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エピローグ:伊里塚の寄り道と観察報告書

槇宅を出発しておよそ1時間。

本来であれば高速道路を走って、とうに大阪へ入っているところであったが。

伊里塚はまだ1度も高速道路に行ってもいないし、そもそも今はバイクに乗ってすらいない。

では何処にいるのかというと。

彼は現在、木々が鬱蒼と生い繁る森の中を歩いていた。

いや、森の中とはいえ歩いている道は歴とした「国道」である。

『山の辺の道がよく分かるMAP』なる一枚の紙を携えて、伊里塚は進んでいく。

山の辺の道、というのは日本で一番最初の国道とも呼ばれ、『古事記』にも登場する古代道路だ。

伊里塚がこよなく愛する『万葉集』の歌碑が数多く点在するスポットである。

かれこれ30分は歩いているが、既に2・3個見つけている。


「……あった」


また1つ歌碑を見つけて、伊里塚は立ち止まった。

石碑にはこう刻まれている。


巻向の 山辺とよみて 行く水の 水沫のごとし 世の人我は


かの有名な柿本人麻呂が、妻を亡くして嘆き、詠ったものだと言われている。

ちょうど今いる辺りが巻向の山に当たるのだが、人麻呂の妻が住んでいたのもこの山の付近だ。

それでも何も変わらない山に対して世の無常を、川の水沫には人の儚さを寄せて詠んだのだという。


……結局。

お前らの誰とも歌碑巡りには来れなかったよな、と伊里塚は追憶する。


流石にクローンというだけあって、食の好き嫌いから始まって、ふとした時の素振り、寝相に至るまで伊里塚たち兄弟は随分似通っていた。

文学も、兄弟揃って好む傾向にあった。

ただ読むジャンルは見事なまでにバラバラで、木原は芥川龍之介や夏目漱石のような純文学しか読まず、別の兄弟はスペースオペラなどのSFモノを部屋にずらりと並べていた。

果てはファンタジーや幻想文学ばかり読み漁る奴も居たし、とある作家の本だけを熱心に買い集めている奴も居た。

文学を愛する心は一緒だが、趣味だけは丸で合わず、伊里塚もついにどの兄弟とも古典文学について熱く語り合えることは無かったのだ。


彼らが普通の人間で、同じように長く生きられたなら。

いつか古典文学にも目が向いて、手に取ってくれるようなことがあったのだろうか。

そして俺自身が古典文学以外にも興味が向いて、その内兄弟の誰かと話せることもあったのだろうか。


あったかもしれない。

なかったかもしれない。


それは永遠に分からないことだ。

たった1人になった今となっては、もう──


この道を引き返してバイクに乗れば、また忙しない日常に戻る。

家に帰れば、仕事が待っている。

もちろんこれは、伊里塚が進んで選択した”人生の姿”だ。

”あいつら”みたいな悲しい存在を、少しでも不幸から掬い上げるために。

これからも進んでいかなくてはならない。

逃げる訳じゃない。


……ああ、でも。


伊里塚は立ち止まったまま、動く気になれない。


少しだけ、立ち止まりたい。

……時間をくれ。

ほんの少しだけでいいから。



また、歩くから。



伊里塚は木々の隙間から見える、青空を見上げた。

木漏れ日に照らされた伊里塚は、何処か途方に暮れた眼差しを空に向けていた。



──────



観察報告書


八月××日


八月××日 午後八時二十分:本人の意思に基づき、木原 正行に対し×××ナトリウム投与

同日 午後八時 四十二分 三十五秒:木原 正行 の死亡確認

木原 正行の遺体は××大学病院に保管され、今後の医療発展の為の検




「………」


途中で手を止めた伊里塚は、溜息を吐いて乱暴に目元を拭った。




──又、セカンド・チャイルド 明崎以下7名に異常なし。

以上。


セカンド・チャイルド観察員 伊里塚 剛志




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