよりも、建物の背が低くなっているように感じるのだ。
見間違いかと、目を擦る。
この違和感は、この基地の大多数の人間にとって、致命的ともいえる違和感だったのだ。
地平線の向うから、朝日が昇る。
ゆっくりと、地面が照らされていく。
地面が、動いていた。
ざわざわと、蠢く。
俺は心の底から思った。
「奴等は……勝てる、相手じゃなかった」
地面は無かった。
俺が地面だと錯覚していたものは、全て頭だった。
この基地を覆い尽くすほどのゾンビが、地面を埋めていたのである。
その数は、三千万を軽く超えるだろう。
橋という、細い幅にバリケードを築いたため、バリケードは破られなかった。
ゾンビが次から次へと堀に落下していくからだ。
それでも、時間の問題だろう。
もはや、生きる術などない。
作戦など意味を成さない。
確定的な死が、眼下に広がっていた。
俺は、ゆっくりと後ろを振り向く。
全員が、立ち上がっていた。
全員が、俺の方を見ていた。
全員が、俺の向う側の景色を見ていた。
全員が、奴等を見た
全員が、絶望した。
全ては、終わった。
何も始まることなくして、終わったのである。
俄かに、基地内が騒がしくなった。
あちこちで、隊員がこの様子を目撃しているのだろう。
「そんな、昨日までは、そんなに居なかったはずなのに」
紬が、まるで夢でも見ているかのような口調で言う。
確かにそうだ。
俺が昨日、陽が落ちる前に確認した時点では、橋の前の道を埋め尽くすほどだったはずだ。
四本の橋を合計しても、多く見積もって数万体と言ったところか。
それが、今ではこの数だ。
何故と問うても、答えは出ない。
分かることは、俺達に明日は無いという事だ。




