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──気がついた時には、笠原は土砂降りの中を走っていて、医院最寄りのバス停に来ていた。
呼び止める声を聞いた気がしたけれど、もう分からない。
あの場には、居られなかったから。
……雨が酷い。
雨音に混じって、耳の奥で「化け物」という囁きが聞こえた。
一体どれだけの人からそう言われただろう。
繰り返し畳み掛けるようなそれは、笠原の心にこびりついた声だった。
笠原はこうして何度も、同じような終わりを繰り返してきた。
……ああ、でも。
錦野さんとの関係を、こんな形で終わらせたくはなかった──
囁きはやがて、人々の低いざわめきに変わった。
化け物
化け物
どうして生まれてきたんだ
気味が悪い
消えればいい
死んでしまえばいい
早く、死んでしまえ
かつて浴びせられてきた言葉の記憶が蘇る。
その1つ1つが、既に傷ついていた笠原の心に鋭く爪を立て、ざりざりと裂いた。
「違う」と叫ぶことは出来ない。
ずっと、あらゆる人間にそう言われ続けて来たのだから。
他人から見た己はやはり「化け物」。
……それは最早、笠原にはどうすることも出来ない不条理で。
けれど心は今にも引き千切れてしまいそうに痛くて、堪らなかった。
これ以上、何も聞きたく無い。
何も見たく無い。
傷つけられるのは……もう、嫌だった。
……その内、ずっと掌で頬の鱗を隠したままであったことに気付く。
流石にこのままではいけない、と微かに思う。
空いた片手で肩掛けカバンの中を探り、ハンカチを取り出していると、間も無くバスがやって来た。
笠原は停車して入り口を開けたバスに乗り込んだ。
車内は空いているが、びしょ濡れのままでは座れない。
笠原はハンカチで左頬を抑えたまま、バスの吊革を掴んだ。
ぐっしょり濡れた服や髪の先から雫が垂れ、床にポタポタ落ちていく。
顔面も蒼白で……そんな尋常でない様子の笠原に気づいた人物が居た。
笠原君ちゃうん……?
花屋の沢崎であった。
沢崎は一瞬声を掛けようとしたが、思い止まってやめる。
……何だか様子がおかしい。
スマホを取り出すと、ひとまず一番事情を知っていそうな人間にメッセージを送った。
──────
『笠原君、なんかあったん?』
『顔の左側、ハンカチで抑えとるし。ずぶ濡れやし……』
『明崎どこおるん?』
明崎が沢崎のメッセージを読んだのは、送信されたおおよそ15分後のことであった。
内容が、異常でしかない。
『△△△で降りたで。明崎ん家の最寄りやんな?』
間違い無く、何かが起きたのだ。
居間に居た明崎はすぐさま立ち上がって廊下に出る。
大声でキッチンに居る槇へ声を掛けた。
「槇さん!ちょっと出掛けてくる」
「えっ?こんな雨なのに?」
「多分すぐ帰る!」
玄関に降りてドアを開けようとした。
その瞬間、ドアノブが勝手に回った。
ガチャ、
ドアが、開いた。
そこには案の定、笠原が立っていて……
「紫己……?」
ずぶ濡れだった。
酷く強張った表情で、沢崎が言った通りハンカチで左頬を抑えている。
鱗がある方だ。




