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3

……笠原は微かに唇を動かして、何か呟く。

けれど雨の音に掻き消されて、何と言ったのか聞き取ることが出来なかった。

もう一度聞き直そうとしたら、笠原はきゅうっと唇を引き結んで、ハンカチを持った手を下ろした。


その瞬間、"化け物"という言葉が心を通じて聞こえた。


露わになった左頬の鱗。


あのお婆さんの姿が微かに脳裏を過って、ひそひそした声が畳み掛けるように繰り返し始める。


何が起きたのかは、明らかだった。

笠原の目にみるみる涙が溜まっていき、一粒、二粒と頬を伝った。

何も言わず明崎に近づいてくる。


冷たく灼けるような痛みが明崎の心にじわじわ染み込んできた。

それと一緒に、迫り来るように声は大きくなっていく。


目の前まで来た笠原に、トンと額を明崎の肩に寄せられ、服の胸部分を縋るように掴まれた。


──声は1人のものではなかった。

沢山の人の声──男の声も、女の声も、笠原の声さえも聞こえる──がおのおのに怒りや憎悪、疎み、敵意を籠めて、低くざわめているのだ。

それらは最早”化け物”と言うだけでなく、様々な蔑みの言葉を吐き出している。

……そこで明崎はようやく気付いて、愕然としてしまった。

全て──笠原がかつて聞いた言葉で、声だった。

笠原の心に刷り込まれ、ずっと奥底に抱え続けていたそれらが、ぶくぶくと泡のように膨れ上がり、笠原の心を埋め尽くそうとしている。


彼と一緒にあっという間に呑み込まれた明崎は、ただ呆然と立ち尽くすしか無くて。

笠原を抱き留めることも出来ず、震えた嗚咽を遠くに聞いていた。


笠原から聞いていたことは、言ってしまえば画面越しの世界の話でしかなかった。

だから今まで気安く慰めることも出来た。

明崎は生まれてこの方、ここまで露わになった人の負の感情を目の当たりにしたことはなかったし、まともにぶつけられたことも無かったから。

それが笠原の心に触れてしまった今、明崎は彼の記憶のさざ波に居て、何人もの人に真正面からそれらを浴びせられている。


これが今まで笠原が抱えてきたものの、正体だった。


耳に吹き込まれる度、心臓がぎゅうっと握り込まれるような激しい不快感を覚えた。

囁きは容赦無く心に爪を立て、あちこち切り裂いた。

血が滴るように、自分の何かがホロホロ零れて、崩れそうになる。

何処にも逃げ場は無い。

誰も助けてくれない。

たった1人だ。

……そんなの、当たり前だ。


俺自身、”化け物”にしか見えない──


笠原の荒んだ諦めが、傷を惨く抉って。

その痛みも明崎の心に否応無く注がれた。


……信じられなかった。

こんなに苦しくて。

こんなに痛くて。

こんな、身悶えするような。


今にも泣き叫んで、消えてしまいたくなるような悲しみは知らなかった。


ずっと知ってるつもりでいて、何一つ理解していなかった。

それを思い知った時には──明崎は押し潰されていた。

のうのうと甘い人生を送ってきた少年にはもう、耐えられなかったのだ。


目頭が急激に熱くなる。

……抑える間も無く、明崎の両目からも涙が溢れていた。


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