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錦野さんの生き甲斐


滞在11日目。

笠原は約束の時間より少し早く、竹川医院に訪れた。

受付に声を掛けて上がろうとしたが、ちょうどそのタイミングに竹川がやって来た。


「おはようございます」

「おう。見舞いか?」

「はい。今日は……」


背後で扉が開いて、「おはようございまーす」という聞き覚えのある声が上がった。

笠原が振り返ると、踊り場には笑顔の浅井が立っていた。


「あっ、センセー!おはようございます!笠原君もおはよう」

「おはようございます」

「おはよう。何や、知り合いやったんか」

「だって先生、綾さんの彼氏なんだから俺が知らない訳無いでしょ」

「ほお!やっぱ口説いとったんか」

「口説く……!?」


皆して「恋しちゃった?」だの「振られた!?」だの、一体どういうことだ。

靴を脱いで上がった浅井の手には紙バックが下がっている。


「で、ちょっと先生に聞きたいことがあるんですけど〜、いいですか?」

「ほう。どないしたんや」


浅井は笠原の持っているビニール袋に目を遣ると、こっちに寄越すように身振りで促す。

笠原がビニール袋を手渡すと、浅井は中から取り出した物を竹川に見せた。


「……樹脂粘土?」


竹川は首をかしげた。

浅井は伺い立てるように、身体を少し屈めて話す。


「無理言ってるのは承知の上で……病院的にアウトですか?」

「何……錦野さんに持ってくんか?」

「ちゃんと下敷きとかあったら汚れないですよ。指にも全然くっつかない。……入院してから綾さん、全然家族と会ってないって聞くし、日がなボーッと過ごしてる感じだったから。一人の時間がこれからも続くんなら、好きな粘土細工やって気を紛らわせて欲しいなっていう、まぁ……孫の気遣い的な?どうでしょう?」

「………」


竹川は少し渋い表情を浮かべ、やがてこう言った。


「……あのな」

「はい」

「病院長いことやっとってな、粘土持って来て"病院見舞いに良いですか?"なんて聞いてきたんはアンタらが初めてや」

「あー……うん、俺も余り聞いたことはないかなぁ」


浅井は苦笑いを浮かべて頷いた。


「えっと……すみません、粘土渡そうと言い出したのは、俺です」


これでは浅井だけが悪いことになってしまう。

そう思って笠原は自分から正直に名乗り上げた。


「ほお」

「で、俺がそこに乗っかっちゃった訳なんですけどね」

「ふむ」


竹川が頷く以外に言葉を発しなくなった。

聞きながら考えている様子であったが、それが何となく怒っているようにも見えて、笠原を不安にさせる。

何か言わなくては、と笠原が思案していると、隣の浅井がこんなことを言った。


「ただ……いつ死ぬかもしれない状態で、ベッドでただ横になってるのを見るのは、俺どうしても気になっちゃって」


いつ死ぬかもしれない?

笠原は思わず目を見開いて浅井を見た。

浅井はちらりと笠原に視線を寄越したが、また竹川へ戻した。


「入院する直前までしょっちゅう粘土触ってた人だから、とりあえず何か作りたいとは思います」

「……本も読まへんだなぁ」

「はい。……本読んでくれる人なら迷わず持ってきたんですけどね」

「ふぅむ……」


考え込むかに見えたが、竹川からは意外にもすぐ「分かった」と答えが返ってきた。

浅井は申し訳なそうに微笑む。


「すみません」

「錦野さん喜ばせたりぃ」


竹川は頷いて、それだけ答える。


「本当にいいんですか?」

「そらぁな」


竹川は難しい顔を作った。


「よっぽど無茶言うんやったら、こっちかてアカン言うで。けど、粘土やろ?なら構へん。好きなことをやらせたったらええ」

「先生……ありがとうございます」


礼を言う浅井と一緒に、笠原も頭を下げた。

そのな2人に向かって、「ただし」と竹川は1つ条件を出す。


「汚しなや」

「全力を尽くします」


こうして樹脂粘土セットは無事錦野さんへ贈り届けられることとなり、重ねて礼を言って竹川と別れた浅井と笠原は、医院の2階へと上がっていった。


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